筆者は、建築家や建築史家が住宅に対して「実験」という言葉を使うのがどうも好きではない。自分が正式な建築教育を受けていないからか、「建築の進歩のために生活を捧げるなんてまっぴらごめん」と思ってしまう。たとえそれが建築家の自邸であったとしても、そこに暮らす家族のことを考えればそんな言葉は軽々しく使うべきではないと思う。しかし、北海道の建築家・上遠野徹(かとのてつ)が「実験住宅」と呼んだ自邸「札幌の家」は例外だ。

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筆者は、建築家や建築史家が住宅に対して「実験」という言葉を使うのがどうも好きではない。自分が正式な建築教育を受けていないからか、「建築の進歩のために生活を捧げるなんてまっぴらごめん」と思ってしまう。たとえそれが建築家の自邸であったとしても、そこに暮らす家族のことを考えればそんな言葉は軽々しく使うべきではないと思う。しかし、北海道の建築家・上遠野徹(かとのてつ)が「実験住宅」と呼んだ自邸「札幌の家」は例外だ。
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