5月24日に、株式会社ブンガネット(BUNGA NET)を登記した。役員は筆者(宮沢洋)1人で、これから宮沢の肩書は「BUNGA NET代表兼編集長」となる。Office Bungaはこれまで通り、磯達雄、長井美暁との共同の場として継続する。「BUNGA NET(法人)⊂ Office Bunga」という関係だ。これまでと何かが大きく変わるわけではないが、法人格を持つことで引き受けることのできる仕事の幅が広がる。
筆者は1967年生まれで今年54歳だが、今風にいうと「スタートアップ」となったわけだ。この言葉、「ベンチャー」と何が違うのかとずっと気になっていた。改めて調べてみると、どうやら「イノベーションがそこにあるか」という違いらしい。BUNGAは設立理念として「建築・都市・デザインに関する専門的な情報をかみくだいて広く伝え、生活者・ 専門家それぞれの心身の充実に貢献する」と掲げている。これはある種のイノベーション。スタートアップを名乗っても悪くはないだろう。
「波平54歳」に衝撃…
…と、都合よく若々しいことを考えていたのだが、先日、同じ1967年生まれのある建築家がSNSに「サザエさんの磯野波平は54歳」という情報を上げていて、衝撃を受けた。
ええっ、あの人生を達観したような波平が自分と同い年! 調べてみると、本当にそういう設定のようだ。自分の精神年齢を考えると、波平よりもむしろカツオに近い気がする。急激にモチベーションがダウンした。
いかんいかん、まさにこれからというときに、波平にノックアウトされている場合か。遅咲きスタートアップの指針となる先達は誰かいないのか……。調べてみた。
50代からでもこの偉業!
すぐに思い浮かんだのは、この人。
伊能忠敬(1745~1818年)
49歳で隠居し、50歳で天文学を学び始め、55歳から全国測量行脚に。日本地図のベースをつくった。
このプロフィルは私も知っていたが、調べてみると伊能忠敬はすごく商才があった人で、49歳で隠居する前に莫大な資産を築いていた。その資産があってのチャレンジだったのだ。しがない元出版社員の筆者とはベースが違い過ぎる。
ビジネス界ではこの人が遅咲きの成功者として有名らしい。
安藤百福(ももふく)(1910~2007年)
戦前に繊維事業で成功するも、戦後はGHQに脱税嫌疑をかけられ、不動産没収。いろいろあって、日清食品を設立し、1958年にインスタントラーメンの開発に成功。大ヒットし、1963年に東京証券取引所に上場。このとき52歳。その後、1970年代にはカップヌードルも大ヒット。
安藤百福をモデルにしたNHK朝ドラ「まんぷく」では、てっきり30代くらいの話かと思っていた。そんな歳だったのか。でも、ラーメン開発に取り組み始めたのは40代なので、ちょっと共感しにくい。それに自分とは分野が違い過ぎる。
メディア関係では、この人が遅咲き成功者だった。
アリアナ・ハフィントン(1950年生まれ)
ギリシャ系アメリカ人の女性作家で、コラムニスト。2005年、デジタルメディアの先陣を切り、一般ユーザーと専門家をつなぐコミュニティー型サイト、ハフィントンポスト(ハフポスト)を創業。このとき55歳。
ウェブメディアを立ち上げた点は大いに共感する。でも、そこに至る過程が力強過ぎて、やはり土台が違う。
意外に目標にすべき人が見つからない……、と思っていたら、いた! なぜそういう視点で今まで見ていなかったのか。
村野藤吾(1891~1984年)
1929年に渡辺節建築事務所を退所し、村野建築事務所開設(38歳)。戦前から宇部市渡辺翁記念会館(1937年、村野46歳)などの名作を残すも、日中戦争・第二次世界大戦中は実作の機会は少なく、不遇の時期を過ごす。
戦前から注目され、かなり活躍していた村野だが、戦争で壮年期を奪われ、終戦を迎えたのがまさに54歳のとき。代表作とされる建築は、ほとんどが1949年(村野58歳)に村野・森建築事務所を立ち上げてからのものだ。「40代後半~50歳にかけてやりたいことがたまりにたまっていた」という点にまず共感する。そして、50代以降も全く守りの姿勢に入っていない点も見習いたい。
波平も隠居するつもりはなかった?
ところで、磯野波平は自分と無縁であるかのような書き方をしたが、そんなことはないかもしれない。
当時は一般的なサラリーマンは定年が55歳。波平は翌年に定年退職を迎える。しかし、カツオもワカメもまだ小学生だ。磯野家の資産を考えると、波平はゆったり隠居生活というわけにはいかないだろう。もしかしたら、波平も定年後の起業を考えていたかもしれない……。『スタートアップ波平』、勝手に描いたら怒られるだろうか。
話が大きくそれたが、「BUNGA NETが法人化」というニュースでした。(宮沢洋)
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