国宝・迎賓館赤坂離宮で建築資料の常設展示スタート、村野藤吾による“白塗り伝説”は本当だった!

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 東京・四ツ谷の「迎賓館赤坂離宮」に2026年3月20日、資料展示室がオープンした。

iPhoneの広角カメラでも入りきらない外観。北側の前庭(四ツ谷駅側、下の模型の上方向)から見る
新設された資料展示室

 昭和100年(2026年)の記念事業の一環として、迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)の建物に関する貴重な資料や、歴史的なエピソードの数々を展示するもの。筆者が4月下旬に上梓する予定の書籍『画文で巡る! 最強TOKYO建築図鑑』でこの建築の画文リポートを掲載することから、その内容確認を兼ねて展示を見てきた。

 迎賓館赤坂離宮は、明治42年(1909年)に建設された。もともとは皇太子明宮嘉仁親王、のちの大正天皇の住居「東宮御所」として完成した。設計の中心になったのは、工部大学校(のちの東京大学工学部)でジョサイア・コンドルに学んだ後、宮内省に入り内匠寮(たくみりょう)のリーダーとなった片山東熊(とうくま)だ。

 昭和49年(1974年)の大改修を経て、国の迎賓館として開館して以来、世界各国から賓客を迎える外交の舞台となっている。最近だと、4月1日に高市早苗首相がフランスのマクロン大統領を迎賓館に招いて会談を行った。

 平成28年(2016年)からは、通年で一般公開を行っている(迎賓館として使用する日を除く)。迎賓館は内閣府の管轄だ。首相に近い官庁だからか、情報発信にも積極的。開館50周年となる2024年度にはハロー・キティとコラボしていた(迎賓館開館50周年 × ハローキティ50周年)。平常時も、Xでいろいろ発信して参観者を集めようと頑張っている。例えばこんな投稿↓。

4月2日の迎賓館赤坂離宮公式Xの投稿のキャプチャー。マクロン大統領をお迎えしたこの装花は、4月7日(火)まで実際にご覧いただけます!とのこと

 この建築は「国宝」である。2009年に明治以降の建築として初めて国宝に指定された。筆者が最初にこの建築を取材したのは2014年で、そのときは一般公開がスタートする前だった。だから取材の許可をもらうのに書類をたくさん書かされて大変だった記憶がある。それが今は、その日突然思い立っても見ることができるのである。いい時代になった。

 今回新設された展示室の場所は、迎賓館の本体(本館)ではなく、別棟の第1事務棟・3階。これまでは、建物見学のあとにトイレに行く人くらいしか足を踏み入れなかった建物だ。「3階」だが、傾斜地に立っているので、本館と同じレベルからブリッジでそのまま入れる。追加料金はなく、通常の見学の料金内で見られる(参観料金はこちら)。

展示資料は、
・迎賓館の沿革、接遇の歴史、迎賓館と皇室の関わり
・賓客が客室で使用するアメニティ
・迎賓館の客室を飾る装飾織物
・朝日の間の床に敷かれている手織緞通
など。

建設時に地震対策として基礎部に使われた鉄道レール。1872年に新橋ー横浜館の鉄道開通に使われたレールと同じもの
室内に使われた化粧タイル

 見せ方ははっきり言って地味だ。本館の華やかさ対して、「もう少し予算をつけてあげても…」とは思う。だが、展示物の中に筆者のテンションが爆上がりするものがあった。それは「昭和の改修─赤坂迎賓館へ」というコーナー。村野藤吾による旧東宮御所→迎賓館への改修時の写真(ビフォーアフター)だ。

 もともと黒っぽかった正門の鉄柵や建物の庇を、村野が改修時に「白」に塗り替えた、というエピソードは筆者も資料で読んで知っていた。記事に書いたこともあった。だが、改修前の鉄柵や庇の写真を見たことがなく、「さすがに村野もそこまでするかなー」と、眉唾に思っていたのだ。そのビフォーアフターの写真が載っているではないか!

実際の正門
庇のビフォーアフター
実際の庇。この日は天気がいまいちだったので、晴れた日の写真を↓

 色を黒から白にしただけで、一気に村野ワールドだ。黒と白どちらがいいかと問われたら、99%が白と答えるのではないか。

 2009年に国宝に指定されたのは、本館、車寄及び階段附属、正門・塀、東西衛舎、主庭噴水池、主庭階段だ。村野が白く塗ってしまった正門も本館の庇も、国宝なのだ。

 国宝というのは、「重要文化財の中でとびきりいいやつ!」という意味なので、大前提として重要文化財である。村野藤吾は、「宇部市渡辺翁記念会館」(1937年)、「世界平和記念聖堂」(1954年)、「日本橋髙島屋」(1952~65年の増築を村野が設計)の3つが重要文化財となっていることが知られている。丹下健三の2件をしのぐ“重文ゲッター”なのだが、これは“国宝ゲッター”でもあると言っていいのではないか…。

 もう1つ、村野が改修時に庭をかなりいじったことも資料を読んで知っていたのだが、前の状態がわからず、ピンと来ていなかった。そのビフォーアフターも展示を見てわかった。

 まず、驚いたのが、前庭中央のメイン通路の幅が狭くなっている。各国の要人を迎える施設である。広くするならわかるが、狭くするって、普通の人のやることではない。

 もう1つ驚いたのが、メイン通路に直交する東西の軸線↓の見え方。現状では「東西衛舎」(国宝)が黒松でほとんど見えなくなっている。

メイン通路から衛舎の方向を見る。衛舎は一般見学の対象外なので、通路から遠目に見るのみ
もともとヨーロッパ式の庭園だったが、ガラッと変わった↓。当初はメイン通路から東西衛舎もよく見えたと思われる
改修後は黒松がドットのように立つ

 村野の真意はわからないが、東西衛舎を積極的に見せたくなかったことは間違いないだろう。

たとえ後に重文になるものであっても、村野的にはアウトだったということ?
ちなみに、村野が改修時に新設した門衛所はメイン通路からすごくよく見える。ここは今、土産店として使われている

 繰り返しになるが、「迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)」については、筆者が4月下旬に上梓する予定の書籍『画文で巡る! 最強TOKYO建築図鑑』で画文のリポートを掲載している。本を書き終えた後に資料館を見に行ったので、庭の話は書いていない。もっと早く知っていたら書いたのに、残念だ…(門扉などを白に塗った話は本にも書いた)。

 資料展示室はなかなかに充実したものであったが、近代建築好きにはよく知られている”皇太子はここに住まなかった事件”については、どこにも記述が見当たらなかった(見落としの可能性もあるが、いずれにしても扱いは小さい)。公的な展示なので、まあ、そうだろう。「何?その事件」と思った方は、間もなく発刊予定の拙著↓をぜひご予約いただきたい。(宮沢洋)

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