大阪・関西万博の2つのパビリオンの設計など、いま最も活躍する建築家の1人である永山祐子氏(永山祐子建築設計)。JINSの店舗づくりにおける田中仁氏とのコラボレーションは、4年ほど前にやっと実現した。田中氏は、日本に息づいている「三方よし」の経営文化を体現する新旗艦店の設計者は永山氏しかいないと判断した。(ここまでBUNGA NET編集部)


今では飛ぶ鳥を落とす勢いの永山祐子さんと初めてお会いしたのは、2007年のことだった。JINSで「建築家シリーズ」と名付けた企画を立ち上げ、11人の建築家に眼鏡デザインをお願いした。その1人として永山さんに加わってもらった。当時の彼女はまだ30代前半で、あどけなさを残しながらも、目の奥に強い意志を秘めた、初々しい女性建築家だった。
依頼した眼鏡は、女性らしい華やぎをまとい、繊細な造形が印象的な作品だった。日常で掛けこなすには難しいほど挑戦的で、むしろ「作品」としての存在感が際立つものだったが、その中に彼女らしい軽やかさと遊び心があった。当時、ルイ・ヴィトンの大丸京都店の設計で徐々に名前が知られ始めてはいたが、世間的にはまだ無名に近かった。それだけに、彼女からは未来へ羽ばたく原石のような輝きを感じたのを覚えている。
その後も展覧会などで顔を合わせる機会はあった。オランダ・ロイドホテルのディレクターとスキーマ建築計画の長坂常氏が仕掛けた代官山の「L LOVE」プロジェクトで再会したこともある。しかし具体的な仕事の依頼には至らずの状況が続いた。
その間に永山さんは家庭を持ち、子育てをしながらも活動を続け、母としての視点を生かす建築家として多くのメディアに登場するようになった。仕事と家庭を両立させながら、柔軟で力強く活動する姿は、建築界に新しい存在感を示していたと思う。
一方その頃、JINSは創業の地・前橋で約20年が経過したロードサイド店舗の建て替えを検討していた。ちょうど「地域共創部」を社内に立ち上げたタイミングであり、単なる店舗づくりではなく、地域に開かれた旗艦店を構想していた。眼鏡を売るだけでなく、その地域に新しい価値を生み出せないか。本業を通じて社会に貢献する方法を模索していたのである。
その背景には、一橋大学の名和高司先生から学んだ「CSV(Creating Shared Value:共有価値の創造)」経営の概念があった。米ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ポーター教授が2011年に発表した論文「共通価値の戦略」では、社会的価値と経済的価値を同時に追求することが次世代の資本主義のあるべき姿だと論じている。社会課題を解決することで新たな市場を生み、経済的リターンも得る。寄付や税金に依存するのではなく、企業が本業を通じて持続的に課題解決に挑むべきだという主張である。
この考え方は、実は日本に古くからある。「三方よし」や渋沢栄一の「論語と算盤」がそれだ。「売り手よし、買い手よし」という経済的価値と、「世間よし」という社会的価値。この両立を実現する思想は、日本の経営文化の中に息づいている。CSV経営は、そうした伝統に現代的な意義を与え直すものだと感じていた。
前橋に新たに生み出す旗艦店を、この理念のモデルにできないか。そして設計を託すなら永山さんしかいないと思った。母として子育てをする視点を持ち、同時に地域に開かれた空間を構想できる建築家。私たちにはない感覚を空間に持ち込んでくれると確信した。
眼鏡を買うだけでなく、地域に開かれた「公園のような店舗」
声をかけた際、永山さんは「なかなか私にはお話が来ないなぁと思っていたんです」と笑顔で答えてくれた。その明るさと率直さに彼女らしさを感じた。当初は青木淳さん設計の旧前橋本社ビルを改修する予定だった。恐る恐る青木さんに相談すると、「永山さんなら素晴らしい改修をしてくれるでしょう」と快く応じてくださり、その懐の深さに救われた思いだった。
永山さんからの最初の提案は、壁を抜いて大きなテラスを張り出すという大胆なものだった。非常に魅力的だったが、用途変更や耐震補強で思わぬ費用がかさむのが分かり、新築に計画を改めることにした。



そして完成したのが「JINS PARK前橋」(2021年4月開業)である。今振り返ると、青木さんの設計した建物に手を加えないで良かったと思っている。
そのJINS PARKだが、芝生の前庭と赤城山の赤茶色を呼応させた銅板葺きの屋根。エントランスを入ると大階段が斜めに延び、空へと視線を導く。屋上テラスは子どもたちが思い切り走り回れ、寝転がることもできる。庭に面したガラス戸を開け放てば、風が吹き抜け、内外が一体となる。パンやコーヒーのショップ、地域のマルシェやトークイベント。眼鏡を買うだけでなく、地域に開かれた「公園のような店舗」として人々を迎える場となった。
この空間は、CSV経営の理念を具体的に体現するものだった。社会課題の解決と経済的価値の創出を同時に成立させるという考え方が、永山さんの設計によって建築化されたのだ。余白のある空間は人を招き、地域を巻き込み、新しい体験を生み出す。それは結果的にブランド価値や経済的成果にも結びついていく。理念と現実が結びついた象徴的な事例となった。







その後、永山さんには前橋中心商店街の案件もお願いした。1階に入居した飲食店は賑わいを見せ、2階のテラス付き店舗も入居者が決まりつつある。まだ公表前のため詳細は控えるが、まちなか再生の一翼を担っていただいていることは大きな意味を持つ。
彼女の魅力は、設計の力だけではないと思う。明るく、前向きで、決して諦めない姿勢。困難な局面にあっても「大丈夫、やってみましょう」と背中を押してくれる。その人柄がクライアントや施工者、さらには地域の人々をも巻き込み、自然と「一緒にやろう」という空気を生み出す。だからこそ彼女の建築は単なる建物にとどまらず、地域に新しい物語を紡ぎ出していくのだろう。
振り返れば、永山祐子さんとの出会いは偶然でありながら必然でもあった。理念を形にしようとする企業と、建築を通じて社会を変えようとする建築家。その両者が響き合ったとき、新しい価値が生まれる。その確信を与えてくれたのが永山さんとの協働だった。
これから彼女がどのような建築を世に送り出し、どんな未来を描いていくのか。地域や社会にどのような風景を刻んでいくのか。その歩みを、これからも楽しみにしている。(田中仁)
※次回は11月半ばに掲載予定


