連載の3回目は、ポストモダンの終えん以降を対象にピックアップした10のイズムの中で、4つ目から7つ目に当たる4つのイズムについて説明する。具体的なプロジェクトを通して着眼点などをお伝えしよう。

これから説明するイズムの4から7までは、約半年にわたって10のイズムに絞っていく作業の中で、比較的スムーズに決まったものばかりだ。ただし、最初、ピックアップした際は、10を大きく上回るイズムの候補があり、プロジェクトのプロット図を俯瞰して、2つを合体したのが、イズム4だ。

イズム4/表層=モダンの追求から地域性の表現へ
イズムの4は当初、透明性や軽やかさやを追求した「ライトコンストラクション」の流れと、素材そのものの質感や存在感を重視した「マテリアリズム」の流れの2つに分けていた。それぞれ代表プロジェクトをプロットしてみると2000年を境に前者から後者へと潮目の変化が見てとれたため、1つのイズムとして一連の流れを捉えた。
1990年代のライトコンストラクションは、当時ニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーターだったテレンス・ライリー氏が提唱した。建築の軽さや透明感、外皮の質感に着目したものだ。同氏は1995年の建築展で、妹島和世氏による「再春館製薬女子寮」(1991年)、伊東豊雄氏設計の「下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館」や「松山ITMビル」(共に1993年)などを日本から選んでいる。
これら1990年代前半の建築は、アルミパネルやアルミパンチングメタル、ガラス+半透明シートで内外の境界をあいまいにしたものが多く見受けられるが、1990年代の後半では、透明ガラスを全面に用いた大型の公共建築が増えている。ラファエル・ヴィニオリ氏による「東京国際フォーラム」(1996年)が代表例だが、谷口吉生氏設計の「葛西臨海公園展望広場レストハウス」(1995年)のように繊細な構造とガラスを組み合わせた例もある。この頃、伊東氏などと、構造家の佐々木睦朗氏のコラボレーションで複数の軽やかな建築が生まれており、構造家の力が不可欠となった。


1990年代に、建築史家であり建築家でもある藤森照信氏が「赤派」と「白派」と表現し、身体性に依存してモノの存在感を重視する赤派と、金属材やガラスなどを多用して存在感よりも透明性や抽象性を重視する白派を対比させた。藤森氏は自らを赤黒派と呼び、自然素材による存在感を重視したデザインを志向している。2000年に入って地方での公共建築が増え、地域性に配慮したデザインを重視。藤森氏の設計がクローズアップされるとともに、地域に根差した素材によるデザインが目立っていった。
ただ、素材重視の建築は地方ばかりではない。東京の都心でも、レンゾ・ピアノ氏らによる「メゾンエルメス」(2001年)や、ヘルツォーク&ド・ムーロンなどによる「プラダブティック青山店」(2003年)など、ガラスの素材を生かした建築が生まれている。これらは、東京の都心という地域性を読み込んだデザインだと言うことができるだろう。

イズム5/材料=カーボンニュートラルへ大規模木造や木質建築が急増
中大規模の木造建築のほか、木の仕上げを多用した木質建築が急増している。2050年にカーボンニュートラルを実現するという国の目標も掲げられており、木造・木質化の流れをイズムと呼ぶことに異を唱える人は少ないだろう。大型木造ならば、多くの二酸化炭素(CO2)を長期間にわたって固定できるとともに、植樹を促し森林を若返らせることができる。
中大規模木造は、1990年ごろから徐々に増えてきており、木造・木質建築の流れを追うことがイズムを理解する近道だ。
中大規模木造の第1世代とも呼べるのが、出雲ドーム(1992年)やエムウェーブ(1996年)、大館樹海ドーム(1997年)などの大断面集成材を用いた大空間建築だ。これらは構造用大断面集成材のJAS(日本農林規格)制定や建築基準法の改正(高さ制限緩和など)で建設が可能になった。1990年代後半からは、地方の公共建築で住宅用の流通製材を使用したいというニーズも高まっている。


木造・木質化の追い風となったのが、2010年施行の公共建築物等木材利用促進法だ。公共建築を中心に中大規模木造が増えるとともに、耐火構造部材の開発が進み、高層の木造建築も見られるようになった。2021年には、木材利用促進法の一部改正によって都市(まち)の木造化推進法へと名称が変わった。対象が公共建築物から建築物一般に拡大された格好だ。
建築の木質化については、隈研吾氏による「負ける建築」が先陣を切った一例だろう。例えば、「馬頭町広重美術館」(2000年)では、屋根や壁のガラス面を木製ルーバーで覆って、日射を遮るとともに、周囲の自然に溶け込ませた。こうした木質化や木造化は、イズム4の一例とも考えられるが、近年では最もインパクトある材料としてここでは1つのイズムとして独立させた。

イズム6/エコロジー=シミュレーションや緑化技術が進歩
1997年の「京都議定書」採択などを背景に、世界各国で二酸化炭素(CO2)の排出量削減が叫ばれ、2000年代に入って建築は、冷暖房によるCO2排出量の多さから、省エネが強く求められた。大きなテーマとなったのが風や光、緑の蒸散効果など、自然エネルギーの利用であり、それを支えたのがコンピュータによる解析やシミュレーション技術の進歩だ。
レンゾ・ピアノ氏らによる「関西国際空港旅客ターミナルビル」(1994年)で、特筆すべきは設計時に導入したCFD(数値流体力学)解析だ。アラップは、気流や温度などをCFD解析で可視化。自然換気や空調効率を最大化する断面形状を導き出すなど、設計にフィードバックしている。三分一博志氏による「犬島アートプロジェクト『精錬所』」(2008年)や小堀哲夫氏設計の「ROKIグローバルイノベーションセンター」(2013年)は、風や光を利用したパッシブデザインが特徴であり、いずれもCFD解析を生かしたものだ。この2事例もアラップが設備設計を担当している。
2010年前後、いち早くコンピュータシミュレーションを取り入れたSUEP.の末光弘和氏と陽子氏のデザインも注目に値する。例えば、集合住宅である「風光舎」(2017年)では、CFD解析を基に、風と光のパラメータを最適化するデザインを実現している。

壁面緑化の技術の進歩も大きく、今では大規模な例も珍しくない。さらに、エミリオ・アンバース氏と日本設計、竹中工務店による「アクロス福岡」(1995年)のように14階建てのオフィス・文化施設の南側を階段状にして、緑に覆われたステップガーデンを築いた例もある。低層部から屋上までが約3万5000本の木で埋められている。日中は植物の蒸散によって空気温度の上昇を抑え、夜間は植栽表面の温度が放射冷却で低下して冷気流が起こる。
高木などの緑は超高層ビルの高層階にも採用されるようになった。竹中工務店の設計・施工による高さ300mの超高層ビル「あべのハルカス」(2014年)では、16階と38階の屋上庭園・テラスで、高木を採用した緑化空間が整備されている。実現に当たっては、独自の耐力試験を導入した。風による葉や枝の飛散などへの配慮など、検討しなければならないことは多い。
ルーバーに関しては、日射遮蔽にとどまらない様々なトライアルが見られる。例えば、シーラカンスアンドアソシエイツ設計の「ビッグハート出雲」(1999年)。外壁のガラス面に、2000枚以上のルーバーから成るダブルガラスルーバー窓を組み込んだ。コンピュータ制御でそれぞれのルーバーが外気温や気象条件に応じて作動し、建物内の環境を最適に保つ仕組みだ。
日建設計による「ソニーシティ大崎」(2011年)は「バイオスキン」と呼ぶ冷却システムを採用。外装ルーバーに雨水を循環させ、その気化熱によって外気温を下げる考えだ。日建設計は、アルミ縦格子スクリーンで外壁を覆った「YKK80ビル」(2015年)のほか、バルコニーの植栽とワイヤーによる壁面緑化を導入した「コープ共済プラザ」(2016年)など、環境に関する幅広い試みに取り組んでいる。

イズム7/ランドスケープ=地面に埋め込み周辺環境と一体化
ランドスケープについては、1990年代から2000年代前半にかけて注目プロジェクトが数多く生まれている。例えば、安藤忠雄氏の設計で香川県直島に完成した「直島コンテンポラリーアートミュージアム」(1992年、第1期)と「地中美術館」(2004年)。この2つの美術館は、地中に建築を埋め込んで風景に溶け込ませた“見えない建築”とも言える。日建設計による「ポーラ美術館」(2002年)も「自然と美術の共生」をコンセプトに、箱根の自然の中で建物の大部分が地下に埋め込まれている。


美術館では谷口吉生氏設計による「豊田市美術館」(1995年)のランドスケープも注目される。巨大な水盤と南北にストライプ模様を描く植栽が特徴だ。庭園のデザインは米国のランドスケープアーキテクトであるピーター・ウォーカー氏が担当した。「風の丘葬祭場」(1997年)も、建築家・槇文彦氏とランドスケープアーキテクト・三谷徹氏のコラボレーションによって建築とランドスケープの融合が図られている。
さらに、「豊島美術館」(2010年)では、建築家の西沢立衛氏とアーティストの内藤礼氏によるコラボレーションで、自然とアート、建築が一体となった場が誕生している。環境やランドスケープ、さらには中大規模木造などのイズムを生み出すには、建築家とランドスケープアーキテクトやエンジニア、アーティストとの協働が欠かせなくなっている。(森清)

