7人の名言06:林昌二「褒められたときはバカにされていると思いなさい」

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 建築家の言葉を1日1人、計7人取り上げていく「7人の名言」。6人目は日建設計の林昌二(1928~2011年)だ。私(宮沢洋)が日経アーキテクチュア在籍時に関わった書籍や特集記事などから言葉を拾い出していく。林には、「組織の中」で、あるいは「大規模プロジェクトの設計チームの中」で、建築家として役割を果たすためのヒントを学ぼう。

(イラスト:宮沢洋)

 戦後の日建設計(林の入社時は日建設計工務)をけん引した林だが、建築への一歩は「挫折」から始まっている。

 1928年、東京・小石川で生まれた。年少期からずっと飛行機の設計者を目指していたが、中学校に入学した41年に太平洋戦争が勃発。敗戦後、国内での航空機の製作や研究は10年間禁じられ、航空産業は解体。林は飛行機の設計者になるという夢をあきらめ、東京工業大学で建築の道に進んだ。1953年に日建設計工務に入社。「パレスサイドビルディング」(1966年)、「中野サンプラザ」(1973年)、「新宿NSビル」(1982年)などの設計の中心になった。副社長や最高顧問などを経て2011年に退任。同年11月に逝去した。享年83歳。

 林は厳しい人だった。特に社内の人間に対しては厳しかった。私も、日建設計のプロジェクトの内覧会で、林が(メディアの人間もいる中で)そのプロジェクトを手厳しく批評するのを聞いたことがある。昨今はそういう辛口評者が少なくなり、さらには今後「オンライン会議」や「オンライン授業」が当たり前になっていくと、どんどん苦言を聞く機会が減っていく気がする。

 そこで、あえて「直接言われたら嫌だなあ」と思う言葉を、「NA建築家シリーズ 日建設計」(2012年、日経BP社刊)に収録した林のインタビューから拾ってみた。

 まずは、こんな言葉から。

 「組織として共同で仕事をしていこうとすると、個人の感性に頼るわけにはいかないということもある。『感性を磨く』という言葉がありますが、私はむしろ論理を磨いた方がいいと思うんです。これは磨けば磨くほど、その甲斐がありますから」(日経アーキテクチュア1997年4月21日号「私の駆け出し時代」より引用)

 こわっ。林が出席するデザイン・レビューには出たくない。だが、「感性」という言葉を使う場面が往々にして「逃げ」だというのは、言われてみるとその通りかもしれない。

 「流行に乗るのは結構だとしても、乗っけられるのはどうでしょうか。今は流行の底に流れている『ものづくりの基本』を大事にしないといけないという気がします。国際化と言いますが、先進国の上澄みのところだけ共通化が起きていて、世界の人間が住んでいるすべての家の問題ではありません」(日経アーキテクチュア1997年4月21日号「私の駆け出し時代」より引用)

 「国際化」を無自覚に肯定してしまう姿勢にも釘を差す。確かに「グローバル化」ってやたら使ってしまうよなあ…。

 そして、論理を磨いたうえで、ときにはクライアントにも意見せよ、と説く。

 「クライアントが予定通りに満足するだけでは不十分です。彼自身が気付いていない欲求にもこたえていかなくてはなりません。設計料をいただいて設計する職業的な建築家である以上、そこまで考えるのが当然だと思います」

 「建築というのは、非常に長い生命を持ったものです。場合によっては、人間の一生よりも長いこともあります。建設時点での社会情勢やクライアントとの折衝は、建物の寿命に比べればごく一時的なものなのです。それに左右されることなく、建築の骨格を街全体の骨格と深い部分で対応させなくてはなりません」(いずれも日経アーキテクチュア1994年9月12日号インタビューより引用)

 目標設定が高過ぎて、自分が林の部下だったら、へこみそうだ。だが、大規模プロジェクトに取り組むのであれば、そのくらいの責任と気概を持って挑んでほしい、というのは、一市民としては全くその通りだと思う。

「褒めない林」の若手へのエール

 褒めない林昌二──。本人もそれを自覚していたようで、林は社内でこんな言葉をしばしば口にしていたという。

 「褒められたときはバカにされていると思いなさい」(日経アーキテクチュア2014年8月10日号・特集「時代を突き抜けた『闘士』の遺訓」から引用)

 これもきついっ! 林の生きている時代にはまだSNSが今のように広がっていなかったが、「いいね」の数を競うSNSを林なら何と言っただろうか…。

 そんな林だが、先のインタビューの最後の部分で、「現在の若い設計者にメッセージを」と求められ、(林にしてはかなり)前向きなエールを送っている。しかも、丹下健三を褒めてる! ポジティブなこれらのコメントで今回の記事を結びたい。

 「今の若い設計者は恵まれていると思います。我々の先輩が望んでもできなかったような建築を残せる可能性をもっているのですから。もう少し分かりやすくいうと、近代主義と言いますか、近代建築が望んだスタイルがやっと本来の形で実現できる時代を迎えたということです」
 
 「丹下さんが設計した旧東京都庁舎(新宿の都庁舎ではなく、有楽町にあった旧都庁舎)も、今設計していれば全然別のものになったと思います。当時としては最大限の努力を払った素晴らしいものだと思いますが、あの頃の経済力では、薄い鉄板を曲げてペンキを塗って施工するしかなかったわけです。(中略)しかし、今あれをつくるならば、100年、200年もつ建築ができるはずです。その意味で、戦後多くの先輩が望んでできなかったことが、あなた方にはできますよ、と若い人に言ってあげたいですね」

◆参考文献
日経アーキテクチュア2014年8月10日号・特集「時代を突き抜けた『闘士』の遺訓」/林昌二─「怒り」を原動力に、巨大建築を社会とつなぐ/日経BP/電子版の記事(有料)はこちら
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パレスサイドビルディング/1966年竣工(写真:宮沢洋)

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宮脇檀(2020年5月11日公開)
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