南三陸町の隈研吾3部作ラストとなる道の駅&震災伝承館が完成、復興でもなぜ隈研吾なのか?

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 「南三陸町東日本大震災伝承館 南三陸311メモリアル」が2022年10月1日(土)にオープンする。9月22日(木)の午後に宮城県南三陸町が主催する内覧会が開催されたので、別の出張に絡めて行ってきた。

(写真:宮沢洋)

 私(宮沢)はあくまで『隈研吾建築図鑑』を書いた“隈研吾ウオッチャー”として自主的に取材しており、隈事務所に頼まれて行っているわけではないことを念押ししておきたい。これまでの隈氏に関する記事(いずれも出張費は自腹!)をまとめて見られるようにしたので、ご興味のある方は下記もご覧いただきたい。

ウオッチャー隈研吾

 今回の施設の説明は、南三陸町から送られてきた内覧会の案内文が分かりやすかったので、それを引用する(太字部)。

 宮城県南三陸町は、2011年3月11日の東日本大震災から復興の歩みを進めてまいりました。この度、町の中心市街地に、BRTのJR志津川駅等の震災伝承、観光交流、交通拠点の各機能を有する道の駅さんさん南三陸を整備し、竣工の運びとなりました。

内覧会での説明映像より

 10月1日には、町の震災伝承を担う「南三陸311メモリアル」がオープンします。

 南三陸町はこの中心街エリアのグランドデザインを建築家の隈研吾氏に依頼し、すでに南三陸さんさん商店街、中橋が竣工しております。今回の道の駅の竣工が、中心街の拠点整備事業の仕上げとなります。

展望デッキから「さんさん商店街」を見下ろす

 南三陸311メモリアルは、2階に遠く海を臨む展望デッキを有し、1階部分には小さな展示ギャラリーとラーニングシアターを備えました。

 そしてその間に、フランスの現代美術家 クリスチャン・ボルタンスキー氏のインスタレーション空間を設置いたしました。

2021年に死去したボルタンスキーがこの施設のために制作した作品

 多くの犠牲者の死と向き合いながら復興を進めてきた私たち。住民たちの証言映像やアートの持つ普遍的な力により、いのちの重さ、尊厳、そのかけがえのない輝きにひとりひとりが思いを馳せてほしいという願いを込めて展示を進めてまいりました。

 施設内には写真家の浅田政志氏と町民たちが協働で創り上げた写真作品も展示されます。

プレイスメディアが設計した公園も開園、道の駅は「集大成」

 設計担当者の名城俊樹氏(隈研吾建築都市設計事務所パートナー)は、マスタープランづくりの段階から9年間、南三陸町のプロジェクトに関わってきた。名城氏は今回のプロジェクトを「集大成」と位置付ける。

 私は『隈研吾建築図鑑』の取材のために2年半ほど前にここに来た。そのときには、「さんさん商店街」と「中橋」はできていたが、川の対岸の「南三陸町震災復興祈念公園」は整備中だった。そちらもすでに完成しており(設計はプレイスメディア、2020年10月開園)、今回の道の駅はエリア全体の「集大成」となる。

公園の設計はプレイスメディア(協働/土木:玉野総合コンサルタント/サインデザイン:ジオ)

陸前高田市や浪江町でも隈氏が復興プロジェクト

 たくさんのメディアが内覧会に来ていたので、施設の詳細は他の記事を見てほしい。隈研吾ウオッチャーとしての私がここで特記しておきたいのは、隈氏がここ宮城県南三陸町だけでなく、岩手県陸前高田市、福島県浪江町でも震災復興のプロジェクトを手掛けていることだ。復興3県制覇である。私の知る限り、そんな建築家は他にいない。

 岩手県陸前高田市の「陸前高田アムウェイハウス まちの縁側」は以前、このサイトで記事にした。

震災から10年、陸前高田は隈・伊東・内藤・丹下で「建築観光」にも注力

 福島県浪江町のプロジェクトはまだ設計段階だが、こんな大きな計画だ。

2022年6月に公表された浪江駅周辺グランドデザイン基本計画より。大屋根を「なみえルーフ」と名付けている

隈氏の強さの秘密は「さんさん商店街」に

 震災直後に、積極的に被災地で提案をしていた建築家はたくさんいた。隈氏はそんなに目立つ感じではなかった。後からぬうっと現れた隈氏が逆転勝利みたいにも見える。なぜそうなるのか。

 もちろん隈氏が「国立競技場」を設計した有名な建築家だから、ということはあるだろう。しかし、今回の道の駅も、計画が動き出したのは、隈氏が国立競技場コンペで勝つ前だ。

 これは私の想像だが、隈氏の強さのヒントは、このエリアで一番最初にできた「さんさん商店街」にあると思う。言い方が悪いかもしれないが、この施設、よくありそうな木造切り妻が並んでいるだけだ。

 私が建築家だったら、もっと変わったデザインの建物を主張して、発注者とやり合う。そして、それがなんとか実現できたとしても、「もう二度と頼まない」と思われ、発注者との関係は途切れる。

 高知県の檮原町や茨城県の境町を見たときにも同じことを思ったのだが、“隈建築の集積地”となっている町の最初の隈建築は、いずれも大人しい。やり過ぎない。そして徐々に挑戦的なデザインになっていく。それが隈氏の戦略なのか、流れに委ねているだけなのかは分からない。だが、その“独走しなさ”は、自治体が隈氏に未来を託したくなる大きな理由の1つであると私は見ている。

 南三陸で隈氏が「さんさん商店街」の次に手掛けたのは、この「中橋」だ(設計はパシフィックコンサルタンツとのJV)。上弦材と下弦材でレンズのような形の歩行者専用橋。隈氏の設計と知らずに見ても、普通にかっこいい。

 以下はパシフィックコンサルタンツのサイトから引用(太字)。

 東日本大震災の犠牲となられた方々への鎮魂の場として整備された復興祈念公園にアクセスする橋梁、それがこの「中橋」です。橋長80.6m、鋼管を用いた単純レンズトラス形式のこの橋は、X字の平面形状にダブルデッキ構造を採用した立体的な造形となっています。立体解析によって極限まで各部材の最小化を図り、緩やかな曲線を描く伸びやかな弦材と直線基調の部材がクロスする幾何学的な印象を持つ斜材のバランスが、この橋の繊細かつダイナミックな美しさを醸し出しています。また、床版や高欄支柱を兼用したWood Gateには地元産の杉材を用いていて、橋を利用する人に柔らかな印象を与えています。

上も下も通れる

 今日、名城氏に聞くまで知らなかったが、この橋は2021年に土木学会の田中賞を受賞したという。田中賞は、建築学会における作品賞のような賞。建築界では知る人ぞ知る橋だが、土木界では有名インフラなのだ。隈氏はもはや「建築界で評価されるために力を注ぐ」というマインドではないのかもしれない。

 道の駅や中橋を見た後は、「さんさん商店街」でゆっくり食事でもしながら、隈氏がこれを設計していたとき何を考えていたのかを想像してみてはどうだろう。(宮沢洋)

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