内藤廣連載「赤鬼・青鬼の建築真相究明」最終回:言い残したこと──「酒飲みとそうじゃない建築家」「美は乱調にあり」「建築という価値」

Pocket

12回にわたる連載も今回が最終回。相変わらずグダグダなやりとりの中に、「真相」のヒントがごろごろと撒かれているのでお見逃しなく。それと今回は、「この夏、渋谷で内藤廣展が開催されるぞ!」(会期は7月25日~8月27日、概要はこちら)という3月6日発表の最新情報を前提に話が進みます。(ここまでBUNGA NET編集部)

[赤] 二月って節分だよね(※執筆時点では2月)。鬼は外、福は内、とほほ。

[青] そろそろバカ騒ぎはやめて消えろってことだよ。

[赤] 一年間書いてきたけど今回が最終回だな。書き残したこともたくさんあるような気がするけど。

[青] その都度出たとこ勝負だったから、まあ、こんなもんかな。それにしても、放言し放題だったな。ストレスをこの原稿で発散してたかも。

[赤] オレたちみたいな無頼者に、そんな贅沢な場を作ってくれて、BUNGAさん、ありがとう。

最終回ということで、今回はビジュアルも内容と関係なく奔放に展開させていただきます(内藤廣氏による鬼のイラストをもとに編集担当・宮沢洋が加筆。以下も同じ)

[青] 同感だね。言いたいこと言ったら、どっかで削られるかと思ったけど、ここには出版界の良識バイアスが効かない無法地帯だから、一度も検閲が入らなかったなー。

[赤] これは感謝しなきゃ。

[青] 要は、勝手にやって自己責任ってことかな。

[赤] でも鬼だからね。責任の取りようはないね。ともかく自由にやらせてもらいました。字数と内容の縛りがないのもよかった。

[青] やりたい放題。思えば、元々は益田での展覧会からのスピンオフをやろうと思ったのが一年前。

[赤] あのノリでやってみるか、と思い立って再び出張ってきたんだからな。ここから先は、しばらくおとなしくしてるか。この歳になると友人の何人かは鬼籍に入るけど、あっ、鬼の世界だね。

[青] このまま言いたいことも言わずにくたばると後悔するから、できるだけ喋っとこうぜ。

[赤] 書いてスッキリしたとこもあるし、この際言っておかなきゃ、って思って言ったこともあるしね。ときたま頭の中の亡霊の声も聞こえてくるしね。亡霊さんたち、許可もなく勝手に呼び出してすみません。

渋谷で場外乱闘

[青] でも、夏から始まる渋谷ストリームの展示じゃあ、また出張らなくちゃいけないみたいだよ。まあ、あれは益田の展示の延長戦だからな。渋谷の商店街の人たちが飛行機に乗って益田まで大挙して見にきてくれて、この展示を渋谷でやってくれないか、っていうことで手配してくれた。宮益坂商店会の小林さんなんて二度もきてくれた。

[赤] これは意気に感じたね。ありがたいことだよ。

[青] そんなわけで、益田の展示を少し組み替えて、それに渋谷を付け加えて展示することにした。また出張ることにしたけど、うまくいくかな。

[赤] 飽きられるかも。益田の展示を一度見た人たちに、またか、って思われないようにしなきゃね。

[青] 展示が難しい。ホールだからなー。最初、どうかと思ったけど、ロビーとホールを使い倒して展示する、ってのもオレたちらしくておもしろいんじゃないか、ってことでやることにした。

[白石誠(東急/渋谷開発担当者)] よくぞ渋谷でやってくれることに。二十年近くやってきて、ここまで来た、って感じですね。開発が完了するのには、あと二十年あるけど。見てますよー。

[青] あっ、お世話になりました。いろんな裏の仕込みは白石さんが発信源だったもんねー。オレたちと岸井隆幸さんは、その盆の上で踊ってたみたいなもんだからなー。

[赤] いまだに踊っている、踊らされてるわけだけどね。ともかく、たくさんの人に来てもらって、建築と都市のことを知ってもらいたい。それで、展覧会のタイトルは「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」ってことにした。

[青] まあ、益田の展示とは違う感じにしなきゃいけないしね。渋谷のど真ん中でやるにはこのぐらい外さないと。

[赤] 前から話があったんで、ニューオータニのそばの紀尾井清堂でも、同じ時期に展示する。これも見てほしいなー。

[青] ぜんぜん違う展示にしたいから、こっちにはオレたちの出番はない。

[赤] 事務所を作ってから約四十年間、能率手帳にスケッチやらメモやらを貼ることにしてやってきたので、それを全部さらけ出してみることにした。これが全部並ぶ。

[青] ちょっと気恥ずかしい気もするけど、若い世代の参考になれば、なんてガラにもないことを思いついちゃったんで。普段は一般公開されていない空間も見て欲しいしなー。

[赤] なかなかなもんですよ。展示する期間は季節的には多分トップライトからの光が床に届くんでかなり印象的な空間になるはず。

[青] ってことで、今年もなんやかんやで展示の年みたいだなー。

[吉阪隆正] そんなことやってると、またコンペに負けるぞ !!!

[赤] あっ、師匠。すみません、これもDNAのせいにします。

[青] 鬼は豆投げられて消え去るのみ。

[赤] でも大豆は体にいいらしいけど。

[青] 納豆みたいに腐りながらネバネバと生き延びるか。

正気と狂気

[青] ってことで、言い残したことはないか。

[赤] なんか言おうと思って言わなかったことがたくさんあるような気がする。

[青] 3回目で、「タバコを吸う建築家の建築」と「吸わない建築家の建築」の微妙な違いを言おうとして失敗したからなー。ハードルが高かったね。

[赤] あの回は松岡さんが乱入してよくわかんなくなった。

[青] ちょっとしんみりしたかもしれない。

[赤] 番外編で「下戸建築」と「酒飲み建築」なんてのもやろうとしたけど、残念でした。

[青] はしゃぎすぎだね。

[赤] 吉阪の酒なんて語ってみたかったけどなー。うっかりすると亡霊で出てくるから迂闊なことは言えない。

[吉阪] ・・・・・。

[赤] そんなわけで、今回は酒飲みとそうじゃない建築家の違い、っていうのを少しだけやってみよう。

[青] 単なる好奇心からだけど。勢いつけるための話のキッカケだね。

[赤] 学生時代や若い頃は、宴会で酔っぱらった先輩からよく言われたよね、俺の酒が飲めねえのか、ってね。酒代はワリカンなのにね。

[青] かなり無理して付き合ってた。

[赤] 大学院で通った吉阪研究室や先生の事務所のU研究室なんかは、目に見えない酒の神が住んでいるような感じがあったなー。

[青] 夜の時間帯はいつも仕事をやってる傍で飲んでたからね。

[赤] 先生の家のリビングに広めのテラスがあるんだけど、いつも酒瓶の空いたのがズラッと並んでたからね。

[青] どのくらい飲んでいたかわからない。

[赤] 建築やってると嫌なことが山のように出てくるよね。ほとんどが雑用や調整ばかり。建主のわがまま、それに加えて、年がら年中、金の苦労もある。

[青] 資本主義社会なんだから、これはしょうがないよね。

[赤] そんな中で、どうやって憂さを晴らしているか、それが酒の道かな。やってらんねー、ってことになると酒飲みは酒に行く。

[青] オレたちは下戸だけどね。飲める人がうらやましい。

[赤] どうやら面構えが酒飲みに見えるらしい。誤解される。

[青] 親父、お袋、父方の祖母、みんな飲まなかったからね。父方の祖父は経営者で、付き合いで飲まざるを得なくて、無理して体を壊したらしいから、家系的に飲めないんだね。なんとか酵素っていうのが足りないんだろうね。

[赤] 四十前までは無理して付き合ってたけど、このままじゃ祖父の二の舞だと思って、一切飲まないことにした。

[青] 君は人生の喜びの半分を知らない、って年配の人から言われたことがある。

[赤] 早稲田のフランス文学の平岡篤頼先生だよね。面白い人でたいそうな酒飲みだった。陽気ないい酒だったなー。

[青] その時は、そんなもんかな、とも思ったけど、けっこう人生を楽しんでいるのでこれ以上はいいです、って生意気なことを言ったよね。

[赤] 当時は三十代半ばで、目の前の現実にかなり疲れていたから、こんな答えをしてしまった。

[青] 実際、酒が飲めたら人生変わっていたかも。

[赤] でも、その後のプロジェクト、みんな酒飲みの地方ばっかりだったから、多分、体を壊してるかもしれないね。いや、確実にボロボロになってたと思う。だって、牧野富太郎記念館は高知、日向市駅と市庁舎は宮崎、十日町情報館は新潟だろ。

[青] 「白面(しらふ)建築」と「酩酊(めいてい)建築」ってかなり無理のあるカテゴリー分けをしてみたけど、なんの意味もないかもね。

[赤] でも、渡邊洋治なんて、あの訳のわからないエネルギーは酒の力だよなー。なんか酒席になると、ハイオクでターボチャージャー効かす、みたいな感じだったよね。

[渡邊洋治] しょうがねーだろ。もともとガラがわるい上に、戦争体験と戦後体験、いろんなルサンチマンがたまっているんだから。それを吐き出すには酒の力が必要だったってことだよ。わかったような顔して文句言うな。バカモノ!!!

[青] すみません。まあ、才能としては天才的な人だったから、常人に理解できる範囲を超えていましたからね。

[赤] 酒が入った時の人に突っかかる鋭さや頭の回転の速さ、相手を締め上げるタチの悪さ、鬼気迫るものがあってすごかったなー。根はこれ以上ないくらいに純粋でいい人なんだけど、酒が入ると人が変わる。

[青] 鬼気迫る、っていうけどオレたちみたいなナマクラなオニとは別物だけどな。

[渡邊] あたりまえだ !!!!

[赤] 渡邊さんにとって、酒ってコミュニケーションのツールなんだよね。その濃密な関係がないと人と付き合った気にならなかったんじゃないかな。これって、もろに昭和な濃くてディープな感じだけど。

[渡邊] それは間違いない。

[青] 建築って仕事は、所詮は人と人とのつながりでできるんだからな。建主との関係、現場の職人さんたちとの関係、事務所のスタッフとの関係。

[赤] そうなると、酒が介在するとやりやすくなるよね。金勘定や論理的思考の外の人と人との付き合いかな。赤の世界だね。

[青] そう、オマエが役割を放棄してるからいけないんだよ。もともと、酒の世界はバッカス、真っ赤なんだから。お前が役割を投げ出して、それができないのがオレたちのハンディだな。

[赤] 人って寂しいもんなんだからね。だから誰かを求める。なんか酒飲みの設計した建物を見ていると、建築が人を恋しがってる感じがするね。来てね、見てね、どうかな、なんて声が聞こえてくる気がする。

[青] そして、どれも熱いんだなー。これも昭和な感じなのかもしれないねー。

[赤] でも、直接知ってる人でも飲まない建築家もたくさんいるよ。どちらかというと、そういう人たちとの付き合いが多かったような気がする。

[青] 山口文象、菊竹清訓、黒川紀章、フェルナンド・イゲーラス、高橋靗一、ってとこかな。松岡正剛さんも石元泰博さんも飲まなかった、っていうよりオレたちと同じで飲めなかったんだよね。 

[黒川紀章] 酒飲んで人とコミュニケーションなんて邪道だよ。シラフで説得してこそ本当の理解、っていうふうに考えるべきだよ。おれはそうやってきた。

[赤] なるほど、それはそれでコミュニケーションの仕方のプロトタイプが違ってくるんでしょうね。

[松岡正剛] どっちだっていいんじゃないの。そもそも理解したって言ったって、本当には理解しあうわけはないんだから。そんな気分になるってことだけだよ。

[青] それもわかる気がします。

言い残したこと

[赤] 美大に勤めて、「アートがデザインを見つける時代」から「デザインがアートを見つける時代」なんて今考えているんだけど、これも割愛かな。

[青] 村上隆、リキテンシュタイン、ウォーホール、ジャスパー・ジョーンズ、ポップカルチャー、デュシャン、東野芳明、秋山邦晴、モノ派、こんなの書いていったら止まらないからなー。 

[赤] 「裂け目」の列挙もしたかったな。なにせラスベガスのSphereがすごかったからね。裂け目探しもクセになりそう。

[青] 桜のはかなさ、銀杏のせつなさ、海博の輝く壁、益田の色変わりする輝く壁、紀尾井清堂の奇跡の虹、旧神奈川県立近代美術館の水面の揺らぎ、ガリシア・ロペスのコップの乾いた光、スルバランの静物画、フェルナンドの廃墟の芸術文化センター、フェルナンドが描いたバラの水彩画、アグラのレッド・フォートの白いモスク、太田省吾さんと見たけどゴビ砂漠の夕陽と人工衛星と天の川、無響室で聞こえる心臓の鼓動、ゴアの女たち、ボスフォラス海峡の夜明け、カイバル峠、、、、、。

[赤] あー、裂け目なんて思い出せばいくらでもあるなー。

[青] 建築に話を戻さなきゃ、また迷路にハマりつつあるぞ。

[赤] 建築で裂け目って作れるのかな。

[青] 「美は乱調にあり」って言ったのは大杉栄だったかな。いい言葉だよね。「美は真理の近傍にある」っていったのは構造の坪井善勝先生だったよね。カーンの建物なんか見ると、乱調なんてカケラもないけどね。

[赤] でも美しい。

[青] 建築の美しさっていうのは、設計した当人にも分からないような啓示があるってことなのかな。

[赤] たぶんそれがあるとしたら、それは「人類が見た夢」のようなものかもしれないよ。

[青] 「人類が見た夢」かー。完璧な建築があるとしたらそんなものかもしれないねー。不完全な出来損ないの生物である人間が見る夢なんだから、その美しさは「乱調にあり」っていうのは辻褄があってるような気がする。

[赤] 俯瞰的に見ると、人類はヤバイところに来てるよね。だから最近はことさらそんな気分になるのかも。オレらの若い頃も似たようなもんだったけど、まだ希望はあった。

[青] でも今は希望がないんだよなー。いや、持ちにくいって言うべきかな。

[赤] だから希望を作り出さなきゃ。

[青] こんな時に建築なんてやっていていいのか、なんて気分にもなっちゃうけど、いや、こんな時代だからこそ建築が信ずるに足る希望を作り出さなきゃいけない、って考え方もあるよね。そうじゃないと、若い世代に申し訳が立たないだろ。

[赤] 海博や牧野のこと。中川幸夫さんや石元泰博先生のことも語っておけばよかったなー。あの人たちは、創るものに対する強い意志と、同時に人間に対する絶望と希望を同時に抱えて生き抜いた人たちだからねー。矛盾を怖れない。その強さに惹かれるなー。

[中川幸夫] アートも工芸も花も、もちろんデザインも、商業社会に紛れて内から湧き出てくる想像力が衰退しているよ。AIの創り出す世界の方がクリエイティブかもしれない。人間の思考を根本から立て直さなきゃ。初めからやり直し。出直し、出直し !!!

[青] 耳が痛いですね。われわれオニたちも出直しですね。人間の脳の奥底を引っ張り出す、って使命感から出直します。

[中川] 言葉だけで言ってもダメだからな !!!

[石元泰博] そもそも、どうなっちゃってるの、今の世の中。

[赤] 見ての通り、どうにもならないんですよ。この国の文化の衰退は止めようがない。アートもデザインも、それなりに活況は呈しているんですが、ホンモノには滅多にお目にかかれません。

[石元] 若いクリエーターは、まったくの勉強不足だよ。とくに建築家は。何にもわかっちゃいない。それでよく建物の設計なんてできるね。

[青] はい。出直しです。

[石元] 出直し、って言葉では言ってるけど、キミも人生の残り時間を考えると、そう何遍も出直しできないんだからね。

[赤] 反省します。

[コルビュジエ] タカ(吉阪のこと)がまだ若い時に、キミははまだいい、やり直しができるから、って言ったことがある。

[赤] オレたち、そのやり直しの効かない歳になりましたからねー。

[青] オニと素形、老いについて、機能なき建築、オニの飼い方、若い世代ヘAIからの逃走の仕方、なんてのも面白かったかもしれない。

「深い建築」ってありかな

[青] 年が改まると、毎年、今年はこれをやるぞ、みたいな決意をメモにして事務所の連中に宣言しているけど、今年はそれが「深い建築」、「見えるものを通して見えないものを伝える」だったよな。

[中川] そのくらいのことはよく考えてほしい。最低限だよ。

[赤] あー、たいへんだ。難しいぞ、これは。

[吉阪] もともと、建築とか都市ってもんは、人間っていう奇妙な生き物が生み出した謎のようなものなんだから、この疑問は当たり前のテーゼなんだよ。

[青] そうですよねー。若い頃、宿題で預けられたんだけど、やってませんでした。

[吉阪] 考えないことの方がおかしい。思考停止を長い時間やってきたからいけないんだよ。遅きに失した感はあるけどな。

[松岡] 間に合うかな。ちゃんとやっとかないと滅亡するぞ。

[青] 「深い建築」ってなんなんだろう。これだけで本が一冊書けそうな気がするんだけど。

[赤] 王国社の山岸さんがあちこちに書き散らした文章がある程度まとまると、それをうまく編集してくれて本にしてくれる。

[青] ずいぶんお世話になったよね。

[赤] また本を出してもらえるはずなんだけど、巻頭で何か書き下ろしで書いてほしい、というんでこの「深い建築」と「建築の深さ」について大真面目に書いたんで、読んでくれたら嬉しい。

[青] 建築の雑誌は努力して毎月できるだけ見るようにしてるんだけど、毎回気が重くなる。見終わった時は鬱状態だね。

[赤] とてもこんなのできない、思いつかない、こんなに鮮やかにできない。そんな写真がズラズラ並んでる。

[青] そうなると、自分には何ができるのだろうか、ってマジに考える。

[赤] 若い世代のように軽々とファッショナブルにって今風にできるはずもなく、かといって先鋭的な技術トレンドをひけらかすのも性に合わない。

[青] 海外の建築家のように、コンセプトが明快に示せるわけでもない。

[赤] 思考の仕方が違うんだろうねー。

[青] ヨーロッパは、近代という自意識に縛られてるんだよ。可哀想なことに、そこからしか出発できない。建築の姿形も、私という自意識の発露こそが表現であり、そこにしか価値を見出せない。自分を失う怖さを乗り越えられないんだよ。

[赤] でも、心ここに在らず、とか、心奪われる、とか、我を忘れる、とかいう言葉もあるよね。そんなことが可能になる場ができないものかな。そこには「深さ」があるような気がする。

[青] 建築にはそれができると思いたいんだけど。こんなこと言うのは時代錯誤もいいとこかもしれないね。

[赤] まあ、歳も歳だし「深さ」と「見えるものを通して見えないものを伝える」なんてことを大真面目に考えてもいいんじゃないかなー、なんて青臭いことを思いついたんだけど、、、、これが難敵、たいへんなことになりつつある。

[青] まあ、どんなことになるか、乞うご期待、ってとこかな。

[赤] てなわけで、ここではこれ以上深入りしないでおこう。

いきぐるしさはどこから来るんだ

[赤] この間、多摩美の喫煙場所で二人の学生と話し込んだ。二人とも演劇舞踊の、一年生と二年生の女子。外見もファッションも原宿を歩いているようなイマドキの子で、少しチャラチャラしている。

[青] どうして舞踊を習おうと思ったのかを聞いたんだよね、立場上。

[赤] 一年生の子は、ちょっと前までヨーロッパで国際NGOに加わっていたんだけど、仕組みの欺瞞と出口のなさに失望して、やっぱり自分の身体に立ち戻って世界を考えたい、って言ってたけど、その潔さと勇気に感動したな。こいつはすごいって思った。

[青] もう一人は、日常の暮らしの中にある息苦しさを払い除けられなくて、やっぱり身体から考え直したい、って言っていたよね。

[赤] よくよく話すと、どうやら根っこには資本主義社会の問題が潜んでいて、その子とそれから20分、タバコを吸いながら資本主義社会のことについて語り合った。短い時間だったけど、素晴らしい時間だったなー。

[青] あー、若いやつもちゃんと考えているんだな、奴らには希望を託せるな、って心底思った。うれしかったなー。美大に勤めて、この時が一番救われた気がしたかもしれないね。

[赤] まさか彼女達とそんな話をするとは思ってもいなかったからねー。見た目で判断しちゃいけないね。感動したな。今どきのやさぐれた疲れたオジサンたちより、人として数段格が上だと思ったよ。

[青] 資本主義社会のなかでは建築は必然的に商品化するんだよ。商品は消費されるために、つまり貨幣価値に置き換わる使命を持って生まれるんだから。民間の建物はもちろん公共の建物であれ、この社会の中では例外なくこの枠組みを外れることはできない。あの子たちの話とまったくリンクしているよね。

[赤] でも、みんなそれを無意識のレベルに置いていて、自分では気が付かない。それがおそろしいね。

[青] 公共は税金で成り立っている事業なので、実態はともかく民主主義社会では最終的には納税者がクライアントであることが建前で、様々な行政機構や為政者も建前上はその代理人でしかないことになっているからね。同根なんだよ。同じ穴のムジナってことだ。

[赤] となれば、公共事業とは民意に沿うものであり、民意は消費しやすい品物としての建築を求めることは一見道理にかなっている。なぜなら、民意は資本主義社会の住人の多数によって決められることになっているからね。

[青] したがって、公共建物も結果として消費されやすい回路を持った商品となる。これも必然なのかもしれない。オレたちはそれにブツクサ言ってるだけなんだろうな。

[赤] でも、それでいいのか、って言いたくなるよね。

[山口文象] そんなことやってるから、建築はますます迷路に入っちゃうんだよ。建築も社会も、人が生み出した価値で、それ故、人の暮らしに寄与するための道具と考えれば、なんの難しいこともない。

建築の迷路

[青] でも、多くの建築をまなぶ学生の演習課題では、この建前に沿って答えを出し、それを建築の形として表現することを求められるんですね。

[赤] その建前をより良く建築化したもの、そこに要領よくオリジナリティが乗せられれば、立派なケーキが完成する。味と形、味とは建前であり、形はそれを土台として飾り付けられる商品化のアイコンというわけだ。

[青] この能力に長けたものたちがより高い評価を得、就職し、何ら疑いを抱くことなく建築らしきものを量産することになる。だから世の中には建築らしきものが溢れている。

[山口] そんなんでいいわけがない !!! 根本的に間違ってる。

[中川] 心の問題はどうなってるんだ。

[赤] 現行の習俗や制度や社会的な仕組みに対して、未来に向かって「構築的な意志」をもって挑む思考、それをarchitectureと呼びたいな。

[青] 単に現状に対する追随や金儲けの手段に成り下がったものをarchitectureと呼ぶ必要はないよ。

[赤] あえて言えば、見かけは立派だけど、内実は制度の中に組み敷かれただけのもの、それをarchitectureと呼んじゃあいけないよ。それは別物、なんか別の呼び方を考えて欲しいなー。

[青] それにたずさわる職柄もarchitectとも呼びたくないね。その境界線は、志があるかどうかだね。その意志がない人は、architectを名乗る資格がない、って一人で思っているんだけどね。

[赤] またそんなこと言うと煙たがられるぞ。

[青] 喫煙者だけど。

[赤] その煙に毒が入っているんだよ。

[青] 危ない危ない。逮捕されるぞ。

植民地に生まれて

[青] ここんとこ、民主主義と資本主義が話題になることも多くなってきたね。ウクライナもガザも移民の問題もあるからね。

[赤] コロナもあったしね。あんなに騒いで、たくさんの人が亡くなって、もうこの世の終わりみたいな気分にもなったけど、もうみんな忘れかけてる。たくましいといえばたくましいけど。

[青] でも、世界は歴史的な岐路に立っているような気がする。この二つは両立するものなのか、本来は別のものなのか。

[赤] ずいぶん難しい話になってきたな。

[青] 個人的には、それぞれ欠点を持つけれども、他の仕組みよりは随分とマシだと思っている。一方で、この仕組みを心から信じているわけでもない。

[赤] 一見、万全で普遍的にものに見えてきたこれらの制度も老朽化が激しいからね。建物とおんなじで、常に点検と検証は必要なんだよ。

[青] オレたちは1950年生まれだから、自分の年齢に沿って戦後社会が作られてきた道のりを具体的に思い浮かべることができるよね。それを次の世代に語ることが責務なんじゃないの。

[赤] この歳になって高齢者の仲間入りをしつつある身としては、あまりにノーテンキに建築を考える若者たちを見ていると、本当にここに未来はあるのか、と心配になってくるなー。

[青] 果たして若い世代は、そんなこと考えて・・・。

[赤] いねーだろうなー。

[林昌二] いないだろうねー。

[青] 今ある社会的な仕組みは、絶対普遍のものではない、蓋然的なものでもない、それを組み上げてきた無数の人たちの努力に敬意を払いつつ、完全ではないけれどより良いものに変えていこうという志はないのかなー。

[林] ないんだろうねー。たいていのことでは餓死するってこともないし、みんなけっこう今の暮らしに満足しているんだよ、きっと。

[青] それこそが危機の本質なのかも知れませんね。

[赤] みんなの中に生息しているはずの鬼が寝ているんだよ。

[青] 寝てるだけなのかな。死滅しちゃったのかもしれないよ。オレたちが最後の生き残りだったりして・・・。

[赤] 戦中戦後、慶應義塾の塾長を長く務めた小泉信三という人が面白いことを書いているね。リンカーンが友人の推薦で閣僚になろうとしている人を、顔が嫌いだから不採用にした、という話。

[青] それを抗議すると、人は年齢がいけばその人の内実が顔に現れる、と言ったというエピソードだよね。オレたちの顔は大丈夫かなー。

[赤] ダメなんじゃないの。青鬼・赤鬼なんてふざけたことやってるんだから。

[青] 続いて、森鴎外が「生まれたままの顔で死ぬのは恥だ」と言ったことを引いて、さて、我々の国土も同じことだ、前の代から引き継いだものをそのまま次の世代に渡すのは恥ではないか、より良いものにする努力を怠るべきではない、と論じている。さすがだね。

[赤] 振り返って、今の建築や都市はどうだろうか。ひょっとしたら、より良くなるどころか悪くなっているのかもしれないなー。

渚のシンドバット

[青] その時代の社会によって生み出される建築という領域は、常に資本主義と民主主義の渚にいるということを改めて肝に銘ずるべきなんだよ。

[赤] 釘の一本はもとよりあらゆるものに価格の付いている建築という領域は、資本主義社会の産物以外の何者でもないからねー。

[青] いくらモダニズムやポストモダニズムを論じたところで、その現れは資本主義社会の産物以外の何者でもない !!

[赤] 熱が入ってきたねー。

[青] そしてその現れ方は、つまり建築に表現されるものは、本物であるか偽物であるか、本質的であるか偽善的なものであるか、いずれにしても今の民主主義の衣を纏ったものにならざるを得ない !!!

[赤] なるほど。

[青] 余談になるけど、不幸にもザハが攻撃されたのは、プロセスと形態がこの仕組みの埒外にあったからじゃなかったのかな。あの建物は、民主的な手続きの不備と経済的には資本主義のルールに沿わない、ってことが批判された。

[赤] その結果現れる形態が憎悪の対象となったってことなんだね。

[青] そう考えてくれば、建築というのは、これらの制度に隷属せざるを得ない宿命を負っているのか、という絶望的な気持ちになることもある。

[赤] 本来、もっと違った高い次元の価値を我々は追い求めているのではないか、って思いたいけど。

[青] そんな中で、建前と本音を使い分けて、これらの制度の隙間を掻い潜り、われわれはいったい何を実現しようとしているんだろう。

[赤] そう言われてもなー。漠然としすぎてるよ。

[青] 若い頃に読んだルイス・マンフォードや社会的共通資本を説いた宇沢弘文をいくら読んでも答えはないんだよな。

[赤] みんな人の心の中の良心に訴えているけど。それはそうなんだけど、じゃあ、どうしたらいいのか答えはないんだなー。それが問題。建築は誰のために、なんのために作られるのか、そしてそれは文化と言えるのか。それが見えないと浮世の戯言になっちゃう。言葉が漂流しちゃうんだよ。

[青] 大衆という新しい階層を説いたオルテガ、死者を会議に召喚すべきだと言ったチェスタトンは強烈だけど、そんなんじゃ通用しない世の中になってきている気もする。

[赤] 世界中、右と左のぶつかり合い。政治にはファシズムの空気が漂い始めているよね。

[青] それで、どうかな、と思って読んだ異端の論者ジジェク、リアルでシニカルな西欧の現状は書かれていたけど答えらしいものはなかった。極左と極右が重なり合う、ってところは面白かったけど、あんな社会はごめんだね。

[赤] 建築は社会的な構築物だから、よくよく考えれば巻き込まれる運命にあるし、最良のものは作れたとしてもその社会以上のものは作れない。

[青] ということは、この国にとどまる以上、「愚者のふり」をした社会を抜け出せないってことだし、「愚者のフリ」をした建築しか生み出せない、ってことになるぜ。

[赤] まあ、それもいいかもしれない。カッコつけて強がるより、意気地無しでも平和な方がいい。百年後、あんな気楽で平和な時代もあった、なんて懐かしむ時代が来るのかもね。

[青] そうならないでほしいんだけど。

[赤] オレみたいに、多少いい加減で、ずるくて意気地無しでも構わないから。行き着く先は「意気地なしの建築」かー。二十年くらい前にそんなことを書いたこともあったなー。

[青] これらの制度から、すなわち資本主義と民主主義から建築という価値を救い出したい。言い方を変えれば、俗な社会的な枠組みから「建築というそれ自身にしか回収できない価値」を救い出したい、ってことだよ。

[赤] ますます干されるなー、たぶん。

「植民地建築」を免れるための

[赤] オレたち1950年生まれだから、戦後生まれってことになるよな。

[青] だから戦争は知らない。

[赤] 若い頃よく言われた、戦争を知らない世代、ってね。

[青] 戦争を知らない子供たち、って歌が流行ったよね。杉田二郎、もはやだれもしらねーだろーなー。

[赤] つまらん歌だった。

[青] そういえば、スペインに住んでた時、イヤな歌が流行ってたな。軽薄もいいとこ。たしか、「Somos amigos de los norte americanos」って歌。

[赤] 訳すと「オレたちアメリカ人の友達」ってとこ。あれには呆れたね。

[青] 話を元に戻さなきゃ、BUNGAに怒られるぞ。

[赤] 建築を論じたいんだけど、その手前でいろんな雑音が浮かんでくるんだよ。まずはオレたち自身の存在証明からかな。本来なら初回でやっておくべきだった。

[青] オレたち、戦争を知らないんだから、いくら生意気なことを言ったって意味がない、って説教されてきた世代だね。

[赤] 後に言われる「団塊の世代」は堺屋太一さんが名付けたわけだけど、1947年生まれから1949年生まれまで。

[青] まあ、この区切りなんてそんなに意味があるわけじゃないけど、一応そこからは外れるわけ。戦後のベビーブーマーで同世代の人口が急増したのが団塊の世代。その最後をちょっとだけ外れたのがオレたち。

[赤] でも共有している状況も気分も充分にその世代なんだけど、少しだけ微妙にズレているところが特徴かもしれないね。

[青] なんでこんなことを持ち出したのかっていうと、最近、どうも何を考えても頭がスッキリしないから。時たま思うんだけど、所詮オレたちは敗戦以来、アメリカの植民地なんじゃないか、って思うことがある。

[赤] なんだっていいんだけど、その事実が絶妙に隠されている世の中に住んでいる気持ち悪さがあるよね。

[青] 沖縄の基地問題や日米地位協定の問題なんかを見るたびに、返還交渉の矢面に立った若泉敬さんの『他策なかりしを信ぜんと欲す』っていう表題と、彼が言い捨てた「愚者の楽園」という言葉が気になってくる。

[赤] よく考えれば、東京だって上空の制限空域の西半分は横田基地の空域制限なんだけど、みんな知らないよねー。

[青] 薄々知ってはいるけれど、気にしないことにしている。スッキリしない原因はそんなことが散りばめられている社会に生きているってことかな。

[赤] でも一方で、時たま中学校の担任だった岡田先生が語った言葉が蘇ってくるんだよな。

[青] きれいな戦争と汚い平和があるとしたら、間違いなく汚い平和のほうがいい、って言葉だろ。

[赤] あれ思い出すと、どんなに欺瞞に満ちた世の中でも、多少の不条理があろうと、スッキリしなくても、それを賢く受け入れた方がいいのかもしれない、とも思えてくるな。「愚者のフリ」をした世の中の方がいいんだよ。

[青] 多分聞いたのは1963年頃、先生は当然自分の戦争体験を頭に描いて、それを別の形で子供達に伝えたかったんだと思う。

[赤] なんでこんなことを書くかというと、いくら勇ましい言葉で建築や都市や世界を語っても、言葉を発している自分の社会が虚構だったら、どんな論議も根っこのところで空虚なんじゃないか、って思うことが多々あるから。

[青] 見えないところでうまくコントロールされている感覚が否めない。

[赤] 近年リバイバルでヒットした「GODZIILA」だって、結局はそのことを描いている。核実験、米軍と米国政府、ローカルな官僚組織。

[堀田善衛] そうそう、ちゃんと覚悟を持って生きなきゃ。それにどんな時代が襲ってくるか分かんないんだからね。

[青]『方丈記私記』を読んでますけど、あの時代は滅茶苦茶だったみたいだですね。大地震、大火事、大風、大飢饉、それに平清盛の福原遷都が重なる。

[赤] あらゆるものが次々と襲ってきて、ひどい時代だったみたいですねー。

[堀田] でも、後鳥羽上皇や藤原定家、この国の文化の到達点とも言われる『新古今和歌集』の時代でもあった。そしてそんな時代からのスピンアウトの『方丈記』、あれはそんな時代の住居論なんだよ。

[青] 建築論ならカエサルに献上されたウィトルウィウスの『建築書』があるけど、どちらかといえばハードより。あれはモノの話ですよね。『方丈記』はそれとは真逆、ソフトの話。

[赤] 人と住まいの「住居論」としては最古かもしれない。

[青] 人と住まうこと、その極限。

[赤] そんな諦念を持つ時代が来るのかなー、それも辛いけど。

[堀田] あの本では、鴨長明が経験した時代と1945年3月10日の東京大空襲の経験を重ね合わせてみたんだけど、こんなことは歴史上何度も繰り返されてるんだからね。その時どうするか、だよ。画家のゴヤの時代もそうだった。

[青] ナポレオンとの戦争、ゴヤの見るに耐えないようなすごいエッチングが残っていますよね。人はどこまで残虐になれるのか、そこから目を離さないで見極めようとした。

[赤] その果てに不思議な黒の絵が生まれた。あれはプラド美術館で何度も見たけど、果てしない心の闇のようなものを感じて怖かったです。

[堀田] でも、数百年を経ても強いメッセージ性がある。あの闇を人間はコントロールしなきゃならないんだよ、きっと。それは今も同じ。結局、想像力と創造力だけが時代を超えていくんだから、それを信じなきゃ。

突然死か緩慢な死か

[赤] 若い頃は、世界は核戦争が起きて突然消滅する、なんてSFみたいなことがリアルな実感としてあったよなー。

[青] 見たくなくても大きな裂け目がすぐそばにあった。

[赤] たぶん自分の命はどっかで不本意な形で消滅するんだろうな、という実感は確かにあった。

[青] キューバ危機だろ。それにベトナム戦争、中国の核実験、話題として色々あったからな。

[赤] その頃かな、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を書いたのは。

[青] 環境問題が浮上してきた。化学物質や公害問題、大気汚染もあったしね。水俣病はうっすらと知っていた。

[赤] 光化学スモッグなんてのが出てきて、小学生がグランドで遊べなくなったこともあったなー。

[青] まあ、今みたいに地球環境全体が劣化している感じはまだなかったけど、なんかまずいなー、って感じはしていた。

[赤] 核の話は、人類全体が「突然死」する、ってイメージがあったけど、環境の方は「緩慢な死」、って感じかな。

[青] 心臓発作と糖尿病みたいな違い。

[赤] この間、高校の同窓会に出たんだけど、みんな心臓発作か脳梗塞か癌か糖尿をやってた。歳とってくると体を修繕しながら生き延びてるんだねー。

[青] ヤダヤダ。

[赤] どっちを思い浮かべてもあまり幸せなイメージは持てないなー。

[青] そういうことがあったから、ベルリンの壁が壊されて冷戦が終わった時は、本当に嬉しかったな。「突然死」の可能性のほうがなくなったみたいに見えたんだから。

[赤] 思えば思考が単純過ぎたね。今や核の話が再浮上しつつあるからな。ロシアや北朝鮮だっていつ暴発するかわからないんだから。

[青] やっぱり世界は突然消滅するかもしれないのかな。

[青・赤] ・・・・・・・・・・・・・・・・。

[赤] そんなこと考えると、建築なんて論じても仕方がない、って気分になっちゃうよね。

[青] だったら、長い時間とか次の世代とか、辛気臭いことを言ったり考えたりするよりか、今日が楽しければそれでいい、っていうイソップ童話の「アリとキリギリス」のキリギリスみたいな刹那的な考え方になるのもわかるよねー。

[赤] それもアリだよ。

[青] 建築はマジになりすぎてるのかもしれない、特にオレたちは。

環境は自虐ネタ

[赤] こう暑い日が続くと、環境問題が実感として効いてきているよね。

[青] 建築も環境問題に取り組まなきゃ、ってことになって、それはそれで間違っていないんだけど、突き詰めて考えりゃ、人間の存在そのものが悪い、ってことになるんだよね。

[赤] 悪さをできるだけ目減りさせよう、ってことになるんだから、テーマとしては自虐的にならざるを得ないよなー。お前も悪いけど俺も悪い、みんな悪いんだからみんなで反省しよう、ってことだろ。

[青] 青の世界だね。でもこれはある種の原罪意識に裏打ちされていて、その意味で西欧主導になるんだろうね。彼らにとっては馴染みのいい考え方だから。

[赤] しょうがないんじゃないの、ここまできたら。でも、明るくはなれないよね。やっぱり行き着く先は『Whole Earth Catalog』かなー。生存って言葉がリアルな響きを持つような時代になってきたねー。

[青] 冷戦が終わって、核の話が一見遠のいた時から、地球環境の話がクローズアップされることがやたら多くなったよね。

[赤] 「緩慢な死」のほうに関心が向くようになったんだね。

[青] そして最近はそれに被さるように「突然死」の方が再浮上してきた。

[赤] やってらんねーよ。いきなりクレバスに落ちるみたいな「突然死」、密林で野垂れ死にするみたいな「緩慢な死」、どっちも嫌だよねー。

[吉阪] でも人間っていう愚かな生き物を最後のところでは信頼しなきゃ。『乾燥なめくじ』の話に託したのはそういうことなんだから。相互信頼の力を信じることしかないだろ。綺麗事みたいだけど、諦めるのはまだ早い !!!! やれるだけやってみるのさ。

[青・赤] 先生がそう言うなら、もう少し頑張ってみますか。

[青] 若い頃、ティヤール・ドゥ・シャルダンっていう人にハマったことがあるよね。『自然のなかの人間の位置』って本。 

[赤] あの本では、地球の生命圏、なんてことを言っていた。まあるい地球の上にほんと一皮薄い膜がかかっていて、それ。つまり大気圏のこと。

[青] 危ういもんだ、ってことがよく分かる。

[赤] この中での活動がやがて飽和点に達する。それが人類の行き着くところ。それをオメガポイントと呼んだ。今で言うと、コンピューター進化の行き着く先、シンギュラリティみたいなことを環境から説いたんだね。

[青] 思えば卒業設計のタイトルはオメガポイントプロジェクトだったなー。

[赤] ませてたんだね。

[青] わかりもしないのにティヤールにかぶれてた。

[赤] 今考えてみれば、ティヤールの言った生命圏が、「突然死」と「緩慢な死」の二択を選ぶ段階なのかなー。

[青] その生命圏っていう皮が薄くなってきたんだよ。弱ってもいるしね。すぐ裂けちゃう。

[赤] 歳とってくるとわかるけど、皮膚が弱くなってくるよね。ケガしても治りが遅いし、虫に刺されても治りが遅い。皮が弱ってる。

[青] 地球もそんな感じかな。

[赤] 建築もそんな感じだよねー。

裂け目

[青] 十九世紀のフランス人の庭師のモニエが、植木鉢を作るモルタルに鉄筋を入れたら丈夫になることを見つけた。モルタルと鉄の熱膨張率が同じなので、それが温度変化では壊れない。

[赤] 奇跡的な発見。なんか建築の話になってきたなー。

[青] そこから鉄筋コンクリートの普及が急速に始まる。鉄筋コンクリートの技術は瞬く間に広がって、それまでの建築の価値観を根底から変えていくことになったんだよね。

[赤] オーギュスト・ペレとかね。

[青] ノートルダム・ド・ランシー、あのストイックな空間、好きだなー。ゴシックの光と最先端技術の組み合わせ、最高だね。ペレの教会の光と、シテ島にあるゴシックのサント・シャペルの光は響き合ってる。

[赤] それまで見たことのない裂け目が目の前に現れて、あの時代の人たちは、あそこから未来が見えたような気がしたはずだよね。もう一つはロンシャン。たぶんペレがゴシックの光だったんで、おれはロマネスクだ、って思ってたんじゃないかな。

[コルビュジエ] まあ、そんなとこかな。

[青] あそこにあるのはロマネスク的な光ですよね。

[赤] でも、当然のことだけど、鉄筋コンクリートって瞬く間に軍事技術になっちゃうよね。日露戦争の時の203高地のトーチカ、第一次大戦のフランスの要塞のマジノ線。あのあたりから急速に広まったんじゃないかな。

[青] ああなると「地の裂け目」の淵に立っているような感じだね。裂け目の向こうとこっちでドンパチやってる。

[赤] 残念ながら、戦争は先端技術の過剰な行使に成功した方が優位に立つんだからなー。皮肉なもんだ。

[青] 鉄だってそうだよね。戦争なんて製鉄の生産量の多い少ないで決まる、っていう人もいるくらいだからね。

[赤] 十九世紀の鋳鉄技術から錬鉄の技術になっていく。しばらくすると建物だって鋳鉄から錬鉄に変わっていって、それに伴って鉄骨の構造形式も変わっていくんだから、やっぱり同じようなもんだね。

[青] 十九世紀の鋳鉄をたくさん使った建物って好きなんだけどな。温室とかブルネルの鉄道駅とか、手作り感が残っていていいよね。

[赤] 今はドローンか。

[青] ともかく、先端の軍事技術が平和が来てしばらくするとみんなが使えるような汎用技術になって広まっていく。その社会化する過程で、わかりやすくしないと広まらないから、デザイン、ってことになるんだよね。

[赤] かっこいいものじゃないと、いくら優れていて安くても、欲しいと思わないもんね。モダニズムだって、装飾を排した合理的な姿形、っていくら能書きたれても、カッコよくなけりゃ誰も欲しいとは思わないからなー。

行き着く先はカップヌードル

[青] モダニズムの出発点はそこだよ。よくわからないけどカッコいい、よくわからないけど美しい、そして安い。

[赤] 見方を変えれば、第一次大戦後の失業対策を鉄とコンクリートの新しい技術でやろうとしたんじゃないか、なんて思ってるんだけど。

[コルビュジエ] それは言い過ぎなんじゃないの。

[赤] スミマセン、でも職人的な手間暇かかる装飾なんか付けてちゃあ、それは金持ちの持ち物にしかならないですからね。それじゃあ時代の変化にも追いつけない。

[青] 安くて、早くて、うまい、、、、っていうとカップヌードルになっちゃうけどね。

[赤] いやいや、カップヌードルは偉大だよ。あれこそモダニズムだ。革命を起こした。

[青] 「hungry ?」だろ。あのCMよかったよね。今、多摩美のグラフィックの教授をやってる大貫卓也さんが作った傑作。マンモスと原始人の掛け合い。

[赤] いいねー。今見ても、なるほど、痛いとこついてくるなー、って思うもんね。やっぱり行き着く先は、『Whole Earth Catalog』 とカップヌードルかなー。

[青]「hungry ?」だよね。

[赤] ここでジョブスが結びついた。“Stay hungry, stay foolish”、そしてカップヌードル、ってことだよね。

[青] さて、ボチボチここらで話を終えることにしようよ、キリがないからな。

[赤] まあ、渋谷の展覧会もオレらのコンビで解説しなきゃいけなくなりそうだから、そこでまた会いましょう、って感じかな。

[青] オレたち、内藤っていうやつが生きている限り、脳内で生息するんだろうな。

[赤] また機会があれば、呼び出してください、“Adios !! Hasta la vista !! ”それまで、鬼はー外ー。

[青] わけわかんねー、、、、、、、。

内藤 廣(ないとう・ひろし):1950年横浜市生まれ。建築家。1974年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学院理工学研究科にて吉阪隆正に師事。修士課程修了後、フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て1981年、内藤廣建築設計事務所設立。2001年、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授、2002~11年、同大学教授、2007~09年、グッドデザイン賞審査委員長、2010~11年、東京大学副学長。2011年、東京大学名誉教授。2023年~多摩美術大学学長

1年間ありがとうございました! これまでの記事はこちらで↓。

■展覧会情報
「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」 展
7月25日(金)から8月27日(水)まで渋谷ストリーム ホールで開催
詳細はこちら