「ジョージ・ナカシマ」展@GALLERY A⁴が開幕、レーモンド好きや吉村順三好き、杉山雅則好きも必見!

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 東京・東陽町のGALLERY A⁴(エークワッド)で、「ジョージ・ナカシマの造形― 木の声を聴く」が7月3日から始まった。会期は10月15日までの約3カ月。エークワッドの展示はいつも独特のテーマで感心するのだが、本展は、最近の筆者(宮沢)の関心にドンピシャだった。さすが竹中工務店!と心の中で叫びたくなった。

会場入り口(会場写真:宮沢洋、以下も)

 なぜジョージ・ナカシマが関心事かというと、本サイトで昨年4月から連載している建築家・杉山雅則(まとめページはこちら)の後輩だからである。戦前のアントニン・レーモンドの事務所の集合写真は何枚かあって、そのどれにもレーモンドと前川國男、杉山雅則、吉村順三、ジョージ・ナカシマが写っている。番頭的存在だった杉山は必ずレーモンドの近くにいて、ジョージ・ナカシマはどれも2人くらい置いた場所で拗ねた感じで写っている。

これは集合写真の1枚を宮沢が模写したもの。いつもレーモンドの隣にいるヒゲの人物は杉山雅則(イラスト:宮沢洋、書籍『最強TOKYO建築図鑑』より)

 ジョージ・ナカシマの存在は筆者ももちろん知っていた。だが、名前すら知らなかった杉山雅則について連載(建築史家の種田元晴さんや三菱地所設計の杉山プロジェクトチームによる)のおかげでだいぶ詳しくなってくると、「自分はジョージ・ナカシマについては何も知らない」と少し負い目を感じるようになっていたのだ。

 ジョージ・ナカシマが日系二世で、名作椅子といわれる「コノイドチェア」を生み出した木工家・家具デザイナーであることは、このサイトを見に来る人ならたぶん知っているだろう。それは筆者も知っている。「自分は何も知らない」と感じていたのは「建築家としてのジョージ・ナカシマ」についてだ。

本展では名作「コノイドチェア」(左)に座れる!

 というのは、ジョージ・ナカシマが日本で唯一設計した建築である「カトリック桂教会」(1965年)があまりに素晴らしかったからだ。30年前に「建築巡礼」の取材で一度見ただけだが、あのときの感動はよく覚えている。

(イラストは宮沢洋、日経アーキテクチュア2006年5月22日号「昭和モダン建築巡礼」より、下も)
ちなみに「建築巡礼」は最初の3年くらい、イラストがモノクロだった

 この建築は筆者が見た日本の「HP(双曲放物面)シェル建築」のベスト3に入る。HPシェルというのは、中に入ると意外と空間体験に結びつかないものが多いのだが、あれはHPシェルならではの空間だった。(勝手に選ぶベスト3のあと2つは、「スカイハウス」と「東京カテドラル聖マリア大聖堂」)

本展で展示されている「カトリック桂教会」の模型

 あれほどの建築を設計できる人が、他にどんな建築を設計したのか、あるいはあれだけなのか、自分には全く知識がなかったのである。そのほかにもいろいろな謎があったのだが、そのほとんどにこの展覧会は答えてくれた。

 筆者の疑問に答えてくれた解説文を引用する。

疑問①:なぜ日本でレーモンド事務所に勤めたのか、レーモンドの下で何をやっていたのか。

 筆者はてっきり、レーモンドが家具デザインのできる人を探していて、その目に留まったのだと思っていた。だが、全く違っていた。以下、会場の解説文の引用(太字部)。

木工家、家具デザイナーとして知られるナカシマのルーツには建築があった。
日系ニ世としてワシントンりに生まれたナカシマは、ボーイスカウトに所属して野山に親しみ、大学では林学を学ぶが、2年後に建築学へ転向する。マサチューセッツ工科大学院などで建築を修め、その後、ニューヨーク州庁の建築の仕事を得た。

世界恐慌の中、アメリカを発ち世界一周旅行で向かった先のパリでは、間近に見たコルビュジェのスイス学生会館( 1933年)の建設現場に感銘を受けながらも、むしろ深い愛着を覚えたのは、樹木や森林、そしてモン・サン・ミッシェルのような、市民が信仰心のもと力を合わせてつくり上げてきた建築だった。パリの新しい芸術運動が利己的で本質のないものに思えたナカシマは、34年、自らのルーツである日本へと発ち、縁あって東京のレーモンド事務所に入所する

 ジョージ・ナカシマってMIT(マサチューセッツ工科大学)出てるのか! そんな建築インテリが、つまりは自分探しで日本にやってきて、レーモンド事務所に入ったようである。

 家具担当というわけではなく、今も残る「カトリック軽井沢聖パウロ教会」(1935年)はナカシマが設計のアシスタントを務めたという。

カトリック軽井沢聖パウロ教会(写真:磯達雄)

 この教会で、ノエミ・レーモンド(アントニンの妻)の下で手掛けた最初期の椅子がこれ↓だという。そうだったのか!

疑問②:なぜ家具がメインになったのか。

 ナカシマは「カトリック軽井沢聖パウロ教会」のあと、1937年に自ら志願して、インドの「ゴルコンデ」という僧院建設の現場責任者となる。ここで約2年にわたり修行者たちと寝食を共にし、その中で自らの手でつくる面白さに目覚めたという。

 そして、アメリカに戻った後、木工の道を目指そうと決意した矢先に、第二次世界大戦で日系人強制収容所に抑留されてしまう。

帰米後、ナカシマはフランク・ロイド・ライトの建築を見て、構造や骨組みの不適当、職人の技能の不十分への失望から、自ら「初めから終りまですべてを統合できる」木工の道を志す。しかし、シアトルで小さな家具工房をはじめた直後の1942年、大統領令により、妻と生まれたばかりの長女ミラと、アイダホ州ミニドカの日系人強制収容所に抑留された。砂漠の砂埃が舞う収容所では、衛生設備の整わない過酷な環境に最大9, 397名が抑留され、約6X4.8mの「アパート」と呼ばれる統一規格の部屋に家族は押し込められた。
ナカシマはここで出会った日系一世の大工・彦川源太郎とともに、部屋の改善のための設計
計画の仕事に就き、廃材や自生する低木から材を取って家具をつくった。その中で、砥石を使った鑿(のみ)や手鋸の研ぎ方や木の接合技術、そして木そのものヘの敬意など、日本の大工仕事とその精神を学び、これがのちの家具制作に生かされることとなる。

 なるほど、収容所で日系の大工に学んだのか。もし戦争がなかったら、と思うと不思議な運命だ。

疑問③なぜ工房をニューホープに構えたのか。

 ナカシマの工房、「ジョージ・ナカシマ・ウッドワーカーズ」はべンシルべニア州のニューホープにある。「ニューホープ」と聞くと、レーモンドが好きな人はピンとくるだろう。そう、レーモンドが戦中を過ごしたレーモンド・ファームがある場所だ。筆者は、先の杉山連載に関わるようになってから、それがたまたまではなくレーモンドの手引きなのではないかと想像していた。これは当たった。

日系人強制収容所から解放され、べンシルべニア州ニューホープにあるレーモンド・ファーム(1939年・レーモンド夫妻がクエーカー教徒の農場を改装)に一家で身を寄せたことから、この地でナカシマがめざした「仕事と生活の統合」がはじまる。
1946年に土地を得たことをきっかけに、セルフビルドで工房と自邸を建てはしめる( 1章参照)。広葉樹の森を開拓し、自然と共存して暮らすことは、それまで世界各地で過ごした半生の「長い探求の果てに達した終着点」とナカシマは語る。「ジョージ・ナカシマ・ウッドワーカーズ」と名付けられた敷地で、家具をつくり続ける傍ら、77年までに十数軒の建築を建てた。コノイドシェル、HPシェルといった構造の実験にも取り組み、日本の様式や技術と、アメリカでの暮らしが調和した独自の空間を作り出していく。

ナカシマにとってデザインとは、スケールに関わらず「空気と空間と形を同しように考えること」。家具づくりも建築も一続きであり、それは自然と一体の暮らしそのものだった。

 やはりレーモンドがナカシマをニューホープに呼んだのだ。レーモンドは杉山とのやり取りを見ても、強引さはありつつも親心のある人だったようである。

 改めて展覧会導入部の工房俯瞰図を見てみると、上の方にレーモンド・ファームがあるではないか。

疑問④:なぜ日本で「カトリック桂教会」1つだけを設計したのか。

日本に遺した唯一の建築にして、ナカシマをめぐる人々の縁の結晶が、京都にあるカトリック桂教会だ。
始まりは1941年、シアトルで家具制作を始めようとしたナカシマを、日本での布教経験のあるチベサー神父が手助けしたことだった。宣教会の少年クラブが持っ工作機械を、少年たちに木工を教えることを条件に使わせてくれたのだ。

翌42年、ナカシマー家とシアトルの日系人が強制収容所に抑留されると神父は同行し、日系人の再定住の手続きを助け、さらには日本の戦後復興を助けたいと願い出て再来日する。カトリック桂教会は、チベサー神父が主任司祭を務める教会であり、新しい聖堂を建てるにあたり設計をナカシマに依頼した。ナカシマは神父の献身と恩に報いるため、無償でその仕事を引き受けた。
長女ミラはハーバード大学を卒業後、日本に留学して早稲田大学建築学科大学院の今井兼次研究室で学んでいた。1964年、ナカシマは敷地を見学して設計計画を練り、実施設計と現場監理をミラとその同級生の甘粕哲に任せる。構造設計は早稲田大学の谷資信教授が担い、見積はかっての同僚の吉村順三が協力した。

 なんとこれも収容所時代の縁なのか…。しかも「無償」なのか。協力する吉村順三もいい人だ。

 展示されていたナカシマの手描き図がかわいくて、ほっこりする。人柄が伝わる絵だ。

 …と、筆者の疑問のほとんどに本展はすっきりと答えてくれた。だが、展示内容はこんなものではない。工房の個々の建築の写真や説明文など、初めて見聞きするものばかり。「コノイドチェアよりも先にコノイド・スタジオが出来ていたのか!」など、「!」が連発である。それは会場で見てほしい。(宮沢洋)

吉村順三との関わりについても展示している
George Nakashima(ジョージ・ナカシマ):
日系2世としてアメリカ・ワシントン州で生まれ育ち、マサチューセッツ工科大学などで建築を学ぶ。1934年から39年にレーモンド事務所に勤務し、インドの僧院ゴルコンデの現場監理などを担当。帰米後の42年に日系人収容施設に抑留され、戦後ニューホープに家具工房を設立する。日本では、カトリック桂教会(1965)を設計。世界に「平和の聖壇」を置く活動は、ナカシマ平和財団としていまに継承されている。(イラストは宮沢洋、日経アーキテクチュア2006年5月22日号「昭和モダン建築巡礼」より)

ジョージ・ナカシマの造形― 木の声を聴く
Listening to Trees: The Architectural Forms of George Nakashima

会期:2026.7.3(金)〜2026.10.15(木) 
開館時間:10:00 〜 18:00(土曜、最終日は17:00まで)

休館日:日曜・祝日、2026.8.8㊏〜8.16㊐
入館料:無料

主催/企画:公益財団法人 ギャラリー エー クワッド
協力:George Nakashima WoodworkersNakashima Foundation for Peace桜製作所カトリック桂教会カトリック軽井沢聖パウロ教会コスモ・ピーアールレーモンド設計事務所The Sri Aurobindo Ashram TrustRaymond Farm Center for Living Arts & Design
企画協力:公益財団法人竹中大工道具館、田中厚子
後援:江東区
住所:東京都江東区新砂1-1-1 竹中工務店東京本店1F
交通:東京メトロ東西線 東陽町駅 3番出口 徒歩3分
公式サイト:https://www.a-quad.jp/exhibitions/134/index.html

「杉山雅則って誰?」と思われた方は、ぜひ連載初回をお読みください!↓