練馬区立美術館で7月28日(日)から始まる建築家・平田晃久氏の展覧会「平田晃久─人間の波打ちぎわ」の内覧会(7月27日午後開催)に行ってきた。東京の人でもあまり知らないかもしれないこの美術館は、BUNGAの拠点である池袋から西武池袋線で十数分、中村橋駅のすぐそばにある。平田氏がこの美術館(および併設の貫井図書館)の建て替えの設計を担当していることもあっての展覧会だ。いわゆる大御所でない建築家が、有料の個人展を行うのは珍しい。「建築展には有料でも人を集める力がある!」ということを証明するために、ぜひ足を運んでいただきたい。
まずは、公式サイトの案内文(太字部)を読みつつ、会場内をぐるっと巡ろう。
練馬区立美術館では、建築家・平田晃久の建築世界を紹介する展覧会を開催します。「建築とは<からまりしろ>をつくることである」というコンセプトは、平田の建築に一貫しています。
平田の造語である<からまりしろ>とは、はっきりと形作られる空間領域とは異なり、「ふわふわとした隙間の錯綜」、つまりはあらゆる物質の傍らとも言える領域の重なりを指します。それは人間世界に限ったことではなく、植物、動物、異なる時空の文化なども含んだ広義での生命体との共有可能性を探る試みでもあり、人間が狭い意味での「人間」から自由になる未来に向けた試みでもあります。
平田のコンセプトが形となった公共建築としては、2022年に日本建築学会賞を受賞した「太田市美術館・図書館」(2017年)が代表されますが、区切られた空間や内と外が絡まりあう<からまりしろ>を実現した地域のランドマークとして市民に愛されています。また複数の住居や商業施設なども手掛け、平田の哲学的理論と自然や生命への憧憬が反映された独創性あふれる空間を現出しています。
このたび、これらの代表的な建築作品群に、練馬区立美術館も新しく加わることとなりました。平田氏によると図書館と一体化し、融合する新生美術館の建築コンセプトは、「21世紀の富士塚/アートの雲/本の山」。練馬に古くから存在する「富士塚」をテーマに、「美術と本」を街や人々とつなぐ場として構想されました。当館は、約40年にわたる歩みを継承しつつも、このコンセプトのもと新しい局面を迎えることとなります。
本展では、これまでの平田建築から新しい練馬区立美術館をはじめ、現在進行中のプロジェクト、そして未来への展望を踏まえて紹介します。現代建築を代表する建築家・平田晃久の世界観をお楽しみください。
<開催案内>
会期:2024年7月28日(日)~9月23日(月・休)
休館日:月曜日※ただし8月12日(月・休)と9月16日(月・祝)は開館、翌8月13日(火)と9月17日(火)は休館
開館時間:10:00~18:00 ※入館は17:30まで
観覧料:一般1,000円、高校・大学生および65~74歳800円、中学生以下および75歳以上無料 障害者(一般)500円、障害者(高校・大学生)400円 団体(一般)800円、団体(高校・大学生)700円
主催:練馬区立美術館(公益財団法人練馬区文化振興協会)
後援:一般社団法人日本建築学会/公益社団法人日本建築家協会
助成協賛:株式会社シェルター/株式会社オカムラ/ケイミュー株式会社/大光電機株式会社/鹿島建設株式会社/株式会社竹中工務店/清水建設株式会社
アクセス 西武池袋線中村橋駅下車 徒歩3分
公式サイトはこちら
菊竹清訓のDNAが隔世遺伝?
公式文面のコピペで楽をしたので、ここからは筆者(宮沢)が思ったことを少しだけ。それはこれ↓。
「平田晃久氏は、言葉で創作の方向をコントロールする菊竹清訓タイプの建築家である」。
公式文にもあるように、平田氏は「建築とは<からまりしろ>をつくることである」というコンセプトをかなり若い頃から公言していた。自分の方向性を1つのキーワードで抽出できる建築家ってとても珍しいと思う。
今展では、それに「波打ちぎわ」というキーワードが加わっている。
なるほど、平田さんらしい、と思った。からまりしろだと静的だが、波打ちぎわだと、寄せては返す波で動的。今の時代にふさわしい。
公式文にはなぜか「波打ちぎわ」の説明がなかった。なので、会場冒頭の挨拶文から引用する(太字部)。
私たちは「人間」とういうものが、生命の世界につながり変容する時代に生きている。建築も変容していくだろう。しかし、新しい建築は近代が前提としていた人間像の少し外側─人間の波打ちぎわ─にはみ出そうとするときにのみ、姿を表すのではないか。
「波打ちぎわ」というキーワード、いつから使っていたのだろう。会場にいた平田氏に聞いてみると、本展の構成を考える中でたどりついた言葉だという。
「言葉で創作の方向をコントロールする建築家」としてすぐに頭に浮かぶのは、菊竹清訓(1928~2011年)だ。いうまでもなく、「か、かた、かたち」である。
注:〈か〉は本質的段階であり、思考や原理、構想。〈かた〉は実体論的段階であり、理解や法則性、技術。〈かたち〉は現象的段階であり、感覚や形態。菊竹は認識のプロセスとして〈かたち〉→〈かた〉→〈か〉、実践のプロセスとして〈か〉→〈かた〉→〈かたち〉という三つの段階を持ち、さらにその三つが立体的ならせん状の三角構造をもつデザインの方法論を提示した。
いま筆者が「言葉で創作の方向を表現する」ではなく、「言葉で創作の方向をコントロールする」と書いたのは、本サイトの連載「赤鬼・青鬼の建築真相究明」で内藤廣氏が、赤鬼・青鬼にこんなことを言わせていたからだ。
[青] 身近に接して思ったんだけど、あれは菊竹さん自身が自分をコントロールする方法論だったんじゃないかな。
[赤] 菊竹さんは、願望としてあの三段階をやろうとするんだけど、実際はそのように自分をコントロールできていなかったんじゃないか。
そのやりとりを本展での平田氏に重ねてしまった。特に、展示室ではない2階の壁に展示してあったこの手帳。
このスケッチやメモの緻密さ。まさに狂気! (こういうのを見るといつも、「自分は建築家を目指さなくてよかった」と思う)
おそらく平田氏も、自分が向かう先に“枷(かせ)”をはめないと、自分をコントロールできなくなってしまう人なのではないか。
菊竹は、平田氏の師匠である伊東豊雄氏の師匠だ。それは、偶然ではなく“隔世遺伝”なのかもしれない。全くの想像だが、伊東氏は菊竹が自分自身に枷をはめるのを見て、そうではなく“流転し続ける”道を選んだ。きっと同じことをしても勝てないと思ったのではないか。そして平田氏は、伊東が流転し続けるさまを見て、枷をはめる道を選んだのではないか。
そんなことを考え始めると、“あえて枷をはめる”このAIの使い方もすごく平田氏らしく感じる(詳細は会場で見てほしい)。
なお、「練馬区立美術館・貫井図書館」の建て替え(美術の森緑地改修を含む)については今年3月に基本設計が完了し、区が以下のイメージ図などを公表している。1985年に完成した現・練馬区立美術館・貫井図書館は、村井敬合同設計の設計だ。40年で建て替えはもったいないなあと思いつつも、平田氏の新たな代表作となるものが生まれることを信じよう。(宮沢洋)