横浜BankARTで「ポストバブルの建築家展」始まる、1行で本質を語らせる五十嵐太郎氏の技

 横浜の「BankART Station」で1月12日から「ポストバブルの建築家展-かたちが語るとき-アジール・フロッタン復活プロジェクト」が始まった。昨年12月に兵庫県立美術館ギャラリー棟で行われた同名展の巡回展だ。初日に早速、のぞきに行ってみた。

会場風景(写真:宮沢洋)
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越境連載「イラスト名建築ぶらり旅」05:上野の隠れ家で味わう2つの“ナポリタン”──国立国会図書館 国際子ども図書館

 今回は「スパゲティ・ナポリタン」の話から始めたい。訪ねたのは東京・上野にある「国立国会図書館 国際子ども図書館」だ。その1階にある「カフェ ベル(Bell)」で、1年ほど前からナポリタンを注文する人が急増しているというのである。


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松濤美術館、白井晟一展第2部は「ほぼ作品のない展示室」(想像図付きルポ)

 「渋谷区松濤美術館」の開館40周年記念展「白井晟一入門」の第2部が1月4日から始まる。第1部の会場の様子は、すでに昨年10月にリポートしているが(こちらの記事)、筆者はむしろこの第2部の方を楽しみにしていた。なぜ第2部が楽しみだったかというと、展覧会なのに展示物がほとんどないと聞いていたからだ。そのおかげで、今しか見られないこんな空間が見られる。

池側の開口部が見える地下1階展示室 。2021年12月28日の内覧会で撮影(写真:宮沢洋)

 同じ地下1階展示室は、第1部ではこんな様子だった。

ほぼ同じ角度から見た第1部の展示の様子。全く池の存在は分からない

 「展示物がない企画展」というと、2020年夏に世田谷美術館で開催された「作品のない展示室」が記憶に新しい。これは、コロナ禍で開催できなくなった企画展の穴埋めとして、急きょ、設計者である故・内井昭蔵が意図した“素の空間”を無料で見せることにしたものだった(詳細はこちらの記事→世田谷美術館「作品のない」企画展、ベテラン学芸員から若手へのバトン)。世田谷美術館では、普段ほとんど閉ざされている開口部が展示室に現れ、公園と一体化する美術館というコンセプトが実感できた。

 今回の松濤美術館の展示は、「設計者が意図した空間を見せる」というコンセプトを、コロナ禍の穴埋めではなく、戦略的に企画展後半戦のメイン企画として位置付けたもの。入館料は一般1000円で、第1部と変わらない。なかなかに攻めた企画。しかし、これは建築好きにとっては十分、1000円の価値がある体験だ。 

幻のブリッジ動線を体験(&妄想)

 会場の渋谷区松濤美術館(1980年竣工、81年開館)は白井晟一(1905~83年)の晩年の代表作。1階の入り口を入ると、2階と地下1階にいずれも馬蹄形の展示室がある。

 冒頭で触れたように、変化が分かりやすいのは地下の展示室だ。普段は仮設の壁などでふさがれた池が展示室から見える。

開口部から見える池とブリッジ

 本展に限り、この展示室を見下ろすバルコニーに、池の上に架かるブリッジ(1階)を渡って入ることができる。いつもは作品保護のため、ブリッジからバルコニーには入れない。

池の上に架かるブリッジ
ブリッジを渡ると、地下1階展示室のバルコニー

 その体験がなぜ重要かというと、白井は当初、このブリッジを渡って、地下の展示室に降りる動線を考えていたからだ。本展の数少ない展示物の1つがこれ↓。設計初期の1階平面図だ。

 この図面を見ると、現在の屋内バルコニーはない。ブリッジを渡って展示室内に入った後、ふた又に分かれたらせん階段で地下1階に降りる動線だ。

 想像も交えて、写真に階段を描き加えてみた。

図面を見ながら階段を描き加えてみた(イラスト加筆:宮沢洋)

 確かにドラマチックではあるけれど、湿気を含んだ外気が展示室に入るなんて、そりゃ反対されるわ……と、突っ込みを入れたくなる。

2階展示室は貴族の客間のイメージ?

 もう1つの展示室、2階の方は、地下とは逆に「いつもはないものがある」展示だ。白井が意図したイメージで、ソファがW字にゆったりと置かれているのだ。

ソファには座れる。ふかふか過ぎて座り心地は何とも……

 貴族の大豪邸か!? 客間で絵を見るようにゆったり作品を見せたいのは分かるけれど、こんなにソファを置いたら、作品がちょっとしか置けないよ……と、これも矢継ぎ早に突っ込みを入れたくなる。

 奥の小部屋も、アーチ型の入り口に、いつもは見えない引き戸が見えていて、なるほど本当はいちいち扉を開けて入らせたかったのだな、ということが想像できる。

 そんなふうに、白井が当初イメージした空間が体験でき、併せてこの建築を生かす展示や運営がどれほど大変かということも想像が沸く。

 本展を見て「これは美術館建築として失敗だ」なんて思う人は、建築好きにはたぶんいないだろう。常識にとらわれない白井の発想は刺激になるし、今後こんなふうに使ったらどうか、と考える訓練にもなる。白井ファンならずとも必見だ。第2部は1月30日(日)まで。新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、土・日曜日、祝日および最終週(1月25日~30日)は「日時指定制」とのこと。(宮沢洋)

■白井晟一入門 第2部/Back to 1981 建物公開
会期:2022年1月4日(火)~1月30日(日)(第1部「白井晟一クロニクル」は2021年10月23日~12月12日)

■渋谷区立松濤美術館
所在地:東京都渋谷区松濤2-14-14)
アクセス:JR・東急電鉄・東京メトロ 渋谷駅から徒歩15分、京王井の頭線 神泉駅から徒歩5分
公式サイト:https://shoto-museum.jp/exhibitions/194sirai/

読まれた記事ベスト3は「中銀カプセル」「紀尾井清堂」「北海道ボールパーク」─年間PVランキング+α

 明けましておめでとうございます。2022年も建築ネットマガジン「BUNGA NET」をよろしくお願いいたします。新年1本目は、前年の年間PV(ページビュー)ベスト10。出し惜しみせず、1位から行きます。

◆1位
中銀カプセルタワービル解体へ、メディアが取り上げない「3つのこと」(2021年8月23日)

(写真:宮沢洋)

 夏に上げた記事なのに、検索サイトからの流入がいまだに続く。「BUNGA NET」のPV記録を大幅更新した記事。読んでいるのは、たぶん一般の建築好きの人。

◆2位
速報:内藤廣氏設計「紀尾井清堂」を見た! 都心の一等地に「機能のない」光の箱(2021年7月28日)

 PV記録を先に更新したのはこっちの記事だった。内覧会のその日にアップしたので、建築関係者に一気に広まったと思われる。

◆3位
タワークレーンが20基以上、着工から1年の「北海道ボールパークFビレッジ」の現場を見た!(2021年4月26日)

 当初は日ハムファンに読まれていたと思うが、ビッグ・ボス新庄監督の就任が決まってからは、さらに広く読まれるようになった。

◆4位
神戸にデジタル演出の新感覚水族館、外観はアナログ感あふれる“地層”洗い出し(2021年8月20日)

 見出しでは分からないが、これは10月29日に神戸に開館した都市型アクアリウム「átoa(アトア)」の現場リポート。アトアがオープンしたことで、検索に引っ掛かりやすくなった模様。

◆5位
速報!「村上春樹×隈研吾」早大ライブラリー、アコヤ材で再生した旧4号館はこんな普通の建物だった(2021年9月22日)

 ものすごい数のメディアが会見に来ていたが、もとになった早大・旧4号館は私が所属していた政治経済学部の建物なので、他メディアよりも情報がディープ。

◆6位
代々木競技場が重要文化財内定、「世界初の二重の吊り構造」を世界一わかりやすく解説します!(2021年5月21日)

 重文決定直後の国立代々木競技場の魅力解説。過去に描いたイラストを組み合わせてBUNGA(文・画)らしく構成。

◆7位
池袋建築巡礼08:今夏で閉館の「池袋マルイ」、毎日見ても飽きない「白メシ建築」の謎を追う(2021年5月17日)

 自分の納得感でいえば、この記事が2021年のベスト記事。こういう記事が読まれるのはうれしい。

◆8位
7人の名言05:黒川紀章「安藤忠雄は時代を見抜いたのではなく、彼の個性がたまたま…」(2020年5月20日)

 この記事はBUNGA NETを立ち上げて間もない2020年5月に書いた記事。なぜ今ごろ読まれているかというと、1位の「中銀カプセルタワー」の記事にリンクを張っていたから。これも好きな記事なので、改めて読まれてうれしい。

◆9位
前田節全開の「モダン建築の京都」展が開幕、お宝を値踏みする骨董市のごとき建築展(2021年9月24日)

 見出しに補足すると、前田節というのは、展覧会の企画者で京都市京セラ美術館キュレーター前田尚武氏のこだわりのこと。展覧会の記事を書くときには、「いかにニュースリリースと違うことを書くか」を心がけている。この記事はまさにそれ。

◆10位
世界初・CLT折板構造の音楽ホールを速報! 隈研吾氏らによる桐朋学園仙川キャンパス第2弾が完成(2021年3月22日)

 “隈研吾ウオッチャー”として、隈氏の建築はできるだけ見に行くようにしている。5位の村上春樹ライブラーは話題性だと思うが、一見地味なこの記事が読まれたのは、この建築を好きな人が多いということ?

◆おまけ
 BUNGA NETには「越境連載」と呼んでいるものがいくつかあって、このサイトに載せた記事を他サイトに転載してもらったり、他サイトに私(宮沢)が寄稿したものをこちらに同時掲載させてもらったりしている(もちろん許可を得たうえで)。その1つに、大バズリした記事があった。「JBpress」に載った下記の記事だ。

“恐怖のエスカレーター”作った理由と撤去した理由(JBpress/2021年11月7日)

 なんとこの記事、100万PVを超えたという。10万ではなく100万である。そんなPV数は前職時代も見たことがない。さすが一般ビジネスサイト。これは私の人生で最も読まれた記事になる可能性が高い。うれしいやら恐ろしいやら。

 JBpressの記事は最後まで読めないかもしれないので、続きが読みたい人は下記をご覧いただきたい。
 
池袋建築巡礼10:「東京芸術劇場」(後編)、2度の改修で知る大御所・芦原義信の挑戦心

 実は、元のBUNGA NETの記事はそれほど読まれなかった。JBpressの見出しと見比べると、JBpressの方が確かに面白そうだ。WEBにとっていかに見出しが重要か、という教材になりそうな話だ。

 とはいえ我がBUNGA NETも、1年目より月平均PVが2倍以上に伸びている。今年もいろいろ試行錯誤をしながら、ここでしか読めない記事をお届けします。引き続きご愛顧ください。(宮沢洋)

最強の道後建築案内08:いよいよ総まとめ、長谷川逸子から伊東豊雄まで「松山28選」_BUNGA NET

 いよいよ最終回である。「今年見たものは今年のうちに」ということで、まだ取り上げていない建築を大晦日に駆け込みで紹介する。

 まずは、長谷川逸子氏が設計した3件。

(写真:宮沢洋)

 「ミウラート・ヴィレッジ(三浦美術館)」は、三浦工業を中心とする三浦グループの敷地の一角にある民間美術館。車でないと行きづらい場所だが、長谷川氏のランドスケープづくりのうまさがよく分かる施設で、行く価値あり。三浦工業の創業者、故三浦保氏自作の陶板画や国内外の芸術家の作品を屋外展示しており、館内では企画展を開催している。

◆ミウラート・ヴィレッジ(三浦美術館)
松山市堀江町1165−1
設計:長谷川逸子
竣工:1998年
参考サイト:https://www.miuraz.co.jp/miurart/

 市の中心部にあって外観がひときわ目立つのが「菅井内科」。「坂の上の雲ミュージアム」のすぐそばだ。通りから外観を見るだけで楽しい。敷地に入って見るともっと楽しい(らしい)。子どもの病院嫌いが和らぎそうだ。 

◆菅井内科
松山市一番町3−3−3
設計:長谷川逸子
竣工:1986年

 長谷川逸子氏が松山市で設計を手掛けるようになったきっかけは、1979年に竣工した「徳丸小児科」だという。それは現存しないが(見たい方はこちら)、新しい建物も長谷川氏の設計だ。おお、これはこれですごい。

◆徳丸小児科
松山市古川北3丁目4−15
設計:長谷川逸子
竣工:2005年
参考サイト:https://www.kadoyagumi.com/works/works-900

 ダブルスキンの間にびっしりとツル植物が繁茂している。医院の方に確認したが、植物は本物であるという。確かに、よく見ると、点滴潅水の装置が機能していた。

丹下健三自身による名作「愛媛県民館」の建て替え

 現存しない名建築ということでいえば、丹下健三の「愛媛県民館」(1953年)。

「愛媛県民館」の断面模型。2021年夏に文化庁国立近現代建築資料館で行われた「丹下健三 1938-1970」で撮影

 同じ丹下健三の設計で建て替えられた「愛媛県県民会館」は、こうなった。

◆愛媛県県民会館
松山市道後町2-5-1
設計:丹下健三
竣工:1985年

「ホテル奥道後」は休館日で涙

 マッチョな60年代モダニズムが好きな人は、ちょっと山奥にはなるが「ホテル奥道後(現・奥道後壱湯の守)」も見逃せない。設計は西脇市民会館(1962年)や大阪万博協会本部ビル(1967年)などを設計した根津耕一郎氏。「東の黒川紀章、西の根津耕一郎」と称された建築家だ。

◆ホテル奥道後(現・奥道後壱湯の守)
松山市末町267
設計:根津耕一郎
竣工:1967年
参考サイト:https://www.okudogo.co.jp/

 私が行った日はまさかの点検休館日で、ラウンジだけちら見させてもらった。レトロ・フューチャー!

伊丹十三と松山銘菓「一六タルト」の関係性

 建築好きでない人と行っても一緒に楽しめるのが「伊丹十三記念館」だ。設計は中村好文氏。建築も味わいがあるけれど、とにかく展示内容が面白くて見入ってしまう。

◆伊丹十三記念館
松山市東石井1−6−10
設計:中村好文
竣工:2007年
参考サイト:https://itami-kinenkan.jp/information/index.html

 伊丹十三記念館を見に行ったら、北に少し歩いて、この建物(下の写真の左)もちら見しておきたい。

◆松山ITM本社ビル
松山市東石井1丁目7−13
設計:伊東豊雄
竣工:1993年
参考サイト:http://www.toyo-ito.co.jp/WWW/Project_Descript/1990-/1990-p_08/1990-p_08_j.html

 同館の設立に協力したITMグループの本社ビルだ。ITM(ICHIROKU TOTAL MIXTURE)グループは、株式会社一六本舗(菓子製造販売)、株式会社一六(レストラン)などを経営する会社。そうか、松山銘菓の「一六(いちろく)タルト」の会社だから外壁が曲面なのか、と勝手に納得。

 ふうっ、やっと書き終わった。いかがでしたか?

 今回紹介した建築を黄色ピンで加えて、道後・松山マップが完成!(松山辺りを拡大して見てください)

 この連載で紹介した建築は、地図を数えたら28件あった。もちろん4泊5日では行き切れなかった心残りもあるのだが、皆さんが旅の計画を立てる参考にはなるのではないか。

 各回のタイトルにリンクを張っておくので、ご参考まで。(宮沢洋)

【最強の道後建築案内/掲載リスト】
01:私が今、道後温泉にいる理由と、初めての松山城
02:温泉街の顔、復元駅舎から黒川紀章の現代和風まで徒歩散策
03:道後温泉本館の“魅せる保存修理”を可能にした「3つの奇跡」
04:秘めた迷宮空間にサラブレッド・木子七郎の反骨精神を見た
05:伝説の地方建築家、松村正恒の少し意外なクール系建築
06:長谷部鋭吉から「myu terrace」まで“日建大阪”を松山で知る
07:安藤忠雄氏の知る人ぞ知る傑作「瀬戸内リトリート青凪」を見た!
08:いよいよ総まとめ、長谷川逸子から伊東豊雄まで「松山27選」

最強の道後建築案内07:安藤忠雄氏の知る人ぞ知る傑作「瀬戸内リトリート青凪」を見た!_BUNGA NET

 今回は松山市内の安藤忠雄氏の建築を2つ巡る。メインはこの建築だ。

この建築、知ってますか?(写真:宮沢洋)

 その前に、一般によく知られているのはこちらの「坂の上の雲ミュージアム」の方なので、こちらから。松山城本丸の南側、萬翠荘に向かう坂道の途中にある。

◆坂の上の雲ミュージアム
松山市一番町三丁目20番地
設計:安藤忠雄建築研究所
竣工:2006年
参考サイト:https://www.sakanouenokumomuseum.jp/about/construction/

 大通りの裏側の変形敷地でも、この場所ならではの造形を生み出すのはさすが安藤氏。

 地下1階、地上4階建て。1階はピロティ状で、スロープで2階にアプローチする。内部は三角形平面の各階をスロープで上る構成。分かりやすい「坂の上」の表現だ。天候によっては、西側の開口部から萬翠荘(設計:木子七郎)がよく見える。

展示されている模型。左上が萬翠荘、右下の三角形が坂の上の雲ミュージアム

 三角形の中心にはマッシブなコンクリートの階段が架かる。

大王製紙がゲストハウスとして建てた安藤建築


 そして、松山のもう1つの安藤建築は、あまり知られていないが、これが本当にすごかった。1998年に完成したホテル「瀬戸内リトリート青凪(あおなぎ)」である。正確に言うと、1998年に完成したときには「エリエールスクエア松山」という名の、大王製紙のゲストハウス兼ミュージアムだった。

 大王製紙が2015年にホテルとしてリニューアルし、(株)温故知新(東京)が運営するホテル「瀬戸内リトリート青凪」となった。

◆瀬戸内リトリート青凪(旧・エリエールスクエア松山)
松山市柳谷町794-1
設計:安藤忠雄建築研究所
竣工:1998年
参考サイト:https://www.setouchi-aonagi.com/

 敷地は「エリエール ゴルフクラブ松山」のすぐそば。松山市の中心部から車で30分ほどかかるので、出張のついでに見られる機会はなかった。ホテルになってからは、一般の見学は受け付けていない。今回は道後クリエイティブステイの特権で、事前にアポを入れて見学させてもらった。

 前面道路からは、石垣のような擁壁と建物の一部しか見えない。

 だが、施設内に足を踏み入れると、驚きとため息の連続。

 客室は全7室。いくつかを見せてもらった。絵画のように構成的なインテリアに加え、開口部から見える風景に目が点。

本館最上階のメゾネットタイプの客室(下の写真も)
本館4階客室のバルコニー

 単に「美しい風景」を見せるのではなく、建築を挿入することで「そこにしかない風景」を再構築している。軸線のずれや高さの違いによって、複雑な「見る・見られる」関係をつくり出しているのだ。
 

 この建築は、私が前職時代に編集に参加した「安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言 (NA建築家シリーズ特別編)」(2017年、日経BP刊)の「50の建築」に選ばれていない。うーむ、痛恨のエラー。もし私が実物を見ていたら、絶対に選んだと思う(ちなみに「坂の上の雲ミュージアム」は選ばれている)。

 繰り返しになるが、基本的に見学は受け付けていないので、本当にすごいのかを確かめたい人は宿泊してみてほしい。安くはないけれど、あなたが安藤ファンであれば、自信を持ってお薦めする。

 宿泊の詳細や予約はこちらから→ https://www.setouchi-aonagi.com/

 今回の2件を紫のピンでマップに加えた。松山の辺りを拡大してみてほしい

 次回はいよいよ最終回。道後・松山建築マップを完成させる。(宮沢洋)

次回の記事:道後・松山巡り総まとめ(2021年12月31日公開予定)

最強の道後建築案内06:長谷部鋭吉から「myu terrace」まで“日建大阪”を松山で知る_BUNGA NET

 今回は松山市内にある日建設計の建築を巡る。私が『誰も知らない日建設計』という書籍を出したので、それの宣伝?と思われるかもしれない。それもあるがそれだけではない。皆さんにこの建築を知ってほしいからだ。

 松山市の中心部、第4回で紹介した「愛媛県庁舎」(設計:木子七郎)から南に徒歩数分のところにある「伊予銀行本店」である。

(写真:宮沢洋)
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最強の道後建築案内05:伝説の地方建築家、松村正恒の少し意外なクール系建築_BUNGA NET

 この松山シリーズの中で、おそらく今回が一番ディープな内容となる。ほとんどの人はどの建築も知らないだろう。建築編集者歴30年の私も、1つも知らなかった。でもすごくいい。建築家・松村正恒(まさつね、1913~1993年)の民間建築である。取り上げるのは例えばこれだ。

地元・松山の人以外にはほとんど知られていないこの建築。設計:松村正恒(写真:宮沢洋)
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最強の道後建築案内03:道後温泉本館の“魅せる保存修理”を可能にした「3つの奇跡」_BUNGA NET

 さて今回は、道後滞在の主目的である「道後温泉本館」である。

営業しながら保存修理工事が進む道後温泉本館。2021年8月撮影(写真:宮沢洋、特記以外は同じ)

 ここには出張ついでに何度か来たことがあって、2014年には「建築巡礼」でも取り上げている(書籍『プレモダン建築巡礼』に収録。WEB版の記事はこちら)。実は今年(2021年)の夏にも出張で来た。そのとき、上の写真のようなダイナミックな光景(この状態でも営業している!)に心を打たれたことが、今回の道後クリエイティブステイに応募したきっかけだった。

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