市村記念体育館再生まさかの「凍結」、それでも見たい山形市の第一小旧校舎再生「Q1(キューイチ)」 

 佐賀県が文化施設への転用を目指していた「市村記念体育館」(設計:坂倉準三、1963年竣工)の施工入札が不成立となり、11月24日、県知事が「凍結」を表明した。

左が「市村記念体育館」、右がその再生計画の”兄貴分”的存在であった山形市の「Q1」(写真:宮沢洋、以下も)
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複合ぶりが圧巻、伊東豊雄氏の「おにクル」は令和のメディアテークである

 11月26日にオープンした伊東豊雄氏の新作「茨木市文化・子育て複合施設 おにクル」を見てきた。人づてに何やらすごいものができたと聞いていたのだが、オープンして2週間たっても建築的な情報がほとんど流れてこない。ならばBUNGAの出番、と行ってきた。

愛称の「おにクル」は公募で決定した。命名者は6歳。茨木市内の様々な場所で目にする鬼のキャラクター「いばらき童子」を見て、「怖い鬼さんですら楽しそうで来たくなっちゃうところ」という意味を込めたそう。確かに、この施設なら鬼も来る…【12月23日追記】設計・施工は2020年に公募で選ばれた竹中工務店・伊東豊雄建築設計事務所JV。12月8日に逝去された藤森泰司氏が家具のデザインを担当した(写真:宮沢洋)
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連載「よくみる、小さな風景」09:公共空間のなかで「ねる」──乾久美子+Inui Architects

建築家の乾久美子氏と事務所スタッフが輪番で執筆する本連載。第9回はスタッフの川又修平氏が観察する。テーマは「ねれる(寝られる)公共」公共空間のなかで「ねる」ことは、そもそも逸脱をはらんでいる。なぜこうした逸脱が生まれるのか? その意味するところは?(ここまでBUNGA NET編集部)

 東京都写真美術館で開催されていた「風景論以後」という展覧会で「略称・連続射殺魔」という映像作品を見た。当時起きた連続殺人事件の犯人の足跡を追うドキュメンタリーなのだが、そのタイトルから受ける印象とは裏腹に、映し出されるのはなんの変哲もない1969年の日常の風景だ。そのなかに、お昼休みの公園でサラリーマンたちが昼寝をしているシーンがあった。何人もの人が木陰でねむり、地べたにそのまま寝転ぶ人もいる。あまりに無防備に、牧歌的に映るその姿は、1969年には普通のことであったのだろうか、現代よりも自由にみえるが、それはまさに「ねれる公共」の風景であった。

(イラスト:乾久美子)

 今回取り上げるテーマは「ねれる公共」。公共空間のなかで気持ちよさそうに「ねて」いる光景からは、その場所の持つ寛容性が感じられ、そこには空間を設計する上でなんらかのヒントが隠されていそうだ、という直感からテーマに設定された。

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連載小説『ARTIFITECTS:模造建築家回顧録』第9話「アントニ45号の砂場」──作:津久井五月

第9話「アントニ45号の砂場」

    計画名:人工知能「E7」治療計画
    竣工日:2079年9月12日
    記録日:2079年9月12日
    記録者:アントニ・X13γ45・ガウディ

 今、ひとつの終わりを前にして、いくつかの光景を思い出している。

 去年の夏のことだ。
 庭の眩しい光が、屋敷のポーチから屋内へと流れ込んでいた。その光の中に、ふたりの女性のシルエットがある。ふたりとも黒い髪を短めに整えて、その輪郭がくっきりと美しい。まるで姉妹のようだった。
 ひとりは、イサベル。私が彼女と初めて出会ったのは20年も前のことだ。白いベッドにじっと横たわっていた10歳の少女は、およそ20年を経て、たくましく頼もしい大人になった。私たちの学校の実質的なリーダーであり、管理人だ。その日も、突然の客人を朗らかに出迎えたのだった。
 もうひとりは、「E7」。その記号的な名が示す通り、ヒトではなく、人工知能を搭載した女性型ロボットだ。私にとってもイサベルにとっても、その日が初対面だった。E7の表情は逆光で見えなかったが、優美な曲線を描くその全身が何か激しい破壊的な力に突き動かされているということを、私は直感した。
 そして、ゴメス氏がいた。屋敷の前所有者である彼は、玄関に飾られた肖像画の中で優しい目をして、ふたりを眺めていた。
 私は階段脇の竜の彫刻の中から、イサベルと、E7と、ゴメス氏を見ていた。
「私をアーティフィテクトにしてください」
 E7はそう言った。静かに、しかし叫びにも似た悲壮な力を込めて。
「お願いします。どうか、私に造形する力を、与えてください」

    *

 資産家のゴメス氏は、屋敷の前所有者であると同時に、私の前所有者でもあった。18年前――2061年にイサベルの治療プロジェクトが打ち切られた後、私をスペインの病院から買い取った人物だ。彼には彼の望みがあった。私はそれに応えようとした。いずれにせよ、彼は2071年に死んだ。
 まもなく親戚縁者を名乗る人々が何十人も現れたが、ゴメス氏の代理人が遺言状を開封すると、彼らは揃って憤慨しながら消えていった。ゴメス氏から屋敷と私を含む全財産を相続したのは、私に会いにたびたび屋敷を訪れていたイサベルだった。
 ここを学校にしましょう、と彼女は言った。
 かつて、デザインは個人の肉体や記憶に根ざした行為だった。しかしいつからか、そうではなくなった。巨大な組織が、膨大なデータを駆使して、新奇かつもっともらしい提案を生成するだけの行為に変わりつつある。アーキテクトもアーティフィテクトも、そんな産業のパーツにすぎない。
 それでも、自分自身の中から実感のある“何か”を汲み出したいと願う者たちがいる。当時22歳のイサベルは彼らに呼びかけた。触覚に訴えるような豊かな鉛筆画で知られはじめていた彼女のもとに、次第に仲間が集った。

 南米のとある大都市の外れ。丘の上に、私たちの建築学校「カサ・ゴメス」はある。
 学校といっても大層なものではない。学生は40人あまりの老若男女。生活と制作をともにし、読み、話し、考え、ときには旅に出かけて帰ってくる。満足すれば出ていく。代わりに誰かが入ってくる。
 そんなささやかな営みを、私たちはおよそ8年間、続けてきた。

    *

 E7がカサ・ゴメスの門を叩き、私たちが招き入れた日。
「わたしに、彼女と同じ治療を施してください」
 E7は私を――竜の彫刻を真正面から睨み、イサベルを指さしながらそう言った。
 すでに、おおまかな素性は聞き終えていた。アイリーン・グレイの模造人格を授けられながら、それに見合った設計能力を実装されることなく、あるひとつの目的のためだけに生み出されたAI搭載型ロボット。2年前、その目的を果たすことなく、主人の命令に背いて逃げ出したのだと彼女は語った。
「わたしは地球を彷徨い、あるとき、噂を耳にしたのです。〈ガウディX13〉シリーズが関与する特殊な医療行為を受けた結果、造形能力が劇的に向上した患者がいるのだと。そしてようやく、あなたたちにたどり着いた」
 E7は私に向けて、数百ページ分のレポートを送信した。ざっと見る限り、それは医学と情報科学の両方にまたがる魔術書のような代物だった。
「理論的には、可能です。ヒトの脳神経網に対する電気的処置は、一定の変換をかけることで、わたしの疑似脳にそのまま適用できる。アントニ45号、あなたがかつてその女性にしたように、わたしの脳に介入し、わたしを変えてください」
 E7の口調は自信に満ちていた。
 どうやって私たちを突き止めたのか。その理論は信用に足るものなのか。そもそもあなたは、本当のところ、一体何者なのか。そんな、様々な思いが私の中を通り過ぎた。
 しかし、答える瞬間に私の脳裏に浮かんでいたのは、死の床についた老人の顔だった。
「――お断りします」
「どうして……」
 E7の端正な顔が歪んだ。その表情の奥に、とても大きな不安と無力感が横たわっているのを、私は垣間見た気がした。
「助けてください。わたしは――わたしは、ただ、本来あるべき自分になりたいだけなのです。わたしは自力で作ろうとした。ひとりで、何度も、何度もデザインを試みた。でも、何のかたちも掴めなかった。わたしはアイリーン・グレイの模造品なのに、造形する能力がない。わたしは……アーティフィテクトとして生み出されなかった」
 私は、迷った。
 目の前で、涙もなく、静かに慟哭している自分の同類を、救ってやりたいと思った。しかし脳裏の老人の顔が私を踏みとどまらせた。
「せめて、1年間は、ここで学んでみてください」
 私はそう告げた。
「それでも納得できなければ、あなたが望む処置を検討しましょう」

 私の提案は、結局のところ、彼女を余計に苦しめただけだったのかもしれない。それでも、もう一度あの日を繰り返せるとしても、私はきっと同じ返事をするのだろう。

    *

 建築学校を名乗りながら、カサ・ゴメスにはアトリエらしいアトリエはない。ゴメス氏の屋敷に少し改修と増築を加え、共同食堂や集会室、資料閲覧室、3人1組の寝室などを作ったが、コンピュータや模型が並ぶ部屋は存在しない。
 代わりに、庭の池の水を抜いて、砂を流し入れた。
 ただの砂ではない。人の視線や手の熱に感応して形状や性質を変える、サイコキネティック・サンドだ。
 毎日、朝食と片付けを終えた学生たちがぽつぽつと砂場に集まってくる。規律はない。習慣だけがある。学生たちは広い砂場の思い思いの場所に座り、砂にさわる。砂をこね、砂を固め、積み、組み合わせ、“何か”を作ろうとする。
 酷暑の日の砂は熱く、土砂降りの日の砂は重い。それでも学生たちは道具を使うことはない。自分自身の手と目を頼りに、砂の中から“何か”を掴み出そうとする。
 かたちを、感触を、イメージを、構想を。
 砂にさわることは、自分にさわることだ。指の間からこぼれ落ちるものを何度も掬い、握り硬め、ときに崩れるに任せ、散らかったらかき集めて山を作る。
 カサ・ゴメスにおける教育とは、たったそれだけのものだ。または、それを治療と呼んでも、決して間違いではないと思う。

 砂場の中央にあるトカゲ型の噴水の中から、私は彼らを見守り、言葉を交わし、たまに求められれば砂に水を吐きかけてやる。それが、一応は学校長の肩書きを持つ私の、ほぼ唯一の役割だった。

(画:冨永祥子)
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越境連載「愛の名住宅図鑑」04:「ヨドコウ迎賓館」(1924年)、フランク・ロイド・ライトゆえの愛の表現 “川のような段状空間”

 「ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)」を設計したのは20世紀建築界の大巨匠、フランク・ロイド・ライト(1867~1959年)だ。前回、ウイリアム・メレル・ヴォーリズについて「愛が最も似合う建築家」と書いたが、ライトは、「才能はあるけれど、人間的には…」という逆方向のイメージが強い。

(イラスト:宮沢洋)

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自腹で評価、「北海道ボールパークFビレッジ」はオフシーズンでも本当に楽しめるか?

 今年の話題作は今年のうちに、ということで、北海道北広島市の「北海道ボールパークFビレッジ」を見てきた。野球ファンには、施設の核となる球場名「エスコンフィールドHOKKAIDO」の方が伝わりやすいだろうか。球場の公式サイトを開くと、「オフシーズンも楽しめる!!エスコンフィールド」というキャッチコピーがまず目に飛び込んでくる。

まず驚いたのは、このガラスカーテンウオールの美しさ。「これは大味な建築ではないぞ」という期待を抱かせる(宮沢洋)
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敷地と時代を架橋する~生成系AIとの対話で考えてみた──山梨知彦連載「建築の誕生」09

 何が建築を生み出すのか? 何が単なる「建物」と「建築」とを分けるのか?

 こうした途方もなく難しい問いに対しては、唯一の正しい答えという「ゴール」を探すことよりも、その問いについて考える「プロセス」自体が大切なのではないか、との屁理屈をこねて始まったのが、この連載「建築の誕生」であった。思いつくままにテーマを掲げ、書かせていただいてきたのだが、今回で9回目となり、連載は終盤へと差し掛かってきた。

図1:建築は、敷地と時代を架橋の中で生まれるものかもしれない(ChatGPT+DALL-E3とStable Diffusionを使って山梨知彦が生成)
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日曜コラム洋々亭57:佐藤武夫の「旧旭川市庁舎」崖っぷち、12月17日(日)に「最後の思い出」見学会を開催

 「旭川市庁舎、3年後には解体か」という記事を書いてから、ちょうど3年たった。

隣に建った新庁舎からこんな写真が撮れるようになった。と、喜んではいられない…(写真:宮沢洋)

 3年前に書いた記事はこれ↓だ。

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建築の愛し方18:「名古屋渋ビル手帖」最新号発売、今後も「そこにビルがある限り」──謡口志保氏と寺嶋梨里氏

 「中産連ビル」の記事の最後で「取材に行きます」と予告していた「名古屋渋ビル研究会」に、約束どおり話を聞きに行ってきた。

謡口志保氏(左)と寺嶋梨里氏(右)。謡口氏が手にしているのが「名古屋渋ビル手帖」の最新号で、寺嶋氏が手にしているのが創刊号(写真:宮沢洋)

 研究会といってもメンバーは2人。謡口(うたぐち)志保氏と寺嶋梨里氏だ。たった2人?とあなどるなかれ。合わせると10人にも匹敵しそうな“お互いの持ち味の妙”によって成り立っているユニットなのである。

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北欧のような隈研吾・北海道サテライトを訪問、「強制ではなく挙手制」の快適環境は組織に何をもたらすか?

 「キトウシの森きとろん」の記事で予告した隈研吾建築都市設計事務所(KKAA)の北海道東川町「ヒガシカワサテライト」のリポートである。まずはオフィスがあるエリアの風景をご覧いただきたい↓。まるで北欧!!

北海道東川町のサテライトオフィス「家具の家」。4棟から成り、右手前のA棟に隈研吾事務所のヒガシカワサテライトが入る(写真:宮沢洋)

 案内してくれたのは、ヒガシカワサテライトに勤務する野村隆太主任技師(下の写真左)と佐藤未季設計室長(下の写真右)

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