【追加情報あり】生誕100年展「篠原一男 空間に永遠を刻む」開幕、生前たった一度の対面取材の思い出

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篠原一男の母校である東京科学大学(旧称:東京工業大学)の大岡山キャンパスで、東京科学大学博物館主催による特別展示『篠原一男と篠原研究室の1960年代 -「日本伝統」への眼差し』が4月19日から始まった。会期は5月2日までの3週間。その様子を追加した。(青字部、2025年4月22日追記)

東京科学大学博物館主催『篠原一男と篠原研究室の1960年代 -「日本伝統」への眼差し』展の会場入り口。同展については記事後半に青字で追記した

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 東京・乃木坂の「TOTOギャラリー・間」で、建築家・篠原一男の生誕100年を記念する展覧会「篠原一男 空間に永遠を刻む――生誕百年 100の問い」が4月17日(木)から始まる。 会期は6月22日(日)まで。4月16日午後に行われた内覧会を見てきた。

TOTOギャラリー・間「篠原一男 空間に永遠を刻む――生誕百年 100の問い」展の会場入り口(写真:宮沢洋)
会場に行くまで知らなかったのだが、本展はTOTOギャラリー・間の「開設40周年」を記念したものでもあるとのこと。おめでとうございます!! 左から運営委員の田根剛氏、セン・クアン氏、平田晃久氏、貝島桃代氏、TOTOの清田徳明会長

 筆者(宮沢)は正直に言うと、篠原一男が苦手である。建築を30年以上取材してきても苦手な建築家が何人かいて、その代表格が吉田五十八。吉田の建築は、その良さがいまだによくわからない(これは既にメディア上でもカミングアウトしている)。

 篠原が苦手だということは今回、初めてカミングアウトする。吉田に対する苦手さとは違って、篠原の良さがわからないわけではない。すごくいいとは思う。だが、筆者が感じるすごさが、一般(というか建築界的)に言われているすごさの視点と一致しないのである。

 よく言われるすごさの視点は、まさに本展のサブタイトルにあるように「空間に永遠を刻む」という点だろう。開催趣旨文では「生涯を通して自らに「問い」を投げかけ続けた氏の建築家像を、「永遠性」をテーマに再考します」と説明されている。篠原に関する文章は常に「永遠」とか「抽象性」とか「幾何学」がキーワードで、大体において生活感や人間臭さから遠い。

 筆者が思う篠原のすごさは、人間の日常生活に抽象的な幾何学を被せている、という点だ。暮らしは暮らしで普通に成立しているのに、そこに神が与えたかのような抽象性が被さっている。気づく人にしか気づかない知的な謎かけ。磯崎新の初期のポストモダン建築(例えば、つくばセンタービル)に通じるところがある。ただ、磯崎の建築は、その解釈を面白がることを許容する雰囲気があるのだが(だからこういう本も出せる)、篠原の建築は“面白がってはいけないオーラ”が漂う。ゆえに苦手なのだ。

 ということで“勝手に面白がる”が信条のこのサイトでは、本展の展示物の詳しい説明は控えることにする。

「不当なデマゴーク・”シンボリズム”」

 ひとつだけ、このプロジェクト↓についてだけ、個人的な思い出を書きたい。

 1995年に開催された横浜港国際客船ターミナルコンペの篠原案だ。

 筆者は「日経アーキテクチュア」の記者としてこの公開コンペを取材した。篠原に対面で話を聞いたのは、この一度だけだと思う。

屋外展示の長大な年表の右端の方に横浜港コンペ案はある

 コンペの審査員は芦原義信、磯崎新、伊東豊雄、レム・コールハース、渡辺定夫ほか。篠原案は審査の前半投票では上位だった。が、中盤の磯崎新の発言を境にポロ&ムサビ案に流れが傾く。最終的に同案が当選し、篠原案は「入選」止まりとなった。磯崎は審査会で、明らかに篠原案を指すとわかるシンボリズム批判を展開したと記憶している。筆者は篠原にコンペの感想を聞きに行った時、その話をした。篠原はそういう過程を全く知らなかったようで、見た目にも怒りに震えているのがわかった。その時の篠原による審査批判は、日経アーキテクチュアにも掲載されている。それでも怒りがおさまらなかったらしく、「GA JAPAN」にも寄稿したようだ(GA JAPAN 014「不当なデマゴーク・”シンボリズム”」)。

 篠原の反応は筆者にとってかなり意外であるとともに、シンパシーも感じた。勝手なイメージとして、篠原は「物質としての建築をつくること」に興味がないと思っていたのである。横浜港コンペの篠原案は、模型でも「永遠性」が伝わるもので、むしろつくらない方が記憶に残るのではと思えた。実際につくらなければ廃れることもない。だが、篠原は建築として建ち上がることに強く執着していた。それは篠原の目指す永遠性が、人の営みと重なってこそ意味を持つものだったからではないか。その美しい模型写真を見るたびにそんなことを思い出すのである。(宮沢洋)

■ 展覧会概要
TOTOギャラリー・間では、建築家・篠原一男の生誕100年を記念し、「篠原一男 空間に永遠を刻む――生誕百年 100の問い」を開催します。

篠原一男(1925-2006年)は東京工業大学(現:東京科学大学)で清家清(せいけきよし)(1918-2005年)に学び、卒業後は同大学で教鞭をとりながらプロフェッサーアーキテクトとして、退官後は自邸兼アトリエ「ハウス イン ヨコハマ」(1985年)に篠原アトリエを構え、設計と言説の発表を続けました。坂本一成、伊東豊雄、長谷川逸子に代表される「篠原スクール」と呼ばれる一群の建築家を輩出するなど、また氏の薫陶や影響を受けた多くの建築家が現在、建築界の第一線で活躍しています。

篠原一男は「住宅は芸術である」と唱え、小住宅の設計に多大なエネルギーを費やしました。篠原の住宅は日本における現代住宅のひとつの到達点を示すものとして、現在国内外で再評価の機運が高まっています。この言葉とともに発表された初期の代表作「から傘の家」(1961年)は2022年にスイス、バーゼル近郊(ドイツ、ヴァイル・アム・ライン)のヴィトラ キャンパスに移築再建され、「白の家」(1966年)、「地の家」(1966年)、「谷川さんの住宅」(1974年)もそれぞれ移築や再生によって継承され、その空間を今にとどめています。

左から本展キューレーターの奥山信一氏、貝島桃代氏、セン・クアン氏、アシスタントキュレーターの小倉宏志郎氏

本展覧会では、建築家の奥山信一氏、貝島桃代氏、建築史家のセン・クアン氏をキュレーターに迎え、生涯を通して自らに「問い」を投げかけ続けた氏の建築家像を、「永遠性」をテーマに再考します

会場では、東京工業大学篠原研究室作製の原図や模型、真筆のスケッチ、家具などのオリジナル資料を、氏の言説から抽出した「100の問い」と氏自らの分類による「第1の様式」から「第4の様式」に沿って構成し、その活動と人間性を浮かび上がらせます。篠原の「第5の様式」を予感させる未完の遺作、「蓼科山地の初等幾何」(2006年、計画案)のスケッチも展示予定です。本展覧会が、氏の遺した空間と言説を次代に継承するための一助になることを願っています。

■展覧会詳細
展覧会名(日)― 篠原一男 空間に永遠を刻む――生誕百年 100の問い
展覧会名(英)― Kazuo Shinohara: Inscribe Eternity in Space――A centennial exhibition with 100 questions
会期 ― 2025年4月17日(木)~6月22日(日)
開館時間  ― 11:00~18:00
休館日  ― 月曜・祝日 ただし5月3日(土)、4日(日)は開館、5月6日(火)は休館

入場料  ― 無料
会場  ― TOTOギャラリー・間(〒107-0062 東京都港区南青山1-24-3 TOTO乃木坂ビル3F) 東京メトロ千代田線乃木坂駅3番出口徒歩1分
主催  ― TOTOギャラリー・間
企画  ― TOTOギャラリー・間運営委員会(特別顧問=安藤忠雄、委員=貝島桃代/平田晃久/セン・クアン/田根 剛)
キュレーター ― 奥山信一/貝島桃代/セン・クアン
アシスタントキュレーター ― 小倉宏志郎
後援  ― (一社)東京建築士会/(一社)東京都建築士事務所協会/(公社)日本建築家協会関東甲信越支部/(一社)日本建築学会関東支部
協力  ― 篠原一男生誕百年企画委員会/東京科学大学博物館/東京科学大学 奥山信一研究室/Chair of Architectural Behaviorology, D-Arch,ETH/アトリエ・ワン

本筋に関係ないけれど、「開設40周年」に際して特別顧問の安藤忠雄氏から寄せられたメッセージに、宮沢作の似顔絵ハンコが!! どこかに展示されるといいなあ

追加情報:東京科学大学でも特別展示がスタート!

 そして、4月19日から始まった東京科学大学での特別展示を4月22日に覗いてきた。会場は大岡山キャンパス内にある、創立70周年記念講堂の2階ギャラリーだ。ご存じだろうか、創立70周年記念講堂は谷口吉郎の設計で1958年に竣工した傑作。拙著『昭和モダン建築巡礼 完全版 1945-64』でも取り上げている。今回、ホール内は見られないようだが、部外者が堂々と建物を見るチャンスではある。

正面に見えるのが「創立70周年記念講堂」。このキャンパス、いつ来てもこの芝生斜面のランドスケープに癒される
2階の会場入り口

 展示はこじんまりしている。撮影は基本的に禁止。だが、初期の篠原の頭の中を覗くようで面白い。

 会場内で一部撮影可だった展示の1つが、「地の家」(1966年)の模型と構造解説↑。なんと、この解説文、日本建築学会の竹内徹会長(東京科学大学教授)が書いてる!

 それもあってちゃんと読んでみたら、これはなかなかに深い。

 あんなに民家を調査して回って、「から傘の家」(1961年)では民家の梁をモチーフにしていた篠原が、この「地の家」では梁を消そうとして模索しているのだ。それも、ただ天井板で蓋をするということではなく、構造上・施工上合理的に、要するにお金がかならない方法でどうするかを考えた末にこの形になっていると。

 というのは筆者の乱暴なまとめなので、詳しくは会場でじっくりと読んでほしい。

会場内は基本撮影禁止だが、充実したパンフレットが無料でもらえる。全16ページ。これは保存版! 後ろは後期篠原一男の代表作、百年記念館

 展示会場の入り口に「『百年記念館/篠原一男』」では期間限定で普段公開されていない模型が展示中です」と書かれていたので、数年ぶりに「百年記念館/篠原一男」展示室にも行ってみた。

生協の上、209(吹き抜けの向こう)が篠原一男展示室(常設)

 どの模型が「普段公開されていない模型」なのかはわからなかったが、TOTOギャラリー間の展覧会で見たかった模型がここにあった!

 うーん、美しい! 前半をちゃんと読んだ方はわかりますよね。いつか、このプロジェクトで1冊本をつくりたいなあ…。

 以下は、今回の特別展示のキュレーションを担当した山﨑鯛介・東京科学大学博物館教授のメッセージと展示概要。GWの途中(5月2日)で終わってしまうので、お早めに。(宮沢洋)

東京工業大学のプロフェッサー・アーキテクトとして

篠原一男は、谷口吉郎、清家 清から続く「東工大のプロフェッサー・ アーキテクト」の系譜を継ぐ建築学科の教授/建築家である。
その抽象的で象徴性の強い一連の住宅作品の意匠は、「住宅は芸術である」という思想の表明とともに建築界の注目を集め、1972年に「〈未完の家〉以降の一連の住宅」で日本建築学会賞(作品)を受賞する。
篠原の鋭敏な感性は、やがて「美」の対象を現代都市東京の風景にまで拡げ、それを「カオスの美」と称して自らの創作原理に取り込み、代表作である〈東京工業大学百年記念館〉に結実させた逝去後の2010年、ヴェネツィアビエンナーレは他界した芸術家に対しては異例のヴェネツィアビエンナーレ記念金獅子賞を故人の篠原に授与した。これは、篠原が世界的水準で後の世代に多大な影響を与え続けている事実を示している。

「日本伝統 への強い関心 ―その構成原理の追求―

始まりは「日本伝統」への強い関心であった。東京物理学校(現・東京理科大学)数学科を卒業し東京医科歯科大学で数学の教鞭を執っていた篠原は、学会の合間に訪れた奈良の古社寺でその美に強く惹かれ、決意して1950年に東工大の建築学科に学士入学する。清家 清のもとで学び、1953年に図学講座の助手として本学教員としての歩みを始めた篠原は、1954年に処女作〈久我山の家〉を発表した。
—民家はきのこである— 1960年の著書『住宅論』(鹿島出版会)で土地の生活に根ざした作為のない民家の美しさをそう讃えた篠原は、その伝統的な空間の原理を「平面の分割」と「土間」に見出し、それを創作の手法として〈から傘の家〉(1961)や〈白の家〉(1966)などの名作を発表し、注目を集める。
1962年に助教授となった篠原は、篠原研究室の活動として3年間にわたり学生とともに伝統的集落の実測調査を実施した。それは民家の内部空間に感じた「美」の構成原理を外部との関係性の中で捉え直し、伝統的集落の美しさを創作原理として捉えようとする更なる試みであった。

——次世代への遺産継承―

篠原自身が「第一の様式」と呼んだ1960年代の住宅作品は、竣工から60年を過ぎた今日、篠原の作品を慕う次世代の手に渡り、大切に保存修復工事が行われている。
篠原の設計活動、芸術表現の元となった設計図面やスケッチ、写真や模型もまた、本学の博物館にて大切に保存継承するべく、アーカイブ化が進められている。
そして、歴史的建造物としての評価を受けた百年記念館には、 谷口吉郎設計の創立70周年記念講堂、清家 清設計の事務局1号館とともに、過去と未来を繋ぎ、大岡山キャンパスにアイデンティティを与え続ける存在としての役割が期待されている。(山﨑鯛介 東京科学大学博物館 教授)

特別展示 概要
会期:2025年4月19日(土)〜5月2日(金)

会場:創立70周年記念講堂2階ギャラリー
所在地:東京都目黒区大岡山2-12-1 東京科学大学(旧東工大)大岡山キャンパス内 CH-1
開場時間:10:30-17:30
休館日:なし・会期中無休
主催:東京科学大学博物館

「東京科学大学」という名前になかなか慣れず、キャンパスも再整備が進んでいたりで、百年記念館がなかったら別の学校と思うかも…