雪国にもアトリウムを! 設計者提案で生まれた「サッポロファクトリー」の大志(札幌/1993年)─TAISEI DESIGN【レジェンド編】

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一般の人が“名建築”として思い浮かべる建物は、いわゆるアトリエ系建築家が設計したものとは限らない。大組織に属する設計者がチームで実現した建築にも、世に知ってほしい物語がある。大成建設が設計を手掛けた名作・近作をリポートする本連載。第6回は、札幌市の「サッポロファクトリー」を訪ねた。

[協力:大成建設設計本部]

 北海道の建築は、関東以西のものに比べておとなしい印象がある。雪が積もるし、寒さが厳しい。デザイン的な冒険をすればリスクが格段に大きい。まして建設会社の設計・施工案件となれば、建て主が大胆な提案をしてもセーブをかける姿を想像する。ところが、今回訪れた「サッポロファクトリー」の巨大アトリウムは、調べてみると設計した大成建設の発案で生まれたものだった。

(イラスト:宮沢洋)

 サッポロファクトリーがあるのは、JR札幌駅から南東方向に約1km、「開拓使通り」とも呼ばれる北三条通り沿いにある。札幌市民であれば知らない人はいないであろう大規模複合ビルだ。飲食店や物販店、シネマコンプレックス、ホテルなどさまざまな機能から成り、総延べ面積は12万㎡超。1993年に、サッポロビールの札幌工場第1工場跡地を再開発して生まれた。

東側の永山記念公園から見る(写真:特記以外は宮沢洋)

 この施設は、再開発施設として珍しい点がいくつかある。1つ目は、道路をまたいで3つの敷地で構成されること。2つ目は、元の工場を全部更地にするのではなく、一部のレンガ造建築と煙突を残して開発したこと。3つ目は、誰でも無料で入れる巨大な屋根付き屋内空間「アトリウム」があることだ。

「レンガ館」。転用されている「赤煉瓦建築群」の中で最も古いものは1882年(明治25年に建てられた)。壁面のツタが紅葉の名所となっている(11月上旬に撮影)
西側の煙突広場から見る。「サッポロビール煙突」は1915年(大正4年)に建てられたもの

 1も2も、1990年代前半の再開発手法としては画期的なのだが、あまりに盛りだくさんになってしまうので、今回は3の「アトリウム」に絞って書きたい。

多雪地帯では革命的なガラスアトリウム

 この「レジェンド編」では、現在の大成建設に所属する設計者、つまり“原設計者の後輩”に案内してもらうことにしている。今回の案内役は、大成建設札幌支店設計部長の山本進氏。山本氏は関西出身だが、大学が北海道大学だ。「入社したのはサッポロファクトリーができた後ですが、大学の研究室がアトリウムの温熱環境の調査をやっていたので、とても身近に感じている」と話す。

案内してくれた大成建設札幌支店の山本進設計部長

 アトリウムは、南北に並ぶ「二条北館」と「三条館」の間にある屋内広場だ。施設名もまさに「アトリウム」で、この複合施設全体の目玉として計画された。幅34m、全長84m、高さ39mの開放的な空間が、円弧を描くガラス屋根で覆われる。気積は10万㎥超。面積ではもっと大きなものもあるが、多雪の地域でこれだけガラス面の多いものは世界でも珍しい。

 東京の人間にとって気になるのは、雪が屋根にたまらないのか、ということだろう。山本氏に聞くと、「大雪が降った直後に多少残っているのを見ることはあるが、通常時はない」と言う。融雪ヒーターを付けている? そうではなく「自然に落ちる」のだという。そうだったのか。ここでいったん設計時の話に遡る。

出発点は「大通公園のビアガーデンを一年中楽しみたい」

 この地にあった旧サッポロビール札幌工場第1製造所は、1876年(明治9年)に北海道開拓事業の一環として建設が始まった。もともとは官営だったが、民営化されてサッポロビールとなり、恵庭市へ移転するまでの約100年間、同社の歴史を築き上げてきた。移転計画に伴い1985年、社内で跡地利用の検討が始まる。

 当時、サッポロビールは多角経営を目指し、「都市再開発」を経営のもう1つの柱と位置づけていた。議論の中で「フェスティバルセンター」構想が持ち上がる。テーマパークとショッピングの中間に位置付けられるような業態だ。海外に成功例があり、ここではテーマ性を生み出すのに「工場」というストーリーが既にあることが有利。既存のレンガ工場を生かす方向性が決まった。

 工場移転がほぼ完了した1989年から大成建設により設計が始まる。中心になったのは大成建設の町井充設計本部第一部設計室長と同札幌支店の竹井俊介設計室長(いずれも肩書は当時)。筆者の古巣である『日経アーキテクチュア』に、驚くべき記述を見つけたので引用する。

 「札幌市では夏の間、わずか20日間ほど大通公園でビアガーデンが営まれる。『この夏の風物詩を一年中楽しめたら』、という発想からガラス屋根の巨大アトリウム構想が浮上した。大成建設の提示したアトリウムに対して、サッポロビール側は当初、消極的だった。結露の問題、積雪に耐えられるのか、などの面から「雪国では無理ではないのか」という反応が多かった」(『日経アーキテクチュア』1993年5月10日号から引用)

 なんと、アトリウムは大成建設の発案であることに加え、サッポロビール側は及び腰だったのだ。

 町井氏らはサッポロビールの関係者を連れて、海外の積雪地にあるアトリウムを視察に行った。とはいえ、こんなにガラス張りで巨大なアトリウムがそうそうあるわけではない。それでも、「雪が降る地域にこそ、快適なアトリウムが必要なのだ」という考えでチームが1つになった。

 技術的な検討も平行して進めた。多雪地域のアトリウムでは、ガラスではなく大きな陸屋根で雪を受ける考え方もあるが、それだと屋外のような開放感は得られない。ここでは「夏大通公園」が目指す姿なので、ガラス屋根は譲れなかった。

 ガラス屋根を実現する最終的な対策は大きく2つ。まず、雪に対しては「自然に落とす」こと。ガラス屋根が雪で覆われてしまうと、内部が暗くなるだけでなく、構造的にも危険。そうしないために融雪装置を設置することもできるが、大きなエネルギーを使うことになる。さまざまな形状のガラス屋根の滑雪実験を繰り返し、現状の円弧に決めた。この形だと大抵の雪は風で飛んでしまう。大雪で積もった場合でも、室内との温度差でガラスに面した部分が溶け、下部が急斜面であるため、引っ張られるようにして落ちるという。

 もう1つは結露対策。結露という現象自体を防ぐのは難しいので、ガラス屋根の内側にノズルを取り付け、乾燥した空気をガラス窓に吹き付けて早く水を乾かすことにした。

水平ダクトから腕のように飛び出しているのが結露防止の吹き出しノズル

 こうした対策により、完成から20年以上たっても、雪や結露で大きな問題は発生していないという。案内してくれた山本氏も、「これだけ大胆なことを、機能的な無理を生じさせずにやり切ったのがすごい」と先輩たちを称える。

受け継がれる開発世代の“大志”

サッポロ不動産開発の坂本亜津美氏

 現在、施設運営の中心になっているサッポロ不動産開発執行役員札幌事業本部副本長の坂本亜津美氏にも話を聞くことができた。

 「当時開発に関わった先輩たちの熱い夢が詰まった施設。今ではなかなかこういう開発は難しいかもしれない。4階の温泉施設がなくなったり、アトリウム1階の池がなくなったりと、ニーズに合わせて変わってきた部分もあるが、明るい光の入るこの開放感は大切にしていきたい」。

手前の円形の模様があるあたりに、円形の池があった

 実は、坂本氏は就職先を考える時期にこのサッポロファクトリーが建設中で、ここで働きたくて今の会社に勤めたという。以来、30年以上この施設を見続けてきた。

 そんな人がいるからそうなのか…と思って質問してみた。何かというと、普通、こうしたガラスを多用した商業施設では、告知(「○○セール!」とか)の垂れ幕を壁に吊り下げて、中が見えにくくなっていることが多い。ここにはそれが全くないのはなぜか?と。

 すると坂本氏は、「やっぱり外からも中が見え、中から外が見えるのがこのアトリウムの魅力です。垂れ幕を付けることは考えてもみませんでした」と笑う。なんだかすごくほっとする答えだった。

西面にも東面にも垂れ幕がなく、スッキリ。この写真は公園のある東面

 そして、クラーク博士が札幌農学校の生徒に贈った言葉「Boys, be ambitious.」を思い出した。これは筆者の想像だが、なぜ「目標を持て」ではなく「大志を抱け」なのかというと、大志はその人だけにとどまらず、周囲に伝搬し、受け継がれていくからであろう。このアトリウムもまさに先達の大志が生んだものと言ってよいと思うのだが、いかがだろうか。(宮沢洋)

■概要データ
所在地:札幌市中央区北2条東4丁目
発注者:サッポロビール、安田信託銀行
設計:大成建設
施工:大成建設・伊藤組土建・西松建設・地崎工業・前田建設工業・三井建設・鴻池組・日本国土開発・飛島建設・岩田建設・日産建設・カブトデコムJV
構造:鉄筋コンクリート造・鉄骨造
階数:地下2階・地上5階(本構内)
延べ面積:12万3322㎡

工期:1990年11月~1993年3月
開業:1993年4月9日

■参考文献
『日経アーキテクチュア』1993年5月10日号「ルポ 生活工房・サッポロファクトリー」
大成建設公式サイト「サッポロビール発祥の地にある複合商業施設」