山田守の遺作?「東海大学海洋科学博物館」が「閉館しないで」の声を受け延命、静岡市の新水族館計画も進む

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 「静岡市歴史博物館」(リポートはこちら)を見に行ったついでに、静岡市清水区三保にある「東海大学海洋科学博物館」にも行ってきた。

従来の運営は3月末までということで、来館者が多い。この入場ゲートの傘のような構造を見れば、どこにでもあるような建築ではないことが分かるだろう(写真:宮沢洋)
書籍『イラストで読む建築 日本の水族館五十三次』(青幻舎、2022年7月刊)

 ここは筆者(宮沢)が2022年1月に、書籍『イラストで読む建築 日本の水族館五十三次』(青幻舎、2022年7月刊)の取材で行ったあと、書籍が発売になる直前の2022年6月に突如、「2023年3月31日をもって有料入館を終了する予定」と発表になった。

 しかし、メディアがそれを一斉に報道すると、「閉館しないで」との声が多数寄せられた。館は、年が明けた2023年2月10日、「2023年度以降の東海大学海洋学部博物館の入館について」として、23年度も春~秋に曜日を限定して水族館部分のみ無料公開することを発表した(開館日などは詳細はこちら)。隣接して立つ「東海大学自然史博物館」は予定どおり3月で閉館する。

右が 自然史博物館、左奥が海洋学部博物館

 東海大学海洋科学博物館は、山田守建築事務所の設計で1970年に完成した。創設者の山田守は1894年生まれ・1966年没なので、完成したのは没後だ。しかし、検討事項の多いタイプの施設なので、山田の生前から関わっていたとしても不思議ではない。没後のスタートだとしても、晩年の山田を支えたスタッフが山田イズムを実現したものであることは間違いない。

アクリル大水槽の先駆け、しかも水底にトンネル

 見どころの1つは、10m×10m×高さ6mの独立した大水槽。これは今では当たり前となったアクリルガラスを用いた大水槽の先駆けだ。四方向にアクリルガラスの面を設け、幅2.5mごとのH型鋼で支えている。2023年度もまだ実物を見られるので、イラストで想像を膨らませていただきた。

 そして、そんな日本初のアクリル大水槽の両脇に、下に降りる階段があり、水槽の下を通り抜けるトンネルが設けられている。真っ暗なトンネルのところどころに水槽内を見上げる窓。

 今の水中トンネルと比べると「これだけ?」と思うかもしれないが、そののぞき窓の小ささに水族館好きはしびれる。何しろ、日本初の水中アクリルトンネルが実現するのが1981年。その11年前である。

隣接する自然史博物館は「あの代表作」にそっくり!

 3月末で閉館してしまう「東海大学自然史博物館」は1981年に完成したもの。こちらの設計も山田守建築事務所。山田守が好きな方は「えっ!?」と驚くだろう。そう、山田の戦前の代表作「東京中央電信局」(1925年、現存せず)にそっくり。

 こちらの室内はもうすぐ見られなくなるので写真で。

静岡市の「海洋・地球総合ミュージアム」は石本+飯田都之麿の設計

 ところで、両施設が幕引きへと向かう背景には、施設の老朽化のほかに、静岡市が清水日の出地区に新しい水族館建設を予定していることがあるようだ。「(仮称)静岡市海洋・地球総合ミュージアム整備運営事業」というプロジェクトで、これには東海大学も協力している。東海大学の水族館施設はひとまず2023年は限定開館することになったが、これからもずっと見られるとは思わない方がよいだろう。

 昨年12月に海洋・地球総合ミュージアムのPFI事業者が決定した(静岡市の発表はこちら)。代表企業、構成員などは以下のとおり。

(1)代表企業
 株式会社乃村工藝社
(2)構成員
 ジャパンウェルネス株式会社
 株式会社アイ・イー・エー
 株式会社フージャースリビングサービス
(3)協力企業
 させぼパール・シー株式会社
 株式会社石本建築事務所
 有限会社飯田都之麿建築デザイン一級建築士事務所
 初雁興業株式会社
 鈴与建設株式会社
落札金額
 154億1818万1000円(消費税抜き)

 構成メンバーのうち、設計業務は石本建築事務所と飯田都之麿建築デザインの2社。後者の飯田都之麿氏は、先の 書籍『イラストで読む建築 日本の水族館五十三次』の中で宮沢が最も熱く語っている「山梨県立富士湧水の里水族館」(2001年)の設計者だ。以下は、静岡市のウェブサイトに掲載されていた提案資料の一部。

(静岡市のウェブサイトに掲載されている乃村工藝社を代表とするグループの提案資料より。以下も同じ)

 東海大学の2施設は残念ではあるものの、水族館好きとしては新水族館もかなり気になる。開館は2026年4月の予定だ。(宮沢洋)