日曜コラム洋々亭19:重文に戦後建築2件内定、50年代「八勝館」と「カマキン」の次は「あれ」?

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 国の文化審議会(会長:佐藤信)は10月16日、16件の建造物を新たに重要文化財(以下、重文)に指定するよう、文部科学相に答申した。びっくりしたのはこの中に戦後建築が2つも含まれていること。そのことだけでもびっくりなのだが、選ばれた2件の意外性にまたびっくり。重文内定となったのは、堀口捨己が設計した「八勝館」(1950年竣工、名古屋市)と、坂倉準三が設計した「旧神奈川県立近代美術館」(1951年竣工、鎌倉市)だ。

八勝館御幸の間(写真:磯達雄)
旧神奈川県立近代美術館(写真:宮沢洋)

 私の知る限り、戦後建築の重文は「広島平和記念資料館本館」(丹下健三、1952年)、「世界平和記念聖堂」(村野藤吾、1954年)の2つ。…と、最初の記事で書いたのだが、「日土小学校」(松村正恒、1958年)、「国立西洋美術館」(ル・コルビュジエ、1959年)も、重文だった。今回の2件も含めて、すべて1950年代の竣工だ。

 今回の2件、書籍「昭和モダン建築巡礼・完全版1945-64」で取り上げている。

 まずは、「八勝館」。知ってますか?。読み方は「はっしょうかん」。私も名前は知っていたが、どんな建物でどうすごいのかは、2016年に連載「建築巡礼」の取材で現地を訪れるまで知らなかった。

(イラスト:宮沢洋)

 イラストはこんな感じ(↑)だ。桂離宮の真似? いえいえそんな安っぽいものではございません。この建築の特質は、先の「昭和モダン建築巡礼・完全版1945-64」の特別対談で、藤森照信氏が実に分かりやすく語っているので、一部、引用する(対談相手は磯達雄)。

藤森:モダニズムは、空間の伸びやかさが特徴なんですが、バウハウスの人たちにとって、それは室内の問題だった。外との関係はでかい窓があればいいと考えていた。だからグロピウスの建築を見ても、コルビュジエやライトを見ても、必ずでかいガラスがガーンとはまっている。それは外を見るためのもの。だけど、堀口さんは、内部空間の伸びやかさを外部空間へそのままつなげられるということに気付いたんですよ。

磯:八勝館では内と外をつなぐことを実現している。

藤森:そう。堀口さんが内と外をつなぐことを意識していたのは、若いころにドイツの動きに接していたからでしょうね。当然のようにバウハウスをすごく意識したけれど、バウハウスには何かが欠けていると彼は思った。バウハウスのグループは基本的に箱をつくるという意識が強い。箱をつくって、そこに穴を開けてつなぐ。堀口さんはそうじゃなくて、和風をやれば内と外をつなぐことができると気付いた。(ここまで書籍から引用)

 ということで、八勝館は伝統的和風建築と誤解しそうだが、モダニズムの名作なのである。

(イラスト:宮沢洋)

カマキンは崖っぷちからの急上昇

 もう1つの旧神奈川県立近代美術館(以下、カマキン)は、さすがにこの記事を読む人はご存じだろう。建築史的な重要性を考えれば、真っ先に重文になっておかしくなかった建築だが、ついこの間まで文化財はおろか、取り壊し濃厚だったのである。存続の目途がたち、神奈川県の重要文化財となったのが2016年(それまで何でもなかったことに驚かされる…)。この5年間で、崖っぷちから急上昇して重要文化財入りだ。

(写真:宮沢洋、以下も)

 改修の方法に賛否あり、リニューアルオープン後もあまりメディアが取り上げていなかった。それおかしいんじゃない?ということで、私はこの春、勝手に「令和のグッドニュース」第2位に選んでいる。改修の内容は、この記事(↓)を読んでほしい。

日曜コラム洋々亭03:いよいよベスト3!「令和」建築界グッドニュース

 今回の2件は、いずれも「民間施設」であるという点も特記しておきたい。八勝館は料亭。カマキンは、今は鶴岡八幡宮の展示施設「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」だ。

 登録文化財だけでなく重文も、使いながら守る「動態保存」へのシフトが勢いを増している。戦後建築は、動態保存が前提になるといってもよいだろう。

 今回の2件が加わり、1950年代が6件。そろそろ1960年代が対象範囲になるとすると、筆頭は代々木にある「あれ」だろうなあ。(宮沢洋)