新潮社観察記「ビルのダンディズム」──登録有形文化財となった神楽坂の「新潮社本館・倉庫」を巡る

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2025年3月、文化審議会において、新宿区矢来町(最寄り駅は神楽坂)に立つ新潮社の本館と倉庫を登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申がなされた。「階数が異なる本館と(倉庫の)高さ、外観を揃え、深い庇を連続し長大な沿道景観をつくる」と評された。いずれも設計・施工は清水建設。8月に正式登録されたことを受け、この建築群にかねてから興味を持っていた有志で施設を巡ってきた。東京科学大学大学院修士課程に在籍する片山果穂さんがリポートする。(ここまでBUNGA NET編集部)

奥から、新潮社本館・倉庫(写真:特記以外は片山果穂)

東京ビル研究

 近年の都心の再開発ビルは規模が大型化し、事業性が何よりも優先されて、オーナー個人の感性が表出されることが難しくなっている(そもそも個人オーナーが成立しない)。それに対し、70年代ぐらいまでのビルには、店舗付き住宅の建て替えによって生まれたものが多く、地元の街を盛り上げたいというオーナーの気概や、それを受けた設計者の意図がキラリと光るかっこいいものがある。筆者はこれらを「東京の良いビル」と呼んで研究室の仲間たちと東京を歩いてフィールドワークを行っている。接道、階の積み上げ、各階を繋ぐ縦導線、各室への採光を確保するために反復する窓、設備スペースなど、ビルのタイポロジー(類型)に潜在する条件どうしを、どう関係づけて街に表明するのか。その修辞的特徴を読み取ることで、都市建築物としてのビルの面白さを探っている。

新潮社本館・倉庫が国の登録有形文化財に

 新宿区矢来町にある新潮社は、そのダンディーな佇まいに惹かれて、東京ビル研究のリストに最初に入れた建物だ。モダニズムの流行に追随するのではなく、街を作るという自身の哲学のもと、オーセンティックだが手入れの行き届いた仕立ての良さが一際目を引く。青緑がかった深茶色のタイルと細身スチールサッシの独立窓が通りをはさんで反復し、控えめだが格式ある雰囲気を街にもたらしている。

 その本館と倉庫が、国の登録有形文化財になったことが2025年8月6日付の官報に記された。この好機を逃すまいと、BUNGA NET編集長の宮沢洋さん、筆者が所属する東京科学大学の研究室教授の塚本由晴さん、建築史家・金沢21世紀美術館レジストラーの本橋仁さん、アーティスト・プログラマーで砂木主宰の砂山太一さんにまぎれ、『新潮』編集長の杉山達哉さんらの案内により建物を観察する機会を得たので、ここに新潮社観察記としてレポートしたい。

新潮社と矢来町

 東京メトロ神楽坂駅を出ると、牛込中央通りに沿って新潮社の倉庫、本館、別館が立ち並び、通りの表情がビシッとキマる。いずれも清水建設設計・施工によるものだ。ビルの並びが通り全体を引き締める関係性は、ヨーロッパの街区がもつ建築の社会性・公共性の感覚に通じている。新潮社の建ち方は、いわばヨーロッパ的な街区を矢来町で、自分たちで作っていくのだという、都市への表明なのだ。それはきっと、国内のみならず外国文学の翻訳で実績を重ねてきた社の歴史と無関係ではないだろう。

本館ロビーに刻まれた「人類の文字」

 新潮社訪問の当日は本館ロビーで待ち合わせた。エントランスをくぐり、まず目に飛び込んだのは「人類の文字」と題された圧巻の壁面彫刻だ。これは1966(昭和41)年の本館完成と同時に飾られたもので、当時副社長佐藤亮一(後の第三代社長)のもと古今東西の文字、名文、詩句が集められ、壁一面が装丁のごとく厳密にデザインされている。そこには、言語や時代が隔てようとも、世界の優れた文学を人々に届けるという出版社としての矜持、決意が刻まれている。

 矢来町の周辺は、秀英舎(現・大日本印刷)の工場や多くの文芸人が居を構え、古くから印刷・出版文化が醸成されてきた土地だった。新潮社の創業者である佐藤義亮は秋田県角館から単身上京の末、秀英舎で働きながら1896(明治29)年に総合文芸雑誌『新声』を創刊する。薄給の中から少しずつ資金を貯め、その苦心ぶりを心配した下宿先のおかみさんからの援助もあって、義亮は当時数え19歳で新声社を立ち上げた。

 出版活動は順調だったが、やがて資金繰りに行き詰まり、設立から7年で会社を譲渡してしまう。譲渡金が盗まれたり借金の取り立てに心折れそうになりながらも、なんとか翌1904(明治37)年に雑誌『新潮』を創刊、新潮社の設立に至ったという。佐藤夫妻はこのとき資金捻出のために敷金の安い牛込区新小川町の借家へ移ったとあり、会社の拡大とともに1913(大正2)年に矢来町の現在の社屋のあたりに家を購入したようだ。この頃の出版活動はツルゲーネフ『父と子』(1909・明治42年)、『近代名著文庫』(1913・大正2年)の刊行をはじめとする翻訳出版に力を入れ、「翻訳出版の新潮社」との呼び声高く、翻訳は儲からないという出版界の通説を覆す勢いだった。

「ナナ御殿」とも呼ばれた1923年竣工の新潮社旧社屋
(写真:新潮社)

 1920(大正9)年の『世界文芸全集』全32編では、第7編ゾラの『ナナ』が大ベストセラーとなる。ベストセラーでビルが建つ、というのはこの頃からあったのだろう、巷では「ナナ御殿」とも呼ばれた鉄筋コンクリート造の新築社屋が1923(大正12)年8月に完成する。なんと9月1日の竣工式当日に関東大震災が発生するという不遇に見舞われるが、近隣の出版社や印刷所の多くが倒壊し焼け落ちるなか、新潮社とその印刷所は奇跡的に難を逃れた。同年9月10日には営業を再開したという。

本館南側と旧社屋
(写真:新潮社)

 現在の新社屋建設は、戦前の旧社屋を使いながら1957年に本館南側を増築、1959年に第一倉庫、1966年に本館北側を建て替える形で段階的に行われた。少し間をおいて1974年に別館が落成し、今の姿に至る。大震災や先の大戦をも生き抜いた旧社屋の名残は、外壁タイルの継ぎ目に今でも見ることができる。新潮社観察は、この最も古い本館南側の外壁タイルからスタートした。

新潮社タイル

 伊奈製陶(現・LIXIL)に特注したという独自の外壁タイルは、濃茶系の釉薬をベースに淡青色の釉薬が斑点施釉されており、一枚一枚の斑点の大きさがランダムに、光の当たり具合によって色の見え方が変わるという遊び心に満ちている。

本館玄関脇のタイルに見える新旧の継ぎ目

 タイルの配置は、長手と小口を芯を揃えて交互に積むフランス積み(フランドル積み)のレンガ壁を参照しているのだろうか、207×60mmの長手4枚毎に137×60mmの小口のタイルが顔を出す独特のフォーメーションだ。音楽で言えばジャズなどで見られる変則的な5拍子のリズム。これに一枚一枚模様の異なるタイルがメロディーのように重なることで、光が当たると水面の淡い乱反射のような、揺らぎをもった壁面が出来あがる。下4段は長手の幅のまま高さが倍になった207×120mmの大判のタイルが使用され、レンガの長手積みと小口積みのハイブリッドのような表現に切り替わる。

 建物の角部分はアールの加工が施され、あらかじめ曲げた形で焼く曲面タイルで丁寧に納められている。新潮社の外壁タイルがもつ個としてのかわいらしさと、それらが集合したときの装飾性。個から群へスケールの接続を可能にする各ディティールへの配慮。そこに、道ゆく人を含む建物に関わる人々の愛が宿る。

役物タイルによる本館出隅部分の納まり

 タイルの詳細を確認したところで、一度ズームアウトして3棟を見比べてみる。本館と別館は4階建て、倉庫は5階建てだが、どれも高さがほぼ同一に揃えられ、連続していて階の違いを感じさせない。暗めのタイルが貼られた密実な壁面に、コンクリートの窓枠に白く縁取られた独立窓が、4層にわたって反復するデザインコードが共有されているのだ。倉庫の1階部分はデザインを切り替えることで、4層コードに倣っている。

街並みを構成する3棟の並び

 本館と別館に至っては、幅約43メートル高さ約16メートルの接道面に約1.3メートル×2メートルの14の窓が並ぶ立面構成が、ぴったりと一致するように向かい合っている。窓と壁の幅の比率はだいたい1:1.5で反復しており、独立窓と言っても壁勝ちの固い印象はない。

 塚本研究室で編集した『WindowScape2ー窓と街並みの系譜学ー』によればブルージュ(ベルギー)のマルクト広場におけるギルドハウスのファサードは、壁より窓の割合が大きく、縦長のフレンチウィンドウが特徴的なパリのアパルトマンではおおよそ1:1になる。窓の密なファサードが反復する街並みに対し、新潮社ビルのプロポーションや窓と壁の比率は、どちらかというとイタリア・ルネッサンス期に確立した都市型建築のパラッツォに近い。組積造の構造的制限の中で縦長の窓が反復するパラッツォのファサードは、基部・胴部・頂部の三層に分節され、コーニスやロッジア、バルコニー、オーダー、ストリングコースといった建築要素や石材の配置、仕上げの操作によって三層の間にオーダー(秩序)が現れる。

ブルージュの街並み(『WindowScape2ー窓と街並みの系譜学ー』より)
パリの街並み(『WindowScape2ー窓と街並みの系譜学ー』より)

 新潮社の道に対する構え、窓の反復はパラッツォのそれだが、頂部のコーニスを薄い庇状の要素に、基壇をタイルのサイズを拡大するだけにとどめて三層構成の秩序を弱めている。独立窓の反復で下から上まで通すことで、パラッツォの系譜に繋がりながらも装飾性は廃した、どこか飄々とした佇まいには、戦後のミラノで活躍したアスナーゴ・ヴェンダーのダンディズムに通ずるものがあると感じた。本館の階段室で確認したが、内部は思いのほか明るく開放的だった。床から窓台までは50センチほどと腰掛けられる高さだから、光を絞りながらも外が近い。

新潮社本館と倉庫の街並み
Asnago Vender, Piazza Velasca 4, Via Alberico Albricci 8&10(写真:鈴木志乃舞)

 『週刊新潮』創刊の翌1957年に本館南側が竣工してから別館が完成した1974年の間には17年のギャップがある。その間にサッシはスチールから角丸のアルミへ、網入りガラスは亀甲のねじりから直交へ、窓枠は上枠の溝切りの処理を維持したままコンクリートからアルミへ、タイルはより青っぽい色味へと変化している。技術とともにプロダクトは絶えず更新されていくが、ここでは建築の様式が製品の差異を吸収する。そこに建築が持つ冗長性というか、懐の広さ、時間的奥行きがある。老朽化の名の下に手当たり次第に建物を壊してしまう今の東京から、時間的奥行きは失われる一方だが。

 ところで別館竣工の2年前にベストセラーを記録した有吉佐和子『恍惚の人』(1972年)から、別館はまたの名を「恍惚ビル」なんて呼ばれてもいるらしい。恍惚の境地に浸っても、新潮社ビルは冷静に様式の先を見据えている。

倉庫の窓は亀甲ねじり網入りガラス
本館の窓周り ガラスに映り込むのは別館の窓
別館のファサード

コーニス

 街並みの連続性を担うのは、窓に限らない。壁面上部に張り出したコーニスがポイントである。塚本さんによると、コーニスを正しく解釈できている建物は日本にほとんどないという。フィレンツェなどでよく見られるコーニスは、中世の城のいわゆる「武者返し」の部分がルネッサンス期に都市型建築において装飾として残ったものである。日本人にはそれがイマイチ理解できないから庇かなぁ、なんて思ってしまうが、ヨーロッパではコーニスによって道を断面方向に鉤括弧のごとくピッと囲うことで、道が「ルーム」になるのだ、と。この解説には痺れた。まさに庇かなぁなんて思っていたところだったので、先生すみません、もっと勉強しますと心の中でつぶやいた。

倉庫と本館のコーニス
Palazzo Medici Riccardi(写真:鈴木志乃舞)

 しかし、東京にコーニスがついたビルなんてあるのか?、と蒐集中の東京ビル研究のリストを見返してみると村野藤吾の森五ビル(現・近三ビル)にコーニスがあった。流石だ。こちらは1931年竣工と新潮社より30年ちかく先輩だが、構成が非常に似ている。設計者は森五ビルを意識したのだろうか。

森五ビル

 倉庫内を見学した後は、本館地下の食堂での社食体験。鶏天、ジャーマンポテト、きんぴら、大根漬、白米(もしくは玄米)、みそ汁というバリエーション豊富なプレートが200円というのだから目を疑ったが、間違いではなかった。とてもおいしかった。

キッチンからコックさんが食い気味で鶏天を多めに入れてくれようとする
バリエーション豊富なランチ

 ランチの後は本館にある編集部や会議室、資料室を見学させてもらいながら、屋上へ向かった。階段を上がりきり、ペントハウスから外に出ると、東の空が大きく開け、風が気持ちよい。遠くに飯田橋のビル群が見え、新潮社がこの辺りで一番高いところに建っているのが分かる。振り返るとペントハウスに外壁と同じタイルが。屋上設備が納められたペントハウス壁もタイルで仕上げられ、窓と同一プロポーションの開口部にはテーパーがかかる。つまり屋上から至近距離で見られることが想定されていたのだ。しかし近年の大型化した室外機は、もうここには収まらず、屋上中央を占拠していた。眺めの良い屋上だけに残念に思った。

本館の階段室を屋上へ向かう
本館屋上

 西側の縁(へり)へ寄ってみると、道を挟んだ向かいに建つ別館のコーニスがよく見えた。本体のボリュームとは一度縁が切られ、パラペットの笠木部分が道へ大きく延びる形でスカイラインをコントロールしている。

 パラッツォの例をいくつか参照してみると、コーニスを支える装飾的なブラケットは張り出しの凸の形態を取ることで外壁に影をもたらすのが基本のようだ。森五ビルでは、張り出したブラケットをはちまきのように水平方向に巻き付ける操作がとられている。そこを新潮社ではブラケットに当たる部分を凹ませることで、装飾的な要素を省きつつ外壁に影を含み、薄い片持ち水平材で道を縁取っている。おそらく設計者は森五を参照しつつも、各部のよりモダンなアップデートを試みた。近代建築のコーニスの納まりは新潮社にあったのだ。

別館コーニスを屋上から臨む

 見学が終わり、脇の通りに入ってみると、矢来能楽堂のせり上がる瓦屋根越しに新潮社別館が見えた。瓦屋根の背景にタイルが馴染み、瓦屋根が多かったであろうかつての街並みとの調和が考慮されていたと想像できる。戦前の旧社屋は当時最先端であった鉄筋コンクリート現しのすっきりとした見た目だったことを考えると、瓦屋根の色味や質感といった当時まだ日本人に馴染みのあった街並みのイメージが投影された新社屋は、なかなか渋い選択だ。

矢来能楽堂越しに新潮社別館を見る

設計担当者は誰か

 さて、このたび国の登録有形文化財になったこのビルは、個人の建築家に設計を委ねるのではなく、新潮社の社内検討チームが清水建設の担当者と協議を重ねながらデザインが詰められていったそうだ。新潮社社内では当時の設計担当者について詳しくは把握していないという。

 決して華美ではないが、建築的知性を随所にちりばめたデザインにまとめ上げたのはいったいどんな人物なのだろう。図面資料から個人名が分かれば大学の名簿を手当たり次第に追えるはずだということで、設計者探しは今後の宿題になった。

 ただ、なんだか早稲田な気がする、と塚本さん。確かに村野藤吾のビルに通じるものがある、と本橋さんも頷く。モダンでありながらパラッツォの解釈に腰を据えている点から、当時エストベリやアスプルンドといったスカンジナビアのナショナル・ロマンティシズムに強く共鳴した早稲田の教授陣に薫陶を受けた誰かではないか、という話になった。たとえば早稲田大学大隈記念講堂は、塔や連続アーチのコロネード、スクラッチタイルなど構成や素材の選択にストックホルム市庁舎への意識が見られるが、年代的に佐藤功一に教えを受けた誰かだったりして…とその時は予想合戦で盛り上がった。

ストックホルム市庁舎(設計:ラグナル・エストベリ、1923年)。中庭と湾を繋ぐ連続アーチのコロネード 壁面は赤レンガで構成されている
早稲田大学大隈記念講堂(設計:佐藤功一、佐藤武夫、内藤多沖、1927年)

 後日、「新潮社観察記(仮)」と題した見学メンバー間でのメールスレッドが大きく沸いた。当時の確認通知書によると、スタートとなる本館南半分増築時の設計担当者の名前は、越山欽平。本橋さんが自身の出身校である早稲田大学の名簿に、越山氏の名前を見つけた。しかも卒業論文のテーマは「屋根」だという。どうりでコーニスの扱いを心得ているわけか。宮沢さんの調べによると、越山氏は設計本部長にまで上り詰めた清水建設のエースだったようで、BCS賞審査員なども務め、『現代ホテルの計画』(新建築社、1986年)を執筆している。点と点が繋がり、ビルの背後にいた人々の影が一斉に動き出した。

 氏が残した文章を見つけた。「云うなれば、建築の場は人間臭の立ち込める、技術の魚河岸の雑踏である。(中略)優れた現場責任者の個人技術には、通常意識されてはいないが、長い時間をかけて集めた多くの経験と、高い技術に裏付けられたデータがその根底にある。これを企業の個有技術とするためには、個人のたどった道を組織で追跡し、様式を統一したデータにまとめて解析しなければならない。一見手間がかかるようであるが、こうしたデータだけが、技術を教え伝え組織を変革することのできる唯一のことばである。」大規模化と同時に質のバラツキが表面化した戦後の建築シーンにおける、技術の重要性に触れた氏の論考だ(「建築のバラツキを考える」『建築雑誌』 Vol.93, No.1135, 昭和53年5月号より)。ここで言う技術とは、目的のための道具として対象化され人間を資源利用へと駆り立てるような力ではなく、都市や建築様式への深い思惟に基づいた建築の段取り、人とモノの間に立ち両者の関係性を編み上げていく行為や過程のコモナリティを指すのだと思う。興奮冷めやらぬメールの応酬を前に、新潮社ビルがじわりと体温をもち始めたようなそんな気がした。街の建築を通して過去の人物と少し会話ができたような、時間を超えた響きに触れた、とでもいうのだろうか。

 街は無数のビルに溢れている。それらが経済原理に基づく都市空間の量的占有に留まるなら、都市はどんどんつまらないものになっていくだろう。篠原一男が東京に見出したカオスの美、プログレッシブ・アナーキーや、アンリ・ルフェーブルが著作『都市の権利』の中で都市の我有化と呼んで評価したのは、自分たちがもっともスマートで美しいという自信や誇りに溢れ、都市に参画しようとする個の生き生きとした実践なのではないか。都市を我有化するための建築的知性は、時間的な奥行きを含みこんで都市に、私たちに響きをもたらす。東京のかっこいいビル、愛されるビルとはそういうものなのではないか。(片山果穂/東京科学大学大学院修士課程)

参考文献:
官報令和7年8月6日本紙 第1522号 3頁
「新潮社の沿革」https://www.shinchosha.co.jp/history/founding.html
『人類の文学 新潮社・ロビー彫刻のしおり|新装版』(新潮社総務部, 2024年)

佐藤義亮:『出版おもいで話』 https://bungeikan.japanpen.or.jp/1725/
『国登録有形文化財「新潮社本館および倉庫」登録の答申に関して』(新潮社, 2025年3月21日)
『WindowScape2ー窓と街並みの系譜学ー』(フィルムアート社, 2014年)
鈴木志乃舞ほか6名:『ミラノの「街路型近代建築」のファサードにおける窓の再配置(1)(2)』(日本建築学会大会学術講演梗概集, pp21-24, 2016)
越山欽平:「建築のバラツキを考える」(『建築雑誌』 Vol.93, No.1135, 昭和53年5月号)