植田実さんのこと──希代の編集長で希代の書き手

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 植田実さんが亡くなったと連絡をもらった。最近はお会いしていなかったが、ほんの少し前まで原稿を書いている話を人づてに聞いていた。今年90歳だったと聞き、そんなお歳だったのかと驚いた。年齢的には大往生なのかもしれない。が、あの温かみのある文章がもう読めないのかと思うと寂しい。

 植田さんは、私にとって手の届かない神様的な存在であるが、勝手にシンパシーも感じていた。まず、植田さんは、建築学科の出身ではない。こういうプロフィルだ。

 以下、みすず書房公式サイトの著者紹介より(太字部)。

1935年、東京に生まれる.早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。「建築」編集スタッフ、「都市住宅」(1968年創刊)編集長、「GA HOUSES」編集長などを経て現在、住まいの図書館出版局編集長。2003年度日本建築学会文化賞受賞。著書『ジャパン・ハウス』(写真・下村純一、グラフィック社1988)『真夜中の家——絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)『アパートメント』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)『建築家五十嵐正——帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)『都市住宅クロニクル』(全2巻、みすず書房2007)『住まいの手帖』(みすず書房2011)『真夜中の庭——物語にひそむ建築』(みすず書房2011)『集合住宅30講』(みすず書房2015)、共著『植田実の編集現場——建築を伝えるということ』(ラトルズ2005)『いえ 団地 まち——公団住宅設計計画史』(住まいの図書館出版局2014/日本建築学会著作賞)ほか。

 「建築学科の出身ではない」といっても、私のように「建築とは全く無縁」という経歴ではなく、植田さんは兄の植田一豊(1923~2007年)が建築家(RIAの創設メンバーの1人)なので、私の素養とは比べるべくもない。でも、「建築を体系的に学んでいない」という負い目と自由さをずっと感じていたのではないか、という点で勝手に共感している。

 それと、雑誌好き、特に雑誌のエディトリアルデザインが大好きだったということ。これは以前、内藤廣さんが植田さんにインタビューした記事を読んで知ったのだが、植田さんは若い頃にデザイナーの杉浦康平さん(1932年生まれ)のデザインに衝撃を受け、『都市住宅』を立ち上げることになったとき、速攻で杉浦さんに表紙を依頼したという。

 私は、植田さんの名前を知るよりも前に、この『都市住宅』を読んで衝撃を受けた。私が社会人になった90年代には休刊していたのでリアルには読んでいない。当時も今も足しげく通っている日本建築学会の図書館で、バックナンバーをけっこう読んだ。ビジュアルも企画も、とんでもなくエッジが立っている雑誌だ。自分もこんなのをつくってみたい、と思った。

 植田さんの名前は、「『都市住宅』で安藤忠雄を発掘した人」として知ったように思う。安藤さん本人から聞いたかもしれない。

 企画力があって、ビジュアルセンスがあって、人を見る目もある──。それって、編集長として最強だ。憧れる編集長は何人かいるが、建築専門誌ではダントツ植田さんが憧れの人だ。

 私も『日経アーキテクチュア』で「編集長」という役職を何年か務めたが、どの能力も遠く植田さんには及ばなかった。それが消化不良なので、今は自分でWEBメディアを立ち上げて「編集長」を名乗っている。そういう意味でも植田さんの影響は大きい。

 『都市住宅』編集長としての話は、オンタイムで雑誌を読んでいた世代が詳しくすると思うので、別の話をいくつかしたい。1つは、植田さんが書く文章がとてもわかりやすいということ。そして、なんだか温かい。おそらく建築(あるいは人物)のマイナス面よりもプラスの面を引き出そうとしているからだ。これは、編集長の能力と違って、姿勢の問題なので、頑張れば真似できるかもしれない。

 もう1つは、建築の枠に収まらない好奇心。初めてお会いしたときに、なぜか「最近読んだすごく面白い少女漫画」の話になった。ああいう好奇心があるから、長く現役でものが書けたのだろう。建築馬鹿になってはいけない。これも真似したい。

 植田さんと比べて自分に1つ有利なことがあるとしたら、私は決して“伝説の編集長”ではないということだ。誰も過去の私と今の私を比べようとはしない。だから独立した後の方が褒められやすい。

 調べてみたら植田さんが『都市住宅』の編集長だったのは1968年の創刊号から75年12月号までだった。植田さんが33歳から40歳までだ。いつまでも伝説の『都市住宅』の話をされるのはしんどかったろうな、と思う。

 植田さんは書き手としてもたぐいまれな能力を持ち、いい仕事をたくさんされた。雑誌づくりではかなわかったが、私も物書きとして、その領域を目指して頑張っていきたい。植田さん、おつかれさまでした。(宮沢洋)

初めて一緒に仕事をしたときに、私が絵を描くことをすごく褒めてくださったので、仕事のお礼に似顔絵のハンコをつくってお贈りした。これはそのときの原画