藤森照信先生と私(宮沢洋)の共著『画文でわかる モダニズム建築とは何か』が彰国社から5月10日に発刊になった。この本は、藤森先生の著作『人類と建築の歴史』の一部を宮沢がイラスト化したもので、巻末に「補講2」として、藤森先生へのインタビュー「『神は死んだ』からの『原点ゼロ』を収録している。
実はそのインタビュー、盛り上がり過ぎて全体の半分しか載せることができなかった。あまりにもったいないので、残り半分を本サイトで3回に分けて掲載することにした。許可をいただいた藤森先生と彰国社に感謝。(書籍の詳細は彰国社サイトを)
(以下、原作の『人類と建築の歴史』(筑摩書房)に、ル・コルビュジエが出てこないのはなぜか、という話の続き)
宮沢:私が建築史を学んでいないからかもしれませんが、日本では、モダニズムの先駆者はコルビュジエだというイメージがあるように思います。「バウハウスがすごい」「グロピウスがすごい」と言う人はそんなにいないような……。
藤森:日本にもバウハウスの影響を受けた建築家はいっぱいいますよ。もう全員受けている、と言ってもいいくらい。バウハウスの最も美しい例で言うと山田守です。世界的にも、あれだけの完成度のものはないと思う。「逓信病院」なんて今思い出しても、あれだけのバウハウスはない。
宮沢:屋外スロープとか、バルコニーとかですね。
藤森:そう、バルコニーの先端まで白タイルを貼っている。でも、丹下(健三)さんはそれを学生時代、「衛生陶器」って言ったんだよ。すごい人だよね。あんなもの便器と同じだろって。
宮沢:それは、バウハウスを乗り越えるぞ、っていう意気込みなんですか。
藤森:そう、もうはっきりと。その宣言として書いたのが、「ミケランジェロ頌」なんですよ。
宮沢:丹下さんの有名な文章ですね。(注:「ミケランジェロ頌」の「頌(しょう)」は「たたえる」の意味)
藤森:丹下さんに聞いたんです。あの文章について。あれは謎の文章で、読むと丹下さんが全身全霊で書いたのがひしひしと伝わってくる。だけど、何を言いたいのかわからない。これはね、意外にも磯崎さんもそうだったと言っていた。磯崎さんも「あれはすごい文章だと思うけれど、いったい何を言いたいんだろうね」って。
宮沢:分からなくて普通なんですね。安心します。
若き丹下健三にとってバウハウスは「死の幾何学」?
藤森:僕もずっとわからなかったけど、あるとき気づいた。気づいてみれば簡単なことで、あれはミケランジェロとルネッサンスのブルネレスキ(ルネサンス初期の建築家)を並置しているんです。そして、ミケランジェロはコルビュジエ、そしてブルネレスキはバウハウスなわけ。
ミケランジェロを「力動的に生きた世界、造形」と言い、ブルネレスキのことを「死の幾何学」って言ってる。凍結した幾何学、死んだ幾何学。そのブルネレスキに、グロピウスを重ねているわけ。でも、重ねてるんだけど、そうは書かない。そこに私は気づいた。それに気づくと、ああ、なんだわかりやすいことだと。
宮沢:そういう内容なんですか。その図式を知ると、今からでも読みたくなります。ところで先ほど、「丹下さんに、あの文章について聞いた」って言いかけましたよね。何を聞いたんですか。
藤森:そうそう。それで丹下さんに聞いたんだ。「生涯グロピウスの悪口を言わなかったのはなぜですか」って。だって白タイルを便器だって言ってるのよ。だけどグロピウスの名前を出して悪口を言うことは絶対になかった。
日本では「ミケランジェロ頌」を載せたのは、グロピウスのバウハウスを念頭に置いてつくられた日本工作文化連盟の機関誌なんです。日本工作文化連盟っていうのは、グロピウスのバウハウスを念頭に置くことが最初からうたわれているの。丹下さんはそこの正会員ではなくて準員だった。準員で会誌の編集をやってた。だからよく知っているんです。堀口さんや山田さんたちがグロピウスに心酔しているってことを。そこではそういうことは言えない。戦後も、お世話になったから言えません。だから丹下さんのどんなものを読んでも、自分からグロピウス批判は書いてない。堀口さんたちにお世話になりましたから。丹下さんって本当に昔気質の人でした。
「死の幾何学」と評したグロピウスが世界への扉を開く
宮沢:恩義のある人は悪く言わないと。丹下さんはグロピウスには直接会っていないのですか。
藤森:いや、何度も会ってます。会っているどころか、丹下さんが世界へデビューしたのは、グロピウスたちがつくったCIAM(近代建築国際会議)でしょ。CIAMのロンドン大会に呼ばれるわけ。前川さんが丹下さんを連れていくの。そのCIAMロンドン大会のテーマが「都市のコア」というテーマだった。前川さんはどうも自分に発表するものはないなと。じゃあ丹下の広島計画がちょうど都市全体とセンターだからって丹下さんを連れていく。そこで丹下さんは初めてコルビュジエやグロピウスと会う。そこで発表するわけですよ。
宮沢:どういう反応だったんですか。
藤森:発表したあと、コルビュジエがなんか言ったらしいのよ。だけどフランス語で言ったみたいで、丹下さんはなんて言ったかわからなかった。宿舎に帰って前川さんに「コルビュジエ先生はなんて言いましたか?」って聞いたら、「なかなか良い」って言ったって。グロピウスの方も「日本に丹下あり」ってわかった。いい案だからね。それでグロピウスが日本に来るときはもちろん丹下さんにも会う、っていう関係になるんですね。
(藤森式解説02に続く)
(書籍の詳細は彰国社サイトを)