まち・建築・ビジネス、田中仁の建築ヒストリー09:JINS東京本社の移転――ビル全面改修を通し、果敢に挑戦することの大切さを教えてくれた髙濱史子氏

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若手建築家に設計を依頼する機会が多いJINSの田中仁氏。若手との協働を通して、自らも学ぼうとする姿勢はいまも変わらない。髙濱史子氏は、ジンズホールディングス東京本社の移転プロジェクトで容赦ないフィードバックの数々を果敢に乗り越え、その名を世に知らしめた。(ここまでBUNGA NET編集部)

「ジンズホールディングス東京本社」(東京・千代田区)2階の「原っぱ」。折り畳み式の200脚の「種ベンチ」を上げ下げすることで、オープンスペースやイベントスペース、会議室など多様な場になる髙濱史子小松智彦建築設計が設計を担当し、地上9階建てのビルを全面改修した(写真:太田拓実/Takumi Ota)

 前橋での活動が、少しずつ本格化してきた頃のことだ。

 JINSを始めた頃から本社として使っていた古い木造建物があった。二十数年がたち、近い将来の使い道も見えないまま、半ば放置していた建物だ。建設当時は水田ばかりの田舎だったその周辺も、いまではコストコやIKEA、カインズ、ベイシア、ユニクロ、そしてJINSの独立店舗が集積する「前橋南モール」となり、大きなにぎわいを生んでいた。

 地方の風景は、ある日突然変わるのではない。静かに、しかし確実に更新されていく。その変化のただ中で、建築が果たす役割は決して小さくない。私は、その一角を担うような建物をつくりたいと考え、新たに建物を建て直し、賃貸店舗として地域に開いた拠点を構想した。派手なランドマークではなく、時間とともに風景になじみながらも、確かに空気を変える存在を目指していた。

 どんな建築家にお願いするか。地元の建築家・小林幹郎さんに相談すると、最近会ったという、HdM(ヘルツォーク&ド・ムーロン)出身の女性建築家・髙濱史子さんを薦めてくれた。

 スイスに留学後、バーゼルのHdMに5年在籍していたと聞き、きっと実力のある人に違いないと直感した一方で、日本ではまだ無名に近いという点にも引かれた。前橋という街は、「めぶく。」というビジョンにもあるように、完成された建築家以上に、これから育っていく建築家と時間を共有できる余地がある場所だと思っていたからだ。

 小林さんはすぐに髙濱さんへ連絡を入れてくれ、後日、資料を持って概要を説明することになった。ただし、翌週から10日間スイスに行く予定があるとのことで、打ち合わせは帰国後。2015年3月20日のことだった。

 実際にお会いしたのは5月13日。スイスのチューリヒやバーゼルで8年も修行してきたというのに、初々しく、学生のようにも見えたのを覚えている。日本での実作はまだなく、建築としてはほぼ初めてのプロジェクトだったはずだ。

 今回は貸店舗だ。カフェや美容院、花屋、ケーキ屋など、何が入っても成立する「小屋」であること。そして地域にとってスパイスとなるオープンで華やかな建築を求めた。用途が定まらない建築ほど、設計者の思想があらわになる。その点で、これは決して簡単な課題ではなかった。

「普通っぽくて、普通じゃない」建築に行き着く

 最初の提案は「Maebashi Shed」。ゴシック教会の交差ボールトを想起させる構造を空間表現とし、屏風のようにジグザグした壁から家形のボイドをくり抜き、アーチ状の門形壁が連なる一室空間だった。建築としての強度は感じたが、正直に言えば、私のイメージとは少し違っていた。この場所に対して、やや過剰に思えたのだ。

JINSを始めた頃から本社として使っていた古い木造建物の建て替えプロジェクト「Maebashi Shed」で、髙濱氏が最初に提案した案(写真:髙濱史子小松智彦建築設計)

 ちょうどその頃、JINSの顧問として一緒に仕事をしていた藤本幸三さんの縁で、バーゼルのヴィトラ・キャンパスを訪れる機会があった。

 HdMやザハ・ハディド、フランク・ゲーリー、安藤忠雄、SANAA、レンゾ・ピアノ――など。そうそうたる建築が集まる「デザインと建築の聖地」。竣工したばかりのHdMによる「ヴィトラ・シャウデポ」を見て、強い感銘を受けた直後でもあった。そこにあったのは、派手な演出ではなく、抑制された形態の中に宿るすがすがしさだった。

 だからこそ、髙濱さんにはこう伝えた。「もっとベーシックで、でもどこかエッジの立った建築が好きだ」と。

 次に示された提案は、切妻屋根のシンプルな小屋だった。しかし、明らかに“普通ではない”。台形の敷地にスクエアなハウス形ボリュームを置き、道路側を切断して屋根を残すことで、透明性と陰影をつくる。トップライトから自然光が奥へと流れ、内外の活動が静かにつながっていく。形は素直だが、敷地条件や使われ方への解釈が、空間の隅々にまで行き届いていた。

「Maebashi Shed2」の提案(写真:髙濱史子小松智彦建築設計)

 実作を見てもらえればわかるが、普通っぽくて、普通じゃない。自分の好みが、きちんと形になっていた。建築家と発注者の間で、言葉にならない感覚が共有された瞬間だった。迷わずOKを出した。

 テナントには、友人の村瀬隆明さんが手がける和菓子店「なか又」の工場兼店舗「Nakamata Laboratory Store」が入り、内装まで一貫してお願いした。建築と内装が分断されることなく、一つの思想として立ち上がったことで、より髙濱史子を表すものになった。

「Maebashi Shed2」の完成写真(写真:太田拓実/Takumi Ota)
「Maebashi Shed2」の中に、新たにテナントとして入居する「なか又」のために設計した「Nakamata Laboratory Store」(写真:濱田英明/Hideaki Hamada)

世界的なプロダクトデザイナーも満足の共同設計

 こうした前橋でのプロジェクトを通じて、髙濱さんの建築は、徐々に「つくる」段階から「場を編む」段階へと移行していったように思う。その象徴的な出来事の一つが、前橋プロジェクトにおけるジャスパー・モリソンとの協業だった。

 前橋の公共空間(馬場川通り)に設ける公衆トイレの設計において、世界的なプロダクトデザイナーであるジャスパー・モリソンと髙濱さんが協働する機会が生まれた。公衆トイレという極めて日常的で、かつ誰にとっても公平であるべき建築において、過剰なデザインは意味を持たない。求められるのは、使われ続けること、風景に溶け込むこと、そして長く愛されることだ。

 髙濱さんは、その難しい条件に対して、ジャスパーと共に驚くほど抑制された、しかし芯のある建築を提示した。完成後、ジャスパー本人からも「とても良い」と率直な評価を聞いている。それは、造形の新しさではなく、態度としてのデザインがきちんと伝わった証だったのだと思う。

前橋市内の「馬場川通りアーバンデザインプロジェクト」の一環として2024年に完成した公衆トイレ。ジャスパー・モリソン氏がデザインを担当、髙濱氏らはローカルアーキテクトとして設計に関わった(写真:木暮伸也/Shinya Kigure)
馬場川通りの公衆トイレからも近い場所に立つ「Maebashi Brick Warehouse」。当初はとんかつ屋のために設計した(写真:木暮伸也/Shinya Kigure)
Maebashi Brick Warehouseの壁面を見る(写真:木暮伸也/Shinya Kigure)

 話は前後するが、その前に依頼したのが、前橋市中央アーケード通りに面した店舗物件だ。中村竜治さん、長坂常さんの建築に隣接する場所で、当初はとんかつ「カツカミ」のために設計したが、現在は海鮮「つじ半」、もんじゃ焼き「てっぱん」が入居している。ここでも、シンプルでありながら確かな個性を持つ建築が生まれた。用途を縛らず、変化を受け止め続ける器としての建築だった。

容赦のないフィードバックを乗り越え大きく成長

 その後もJINSの店舗設計で、髙濱さんの力量は存分に発揮された。

 なかでも印象深いのが、米ロサンゼルス(LA)・アボットキニー店だ。LA屈指の高感度ストリートに日本ブランドが出店するのは簡単ではないが、JINSのブランドだけでなく、前橋での白井屋ホテルなどの活動を評価してくれたオーナーから白羽の矢が立った。

 既存建築を生かしつつ、茶室のような日本建築の哲学を挿入する。什器のスケールや高さを抑え、上部空間を白で抽象化することで空間の重心を下げる。素材はレンガや木、左官、玉石研ぎに絞り、テクスチャーと色を丁寧に選ぶ。結果として、LAという文脈の中に、日本的な空間感覚が無理なく溶け込んだ。

JINSの米ロサンゼルス・アボットキニー店(写真:阿野太一/ DAICI ANO)
アボットキニー店のファサード(写真:阿野太一/ DAICI ANO)
アボットキニー店の平面図(資料:髙濱史子小松智彦建築設計)

 そして最大の仕事が、JINS神田オフィス(東京本社)のリノベーションだった。約1000坪、再開発で取り壊される運命のビルを、期間限定で使う計画で、予算は2億円。当初依頼する予定だった建築家には断られてしまった。ダメ元で髙濱さんに声をかけると、「やります!」と即答だった。

 当然、1坪当たり20万円のコストでやりたいことができるはずもない。サウナだ、何だと話は膨らみ、困難は次々に立ちはだかった。その苦労を連載しているので興味のある方はぜひ読んでほしい(https://park.jins.com/series/hikkoshi/storyandchart/)。

 髙濱事務所には、途中から坂茂建築設計で修行していたパートナーの小松智彦さんも加わり、事務所は「髙濱史子小松智彦建築設計」となった。さらに、当時東京芸術大学教授で金沢21世紀美術館館長だった長谷川祐子さんもプロセスに関わり、厳しく、容赦のないフィードバックが続いた。

 苦しかったと思う。しかし、その環境が2人を大きく成長させたのも確かだ。最終的に、予算規模はかなり大きくなってしまったが、JINS神田オフィスは多くのメディアに取り上げられ、2人の名前を世に知らしめる仕事となった。

「ジンズホールディングス東京本社」の吹き抜け。将来的に取り壊しが予定されている地上9階建てのビルを一棟借りし、「壊しながら、つくる」「美術館×オフィス」というコンセプトを基に全面改修した(写真:太田拓実/Takumi Ota)

 振り返ると、自分自身も同じことを学んできた気がする。損得ではなく、機会から逃げず、果敢に挑戦すること。初心を忘れず、精進し続けること。

 髙濱史子さんとの仕事は、建築が人を育て、人が建築を育てるという、当たり前でいて難しい真実を、教えてくれたように思う。(田中仁)

※次回は2026年2月半ばに掲載予定

田中仁(たなか・ひとし):株式会社ジンズホールディングス代表取締役会長CEO、一般財団法人田中仁財団代表理事。1963年群馬県生まれ。1988年有限会社ジェイアイエヌ(現:株式会社ジンズホールディングス)を設立し、2001年アイウエア事業「JINS」を開始。2014年群馬県の地域活性化支援のため「田中仁財団」を設立し、起業家支援プロジェクト「群馬イノベーションアワード」「群馬イノベーションスクール」を開始。同時に衰退していた地方都市・前橋のまちづくりに取り組み、2020年白井屋ホテルを開業し、現在も奮闘している(イラスト:宮沢洋)