内藤廣連載「赤鬼・青鬼の建築真相究明」第8回:「世界の裂け目」パート1──大谷に勝る衝撃の体験

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今回はまずこの写真から。内藤さんが今年9月にある場所に見に行ったこれ。えっ、CGっじゃなくて、リアル?? この体験から今回のテーマは「裂け目」になったようです。(ここまでBUNGA NET編集部)

これが何なのかは、記事の中盤以降で(写真:内藤廣建築設計事務所、以下も)

なんか息苦しー

[赤] まったくやんなるよな。世界を見渡すと戦争ばかり。

[青] ウクライナにしてもガザにしても。

[赤] 近くには露骨に戦争が大好きな国がいるし、やけに図体のでかいジャイアンみたいな国もいるし、一体どうなっちゃうんだろうねー。

[青] なーんて言ったって、ニュースやワイドショーで取り上げられて、その時は関心を持っても瞬く間に普通のことになっちゃうんだよね。これが「恒常性バイアス」。人が無意識のうちに備えた自己防衛本能なのかな。

[赤] 若い頃、頻繁に報道されてたベトナム戦争もそうだったな。ナパーム弾で大火傷をした子供が写っているようなひどい映像がテレビで流されてるのを見ながら、結局はみんな晩飯を食ってたんだからねー。

[青] これが人の性分なのかなー。そうしないと精神のバランスが取れない。リアルに向き合ったら今日を生きていけない。

[赤] 考えてみれば、三陸もそうだったよなー。理解できるまでしばらくは不思議だった。みんな元気なんだよね。

[青] あまりに辛いことが起きると、それを意識の外に置いておかないと今日を生きれないんだよ。家族の誰かが被災して亡くなったことを忘れるようにしなきゃ生きていけない。当然のことだよ。

[赤] それが人間の強さでもあるのかなー。

[青] 防潮堤と嵩上げなんかで防げるはずがない。みんなそれは感覚的にわかっているんだよ。でも、表向きはそれで納得して忘れようとする。それしかやりようがないんだから。そう思うと辛い。

[赤] 忘れることで明日を生きようするんだね。

[青] でもその本能、悪く作用すると世の中の無関心ってことになる。島国の閉鎖性の中では特にね。

[赤] 息苦しさの元はそこかー。

我が敵、恒常性バイアス

[青] ジム・キャリーが主演した「トゥルーマン・ショー」って映画があったよね。

[赤] 小さな町のごく平凡なサラリーマンの主人公。でも実は街全体がドーム状のセットで、主人公の暮らしは実は全てテレビで全国に放映されて人気番組になっている、って話。最後は脱出するんだけどね。

[青] ひどい話なんだけどね。でも、我が身に引き付けて考えてみると、ある意味でリアルなんだな。

[赤] あれはテレビメディアの虚構性を強烈に皮肉った映画だけど、そのまま現代社会に当てはめることもできるけど、なんか身の回りがホントにそんな感じになってきたのがこわい。

[青] まさにあの虚構性こそが今の日本なんだよ。今やテレビだけじゃなくてネットメディアだからな。それにフェイクが加わり、AIが加わり、虚構性の深度が増した。何が本当だか分からなくなりつつあるよね。

[赤] あの映画で描かれた虚構性が、映像メディアによってさらに完璧なものになりつつあるのかもしれない。そう考えるとおそろしい。オレたち封じ込められて、ますます出る幕はなくなるねー。

[青] でも現実には、そのうち南海トラフ地震か首都直下地震か、はたまた富士山噴火か、荒川の決壊か、何が起きてくるかわかんないんだからな。それをリアルに受け止められないってのは危機だよな。

[赤] それを邪魔しているのが「恒常性バイアス」ってことになる。

[青] こんなこと言って危機を煽るのは嫌だけどね。

[赤] 言えば言うほど童話のオオカミ少年になっちゃう感じがするしな。

[青] それに、言うだけ言っておけば、だから言っただろ、って事後の責任回避も付録についてるんだから仕末におえない。そう見られるのも嫌だしね。それが「恒常性バイアス」のねじれた変形なんだよ。

[赤] いざ起きたら、こっちは歳食ってきてるし、とても受け止めきれないね。

[青] まあ、そうなったらなったで、なんかエネルギーが出てくるかもよ。

[赤] だといいんだけどねー。

[吉阪隆正] 迷路に入らないためには、そうなったらなったで、自分の身の安全も必要だけど、近くにいる人の命を一人でも多く救う、って覚悟を持っていればいいんだよ。

[赤] 覚悟、常在戦場の心得ですか。たいそうなことを言うより、その方がまともな気がしますね。

[青] ともかくオレたち鬼にとっては、「恒常性バイアス」には要注意、ってことだよ。

建築の話をしろ !!!

[赤] なんか、なかなか建築の話にならないんだけど。

[青] いつものことじゃないか。

[赤] いろいろ考えると、建築こそは「恒常性バイアス」の権化みたいなもんじゃないの、って気がしてくる。

[青] 当たり前だろ、建築は日常の暮らしを作るんだから。昔から、住めば都、って言うじゃないか。

[赤] どんなところでも、住んでしばらくすればそこが一番居心地のいい場所になっちゃう。あれは「恒常性バイアス」のことかー。

[青] 違和感のあるうちはオレたちの出番があるけど、時間が経つと共にそれは消えていくんだよ。

[赤] そうなると、オレたちの敵である「恒常性バイアス」がじわじわと領土を広げていくんだね。それを建築が回避するためにはどうしたらいいんだろう。

[中川幸夫] 破壊することだね、あらゆる常識を。破って見せることだよ。破れば見えるものがある。花をいけることは、日常を破壊することなんだから。キミたちに宮沢賢治の言葉を献辞したろ。あれは激励したつもりだったんだから。

※中川幸夫:日本の前衛いけばな作家。1918~2012年

[青] 「詩は裸身にして 理論の至り得ぬ堺を探り来る そのこと決死のわざなり」

[赤] 生涯の宝物です。やっぱりいいですねー。まさにその通りです。表現ってのは、こうでなくちゃー。

[中川] 花は刹那、建築とは対照的だね。まずは、キミたちの仲間である「時間」を味方に付けることかな。

[赤] 昔、時間ですよー、ってドラマがあったな。

[青] それとはちょっと違う気がする。

[中川] ふざけてると、あっという間に人生の時間を使い切っちゃうぞ。

「地の裂け目」と「天の裂け目」

[赤] やっぱり裂け目だよ、裂け目。「恒常性バイアス」に裂け目を入れなきゃ。

[青] いやいや、裂け目はすでにあるんだよ、おっきな裂け目がいくつも。ガザやウクライナはもちろんだけど、9.11みたいなテロ、3.11みたいな大災害、環境問題、飢餓や伝染病、いくらでもある。哀れな生命圏のあちこちに裂け目ができているじゃないか。

[赤] イメージとしては「地の裂け目」だな。  

[青] わかりやすい。問題を単純化し過ぎている気もするけど。

[赤] でも、裂け目なんて色々あるよね。

[青] 「心の裂け目」だってある。失恋や親しい人の死。

[赤] その裂け目から人の心が変わることだってあるしな。

[青] あるある、そこから詩や歌や創造物が生まれる。それが文化って言ってもいいよね。裂け目から新しい文化が飛び出してくるんだ。

[赤] オレたち、いろいろな裂け目を見ないようにして生きているわけだけど、その意味でモノ造りとして目を逸らしちゃいけない裂け目もあるよね。

[青] 「地の裂け目」から目を離しちゃいけないのはもちろんだけど、実際どうなるものでもないし、そこに行くわけにもいかないからなー。

[赤] それに対して、「天の裂け目」ってのがある、ってのはどうだ。

[青] なにそれ。

[赤] イノベーションだよ。技術的な進化はその時代の社会に必ず大きな裂け目を作る。

[青] H.G.ウェルズも言っていたよね。鉄道の発明が大きな大陸国家の成立を可能にした、って。

[赤] たしかにシベリア鉄道がロシアを、大陸横断鉄道がアメリカを。わかりやすいね。

[青] でも、そこから百年以上、自動車、飛行機、無線通信、ケミカル、原子力、映画、テレビ、コンピューター、バイオ、そしてAI。

[赤] 新しいテクノロジーは、常に既存の社会に裂け目を作り続けてきたよね。

[青] そう、その裂け目をどう社会化するのか、ってのを繰り返してきた。社会化して辻褄を合わせる。

[赤] 建築はそれに常に加担してきた、いい意味でも悪い意味でも。だから所詮は全部が後追いなんだよなー。裂け目にツギを当てたり縫い合わせたり。社会化ってのは、人間社会の仕組みの中に取り込む、ってことだからね。

[青] その時代の先端のイノベーションは、少し間をおいて汎用技術として建築に降ってくる。曲面ガラスは航空機、冷房空調は潜水艦、数え上げればたくさんあるよ。建築やってる奴らは、目新しいものを最先端と思い込んで使っているけど、実はその意味では最後尾のことも多いんだけど。

[赤] 渡辺邦夫さんから聞いたんだけど、横浜の新港ふ頭客船ターミナルの折版の鋼板の面をトラスに固定しているヒルティ鋲、軍事技術らしい。

[渡辺邦夫] あの技術の特許はスイス人が持っていて許可が必要だった。すごい技術で、鉄板を打ち抜く時に摩擦熱で鉄同士が溶けて溶着する、ってもんだった。

[青] 戦車のぶ厚い鋼板を撃ち抜く徹甲弾の技術らしいですよね。

[渡辺] そんなもん、探せばいくらでもあるよ、きっと。みんな知らないだけなんだよ、コンピューターだってインターネットだって軍事技術がルーツなんだから。

[赤] 考えてみれば、イノベーションが生み出す「天の裂け目」はいろいろあるなー。原発、AI、デジタル革命。みんないつもは見ないようにしているだけだね。

[青] このあいだ高校の同窓会で会った同級生、極超低温の研究をやってきたらしいんだけど、量子コンピューターにはどうしても必要な技術らしい。

[赤] すごい話だったね。

[青] 絶対零度、マイナス273度に冷やすんだけど、新しい技術が出てきたらしくて、それは原子の周りを回る電子に極小のレーザーを当てて電子の動きを止めるとそんなにムキになって冷やさなくても絶対零度と同じことが現出するらしい。

[赤] ホントかね、って思ったけど、電子が止まるってことは絶対零度と同じようになる、って聞いて、理解できないことってあるんだなー、ってつくづく思った。

[青] これだって先端技術が作り出す裂け目だよ。なにより、量子コンピューターになれば処理速度が5億倍とかって話だろ。想像できない。彼の話だと2040年くらいかなー、なんて言ってた。

[赤] それに支えられたAIがどれくらい賢いかなんて、さらに想像できない。

[青] 埋めようのない裂け目だね。

[赤] AIの中にも青鬼と赤鬼がいるのかな。

[青] たぶん、そんな中途半端なものはいないんじゃないの。±0の世界だよ。

美大は裂け目だらけ

[青] 美大に行くようになって、デザインとアートのカルチャーの違いを身近で見るようになった。

[赤] アートは裂け目だらけで、それを表現しようとする。一方で、デザインには裂け目がない。言い方を変えれば、デザインは裂け目を補修しようとする。アートは裂け目を広げようとする。ベクトルが違うんだね。

[青] デザインに裂け目があったら暮らしの中に入っていけないからな。だから、デザインは常に裂け目を修復しようとする。言い方を変えれば、裂け目を閉じようとする方向にしかベクトルが働かない。

[赤] でもデザイナーだって裂け目が見えなきゃ自分の能力を本当の意味で発揮できないはずだよ。

[青] だから優れたデザイナーは必ず裂け目を見つける能力の高い人だよね。

[赤] デザインが完璧に機能すると、たとえどんなに裂け目があろうと見た目では分からなくなる、っていう致命的な欠点があるよね。

[青] どんなに酷い性能の製品であろうと、デザインがよければ売れてしまう、っていう矛盾。売れるものが正義、っていうのが資本主義時代の商品の宿命だからな。

[赤] そうなると、大きなマーケットである大衆、それを洗脳するのが手っ取り早い方法になる。

[青] そうやって、マスメディアでマスマーケットを作って、マスプロダクトで売りまくる。デザインはこの装置がうまく回転する潤滑油みたいなもんなんだね。

[赤] 考えてみれば、テレビの画面には裂け目がないんだね。

[青] 時間制限の中で、それらしい話をまとめなきゃならないからだよ。人は嫌なものは見ないから、短い時間で見て納得するようなものを垂れ流す。

[赤] チャンネルを切り替えられたらゲームセットだからね。

[青] プログラム全体が予定調和。それしか前提がないんだよ。いわば、デザインされている。裂け目があっても、それをなんとか恒常性バイアスの中でまとめようとする。

[赤] 商品だって同じ。嫌なら買わなきゃいいんだから。だから買わせるようなものに変化していく。

[青] ウォークマンが出現した時のような、ものすごく性能が革新的な場合は別だけどな。

[赤] 街に音楽を持ち出す、ってすごいコンセプトだったねー。デザイナーは黒木靖夫さん。

[青] プリウスが出てきた時もそうだった。たしか売り文句は、21世紀に間に合いました、だったかな。大きなバッテリーを置かなきゃならないんで、重量バランスが変わって、それまでのクルマとまったく違うデザインになった。

[赤] 素晴らしいね。こういうのを本当の新しさ、っていうんだね。

[青] グローバル化とか言われて、コンプライアンスなんて妙な言葉が出てきて、日本製品はダメになったしデザインもダメになったな。

[赤] 今の日本のデザインは元気がないね。

[青] グッドデザイン賞の審査委員長をやったり、今はこれを主催するJDPの会長をやっているから、この二十年間の負け戦のあらかたを見ているけど。

[赤] 情けないね。

[青] たぶん、勢いがなくなったのは、未知のものに挑戦する経営者がいなくなったからだね。

[赤] みんなサラリーマン社長だからしょうがないよ。

[青] でもそうなると、株主総会で説明責任をうまくやる人がトップになる。だから未知のものに挑戦する、失敗するかもしれない技術開発にカネをかける、なんてことはできなくなってくるんだよね。

[赤] それに対してアートは、裂け目を作ろうとする。扱うものが、心であれ、人間であれ、社会であれ、環境であれ、裂け目を見つけ出してほじくり返そうとする。

[青] 場合によっては裂け目を広げようとすらする。

Art meets Design から Design meets Artの時代へ

[赤] まちがってるかもしれないけれど、思い切っていうと、かつてはアートがデザインの中にネタを探していた。ウォーホールもそうだしリキテンシュタインもそう。キッチュなサブカルをネタにしてアート界に切り込みをかけたんだね。

[青] 最近では村上隆。アニメをオブジェ化したり。つまりアートがデザインを発見した、ってわけだ。でも、これからは逆、行き詰まっているデザインがアートを初剣する時代がきているんじゃないかな、って気がしている。

[赤] 横尾忠則さんはデザイナーからアーティストになっちやったしね。

[青] オレたちの友人のサイトウマコトもアーティスト宣言して今やすっかり絵描きだからね。

[赤] デザインでは追いきれないものをアートの中に求めてるのかな。

[青] よくわからないけど、、、たぶん。

[赤] そう考えると、その狭間で、建築がデザインに寄っていけば、本質的な価値を見えにくくするし、裂け目を閉じる方向へ向かう。アートに寄れば裂け目だらけということが見えてくるはずだけど現実は破綻する、ってことになるんだね。

[青] この矛盾をなんとか解かなきゃ。グダグダ悩んでいるより、いっそ裂け目に堕ちてみるか。

[赤] うーん、恋に堕ちる、みたいな感じかなー。あれも裂け目だよね。

[青] ちょっと違う気もするけど。

[赤] これまで見てきた裂け目、いくつもあったよなー。

[青] 裂け目に向き合うと、吸い込まれるような気持ちになることがある。

[赤] 吸い込まれないでこちらに留まると、裂け目は見えなくなる。でも、裂け目は手術の跡みたいに残るんだね。

[青] 頭の中でいくらでも思い出すことができる。

[赤] 裂け目を心の中に刻んできて、それがオレたちのルーツになったんだよね、きっと。

[青] やっぱり、行き着くところは坂口安吾かなー。

[赤] 意味わかんねー。

[青] 奈落の底、世間的な常識の裂け目の向こう側、堕ちるところまで堕ちなきゃ、本当のところは見えてこないってことだよ。

新しい空

[青] っていうところで、行ってきたばかりのラスベガスの話をしようぜ。

[赤] コンペには負けてばかりだし、ヤケクソになって札束を掴んで一発逆転をもくろんだ、ってことじゃないよね。

[青] それを言っとかないと誤解されるからなー。アイツもいよいよラスベガスかー、なんてね。

[赤] イノベーションの最先端がどんな裂け目を作っているのか、どうしても見ておきたかったんだよな。

[青] あのインパクト、印象が薄くならないうちに喋っちゃっといたほうがいいかもね。

[赤] ともかくすごかった、大谷翔平。

[青] 話が違うだろ。ロスに一泊したときドジャースタジアムの券が手に入ったんで見にいったけど。試合は負けたけどね。大谷のライト線の二塁打、打球速度がとんでもなく速かった。

[赤] パドレス戦、盛り上がりが凄かった、って話じゃないよね、ここで話すのは。

[青] ラスベガスの「Sphere」を見にいったことを話さなきゃ。

※「Sphere」→https://www.thesphere.com/shows/the-sphere-experience

[赤] 世界の裂け目。戦争や大災害が「地の裂け目」だとしたら、テクノロジーが作りだすのが「天の裂け目」、って勝手に思って裂け目を見に行くことにした。

[青] 「地の裂け目」を見に行くわけにはいかないからな。「天の裂け目」をどうしても見たかった。

改めて「Sphere」。ラスベガスの街中から少し外れたところに突如現れる巨大な球体。これぞ世界の裂け目!

[赤] やっぱり凄かった。

[青] オレたちの感覚に変容を迫るようなものだったな。

[赤] まずは外観。直径約150mのフラードームの全面が120万個のLEDで埋め尽くされている。そこに映し出される映像が時々刻々変化する。

[青] 千変万化。ともかく異様に目立つんだよ。目立つことが好きなラスベガスの他の建物なんか、まるでおとなしく見えた。ロバート・ベンチューリがラスベガスを取り上げて言ってたことなんて、すべて一瞬で吹き飛ぶような光景だったな。

[赤] 建物一つで他の全部の意味を無効にしまうような感覚があったね。

[青] 建築の姿形なんてまるでない。そこにあるのは東京ドームより巨大な光る映像の球体があるだけ。まずこれにショックを受けた。

Sphere 近景。24時間休みなく、次から次へと映像が入れ替わる

[赤] 外の球体の映像もすごいけど、後から考えるとそれは予告編みたいな感じだね。中の空間の衝撃の方がすごい。

[青] バーチャルとリアルの境目が取り払われた、って感じがする。

[赤] ロビーを抜けて劇場に入ると、不思議なことに外に出たような気分になる。こんな感覚は初めて。

[青] これまでの仮想現実は、VRはゴーグルを装着するから、どんなに上手くできていても所詮は視覚的な疑似体験に過ぎない。だから、建築っていうリアルな体験や身体感覚の領域を侵される、って危機感はなかった。

[赤] 建築やその内部の空間が生み出す体験は揺るがない、って呑気に思っていた。でもSphereから受けるものは、それとは全く異なる体験。

[青] リアルなんだよな。東京ドームくらいの天井が全部16KのLEDでできている。超リアルな画像。それがさまざまな映像に変化していく。

[赤] 8Kになれば人の目ではLED粒子の細かさが識別できない、って言われているけど、それをさらに16K、説明を受けたけどホントかね、と思った。

[青] でも、想像を超えていたね。あれを動かすには、スーパーコンピューター並の処理装置が裏にいるはずだね。

[赤] Sphereから帰ってきて、空の見え方が変わってしまったなー。空を見上げても、それがいきなり違う画像に切り替わるかもしれない、っていう不思議な感覚が抜けきれないんだよ。

[青] トゥルーマン・ショーのカキワリの青い空、あのジョークたっぷりの映画の空が現実になっちゃったのかもしれない。

[赤] ジョークがリアルになるっておそろしいことだよ。笑えない。

[青] ラスベガスでもカジノなんかの天井に青空と雲が描かれていて、それが良くできていて、なんとなく外っぽい演出がなされているけど、それはそれでレトロで悪くはないんだけど、あれはあくまでもわかりやすい演出で、嘘を嘘とわかって楽しんでるところがカワイイ。

[赤] でもSphereはまるでちがったよね。あそこまでいくと怖さがある。

[青] ともかく新しい現実感覚。あの感じはその場に身を置いてみないとわからないな。

[赤] ひょっとしたら、これが建築って価値をすべて無効にするかもしれない、っていう裂け目を見たような気がする。

[青] あきらかに、建築っていう恒常性バイアスの裂け目の一つを目撃したね。

[赤] 建築が作り出すリアルな物質でできた空間感覚、それを自由に操作できるかもしれないと思うと背筋がゾクってするよね。

[青] 唯一問題があるとしたら、映し出された映像はどれも人間が体験として知っているものをベースにしているっていうこと、つまり過去を参照にしている、ってことかな。

[赤] デモンストレーションで見た「Postcard from Earth」という映像作品もすごかったけど、最後に近未来の他の惑星に連れて行かれた時、まったく見たことのない風景のCG、これだけは説得力がなかったねー。つまり、体験や過去を参照できない世界だから。よくできたSF映画の場面にしか見えなかった。

[青] 過去を参照にするしかない、ってことは今のAIと似た状況が生まれているのが面白いね。ここまでくると、記憶とは何か、脳とは何か、人間とは何か、って話になってくるよね。

[赤] そして、生身の人間を支える装置としての建築とは何か、ってことにも繋がらざるをえない。人の身体と建築、ってことかな。

[青] 当然そうだよ。この裂け目を見て見ぬふりをしたら、次の建築なんて論じられるはずもないよ。

[赤] やっぱり、その裂け目からどういうわけか近未来からの風が吹き込んでくるんだよなー、脳みそに。

[青] 建築の新しい価値をどこに求めるのか、って真剣に思ったな。

[赤] 建築の真の価値は、この裂け目の向こうにあるんだよ、きっと。

※「Postcard from Earth」→https://www.theboxfilms.com/works/postcard-from-earth.html

Sphere内部。ライブ会場の背景として映し出された渓谷の風景。実際に肉眼で見ると、空は限りなくリアルな奥行きがある。

救いはここにあるの「KA」も

[青] Sphereはある意味で、人間の限界と可能性と絶望を見せつけられたわけだけど、同じくラスベガスでやっていたシルク・ドゥ・ソレイユの「KA」を見たけど、あれは人間の身体性の極を見た感じがしたね。

※KA→https://www.cirquedusoleil.com/ka

[赤] まるで反対側、ひょっとしたらあれが救いかも。

[青] もう何年もやっている完成度の高い舞台だとは聞いていたけど、これも想像を上回る代物だったなー。それにしても凄い舞台装置だった。

[赤] 演じた人間の身体能力も尋常じゃなかった。

[青] まずは舞台装置。通常の劇場のフライタワーは30mくらいだけど、多分それの倍くらいはあるんじゃないかな。それと奈落、これもたぶんとんでもなく深い。よくわかんないけど20mくらいはあるんじゃないかな。

[赤] 要するに高さ70m~80mの吹き抜けのボイドがあって、その中間にそれを見る劇場の客席がちょこっとくっついているみたいな感じ。

[青] Sphereもそうだけど、よくあんなものにカネを出す人がいるもんだねー。誰も見たことがないものにカネを出す精神。アメリカの可能性を見た気がする。

[赤] ヤバいねー、日本。大谷や山本で喜んでいる場合じゃない。

[青] 客席より舞台裏の方が数倍大きな空間、これには驚いたね。それも舞台裏は工場みたいな上下に動く巨大なクレーンみたいな装置になっていて、それが舞台を動かす。

[赤] つまり、舞台は巨大なボイドの空中に浮いている板みたいになっていて、それが自在に動くんだよね。斜めになったり垂直に近い角度にまでなる。

[青] この巨大な装置を使いまくって舞台が展開される。見たことのない舞台。ここを躍動する俳優も身体能力の限界に挑戦しているのがよくわかる。

[赤] 舞台機構と身体が戦っているような感じがした。驚きの連続だったよねー。

[青] 多分、江戸時代の歌舞伎なんて、見た人の驚きはこんな感じだったんじゃないかなー。あれもエンタメの極致だからな。稚拙な小屋で宙乗りなんて危ないことを命懸けでやってたんだからな。

[赤] Sphereの繰り広げる可能性に対して、やっぱり対抗できるのはリアルな身体性かなー。

[青] Sphereは虚構の境界線が取っ払われる感じがあった。KAの方は、舞台が虚構の世界であることを露わにした上で、身体性を使って虚構の向こう側にあるリアルを浮かび上がらせることに成功していた。

[赤] どっちも裂け目だねー。頭をカチ割られた感じがしたよ。

舞台はもともと裂け目づくり

[青] 舞台って元々そう言うものだったんじゃないか。学生の頃、大枚はたいて見に行ったピーター・ブルック演出のシェークスピアの「真夏の夜の夢」。

[赤] 舞台にハの字に少し大きな白い箱が置かれているだけ。初めは、なんだこりゃ、って感じだったよね。

[青] その箱を人が出たり入ったりする。俳優が何役もやっていて、役割がない時は箱の上で暇を潰している。

[赤] つまり、演じていることの異化、舞台と客席の反転が起きているんだね。話自体もそうなっていて、確かに演じる側と客として見る側がいるんだけど、最後には見ているんだか見られているんだか分からなくなる。

[青] 現実が舞台という虚構の世界に反転したかのような衝撃があった。

[赤] 1973年だったかな。もう半世紀も前のことになるよね。あろうことか、村野藤吾が設計した日生劇場。

[青] もっとも古典的なプロセニアム型の劇場。ガウディもどきの内部空間も記憶に残っているけど、舞台の演出が鮮烈すぎた。

[赤] でもあれ以上の舞台をあれ以来見たことないなー。

[青] あれも裂け目、忘れられない。外に出て、現実が丸ごとひっくり返った感じがしたのが忘れられないな。劇団の友達からチケットを買わされて、新劇をいくつか見てたけど、全然面白いと思わなかった。でも、舞台ってこんなことが可能なんだ、って思った。

[赤] 木下順二が書いた「子午線の祀り」、あれもすごかったなー。

[青] 観世寿夫が立ち上げた「冥の会」、すごかったねー。観世さんはもう他界していたけど。

[赤] 平家物語の壇ノ浦の合戦。潮の流れが変わって形勢が逆転して平家が滅びる。ナレーションがよくて、地球の地軸の話から始まるんだね。

[青] 地軸のズレが海を動かし、人の命運も変える、という無常感が全編に流れている。人という存在の小ささが見えてくる。

[赤] 脚本もよかったけど、あれは俳優と演出がよかった。

[青] 演出とナレーションが宇野重吉、山本安英、滝沢修、観世栄夫、野村万作、嵐圭史などなど、新劇、能、狂言、新国劇、オールスターの舞台。

[赤] 一人一人の台詞回しもよかったけど、群唱っていうのがインパクトがあった。

[青] それぞれ自分のテリトリーで発声方法が違うんだけど、肝心なところでそれが一つのセリフを同時に言う、その効果が絶大だった。

[赤] 舞台っていうのは、時たま奇跡が起こる場所でもあるんだね。

[青] 可能性のあるテリトリーだと思うんだけど、全体としては商業演劇に流れていて、奇跡はなかなか起こらないなー。

[青・赤] っていうわけで、もう一回、「裂け目」をやらせてください。いつも行き当たりばったりですみません、BUNGAさん。

内藤 廣(ないとう・ひろし):1950年横浜市生まれ。建築家。1974年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学院理工学研究科にて吉阪隆正に師事。修士課程修了後、フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て1981年、内藤廣建築設計事務所設立。2001年、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授、2002~11年、同大学教授、2007~09年、グッドデザイン賞審査委員長、2010~11年、東京大学副学長。2011年、東京大学名誉教授。2023年~多摩美術大学学長