美術館の名手、谷口吉生氏の覚醒──“出世作”資生堂アートハウスと“幻の美術館”から見えてくるもの

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 例年、年初の記事は「前年に読まれた記事ベスト10」と決めているのだが、年末に谷口吉生氏の訃報に接しながら、“まとめ記事”で逃げてしまったことがずっと引っかかっており、自分に喝を入れる意味で私なりの“谷口吉生論”を書いてみることにした。といっても、全貌を語るには時間がかかり過ぎるので、初期の2つの美術館から見えてくる特質について書きたい。

 その前にざっくりと「谷口吉生とは誰か」。改めて、訃報から──。

谷口吉生氏。2019年に撮影(写真:宮沢洋、以下も)

建築家の谷口吉生氏が2024年12月16日に死去した。日本のモダニズム建築の巨匠であった谷口吉郎(金沢市出身)の長男として1937年に東京で生まれ、慶応義塾大学工学部機械工学科を卒業後、米ハーバード大学で建築を学ぶ。帰国後は、東京大学の研究室や丹下健三・都市建築設計研究所で丹下健三に師事。独立後は「土門拳記念館」や「葛西臨海水族園」、「ニューヨーク近代美術館(MoMA)」増改築など、多数の文化施設を設計。「美術館の名手」とも呼ばれた。

 

代表作の1つ、「ニューヨーク近代美術館(MoMA)」増改築(2004年)

 谷口氏は自作について多くを語らない人だった。吉村順三(1908~1997年)がそうであったように、創作意図というヒントを与えない建築家については分析が書きにくい。WEBで検索しても、ピリッとした内容の考察はあまり出てこない。

五十嵐太郎氏

 その少ない中から、「なるほど」と思えたのは建築史家の五十嵐太郎氏(東北大学教授)による「谷口吉生論」(『10+1』 No.41掲載)。五十嵐氏が谷口氏の特質として指摘している点を拾い出してみる。

①ほとんど住宅作品がない。
②コンペを好まない。ゆえに奇抜なデザインにならない。
③巨大なスケールと精巧なディテール。
④ファサードに大きな穴が穿たれている(顔がない)。
⑤動線の中で映像的な現象を発生させる(水盤や借景など)。

 一般的に谷口氏のすごさとしてよく指摘されるのは「ディテール」だろう。これは、全体のスケールとの対比によってその精緻さが際立つものなので、五十嵐氏の見事な解説をまるっと引用させていただく(太字部)。

谷口の建築には、両極端なスケール感が共存する。《豊田市美術館》(1995)の前面をおおう巨大なフレームは、ローマの大学都市など、イタリア合理主義の建築を連想させるだろう。こうしたスケールは、都市的なモニュメンタリティに対応する。やはり、《つくばカピオ》(1996)の門構えとなるキャノピーは83メートル×14メートル、《葛西臨海公園展望広場レストハウス》(1995)のヴォリュームは75メートル×11メートルという長大なスケール感をもつ。だが、一方で、恐ろしく精巧なディテールがある。例えば、《豊田市美術館》の外部階段の手すり。個人的な感想だが、谷口の建築展において展示された模型よりも、実物のほうが狂気的なまでの精密さをもっているように思われた。規模が拡大すれば、一般的に粗くなりそうなものだが、はるかに正確な実寸の世界である。モダニズムに引きつけて言えば、工場のような大きさと、機械のような精密さというべきか。

豊田市美術館(以下の2点も)

 「展示された模型よりも、実物のほうが狂気的なまでの精密さをもっている」というのは全く同感だ。そんなふうに感じる建築家は谷口氏しか思い浮かばない。五十嵐氏の他の指摘が気になる方は、全文がこちらで読める。

いきなり完成度100%の「資生堂アートハウス」

 さて、ここから“美術館の名手”と呼ばれた谷口氏の、初期の2つの美術館について筆者が思うところを書きたい。

「静けさの創造-谷口吉生の美術館建築をめぐる」の展示風景。会期:2021年11月16日(火)~2022年5月29日(日)。主催:谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館。監修:谷口吉生。企画協力:谷口建築設計研究所。BUNGA NETのリポ―トはこちら

2021年に谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館で開催された「静けさの創造-谷口吉生の美術館建築をめぐる」では、以下の11施設について展示された(完成順)。

1 資生堂アートハウス
2 土門拳記念館
3 長野県立美術館
4 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
5 豊田市美術館
6 東京国立博物館
7 香川県立東山魁夷せとうち美術館
8 ニューヨーク近代美術館

9 鈴木大拙館
10 京都国立博物館
11 谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館

「静けさの創造」展で展示されたマップ

 今回の記事でまず紹介したいのは、上記リストの1番、「資生堂アートハウス」(静岡県掛川市、1978年竣工)だ。 1974年に高宮真介氏とともに計画・設計工房を設立した4年後に完成した。同じ年に父・谷口吉郎との共作である「金沢市立玉川図書館」も完成している。

 完成時、谷口氏は41歳。この建築は高宮真介氏との連名で、1980年に日本建築学会賞作品賞を受賞した。それ以前には「雪ケ谷の住宅」(1975年)と「福井相互銀行成和支店」(1976年)があったくらいで、一部の人にしか知られていなかった。それがいきなりの建築学会賞受賞でスター建築家の仲間入りを果たした。

 筆者のまわりの人間に聞くと、「土門拳記念館」(山形県酒田市、1983年)以降の美術館は見たことのある人が多いようだが、この資生堂アートハウスを実際に見たという人は少ない。理由は明白で、いつでも開いている美術館ではないからだ。2024年を調べると、開いていたのは2024年3月1日~6月1日(資生堂アートハウス2024展覧会 前期展)と、9月5日~11月23日(資生堂アートハウス2024展覧会 後期展)の計半年弱。その前の2023年はもっと少なくて、展覧会は1つで3か月間のみの開催。つまり、いつ見られるかをちゃんとウオッチしていないと見られない美術館なのである。

 だが、これは建築好き、谷口吉生好きはマストで見るべき美術館だ。谷口氏の原点にして、完成度100%。

ガラス面は外側がミラーになっており、通過する新幹線が美しく映るというコンセプトで設計されたという

 資生堂アートハウスは1978年に開館した。磁器質タイルで覆われた外観は、東海道新幹線の車窓からもよく見える。

 2002年のリニューアルを機に美術館としての機能を高め、近現代の優れた美術品を収集・保存すると共に、美術品展覧会を通じて一般公開する文化施設として活動している。コレクションの中核は、資生堂が東京・銀座の資生堂ギャラリーを会場に開催してきた「椿会美術展」や「現代工藝展」などに出品された絵画、彫刻、工芸品だ。

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 展示スペースには、半円形の黒い階段を上って入る。わずか数段の段差で気分が切り替わる。階段を上った後は左手に折れて東側の展示室に向かう。スロープで徐々に上ったり、階段で下りたりしながらS字形の内側と外側を一筆描きで巡る。自然で変化のある流れだ。

 この施設を見て筆者が強く感じたのは、巧みな高低差だ。美術館としてさほど大きなものではないし、展示室がいくつもあるわけでもない。それでも、高低差を含む動線の設定と景色のトリミングによって、これだけ変化のある空間がつくれるのか、と感心した(平面形が知りたい方はこちら)。

 五十嵐氏が挙げた5つの特質に付け加えるならば、こんな感じか。

⑥仕切られていない空間に、高低差により異なるシーンをつくる。

 これは美術館ナンバー2の「土門拳記念館」(1983年)でも強く感じることだ。動線の組み立て方がとてもうまい人なのである。
 
 資生堂アートハウスの2025年の開館時期は、2025年3月6日(木)~ 6月7日(土)の「2025展覧会 前期展」と2025年9月4日(木)~11月29日(土)と「2025展覧会 後期展」だ。今から2025年の予定表に書き込んでおくことをお薦めする。

11の美術館から外された? “幻の美術館”

 2021年の「静けさの創造-谷口吉生の美術館建築をめぐる」を本サイトでリポートした際、展示されている11の施設の名を挙げ、「私の知る限り、これは谷口氏が設計した全ミュージアムである」と書いた。だが、後になって、これは間違いだったと気づいた。他にもあった。もう一度リストを載せてみよう。何が抜けているかわかるだろうか。

1 資生堂アートハウス
2 土門拳記念館
3 長野県立美術館
4 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
5 豊田市美術館
6 東京国立博物館
7 香川県立東山魁夷せとうち美術館
8 ニューヨーク近代美術館
9 鈴木大拙館
10 京都国立博物館
11 谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館

 それは、山梨県北杜市の「清春芸術村」にある「清春白樺美術館」だ。

 土門拳記念館と同じ1983年に完成した。連番を付けるなら「1.5」か「2.5」だ。前述の展覧会の監修者は谷口氏なので、本人が“外した”と考えられるが、設計したこと自体が伏せられているわけではない。

 清春芸術村の公式サイトではこう説明されている(太字部)。

武者小路実篤や志賀直哉など白樺派の作家たちの夢を託された吉井長三が、1983年谷口吉生氏の設計によりついに完成させた “幻の美術館”。白樺派が愛したルオーの作品をはじめ、東山魁夷や梅原龍三郎、岸田劉生、バーナード・リーチ、中川一政、また白樺派関係の書簡や原稿、さらに雑誌『白樺』の創刊号から最終号まで、白樺派にまつわるあらゆるものを展示しております。

 なんと公式サイトさえもが、“幻の美術館”と表現している! と思ってしまうが、これは武者小路実篤や志賀直哉が実現できなかった、という意味での“幻”と思われる。

 実は初めて訪れた時には、まだ谷口建築に詳しくなくて、そうだと気づかなかった。いや、大ファンとなった今でも、言われなければ気づかないかもしれない。“ポストモダン調”とも言えそうなデザイン。決してクオリティーが低いわけではないが、谷口氏でなくても設計しそうな建築だ。クライアントのいろいろな要望に応えた結果、こうなったのだろうか。「静けさの創造」展に入らなかったのもわからなくはない。

 それでも、先ほど指摘した「仕切られていない空間に、高低差により異なるシーンをつくる」という特質は、ここでもはっきり体感できる。

 清春芸術村には、もう1つ、谷口建築がある。ジョルジュ・ルオーを記念して建てられた「ルオー礼拝堂」(1986年)だ。こちらの方がシンプルで、谷口氏らしい。

もしかすると、この「清春白樺美術館」が原点?

 清春芸術村の敷地は、廃校になった清春小学校の跡地だ。

小学校の門を生かした入り口
美術館の前から「ラ・リューシュ」(ギュスターブ・エッフェルの建築の復元)に延びる軸線。美術館の外観は、これとの関係性を考えたのだろう

 今もあるかどうかは断言できないのだが、中核施設である「ラ・リューシュ」の展示コーナーに、こんなスナップ写真が飾られていた。谷口氏が若い。スラッとしてかっこいい。

 清春芸術村の計画は、1977年、東京で画商を営んでいた吉井長三(1930〜2016)が小林秀雄(1902〜83年)や谷口吉郎(1904〜79年)、東山魁夷(1908〜99年)らと桜の季節にこの地を訪れたことから始まった。つまり、父親の谷口吉郎の夢を引き継いで実現したものなのだ。

 父が亡くなったのは、資生堂アートハウスが完成した翌年。清春芸術村の関係者は父と同世代の大先輩ばかりで、“谷口スタイル”を押し通す立場ではなかったのだろう。いや、もしかしたら、“何でもこなせる派”になる可能性のあった谷口に、この建築の経験を通して“ぶらしてはならない軸”が確立したのかもしれない。そう考えると、この清春白樺美術館こそが谷口氏の原点なのでは、とも思えてくる。そんな谷口氏の葛藤と覚醒を想像しながら、この美術館は見てほしい。

 ちなみに、金沢建築館ではこの夏の企画展で、「静けさの創造」以来2度目となる谷口吉生展を開催予定とのこと。谷口氏の生前から決まっていた企画だ。これも今から予定表に入れておきたい。(宮沢洋)