「直島新美術館」で80年代・安藤忠雄氏の強烈な光と闇を体験する──世界のANDO国内注目作③

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 5月31日に開館した「直島新美術館」を遅ればせながら見てきた。ベネッセアートサイト直島における安藤忠雄氏設計による10番⽬のアート施設だ。
 

直島新美術(写真:宮沢洋)

 複数の美術館があるベネッセハウスエリアとは少し離れた直島の東側「本村エリア」に直島新美術館はある。海の玄関口・宮浦港の反対側(島の東側)で、直島港に近い。直島の安藤建築でいうと、「南寺」がすぐ近くだ(1999年)。

すぐ近くにある南寺。ネタバレになるので詳しくは書けないがここも大好き

 直島新美術館については、すでに開館日にプレスリリース情報をもとに記事にしている。

 しかし、プレスリリースというものは往々にして、提供された素材を見ても空間構成がほとんどわからない。空間の“質”はなおさらわからない。

 といっても、筆者にそれを文章で伝えるほどの力量はないので、写真中心にお伝えする。前提として知っておいてほしいのは、3層の建築ながら、地下2階・地上1階と、地下の方が深いことだ。

道路から建物はほとんど見えない
建物に入るために屋外の階段を上る
斜面の上にある建物がようやく見えてくる
さらに上って建物内へ
入り口
1階のカフェテラス。ここだけ利用することもできる
光や風を感じる半屋外

 そして、この階段↓を見てほしい。1階から地下1階、地下2階へと向かう階段だ。

 薄暗い地下へと導く長い階段。

 上部からコンクリートの壁をなめるように差し込む強い光。この日の好天を、建築の神に感謝!

地下2階の展示を見終えて上ろうと思ったら、光が地下2階まで伸びていた!

 この空間を見ると、1980年代の安藤氏のいくつかの建築が思い浮かぶ。

 「薄暗い地下へと導く長い階段」という点で思い出すのが、大阪・ミナミの繁華街にある商業施設「GALLERIA[akka]」(ガレリアアッカ、1988年)。そして翌年、東京の表参道に完成した「コレッツィオーネ」(1989年)。

 「上部からコンクリートの壁をなめるように差し込む強い光」という点で思い出すのは「小篠邸」(1981年)と「光の教会」(1989年)。

 安藤氏は1941年生まれだから、いずれも40代のときに完成したものだ。有名ではあったが、まだ「世界のANDO」ではなく「大阪の安藤」だった。安藤氏は、1990年代になると手掛ける建築の規模が拡大し、海外でのプロジェクトも増える。

 そうした変化が顕著になり始めたころ、筆者の前職である『日経アーキテクチュア』1992年の編集長インタビューで安藤氏はこんなことを語っていた。

 「(プロジェクトの規模が)もう少し大きくなっていったら、今度はだんだんと小さくしていきたい。最後はやっぱり住吉の長屋のような、あるいは茶室のような小さなものに戻りたい」

 当時の編集長に同行してこのインタビュー記事をまとめたのは入社3年目の筆者だ。「なんて自分の将来を俯瞰して見ている人なんだろう」と思った。「世界をまたにかけて活躍する建築家になりたい」とか、「誰もが名前を知るような建築家になりたい」とかではなく(言わずともどちらも実現した)、「最後は住吉の長屋(1976年)に戻りたい」なのだ。

 本人の口からその言葉を聞いているので、筆者は前々回前回と取り上げた「こども本の森」のシリーズは、「規模」という意味での原点回帰なのだろうと捉えていた。

 そして、この直島新美術館は、「手法」という意味での原点回帰に思える。光と闇は、原点たる「住吉の長屋」の本質でもあるからだ。

 安藤ファンはもちろん、そうでない人にもぜひ体験してほしい。できれば、晴れた日に当たるまで何度でも…。

 もちろん、展示も面白いので、雨の日でも楽しめます。(宮沢洋)

1階の展示室には屋外のカフェが見える大きな窓

地下2階。村上隆による、近世京都の名所や市井の暮らしを俯瞰で描いた屏⾵絵 岩佐⼜兵衛筆《洛中洛外図屛⾵・⾈⽊本》(17世紀、国宝)を参照した13mの⼤作
地下2階。蔡國強により2006 年、ベルリン・グッゲンハイムでの個展のために制作された《ヘッド・オン》。99 体の精巧な狼の群れが全⼒で⾛り、ガラスの壁にぶつかる⼤型のインスタレーションは噂通りの大迫力

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