前回はアメリカで見た“最先端の裂け目”の話でしたが、今回は音楽の中に裂け目を見つけ、自分の原動力にしたり、救われたりしてきたという話です。よね?内藤さん。それにしても、こんなに音楽に詳しかったんですか!ってびっくりです。(ここまでBUNGA NET編集部)
裂け目探し
[赤] 思い起こしてみれば、いつも裂け目探しをやってきたなー。
[青] 若い頃は旅ばかりしてきた。大学に行ってもロックアウトしてるしな。バイト代が貯まるとそのカネで旅に出た。裂け目探しの風来旅。
[赤] 行き先も決めずに東北や北海道、なぜか北に向かう。ただブラブラしてただけなんだけどね。ホント、しょうがないガキだった。
[青] 旅をすると自分とその場所との裂け目が見えるからな。
[赤] 自分は観察者として孤立しているんだね。
[青] マドリッドに住んだ時もそうだったけど、そこに住んだりすると裂け目が徐々に見えなくなる。
[赤] あの時も半年ももたなかったなー。
[青] 不思議なもんだね。
[赤] ズレや裂け目があると精神の平衡状態が外から揺さぶられるんだけど、これが人間のすごいところだけど、すぐに慣れちゃうんだね。。
[青] 何かに感動する時、突き動かされた時、裂け目が見えるんだよ。
[赤] 心奪われる、って言葉があるよね。感動した時ってのは、心奪われている状態なんだね。
[青] そうすると心が奪われているんだから、主体、つまり自分自身が奪われていて、対象に身を預けているってことだよね。もちろんオレたちはこの主体の幻のようなものだから、オレたちもそこにはいない。
[赤] そうかー。そういえば裂け目に出会った時っていうのは、オレもオマエも消えてるよねー。異性に心奪われる、ってのもおんなじことなのかなー。
[青] 似たようなもんなんじゃないの。歴史を見ても偉大な創造作品にはそのあたりの心の動きは不可欠なんだから。
[赤] どういうわけか、その時はオマエは消えてオレの世界だからな。その時だけはオレが突出して元気になる。
[青] でも、そういえば最近、裂け目に出会う機会がめっきり少なくなったよなー。
[宮脇檀] お前、そんなんじゃろくな建築しか作れなくなっちゃうぞ。もっと楽しくやらなきゃ。
[赤] そんな気分になかなかなれないんですよー。たぶん、これ以上ないような裂け目を見ちゃったからかなー。
[青] 東日本大震災、あんな大きな裂け目を見たのは初めてだった。被災まもない陸前高田の風景は忘れられないよ。あれは衝撃だったな。
[赤] 全て破壊し尽くされた風景。あの時、晴れ渡る快晴、海が凪いでいて鏡のように平らだった。それとほぼフラットで山際まで小学校のグランドみたいに平らに広がった大地。
[青] 悲しさ、怒り、美しさ、永遠、荘厳、それらの感情が一緒になって襲ってきてわけもわからず涙が出た。
[赤] 日常風景の破壊って意味では、あれ以上のものはないな。まさに裂け目だよ。世界を見ればアチコチで起きているけど、あの喪失感は辛い。
[青] あれ以来、並大抵の裂け目じゃあんまり感じない、っていうのも、10年通い続けたから、すっかり体に染み付いちゃったのかもしれないねー。
[赤] 振り払おうとしても、振り払えない。
[青] 復興なんて、裂け目を閉じていく作業だからね。でも、閉じれば閉じるほど見えなくなっていく。
[赤] 辛すぎるので、忘れないと明日を生きていけない、っていうのもよく分かる。でも、忘れると100年後に同じことが起きる。この矛盾だね。
[青] 三陸には230回も通ったんだからね。閉じていく様をずっと見続けていたことになる。
[赤] あの衝撃とその反動で、無意識のうちに裂け目を意図的に遠ざけて平穏な日々を過ごそうとしているのかも。
[青] これはよくないぞ、きっと。
三欲減退
[赤] そもそもオレたち、平穏が好きじゃないよね。平穏な状態にできた裂け目が大好き。
[青] 裂け目から噴出しているエネルギーを食ってるみたいなもんだ。
[赤] 裂け目がなくなると退屈で死んでしまうかも。
[青] 鬼は非日常に跋扈するもんなんだからな、生まれつきなんだよ。
[赤] 青+赤=0ってことなのかなー。
[青] かもな。
[赤] オレたち二人足すとなんの意味もない存在だってことか。
[青] そう考えると少しツライ。
[赤] ともかく、非日常を棲家とするオレたちは、その先に非日常の真実が見えてくる裂け目を探してるわけだけど、最近そういう場所が少なくなってきると思うんだけど。
[青] それはきっと想像力が萎んできているんだよ。
[赤] 歳かー。三欲減退かなー。突破力が減ってる。
[青] オマエ、最近この言葉をよく叫んでいるよね。物欲、色欲、金欲、の減退。
[フェルナンド] 気をつけたほうがいいぞー。オレも晩年、ショボンとしちゃったからなー。やっぱ
りピカソを見習うべきだな。あれはすごい。
[赤] 牧野富太郎だって最後までかなり盛んだったみたいですよー。晩年に書いた川柳のメモを見たことあるけど、まー、こっちの顔が赤くなるくらいのもんだった。
[青] でもあれを見て、その人間臭さをもっと好きになったし感動もした。あの厳密な描写とその裏側にある植物への愛、まさに青鬼と赤鬼のスーパスターだよ。
[赤] 岡倉天心だってかなりなもんだったよね。インドの詩人のタゴールの親戚のバネルジーに恋して、六角堂でラブレター書いたりしてたんだから。宝石の声なる人に、、、なんてね。熱いよね。
[青] かなりなことを成し遂げた人はエネルギーが違うんだよ。
やりすぎ・やらされすぎ・やくすぎ
[吉阪隆正] キミはいろいろなことをやり過ぎるんだよ。大学の学長やったり街造りやったりそれについてくる委員会やったりJDP(日本デザイン振興会)の会長やったり。いったい何をやりたいのかね。
[赤] 先生に、十年同じ穴を掘れ、と言われてだいたいそのように生きてきたつもりなんですけど、気が付いたらいくつも穴ができちゃっていたんですよー。
[青] 大学出て建築修行10年、下積み建築家10年、まあまあの建築家10年、東大土木の教員10年、三陸の復興10年、って感じですかねー。
[吉阪] まあ僕だって似たようなもんだったから仕方がないか。30以上肩書があったからなー。
[赤] それで寿命を縮めたかもしれないですね。
[吉阪] うるさい!!!! キミも気をつけろよ。いい気になってると痛い目にあうぞ。
[赤] 気をつけます。でも、街づくりなんかに関わると長いんで、つい重なっちゃうんですよ。どれも責任あるから一生モノ、付き合いも続くし友達もできるし。
[青] 日向や旭川は20年かかったし、先日渋谷の連中とメシ食ったら、もう20年近くになることに気がついた。あっという間だね。全部できるまであと20年近くかかるだろうから、生きてないですよねー。
[吉阪] うーん、それじゃしょうがないか。無責任なのは良くないしな。なんかやり方を考えるんだな、歳なんだし。でも、一番やりたいのは建築なんだろ。
[青] もちろんです。すべての思考はそこから派生してるんですから。
[赤] いずれにしても三欲減退、もの作りとしては失格しつつあるかもしれない。
[青] これが目減りすると、もともと矛盾しているヒトとモノを結び合わせるイマジネーションの力が弱くなるのかもしれません。
[吉阪] でも、煩悩は108もあるんだからな。三つくらい、どうってことないじゃないか。
[赤] いやいや、いろいろな煩悩のわかりやすい代表が三欲、これがなきゃー、あとは達観して解脱するだけですよー。
[青] うーん、どうやらオレたち、追い詰められてるみたいだぞ。
[赤] どうすればいいんだろー。
[吉阪] よく見りゃいいんだよ。
[青] いろんなことを「やりすぎ」、「やらされすぎ」、その果てにいろんな役がついて「やくすぎ」ってのはどうかな。
[赤] 「やらされすぎ」も「やくすぎ」も学識手当てだから日当一万円、ぜんぜんカネにならないー。
[青] 資料に目を通すことや事前打ち合わせの時間を合わせると、時給2000円ちょっと。最近騒がしい最低賃金よりちょっと高いくらい。
[赤] 委員会も地方で出張となると丸々一日潰れるしね。そうなると最低賃金を遥かに下回る。
[青] それでも東大の時は税金で給料をもらってるんだから社会貢献もしょうがないと思ってやっていたんだけど、今やただの民間人だからなー。まあ、なんとか生かしてもらってるんだから、社会に対するお礼とご奉公ってことですかね。
[赤] 「先生」なんて言われながら、いいように使われているだけだよ。
[青] 全体的に減退するわけだ。
恒常性バイアスの悪夢
[赤] オレたちにとっては地獄同然の「恒常性バイアス(日常性バイアスとも言うらしい) 」(恒常性は英語でhomoestasisって言うんだそうだ)のディフェンスがきつ過ぎて、世の中息苦しい。
[青] その中ではオレたちは消耗して、最後は消滅するしかないんだからな。
[法然] それでこそ浄土に行ける。
[赤] 浄土っていう「恒常性バイアス」も苦しい気がする。
[親鸞] 地獄に落ちるぞ !!
[青・赤] もともと鬼ですから。
[一遍] 救われない奴らだ。あとは念仏唱えて踊るしかない !!!!
[青・赤] やっぱり突き詰めると、音楽と身体表現ってことになるんですかねー。建築には救いがないかもしれないなー。
[鴨長明] そんなことはない !!! ゆく川の流れは絶えずして・・・だから、モノには限界がある。栄耀栄華を極めたような建物(building)には何の救いもないけれど、概念としての建築(architecture)には救いがある、と信じるしかない !!!
[赤] ひどい時代だったんですよね。
[長明] 俺の過ごした時代なんて裂け目だらけだったんだからな。
[青] 大地震、大風、大火、疫病、大飢饉、あらゆることが10年でまとめて襲ってきたんだから、たまったもんじゃないですよねー。
[赤] それに加えて後鳥羽上皇が島流しにされたり、武士が台頭して政治も滅茶苦茶になっていくし、ゆく川の流れは絶えずして・・・、なんて言いたくなる気分もわかりますね。
[長明] だろ。口をあんぐり開けるような裂け目の連続だったんだから。それで「方丈記」、畳二枚のプレハブの住まいがあれば大抵のことはOK。そこまで割り切ればサバサバしたもんだ。
[赤] それでもこの時代は定家が新古今集を作ったりして、この国の文化の絶頂期かも、なんていう人もいるくらいなんですから、世の中わからないものですね。
[青] じゃあ、今の世の中も色々起きてきているけど、そんなつもりで浮世に流されてみますか。
[赤] それって、案外、楽しいかも。
裂け目は音楽にころがっている
[青] オフクロが音楽やっていたのでよくクラシックのコンサートに連れて行かれた。
[赤] 音楽、とりわけクラシック、その中でもピアノ、ここには裂け目を見つけやすい。裂け目が見つかる穴場だね。
[青] 最初の生の音楽体験は、中学くらい年の時、上野の東京文化会館。建物に感動もしたけど、何より大ホールに足を踏み入れた時だな。
[赤] 初めての空間体験だった。
[青] で、オーケストラ。今でも覚えているけど、最初の曲はショーソンの交響曲だった。
[赤] 最初の音が鳴った時、あっ、音ってこんなに厚みがあるんだ、って思った。
[青] あれが音の世界の裂け目の始まりだったんだね。それ以来、その裂け目の向こう側を徘徊している。
[赤] でも、ほとんどはたいしたことなくて、失望させられたりして現実に引き戻されるというか、そんな時はあっちの世界から現実に引き戻される、って感じかな。
[青] それでも、たまにすごい裂け目を見ることがあるからやめられない。
[赤] いちいち面倒だから主なものを以下に列挙。
近いところでは、変人のアファナシエフ、天才のキーシン、内面の内田光子、CDでハマってるのは、トルコ人のファジル・サイとジョージア人のブニアティシヴィリ。だいぶ前に生で聴いた裂け目は、ピアノのルービンシュタイン、ケンプ、ゲルバー、アルゲリッチ、グルダ、リヒテル、チェロのロストロポーヴィチ、バイオリンのアイザック・スターン、、、、、、、、、、、あー、あげていったらキリがない。
[青] なんかヤケクソみたいだね。
[赤] 音楽から裂け目が見えて、向こう側に引き摺り込まれる時、世界がひっくり返る。それは確かだね。
[青] 裂け目のインパクトで言うと、やっぱり高校二年の時に聞いたグンドラ・ヤノヴィッツ、すごかった。
[赤] 最初の上野の音楽体験の裂け目から、だんだん慣れてきて、こんなもんかー、って思い始めた時に、また違う裂け目を見ることになった。
[青] 前川國男の設計した神奈川県立音楽堂。チケットがあったので、学校が終わってギリギリ駆けつけた。ヤノヴィッツの名前も知らなかった。
[赤] カラヤンに認められてメジャーになる前だったから、知るわけないよね。別にオペラのファンでもないし声楽なんて苦手だった。まして、シューベルトの歌曲なんて好きじゃなかったし。
[青] ホールに入ったらガラガラ、三分の一も入っていなかったんじゃないかな。
[赤] 失敗したー、って思った。慌ててくるんじゃなかった、って。
[青] 全く飾り気のない地味なステージに伴奏のピアノが一台ポツンと。ステージに赤いドレスを着た大柄で地味な女性が出てきた。
[赤] あーあ、と思った。
[青] ところが、そこからが衝撃だったんだよね。忘れられない。
[赤] 第一声から背筋に電流が走った。一体これはなんなんだ、って思った。
[青] そこからは裂け目に飲み込まれるみたいな感じだった。
[赤] ホールの音場も良かったんだと思うけど、やっぱりヤノヴィッツ。声の質、抑揚、それと音楽性。言葉もわからない歌曲なのに、飲み込まれていた。
[青] 今、この時、この時間が過ぎていってほしくない、という不思議な感覚があった。
[赤] 音楽ってのは耳じゃなくて背筋で聞くもんなんだね。本当の感動っていうのはそういうもんだって初めて知ったな。
[青] つい先日、クルマを運転している時にNHKの音楽番組で偶然ヤノヴィッツがかかった。なんと五十年ぶりかな。
[赤] シューベルトの歌曲ってことで、稀代のテノールのフィッシャー・ディスカウとヤノヴィッツがかかった。やっぱり蘇ってくるね。
[青] ディスカウも若い頃に聞いたけど、「冬の旅」。やっぱりテノールでシューベルトは眠い。テノールだったらイタリア歌曲でパバロッティに尽きる。
[赤] で、ヤノヴィッツはやっぱりよかった。半世紀前に体験したものは、単なる偶然じゃなかったんだね。
[青] あの裂け目から音楽の世界が開かれた感じがあるなー。
[赤] あれから自分から裂け目を求めてさまよう音楽遍歴が始まった。もっとも、あんな体験したから、滅多に感動することもなくなったけど。かなり演奏が上手い、テクニックがすごい、くらいじゃ心が動かない。
[青] それが不幸なところだね。
グールド神の青い裂け目
[青] 月並みかもしれないけれど、やっぱりグールドかなー。建築家ってどういうわけかグールド好きが多いよね。
[赤] 多いね。組み立てかな。構築物、構成美、過激な解釈のラジカルさ、表現とメディア。
[青] 三十代、苦しい時期だったね。何もかもうまくいかなくて孤独だった。
[赤] そんな時、グールドが戻ってきた。
[青] 初めてのグールドは中学校の時に買ったリストがピアノのために編曲したベートーベンの「田園」のLP版だったね。
[赤] その時は、こんなもんか、って終わってしまっていた。
[青] なんかハズレのLPを小遣い叩いてうっかり買っちゃったって感じだった。
[赤] それから二十数年してデビューCDの「ゴールドベルグ変奏曲」を聞いてハマってしまった。運命的な再会だった。
[青] ついでに言っておくと、最後のCDになった「ゴールドベルグ」は最高だったなー。すごい。
[赤] あの青さ加減は半端じゃない。目一杯暗いけどね。
[青] 音楽ってのは、その時の自分の置かれている状況とリンクするもんなんだね。だからおんなじ音楽体験なんてないんだな。生演奏であろうがCDであろうが、一期一会なんだよ。
[赤] カネがなかったのでいきなりは揃えられなかったけど、少しずつ買いためて理解が深くなっていった。
[青] 全部揃っているけど、最近はあんまり聞かなくなったなー。
[赤] あのハマっていた頃のような孤独感と孤立感が遠のいたからかな。
[青] 歳とったぶん、神経が図太くなっただけなんじゃないの。
[堂本尚郎] 堕落したか、怠けてるだけなんじゃないか。挑戦しないところに創造なんてあるわけない !!! ものづくりは孤立無縁の戦いなんだよ。戦え !!!!
[赤] 今でも充分世の中からも建築界からも孤立していると思うんですけど。
[青] まあ、寂しくはない。こんなもんか、って思えるようになってから楽になったなー。
[堂本] 甘い甘い、戦士に休息などないのだ !!!! もっと孤立したほうがいいぞ、オレみたいに。
[赤] ハイ、頑張ってみまーす。
[青] この連載も戦いです。苦しい。
今でしょ
[青] グールドに関しては、彼が見せてくれる裂け目を徐々に広げていった感じだね。
[赤] 音楽に対する純粋さとそれに挑む孤独感。それに惹きつけられたんだな。
[青] 裂け目の向こうから綺麗な風が吹いてくるような気がした。それと、全く違う世界を見ているような新鮮さがあった。
[赤] さらに、クラシックの生演奏そのものに対する挑戦の仕方も共感した。これはオレの領分の青い世界だな。生な演奏と編集されたメディアという考え方、これも新しかった。
[青] この対応関係は音楽の本質論でもあり、いまだに提示され続けている問題でもあるよね。
[赤] 最近ではこの問題がさらにバージョンアップされて、リアルとバーチャル、さらにはAIの問題になって浮上している。
[青] 何が真実なのか、ってことだよ。
[赤] 生身の身体に最終的にリアルを見るか、情報を介して生み出されたものに人間が生み出す創造物の純粋性を託すのかだね。
[青] まさにこれが主戦場になりつつある。美大の主要なテーマになりつつあるからね。無関心ではいられない。
[赤] ほんと、複雑なことになってきたねー。わけがわかんなくなってきた。
[青] 何がオリジナルなのか、果たしてオリジナルであることに意味はあるのか、AIはこの先、引用や編集を超えてオリジナルを生み出すことができるのか。結果として、誰かの心を動かしたり、感動させたり、そんなことができるのなら、方法はなんだっていいじゃないか、ってことになる。
[赤] 問いは尽きないね。AIの登場で、人間そのものの意味が問われているんだよね。
[青] さらには、われわれが感じるあらゆる現実は編集されたものなのか、われわれの脳そのものが編集によって現実認識をしているとすれば、現実とは何か、っていう哲学的なテーマに行き当たる。
[中川幸夫] ボクだってリアルな花より写真や編集の方を信じたんだからな。
[赤] 作品集『華』、あれは衝撃でしたね。とんでもない裂け目でした。写真もどれも鬼気迫るものでした。
[中川] リアルな花を生けたって、あれは時々刻々、形を変えて動いていくんだよ。理想の花を生け
たって、生けた瞬間にしか成り立っていない。だから写真に留めるしかないんだよ。
[青] 最後は大野一雄と新潟でやった空中散華ですもんね。
[赤] そんなことを考えていると、リアルな生演奏を早々と放棄して、レコード会社の編集スタジオにこもって完璧な音楽を作ろうとする、第二の現実、第二の音楽空間を作ろうとしたグールドの先見性には驚くね。
[青] 半世紀も前のことなんだからなー。彼の作り出した裂け目は、リアルな生演奏をすべて無効にしかけたんだからすごいことだよ。
[赤] そう考えると、今こそグールドなのかもしれないなー。もう一回聴き直してみるか。
ピアソラ神の赤い裂け目
[赤] ついでにピアソラについても語っておきたい。
[青] ついでに、はないだろう。四十代を救ってくれたのは彼なんだから。
[赤] これも二十代でスペインにいた時、友人で建築評論家のカルロス・フローレスから。
[青] これ聴かなきゃダメだ、って言われてカセットテープを手渡されて聴き始めた。
[赤] はじめは、なんだこりゃ、って感じだったけど、ハマったね。青鬼と赤鬼がグチャグチャになって演奏している。
[青] 時たまある絵の具を塗りたくったようなアンフォルメルの油絵を見るようだった。デ・クーニングや白髪一雄の絵みたいな感じ。あるいは佐伯祐三の厚塗りの絵の質感みたいな感じ。綺麗な色なんでどこにもない。
[赤] あるのは裏側にある感情だけ。鬼の世界そのものだったよな。
[青] ハマったら抜けれなくなったけど、帰国してしばらくとおざかっていた。テープは擦り切れて聞けなくなってたからね。名前も忘れていた。
[赤] 15年もしたある時、友人の家で流れていて、あれこれって、と再会を果たした。懐かしかったなー。それ以来、あらゆるCDを聴いた。
[青] 40代もキツかったからねー。30代は純粋さに至る道を見つけ出す困難さだったからグールドに惹かれた。40代になると仕事はそれなりあったけど、それと折り合いをつける矛盾に苦しんでいた。妥協もたくさんしなくちゃならない。
[赤] 不協和音だね。矛盾しているものを耐えて、受け止めて、そのまま受け入れて別の次元へと持っていく。
[青] 不協和音を豊かさに繋げる術をピアソラに教えられた。
[赤] 矛盾こそが新しいものを生み出す力なんだよ。それに気がついた。
[青] ピアソラはクレンメルがクラシック界にリバイバルさせたみたいなもんだね。
[赤] ラトビア出身の天才バイオリニスト、彼のバッハの「無伴奏バイオリン組曲」はすごい。鬼気迫る。唯一無二の演奏だね。どんどん迫ってくるんでキツイけど。
[青] そのクレンメルのCD「ピアソラへのオマージュ」のライナーノーツに作曲家のジョン・ウィリアムスが書いた文章が秀逸だったなー。引用の引用だけど、いい文章なので、そのまま。
「・・・・ピアソラとよく似たラテン・アメリカ的な精神の持ち主であるチリの詩人パブロ・ネルーダの言葉を引用すれば、ピアソラの音楽は「人間の欠陥だらけの混乱状態そのものであり・・・ちょうど酸の作用を受けたかのように手の労働によって蝕まれ、汗と煙、百合の花の匂いと尿の匂いに満ち、我々の様々な行動—-合法、非合法を問わず—–が散りばめられている。・・・・古い衣服のように汚く、肉体と同じように、食物の染み、恥、しわ、観察、夢、覚醒、予言、愛と憎しみの宣言、ばかばかしさ、衝撃、牧歌、政治的信念、否定、疑い、断言が染み付いている。・・・・」
ジョン・ウィリアムスのピアソラ感をネルーダの詩に託した引用だけど、まさにピアソラの音楽を言い当てているんで、丸ごと書き写した。
[赤] やっぱりこのパブロ・ネルーダの詩、ぴったりだねー。完全に共振しているよ。
[青] これを引っ張り出したウィリアムスもすごい。
[赤] ピアソラとは関係ないけど、「イル・ポスティーノ」って映画が好きなんだけど、あの映画の中の中心人物の亡命詩人がネルーダなんだよね。いろんなことがつながっていくなー。
[青] あっ、また話がそれた。もとに戻そう。
[赤] CD「エル・タンゴ」に収められたクレンメルの文章もいい。
これもそのまんま。
「・・・・・自らの作品によって聴衆に到達し得ている作曲家は数えるほどしかいない。現代音楽の作品には、ただそれ自体のために存在し、外界になんの影響も与えないものが珍しくない。これはそうした作品に価値がないというのではなく、むしろ逆である。作曲家が何ヶ月も、いや時には何年も精力を注いだ作品なのである。けれども私は、そうした作品が鑑賞のために知的な理解力を要求し、聴く者の心を直接ゆさぶり動かすには至らないという理由によって、机の引き出しや図書館の中でほこりを被っているのではないかと危惧している。アルゼンチン生まれの作曲家マウリツィオ・カーゲルの言う「作曲家のための作曲家による作品」なのではないかと恐れているのである。・・・・・」
[青] いいねー。ここで書かれている現代音楽が、そのまま作品主義に陥った現代建築に置き換えられるんじゃないか、って思った。
[赤] クレンメルはさらに続ける。
「・・・・美しさについて語る時、建築物の美しさや、芸術、人間、愛の美しさについて語るときには、アストル・ピアソラの音楽のことも思い出さねばならない。私がピアソラの音楽の価値を信じるのは、ノスタルジアというごほうによって、よりよき世界を示してくれるからだ。しかもそのすべてが1曲のタンゴの中に込められているのである。」
[青] まったくため息が出るね。おそれいりました。
[赤] そんな建築ができたら本望なんだけどなー。
[青] 道は遠い。
金色の玉ねぎ論
[青] 最後に、武道館の玉ねぎの謎を解いておきたい。
[赤] 裂け目論の最後としては、ずいぶんローカルな話から入るな。
[青] でも、オレたちの仕事場からはいつも目に入っているからなー。
[赤] あの存在感は目障りでうっとうしくもある。
[青] 特に若い頃は嫌だったねー。あんな直接的な引用、分かりやすすぎるデザイン構成。
[赤] 単純すぎるよねー。
[青] 知性のかけらもない、なんて思ってた。
[赤] 建築界でも、ほぼ無視、だね。論じる対象にすらなっていない。
[青] 戦後建築を論じる中でも話題にすらならない。
[赤] でも、あの金の玉ねぎは強いよー。無敵だね。それが謎なんだよ。それにインパクトが減らない。時たま夕暮れ時に夕陽を浴びて光っていたりすると、どういうわけか、アアッ、って思っちゃうもんね。
[青] 今だってミュージシャンの若い奴らでも、いつかは武道館でコンサートをやりたい、なんて言うだろ。目標なんだね。
[赤] ビートルズもコンサートやったしなー。
[青] 建物は古いんだけどなー。
[赤] 1964年の東京オリンピックの時にできたんだから60年。
[青] 丹下健三の代々木の体育館とは対照的、建築界では話題にもならないような代物であり続けたけど、大衆性って意味では抜群に強い存在であり続けた。
[赤] それってすごいことなんだけどね。建築界はみんな言いたがらない。
[青] まあ、法隆寺の夢殿がモチーフなんて、キッチュすぎるからな。
[赤] 真面目な建築家たちからしたら、ヌケヌケと、とか、よく言うよ、って感じかな。主流であるモダニズムの路線からは完全に逸脱している。
[青] でも、見方によっては、70年代に建築界を席巻したポストモダニズムの先駆けって見方もできるよね。金の玉ねぎには、何の機能的な意味もないんだから。
[赤] 山田守、おそるべし。
[青] でも、その文脈でも建築界で取り上げられることはなかった。
[赤] たぶん、みんな扱いに困っていたんだね。
[青] 元々は分離派の旗頭の一人で、関東大震災の復興局で聖橋、逓信省営繕部、東海大学の校舎、京都タワー。分離派 (ゼセッション)なんだからモダニストだったはずなんだけどね。
[赤] 逓信省時代のモダンな建物なんて、なかなかいいよねー。
[青] それがどういうわけか、だんだん理解不能な変な方向に行った。
[赤] 晩年は割とクセの強い造形性が特徴かな。
[青] たぶんどこかでモダニズムの限界に気づいちゃったんだよ。形の個別性にしか時代を越える力がない、って。それにしても、節操がないっていうか大胆だよね。
[赤] その転機が武道館だったのかなー。いきなり夢殿を表現のメタファーにした。
[青] 代々木の体育館VS武道館、って感じかな。建築界は代々木の圧倒的勝利に終わった。
[赤] あの時点で武道館はいわば負け組だね。代々木は未来を指し示していたけど、武道館は過去の引用だからね。
[青] あの時期、日本は未来を目指していたんだからなー、しょうがないよ。
[赤] でも、オリンピックではアントン・ヘーシングが神永昭夫を袈裟固めで破り、ビートルズがコンサートをやり、なんか日本的なイメージに世界が侵入してくるシンボルになっていったんだよね。
[青] だから若いミュージシャンはいまだに武道館を目指す。
[赤] そこにチョコンと金色の玉ねぎが乗っかっている。あれは愛嬌なのか人を小馬鹿にしている冗談なのか。
[青] 最近では春になると大学の卒業式や入学式もずいぶんここを使うようにな
った。
[赤] そうなると、ますます若い連中のシンボルになっちゃうね。強さが増している。
[青] 最近では玉ねぎがライトアップされていて、前より目立ってるよね。
[赤] うん、夕方になると燦然と輝いている。背景が皇居と北の丸公園の暗闇だからよけい目立つ。
[青] 結論。根拠のない不条理なものしか時代を超えられない。われわれがむやみやたらと不条理な建物を作れない以上、玉ねぎには勝てません。
[赤] まいりました。
内藤 廣(ないとう・ひろし):1950年横浜市生まれ。建築家。1974年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学院理工学研究科にて吉阪隆正に師事。修士課程修了後、フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て1981年、内藤廣建築設計事務所設立。2001年、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授、2002~11年、同大学教授、2007~09年、グッドデザイン賞審査委員長、2010~11年、東京大学副学長。2011年、東京大学名誉教授。2023年~多摩美術大学学長