段差を楽しむ体育会系重要文化財、「瀬戸内海歴史民俗資料館」を手作り解説ボードで堪能

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 「瀬戸内海歴史民俗資料館」(1973年竣工)が重要文化財に指定されたことをご存じだろうか。 昨年10月18日、文化審議会(会長:島谷弘幸)が文部科学大臣に答申し、その時、ちょっとニュースになった。

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アプローチから石積みの荒々しさに圧倒される(写真:宮沢洋)

 約2か月後の12月9日には官報に載ったので、重要文化財になったことも間違いない。戦後建築では10番目。しかし、10番目ともなると麻痺してくるのか、この情報、あまり話題になっていない気がする。地元・香川県でも、それなりに情報感度が高いはずの人が知らなくて、びっくりした。

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エントランスホールに展示されていたパネル

 香川出張で時間に余裕があったので、レンタカーで行ってきた。訪れたのは2回目。前回は「建築巡礼」の取材で、もう20年前のことだ。

 そもそも、この建築、誰の設計かわかるだろうか?

 以下、重文指定の答申の際に公表された解説文(太字部)の中にさらっと書かれている。

 瀬戸内海を見晴らす高台に建つ広域の歴史民俗資料館。香川県技師山本忠司の設計により昭和48年に完成。中庭とその周囲を回遊する動線計画に基づき、正方形の展示室等を自然の地形にあわせて上下左右にずらして配し、各所に大きな開口を設け、内外が連続する 動的かつ開放的な展示空間を実現した。外観は平面を反映して凹凸ある複雑な形態で、中でも角錐台を呈す展示室等には当地で採れた石材を積み、周囲の自然景観との調和を図る。

 モダニズム建築の手法を踏襲しながらも、近現代における国際様式への批判を背景として、 立地や風土を考慮し、豊かな自然の残る地方の場所性を活かした秀逸な作品。また、調査・ 研究などの諸機能を完備した総合的な地方歴史民俗資料館の最初期の完存例としても貴重。

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 先ほどの「設計者が誰か」の問いに答えると、「香川県技師山本忠司(ただし)」だ。山本は、後に個人の建築家としても活動するが、これを設計した時点では香川県の職員だった。

 この事実は大きいと思っていて、例えば林昌ニ(日建設計)のパレスサイドビルディングだって、重文になる可能性があるわけだ。世の中の過半を占める“組織内建築家”にとっては朗報だ。もっと騒いだ方がいいと思う。

体を動かしながら味わう建築

 前置きはこのくらいにして、写真を見ながら施設内をリポ―トしよう。

 先ほどの公式解説文の中に、この施設の空間構成の特色が端的にまとめられた部分があるので、そこだけもう一度引用する(太字部)。

 「中庭とその周囲を回遊する動線計画に基づき、正方形の展示室等を自然の地形にあわせて上下左右にずらして配し、各所に大きな開口を設け、内外が連続する動的かつ開放的な展示空間」

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エントランスホールに展示されている模型。左手前が入り口で、左回りに斜面を上って下る

 筆者は初めてここに来たとき、「体育会系建築!」と思った。段差は多いし、室内と屋外を出たり入ったりする。体を動かすことを前提とし、その動きの中で体で味わう建築なのである。

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展示終盤の上り階段
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展示を見終えてエントランスホールに降りる屋外階段

 それは設計の中心になった山本忠司のプロフィルと無縁ではない。以下、2018年に京都工芸繊維大学美術工芸資料館で開催された「山本忠司展ー風土に根ざし、地域を育む建築を求めて」の説明文から引用する(太字部)。

これは宮沢が20年前、日経アーキテクチュア2005年11月28日号に描いたイラスト

 山本忠司(1923~97年)は、香川県大川郡志度町(現・さぬき市志度)に生まれ、1943年に京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科に入学、しかし、同年12月に徴兵されて香川県善通寺町の陸軍第11師団に入営、高松で敗戦を迎える。同年10月に改組された京都工業専門学校建築科へ復学し、1948年の卒業後は香川県に入庁、土木部営繕課技師として香川の戦後復興のために働き始める。一方で、山本は、1952年に北欧フィンランドで開催されたオリンピック大会に三段跳びの日本代表選手として出場する。日本が敗戦から独立を果たし、国際社会へ復帰する記念すべき歴史の只中にもいたのである。この時、山本は、ギリシアやイタリアにも立ち寄り、パルテノン神殿などにも触れている。そして、帰国直後に手がけたのが屋島陸上競技場(1953年)であり、北欧モダニズムの影響が読み取れる。

 県庁職員となった後に、オリンピック・フィンランド大会に三段跳びの選手として出場。その流れでギリシアやイタリアの建築を見て回り、大きな刺激を受けたというのだ。

 説明文はこう続く。

 また奇遇にも、同年から、金子正則知事(1907~96年)の指揮の下、香川の戦後復興の象徴となる丹下健三(1913~2005年)の県庁舎計画にも携わり始める。山本は、この経験を通して、最前線の丹下の仕事に学びつつ、地元香川で培われてきた木工事や石材加工の職人技の高さや素材の豊富さ、手仕事として実感できる伝統の厚みに目覚めていく。その成果は、香川県立武道館(1964年)や栗林公園讃岐民芸館(1970年)などに結実する。

旧香川県立体育館(設計:丹下健三他)のすぐ近くに、同じ年に完成した香川県立武道館(1964年)。これが香川県営繕の設計とは…

 また、県庁舎の石工事を担当した地元の岡田石材工業の岡田賢(1924~2011年)や彫刻家の流政之(1923年~)ら気心の知れた仲間たちと、自らの創造の原点となる喫茶・城の眼(1962年)を完成させる。そして、日本建築学会四国支部の民家研究グループの一員として携わった民家調査も、その視点を確かなものにしていった。調査の一部は、1970年に、彫刻家のイサム・ノグチ(1904~88年)の邸宅、通称“イサム家”となる丸亀の庶民的な武家屋敷を移築する設計の仕事としても実を結ぶ。続いて取り組んだのが瀬戸内海歴史民俗資料館(1973年)であり、これによって県の建築技師としては初となる日本建築学会作品賞を受賞する。

香川県さぬき市の国立公園「大串自然公園」内にある野外音楽広場「テアトロン」(1991年)は晩年の代表作。小田和正やももクロ、biSHもここで野外ライブを行った。堀部安嗣氏が設計した「時の納屋」(2024年)のすぐ近くにあるので、香川建築ツアーにお薦め

 著名建築家に師事した後に建築家として名を成す王道パターンとは全く違う生き方だ。王道でないという点では、安藤忠雄氏に重なる部分もある気がする。実は、筆者は山本氏にインタビューしたことがあって、内から燃え出るようなオーラも安藤氏と似ていた。

これも日経アーキテクチュア2005年11月28日号より

手作り解説が面白くて2周してしまった

 約20年ぶりに再訪した資料館は記憶通りの体を動かす空間で、以前にイラストで描いたのと全く同じように、途中で引き返す老夫婦を見かけた。

日経アーキテクチュア2005年11月28日号より。デジャブのように、これと同じ光景を今回も見た

 筆者はさして体力があるわけではないが、面白くて2周してしまった。2周するほど何が面白かったかというと、これだ。

なるほど、大小の正方形は4mの倍数なのか。それなら構造のグリッドがずれない

 建築好きが気になりそうなところを、全てこの解説ボードが答えてくれるのである。写真掲載可ということなので、面白かったものを全部載せてみる。

これはつまりこういうこと↓
右手前が室内、左が屋外
石垣の中は、一番大きい第一展示室
知らなかった、構造設計は木村俊彦だったのか。木村が高松出身だということも知らなかった
そう言われると、2階部分を支えるこの柱は木村俊彦っぽい
一番「やられた」と思ったのが、この指摘。床のタイルが雁行する正方形をモチーフにしている、と…
本当だ、これは「建築巡礼」向きのネタ。気づいていれば描いたのに…
出たり入ったり(↓)がイサム・ノグチの助言だったとは! 補足すると、ノグチとともに訪れたインドでインド経営大学(ルイス・カーン)に大きな影響を受けたらしい
こういう構成は雪国ではできないだろうなあ
階段は計173段。20年前に筆者が数えた段数が合っていて安堵
確かに、階段にも展示してます
これが最後(14番)の解説。ついには詳細図まで載せてしまう。これはよほどの建築好きの仕業だな…
詳細図にあった屋外階段。一番下の段が浮いている
屋上に上ると、瀬戸内海を一望できる
階段手すりは下りの方がよくわかる。ルーバー状で握るものがない。今だといろいろな意味で難しそう

 あまりにも詳しい。そして、文章のはしばしに建築愛が溢れている。帰り際に館の人に、「これは学芸員の方が書いたのですか」と聞いてみた。すると、2023年に香川県建築士会の高松支部青年部会が資料館の50周年記念で作成したものだという。企画展(こちら)に合わせてつくったもので、好評だったため常設にしたとのこと。

 解説を置く什器も青年部会の手作りだという。

 建築が重要文化財となったので(展示物にはもともと重要文化財がごろごろある)、もっとしっかりした展示にすることを検討しているという。ただ、この手作り感だから愛を感じる気もするので、悩ましいところだ。

 高松から直島に渡る人、あるいはSANAAの「あなぶきアリーナ」(下の記事参照)を見に行く人は、半日時間を空けてぜひ自分の体で体験してほしい。(宮沢洋)