大規模な改修工事のため約4年間、休館していた東京・両国の東京都江戸東京博物館(愛称:えどはく)が、3月31日にリニューアルオープンを迎える。建築好きなら誰もが知る菊竹清訓氏(1928-2011年)が設計した“空中ミュージアム”だ。

現在の館長は、建築史家で建築家でもある我らが藤森照信氏(1946年生まれ)。そして、今回のリニューアルで館内外の空間デザインを担当したのは、世界的設計事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)のパートナーを務める重松象平氏(1973年生まれ)だ。一見関係のなさそうな3世代の建築家の交差が我々にどんな新しい世界(あるいは過去の世界)を見せてくれるのか。2月中旬、藤森館長に独占インタビューした。(聞き手は『菊竹清訓巡礼』の著作を持つ菊竹ファンの宮沢洋)
──藤森先生は2016年から江戸東京博物館の館長を務めていらっしゃいますが、開館時(1993年)の展示にも関わっていらしたんですね。今回調べて初めて知りました。
そうですよ。それでなければ館長はやりませんよ(笑)。
──展示のどの辺りを担当されたのですか?
江戸博の常設展示は、江戸期と明治以降で半分半分になっているんですが、明治以降の展示にはほとんど関わりました。


──開館準備の頃は40代半ばで東京大学の助教授だったと思います。どなたかのサポートという形ですか。
もちろん、全体の指揮を執る先生は上にいましたが、明治のエリアはほとんど私が中心になって計画しました。理由はまことに簡単でね。明治以降はとにかく収蔵品がない(笑)。それまで東京都が受け入れていた資料は中央図書館にあったんだけど、それはそのままにして、開館準備で相当のお金をかけていろいろ買った。それでも、展示品だけではとても埋められない。だったら歴史的にちゃんとした復元をやりましょう、ということになったんです。銀座の街並みの復元とか、そういうのをずっとやっていました。
──街並みの復元となると相当お金がかかりそうですが、予算面のコントロールとかも先生が?
なんて言うのかな、今と全然違う(笑)。まず、バブルの時代だった。そして、若い人に何でも任せてくれた。予算のことをだれも言わない(笑)。自由にやらせてもらえました。
実は、平行して進んでいた「江戸東京たてもの園」(東京都小金井市)の準備がもっと大変で、口を出す余裕もなかったのもしれない。
──そうでしたか。たてもの園は後から開館したと思っていましたが、同じ年の開館なんですね。(ともに1993年3月28日開館)
あっちはね、実物を移築するわけだから、その交渉や調整の大変さは比べ物にならない。東京都に機動力のある人がいたから、あんなことが実現できたんです。
──江戸博の準備段階では設計者の菊竹清訓さんとやりとりすることはありましたか。
私は、この面積のここに計画してくれということで考える役割なので、設計段階には関わっていません。ただ、印象に残っていることがあって、最初に見た図面では、展示室内に架かる日本橋が今と違っていた。建物の長手方向に架かっていたんです。江戸と明治をつなぐ形で、実際と同じ長さの橋が架かっていた。建物全体を支える2本の足の上に日本橋がちょうど架かる形だったと記憶しています。
でも、展示の関係者はどういう動線で人を流したらいいのか困っていた。展示全体の委員会に突然呼ばれて、どうしたらいいと思うか聞かれたので、「日本橋を半分の長さに切って、向きを変えて、橋を渡った先で江戸と明治に振り分ける形にしたらどうか」と答えた。それがその場で決まって、今の形になっていますね。
──えっ、じゃあ藤森先生の意見で展示動線の根本が変わってしまったんですか!
当時はほら、オープンの日が決まっていていろいろなことが急速に動いているわけだから、大変だったんだよ。
──菊竹さんは怒ってなかったんでしょうか。
菊竹さんはよく「これは私の代表作だ」とおっしゃっていたから大丈夫です(笑)。
──建築が好きな人に見てほしい江戸博の見所はどんなところでしょうか。
一番はやっぱり、持ち上がっていることでしょうね。あんなにでかいものが持ち上がってるって、世界にもないんじゃないかな。それを実際に見てほしい。

──ブラジルで見た「サンパウロ美術館」(1968年、設計:リナ・ボ・バルディ、こちらの記事)のピロティもかなり大きかったですよ。
ああ、あの女性の建築家が設計した美術館。でも、あれよりずっと大きい。
──「ピロティ」というと、ル・コルビュジエが提唱した「近代建築五原則」の1つとして世界に広まっているわけですが、江戸博のあの巨大な抜け(3階の江戸東京ひろば)はピロティという言葉のイメージを逸脱しているように感じます。
丹下健三さんの広島ピースセンターなんかとは相当違いますよね。菊竹さんは、江戸博の設計時には、洪水の問題を考えていたんです。洪水で水没したときのために収蔵庫や展示物を上に上げておきたいと。

──以前、菊竹さんにインタビューしたとき、久留米の生家の近くの筑後川がたびたび氾濫したのがトラウマになっているという話をされていました。
そうですか。街が水没するって、建築家はあまり考えないからね。
──久留米といえば、今回のリニューアルの空間デザインは久留米出身の重松象平さんです。菊竹ファンなので、「久留米出身」というだけでグッときました(笑)。
推薦したのは外部の大学の先生たちです。東京都現代美術館で重松さんがやった展示の成果などが評価されたそうです。
──「ディオール」展ですね。あの会場構成は、私もここ数年で見たベスト1です。
OMAが空間演出、担当の重松象平氏が全力で振り切った「ディオール」展@東京都現代美術館に目が点!(2023年1月15日)
ああ、そう。そんなにすごかったんだ。
──江戸東京ひろばでは、軒裏に向けて映像を投影できるようにしたそうですね。素晴らしいアイデアだと思いました。

あの空間の使い方は私もさんざん考えたんだけど、建築基準法上はすでに面積いっぱいで増築ができないんですよ。それで、映像を映そうということになった。
──建築に直接手を加えずに空間の魅力を高めるというのが菊竹さんへのリスペクトに思えます。

広場の映像も面白いと思ったけれど、ぜひ見てほしいのは、建物に入る前のアプローチ(西側)の仕掛けですね。
──あの赤い鳥居みたいなやつですか。

そう。自分が歩くのと合わせて、江戸時代の人とか現代の人とかが横を歩くんですよ。誰も見たことのないものだから、馬鹿馬鹿しいものにならないか心配していたんだけれど、電気的な鏡みたいであれは面白い。
──なるほど、それは楽しみです。展示のリニューアルの見所は?
一番は、原寸大の服部時計店。日本橋をわたるときに右手によく見える建物で、以前は「朝野新聞社」だったものを、初代の「服部時計店」に変えました。高さがぎりぎりなんですよ。(話を聞いた後に、実際のぎりぎりさを見てびっくり!!)

──重松象平さんは、内部のリニューアルにも関わっているんですよね?
はい。大きく変わったのは「空」ですね。以前は、当時の流行で天井面を真っ黒く塗って設備を露出させていたんですが、昼間なのに空が夜みたいだった。それで、一部に膜を吊るして、そこに空の演出ができるようにしました。それを重松さんが見てくれました。
映像はまだいろいろ選んでいるみたいだけど、私が見たときは富士山が見えたり、鳥が飛んだり、タコが上がったりしていましたよ。
──いろいろ楽しみになってきました。新生・江戸東京博物館、楽しみにしています。本日はありがとうございました!
■常設展観覧料の改定
館内サービスの向上等に寄与するため、下記のとおり常設展観覧料を改定します。
一般:600円→800円
65歳以上:300円→400円
大学生・専門学校生:480円(変更なし)
高校生:300円(変更なし)
中学生以下:無料
※ 各種割引・減免の詳細についてはお問い合わせください。
公式サイト:https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
■建築概要
名称:東京都江戸東京博物館
住所:東京都墨田区横網一丁目4番1号
開館: 1993(平成5)年3月28日
構造:鉄骨造、一部鉄骨鉄筋コンクリート造、鉄筋コンクリート造
階数:地下2階、地上7階建て
階高:62.16m
設計:菊竹清訓建築設計事務所
施工:鹿島・鉄建建設・錢高組・村本建設・松村組・東亜建設工業・坂田建設・井上工業・岡本工務店
■建築改修工事
設計・監理:プランテック(建築工事)、森村設計(設備)
施工:大成建設
工期:2022年12月16日~2025年2月28

なお、「江戸東京博物館」については、筆者(宮沢)が4月下旬に上梓する予定の書籍『画文で巡る! 最強TOKYO建築図鑑』で画文のリポートを掲載する予定である。そちらもお楽しみに。(宮沢洋)

