まずは、この比較写真からご覧いただきたい。上が改修後の屋根、下が工事前の屋根だ。

2000年の開館以来初となる大規模な改修を終えた「那珂川町馬頭広重美術館」(開館時は馬頭町広重美術館)で2026年3月14日、記念式典が行われた。原設計者で今回の改修設計者でもある隈研吾氏が参加。大屋根の下の広場ではマルシェのようなイベントが行われた。

同館は2月28日から再開しており、“隈研吾ウオッチャー”を自称する筆者としては、早く見に行かねばと思っていた。この日の式典に隈氏が来ると聞きつけ、急きょ、栃木県那珂川町まで行ってきた。


この記事のスタンスとして最初に行っておくと、筆者は“隈研吾ウオッチャー”ではあるが、“隈研吾Lover”というわけではない。
だが、この那珂川町馬頭広重美術館は、隈氏の建築の中でも特に好きだ。隈氏が「M2」(1991年)以降の“失われた10年”を経て復活を果たすきっかけとなった建築であり、21世紀の木質建築ムーブメントにも大きな影響を与えていると思われる。だから、傷んだルーバーのスギ角材を木材風アルミ角パイプに置き換えると聞いて、「台無しになるのでは…」とかなり心配していた。
改修後の美術館を実際に見た印象を言うと、そんなに不自然ではない。明らかに新しくなってはいるが、アルミに交換したことについては、言われなければきっとわからない。

まず、筆者は1つ誤解していた(たぶん多くの人が誤解している)。それは、アルミになったのが「屋根」のルーバーだけであるということ。壁のルーバーも交換しているが、これは劣化した地元産の八溝(やみぞ)スギを再び八溝(やみぞ)スギに交換している。

屋根のルーバーは、本物の木材に比べてやや反射光が強いという印象はあるが、木目(プリント)の色味のばらつきもあり、遠目に見ても近くで見ても、「プリントだ」と見破れる人は相当の眼力だ。



式典に訪れた町の関係者や町民は隈氏を大歓迎で、アウエー感は微塵もなかった。おそらく次の25年は、これまで以上に大切に使われるだろう。
それはそれとして考えておくべき3つの論点
いろいろ言われたものの、結果、ハッピーな改修のように思える。それでも、今回の一件は建築関係者(特に木質の建築に関わる人)にとって重要な3つの問いを投げ掛けているように思うので、ウオッチャーの責務として指摘しておく。
1)木のフェイクを一般の人はどう感じるか
繰り返しになるが、改修後の屋根ルーバーは木目を印刷(フィルムを真空転写)したアルミ角材だ。木材の“フェイク”である↓。


「建築にフェイクは一切だめ」と言う人は少ないだろう(中にはいるかもしれないが)。例えば、筆者は自然の石よりも、石を模造した左官技術(人研ぎとか)の方がむしろ好きだ。あるいは、「好き」ということでもないけれど、石風の結晶化ガラス建材が使われていたとしても何とも思わない。
なのに、木のフェイクには昔からノドの奥に何かが引っかかるような違和感を感じる。おそらく、木=エコロジーという図式が当然のように頭の中にあり、それがプリントだとわかったときに「騙された」という感じがするからだろう。それが木という材料の宿命なのかもしれない。
実は、今回と全く同じことを「国立競技場」を取材したときにも思った。庇の木ルーバーが印象的な外観だが、最上部の5階の「風の大庇」は、耐久性を考慮して木目をプリントしたアルミルーバーが使用されている。
これは当時から公開されている情報だ。例えばこちらの記事(全貌見えた新国立競技場/日経クロステック2019年7月25日付)。
高い位置にあるので、言われなければプリントなのか木なのか全くわからない。でも、それを知った当時、「何年かたつと経年変化で一番上だけピカピカで変、ということになるのでは?」と心配になった。そうなったときに一般の人はどう感じるのだろう。自分のような建築馬鹿だけが違和感を感じるなら別にかまわないのだが…。

6年たった今のところ↑、その差はほとんどわからない。
その差が顕著になってきたころ、世間で「フェイク叩き」が起こるのでは…とちょっと危惧している。


2)木のエイジング(ボロさ)を一般の人はどう感じるのか
経年変化という話の流れでいうと、そもそも「木の色味がくすんでいく現象」を一般の人がどう感じるか、というのも大きな問題だと思う。いわゆる「エイジング」だ。木の場合、「ボロさの美」と言ったほうがいいかもしれない。
式典の日の夕方の「下野新聞digital」には、早速こう報じられていた。
那珂川町馬頭広重美術館、大規模改修終え25年前の輝き取り戻す 設計者の隈研吾さん「これからも世界中の人に」(3/14 17:00)
なるほど、一般メディアは改修後の状態を「輝き取り戻」したと評価するのか。筆者は全く逆で、改修工事に入る前が最高に美しかったと思っている。それは2023年にこの記事で書いた。
日曜コラム洋々亭49:那須で考える木の現代建築──“王道”としての古び方と“ボロ道”としての古び方



ボロくなり過ぎて、そろそろ危険だ、という懸念はこのコラムでも書いている。一方で、開館当初よりも今のボロい感じの方が好きだ、とも書いている。
ちなみにこのコラムを書いたのは2023年6月18日で、世間でこのルーバーのボロボロ問題が話題になる前である(町が改修を決めたのが2024年2月で、一般的な話題になり始めたのは2024年秋ごろ)。なので、隈氏を擁護するために書いているわけではなく、筆者の実感である。
この問題に限らず、建築界が今後さらに木材利用を広げていこうというならば、どこかで「ボロさの受け止め方」を体系的に研究した方がいいのではないかと思う。
3)木の修繕計画は数十年後に伝わるか
竣工式で隈氏が、設計時のことをこう話していた。
「美術館を建てるときには、議会でも20~30年後にルーバーをやり替えるという話になっていたけれど、当時を知る人がいなくなって、その話が全く伝わっていなかった」

やっぱりそうなのか。どう考えても、設計時に何の説明もなく木ルーバーを雨ざらしの場所で使うとは思えない。この美術館の場合、発注者の旧馬頭町が合併して那珂川町立の施設となったことも不運だった。
「伝わらない問題」はどこの建築でも「あるある」だ。ただ、伝わっていたとしても、想定外の金額だったかもしれない。
今回の改修費用は、屋根や壁のルーバー交換や雨漏りの調査などで約3億1000万円と報じられている。2000年につくられたときの全体工事費は(今聞くとびっくりするほど安い)約10億円。きっと、やるつもりでいたとしても「えっ!?」となるだろう。
特に公共建築の場合には、想定していない予算を組むのは大騒ぎとなりがちだ。木を多用する建築の場合、部位ごとの交換頻度と費用(あるいは当初建設費に対する割合)を明示した計画書をつくっておく、あるいはマンション修繕のように改修費を定額で積み立てるような仕組みをつくっておくべきかもしれない。
……と、そんなあれこれを思いつつも、この美術館のことは好きなので、少しでも応援したいと、隈氏のサインを焼き入れたルーバーの木片(商品名:『風景のかけら』、500個限定)を高校生から3000円で購入。ミーハー心が抑えられず、町民に交じって隈氏に生サインしてもらった。


イベントは3月20日~22日の3連休にも行われるそうなので、町との関係性を見たい方はこのタイミングで訪れるとよいかもしれない。そして、現地に行く方はぜひルーバー木片をお土産に買っていただきたい。(宮沢洋)


そして、筆者が“隈研吾ウオッチャー”を自称するきっかけとなった書籍『隈研吾建築図鑑』(2021年、日経BP)も、ぜひご覧ください!


