内藤廣連載「赤鬼・青鬼の建築真相究明」第11回:建築と建築でないもの・建築家と建築家でないもの

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「あざとい」という感想とは対極にありそうな内藤廣さんの建築ですが、本人の心の中では「あざとさ」をめぐる葛藤があるようで…。今回はそんな話から、建築界での究極の問いのひとつ、「建築と建物の境界」へと向かいます。(ここまでBUNGA NET編集部)

あざとさもワザのうち

[赤] もしもピアノが弾けたならーー、オレたちの人生、もっと豊かになっていたと思うなー。

[青] どうしちゃったんだ、いきなり西田敏行かー。最近よくテレビで聴くからな。

[赤] いや、キーシンだよ。生で聴いたのは初めてだったけど、五十代になって円熟期、堂々たるもんだった。すごく良かった。

[青] この原稿の企画とは関係なしに、忘れないうちに話しとこう、ってわけか。テーマもなにもあったもんじゃないねー。

[赤] まあ、そんなもんだよ。感じたことはフレッシュな方がいいからね。感覚はすぐに遠のいちゃうから。

[青] いつものクセで、渋谷でつまんない委員会があると、帰りにタワレコに寄って、自分へのご褒美にCDを買うことにしている。今回は、生を聴くっていうんで、予習でキーシンのCDを買った。

キーシンのCDジャケット(内藤氏の私物)。編集部注:エフゲニー・キーシン(Evgeny Kissin)。1971年10月モスクワ生まれ。2歳の頃、耳で聴いた音楽の演奏や即興的な演奏を始めた。6歳でモスクワのグネーシン音楽学校に入り、彼の唯一の教師であるアンナ・パヴロヴナ・カントールに師事。10歳で協奏曲デビューを果たし、その1年後には初のソロ・リサイタルをモスクワで行った。1984年3月、12歳のときに、キタエンコ指揮/モスクワ・フィルと共に、モスクワ音楽院大ホールでショパンの2曲のピアノ協奏曲を演奏し、世界的に注目されるようになった。彼が国外に初めて登場したのは1985年の東ヨーロッパであり、翌年には初の日本ツアーを行った。(プロフィルはジャパン・アーツのサイトから引用)

[赤] これがなかなか優れもので言いたくなったんだよ。一番気に入ってるのがこのCDに入ってる最後のアンコール曲。「蛍の光」だよー。まいった。

[青] あれ聞いてそんな気分になっちゃったんだね。オマエのテリトリーのドツボにハマっちゃったわけか。

[赤] パソコンで仕事をしたりCDを聞いたりして、一区切りついて終わる時にはこの曲を鳴らして終わることにしている。あきらめがつくんだな、どういうわけか。

[青] CDのこの来日コンサートは1988年の録音。1971年モスクワ生まれだからこの時は16歳、まだ子供だよ。日本だと高校一年くらいかな。

[赤] その二年前にも来日したらしいけど、それが冷戦当時西側におけるデビューになったけど、その時は14歳、さらに子供だね。

[青] このコンサートのCDがいい。テクニックが完璧なのはもちろん、シューマンもショパンも信じられないくらい厚みと深さがある。

[赤] 16歳のガキに人生の味やその奥深さなんてわかるのかー、わっかるわけないよなー、なんて思いながらも、いいんだな、これが。ショパンの舟唄なんて、マジョルカ島で夜中に失恋寸前の恋人のジョルジュ・サンドを待ちながら、なんて気分が16歳のガキにわかるはずもない、、、、、、けど、いい。

[青] そしてその完璧な演奏の最後、アンコール曲、ショパンのノクターンとバッハのシチリアーノ、まあ定番ですね。

[赤] そして三番目の最後の曲がなんと「蛍の光」。みんな知ってる曲だよねー。原曲はスコットランド民謡、それをピアノで弾いた。

[青] 卒業式だけじゃなくて、百貨店でもパチンコ屋でもこの曲が鳴ると閉店、日本人なら条件反射的に刷り込まれているんだなー。

[赤] そういえば年末の紅白歌合戦も最後はこの曲だからなー。終わることへの惜別の感情に寄り添っている。

[青] 16歳のキーシンはたしかに神童だけど、最後にこの曲はあざとい。意外性もあるし受けるに決まっている。裏でプロデューサーみたいな奴が仕込んだ可能性が高いよね。

別れても好きな人

[赤] しかし、そんな企みもあざとさも越えて、いいんだなこの曲が。

[青] なんか感情の敏感なところをくすぐられて理性が負ける感じがする。

[赤] 悔しいけど。

[青] スコットランド民謡が原曲の「オールド・ラング・サイン」、昔を懐かしむ歌だね。みんな過ぎていくのだ。やがては、いなくなるってことだね。

[赤] 弾いたのは誰の編曲かわからないんだけど、どうもこの曲は、ハイドンやシューマンやベートーベンも編曲しているらしいから、この旋律にはやっぱり無条件に人を惹きつける何かがあるんだね。

[青] 日本では明治に稲垣千穎によって詩がつけられて小学唱歌になったけど、四番まであるけど通常は二番までしか歌われない、っていうので気になって見てみると、なるほど。三番と四番は、國の為、至らん國に、なんて言葉があったりしてけっこう愛国的な歌詞。これはかなり抵抗あるよね。

[赤] やっぱり一番と二番までだな。

[青] それでもとてもムリだな、オレたちには。蛍の光も窓の雪も書読む月日も関係なかったしなー。

[赤] まあ、そんな我々の意表をついて最終兵器をコンサートの最後にもってくるあざとさに呆れつつ、やられてしまいました。

[青] 音楽って不思議なもんだねー。こっちの心を揺さぶって理性をあざ笑うようなところがある。

[赤] おまえら、16歳のガキのコンサートだからどうせキワモノを聴きに来たくらいの気分なんだろう。どうだ、この完璧なテクニックと内容、それだけじゃないぞ、お前らの国の唱歌をピアノで弾くとこんなになるんだぜ、それじゃあこれでおしまいにするからな、なんてメッセージが分かりやす過ぎるくらいに詰まっているんだけど、、、、負けました。

そんな建築を作りたい

[青] なんか、そんな建築家になれないかなー。

[赤] おっ、オマエそんなんでいいのかー、らしくないぜ。

[青] 時たま反省するんだよ、真面目一方でやってると。こんなんじゃ人生面白く回っていかなよなー、真面目キャラを脱皮したい、って思うんだよ、時たま。

[赤] らしくないよね。でも、あざとい最後の一手をトドメに刺す、みたいな建築、わるくないよねー。

[青] ヴォーリスの設計した近江八幡の近くの旧豊郷小学校の階段のウサギとカメなんてそんな感じかなー。

[赤] 近いね、きっと。

[青] イソップ童話のウサギとカメ。わかりやすすぎる教訓童話だけど。それを生徒が上り下りする小学校の階段の手摺りにつけるかねー。

[赤] あざとい一手。でも、そのウサギとカメがいいんだよな。みんなが触るからピカピカになってる。愛され続けてきたってことだよ。

[青] なんかのテレビの番組で見たけど、そこで学んだ子どもたち、もうみんなかなりの高齢者だけど、建物のことなんかよりそのウサギとカメの記憶の方が全然色濃くの残っているんだよね。

[赤] そりゃそうだよ、触覚は空間認知より強いんだから。

目は口ほどにものを言う、けど脳はすぐに忘れる

[青] われわれは目から入る情報に依存しすぎてるんだよ。脳に入る情報の七割以上は視覚情報だっていうからな。今はもっとかもしれない。ともかくそれに振り回されている。

[赤] 現代人はテレビ、パソコン、ケータイ、何らかの画面を一日中、それも大半の時間をそれら見て暮らしているんだからなー。

[吉阪隆正] だから、授業で、眼耳鼻舌身意、って教えたろ。五感は奥が深いんだよ。建築をやるんならこういう先人の知恵に学ばなきゃ。

[青] 思い出しました。

[赤] 聴覚もあるけど、触覚や嗅覚、さらには味覚、そういうマイナーな情報の方が記憶の深層に残るんだね。

[青] あるんだろうねー。

[赤] 視覚情報は量が多いから、インプットが多ければ多いほど消えていく速度も速いんだよ。たくさん入ってきて、瞬く間に消えていく。脳内で長い時間留まるのはマイナーな情報なんだよ。たとえば、子供の頃の母親の膝の柔らかさとか匂いとか。

[青] 日本橋にあるイノシシ像もそうだね。鼻を撫でると幸せになるってことで、鼻だけピカピカになってる。

[赤] 触れないけどマドリッドのプラザデルソルの広場の真ん中にも熊のオブジェがあった。わが渋谷の広場にもハチ公がいる。これ、最強。触りにくいけど。

[青] こういうあざといモノの在り方に、近代的な思考は太刀打ちできないね。

[赤] 人間の本性に繋がってるからじゃないの。この不合理な脱構築には、社会的な建前や常識じゃあ太刀打ちできないんだよ。

[青] それを仕込む人たちはあんまり好きになれないなー。

[赤] でもそれを百も承知で恥じらいもなくやってしまう。それが効果絶大なんだよ。

[青] いわば理屈や意味が至る所に貼り付けられた建築や都市の真っ只中で、理屈に合わない意味の真空地帯ができる。そうすると、人はそれに引き寄せられていくんだな。

[赤] これはおそろしいことでもあるんだけどなー。こわいこわい。

ノスタルジーってありか

[青] 考えてみれば、モダニズムは枠組み全体が建前で、まずそれは疑わないことになっている。

[赤] でも、実はその裏に企みとあざとさがあると思うんだけど、それは問わないことになっていて、そこからは進化論的なシステム一直線で結論までいく。

[青] だけど、人の心なんてそんな単純なものじゃあないんだなー。

[赤] 建築でいうと、モダニズムのあざとさに対抗するには、別のあざとさを身につけなきゃならないのかも。

[青] ピアソラの音楽なんてそれに近いんじゃないかなー。クレンメルも言ってるみたいに、ノスタルジーという回路を使って色々なことが表出する、ってこともあるのかもしれないんだよ。

[赤] そう、キーシンの蛍の光もそれだよ。キーシンは余興みたいにやって舌を出したわけだけど、ピアソラの方はちょっと命懸けだけどね。決して舌を出して、なーんちゃって、なんてことはしない。

[青] それはそれで凄みがある。

[赤] ノスタルジー、これ建築界じゃあ禁句みたいになってるけど。

[青] 歌謡曲のご当地ソングみたいなもんだろ。それをやっちゃー、おしめーよー、みたいな禁じ手だね。

[赤] きっと、ウケ狙いは作法に反する、みたいに思われてるよね。やるとしても一捻り欲しい、なんて評価になりがちだよね。

[青] 考えてみれば、益田の建物で石州瓦を使ったのだって、白い目で見られたんだからな。たしかに地元の人からは歓迎されたけど、あざとい下心なんてまるでなくって、どちらかというと直球勝負だったんだけどな。

[赤] 都会の建築家たちからはそうは見られなかったんだと思う。

[青] 最後に、なーんちゃって、なんてまるで思いもつかなかったよなー。

[赤] オレたち凡人にはそんな真似はできないなー、建前で突っ走って、最後に、なーんちゃって、って舌を出す、なんて、、、、、。

[青] できねーだろーなー、そんな器用なこと。

[赤] たぶんな。

グラントワの中庭(写真:内藤廣建築設計事務所)

一生に一度ぐらい舌を出してみたい

[青] でもやっぱり、一生に一度くらいは、露骨にあざとい建築をやってみたいな。

[赤] ほら、君たちの望んでいるのはこれだろ、なんて分かりやすい建築言語がひけらかしてあって、でもそれが受け手の感情を揺り動かすような説得力があるっていうような建物。

[青] 天才じゃないんだから、そんなもん目指さない方がいいよ。

[赤] バロックのベルニーニやボロミーニなんてそんなあざとさが見え見えだよね。ほらほら、言いたいことわかるだろ、みたいなとこあるよね。

[青] だからバロックは要注意なんだよ。

[赤] 最後に舌を出していないところがつまらない。あそこまでやったら、最後は、なーんちゃって、ってやってくれなきゃ。

[青] あれだったらモダニズムの教条的かつ啓蒙的な方が可愛い。まじめ一本槍だからね。

[赤] コルビュジエのロンシャンなんて、なーんちゃって、なんじゃないの。あの外し方は好きだなー。やられた、って感じもするしね。なんだそういうことだったんですか、って思えるもんね。

[青] ゲーリーはどうだ。

[赤] あれは初めから、なーんちゃって、って舌を出して、そのままそれが作風になっちゃったんだからつまらないな。

[青] 初めから壊れてるみたいなつぎはぎのバラックみたいな初期の住宅は面白かったんだけどねー。

[赤] ビルバオのグッゲンハイムもなんの感動もなかったしね。このあいだロスで街中のディズニーコンサートホールを見たけど、まるでつまらなかった。

[青] あれはひどかった。

[赤] 出した舌が固まって痙攣しているような感じがしたね。ただの学園祭のハリボテみたいだったな。ぜんぜん自由な空気がなかった。ああなると、形がただ悶え苦しんでるようにしか見えないね。

[青] あざとさが微塵も感じられなくて悲しいね。ゲーリーはマジなんだよ。だからつまらない。

[赤] 日本のどっかで作ったフィッシュダンスなんてバカバカしくて面白かったけどね。

[青] あれは完全な舌出しだな。

建築家なんですけど その一

[赤] どこをどう考えたって、オレたちの発想も言ってることも建築家として語ってるつもりなんだけど、ここのところなんか建築家として扱われてないみたいな気がするなー。

[青] こんな建築なのかどうかわからないこと書いたりして、いろんなことをやり過ぎてるからだよ。

[赤] まあ、こんな掛け合いまでやって、雑学と雑念ひけらかすみたいな、なんの役にも立たないことを好き好んでやってるからなー。

[青] 扱いにくいヒマなヤツだと思われてるんだよ、きっと。

[赤] そもそも牧野富太郎記念館をやったあと、土木の世界に足を踏み入れて、あっ、あの人は建築を捨てて土木に行ったんだ、って思われてるだろうし、それも保守本流の東大だから野党的な気分の母校の早稲田の連中からは、なんだアイツ、って思われたに違いないよ、きっと。

[青] 学生運動をやってたちょっと左寄りの連中からは、鼻持ちならない権力志向って思われたかもね。

[赤] 全然そんなことないんだけどね。そのあたりにはまったく興味がない。

[青] あのころ建築に限界と幻滅を感じていたから、知らない世界を知りたい、って気持ちが強かったのかもな。

[赤] それを知って建築って価値が生きる活路を見つけたい、って願望だね。祈りみたいな気分かな。

[青] それにしても。土木は本当に知らないことばっかりだったなー。

[赤] 十年間、建築だけやってたら会わないような人たちに囲まれていたからね。

[青] まるで違う国に行ったみたいだった。言葉も違うし考え方も違う。

[赤] 技術の範囲も工学的にも隣なのにね。

[山口文象] 土木の素晴らしさをそそのかしたのはボクなんだけどね。ちょっとクスリが効きすぎたかな。

[青] あの感じは、スペインに行って住み始めた時と似てる。

[赤] 違いは、スペインは二年で戻って来い、って言われたから短かったけど、土木は十年やったから大体言葉はわかるようになった、ってとこかな。

吉阪隆正(写真提供:アルキテクト事務局)

[吉阪] だから、十年同じ穴を掘れ、って言ったろう。

[青] まあ、そのとおりにやってきましたけどね、くるしい。

[赤] どんどん孤立していきますよー。

[吉阪] まあ、そんなもんだよ。

[青] そんなわけで、カッコ付きでレッテル貼られて仲間から外された。まあ、若い頃から、いや子供の頃から孤立しがちだったから、仲間外れには慣れてるけど。

[赤] これも若いころに磯崎さんの批判をやった後遺症かなー。

[吉阪] 出る杭は打たれるから、出てみたら、ってそそのかしたのはボクだけどね。

[青] 出たけど、打たれても出っ放し、っていうのも問題ですね。タチの悪い釘なのかも。

[吉阪] 打った先になにか固いものが埋まっていたのかもしれない。運が悪かったんだよ。そこまでは責任持てない。

[青] たしかに。磯崎新、ポストモダニズム、百年来の建築と土木の分野の断絶、そのはざまに取り残された都市、中越地震、東日本大震災、、、、、どれも固過ぎですよー。

[吉阪] そこに加えて、渋谷に巻き込まれて都市を扱う人みたいに思われてるんだろ。それだっていいじゃないか。

オレってなに

[青] 渋谷が出来上がるのにはあと二十年近くもかかるけど、今のところなんとなくうまく行っているような噂が立って、新宿、品川、名古屋、札幌にも巻き込まれているんですよ。

[赤] ここのところそれに加えて市ヶ谷駅や四ツ谷駅にも。街づくりでは、日向市、周南市、最近じゃ鳴門市も。なにやってんだか、って感じですよね。

[青] あと、大学関係だな。そもそも東大のキャンパスが無法地帯になりつつあったから、キャンパス計画室でその立て直しをやろうとしていたらいきなり副学長を任命されて、、、、。

[赤] それはそれなりに使命感を持ってかなり頑張ったんですけど。これもそれまで会っていなかった執行部の先生方と話ができて面白かった。

[吉阪] そういうのを面白がっちゃうところが欠点だね。

[青] キャンパスのルールを再構築したし、中庭の大銀杏を残したし。図書館前に巨大な地下書庫を構想して文系再編を目論んだしな。

[赤] 川添善行君が後を引き継いで実現してくれた。安田講堂に総長室を戻す構想も立てて、千葉学さんがうまくまとめてくれた。

[青] 1968年の学生運動で逃げ出してから、そのまんまになっていたんだからね。責任者の所在は分かりやすい方がいいに決まってるからね。

[赤] なんだかんだ結構貢献したと思うよ。

[青] さて、土木も景観も東大も十年一区切り、また一人の建築家に戻って建物を作ることに専念しようと本気で思ってた。ようやく、って感じだったよね。
牧野以来、十年回り道をしたわけだからね。

[赤] 東大の最終講義の日がたまたま東日本大震災、運命のようなものを感じちゃったんだなー。あの日から十年、三陸に通い続けたからなー。

[青] いくらなんでも230回の出張はやりすぎだよ。大学辞めた分がそのまま復興の時間になった。きつかったなー。

[赤] 復興でも孤立していたけど、世の中からも建築界からも、あの人は復興関係の人みたいに思われたかもね。

[青] グッドデザイン賞の審査委員長を2007年から三年やって、そのあとはこの団体の評議委員、今は会長職。今度は、あっ、あの人はデザインの人なんだって建築の人からは思われてるかも。

誤解の上塗り

[赤] たぶんオレたちの本心とは違って誤解のされまくりだねー。

[青] まあ、世の中そんなもんだって。わかる人だけ分かってりゃいいんだよ。

[赤] 多摩美の建物の設計を依頼されて設計をしていたら、学長やってくれ、って頼まれた。これは歳だから随分悩んだけど、本部棟の設計をやっているんだから、これは断れないよねー。

[青] まあ、それ以上に、アートに興味があったからなー。彼ら、若い人たちはクリエーションの最前線でなにを考えているんだろう、ってことに興味があった。これも知らない世界を知りたい、っていう悪いクセだね。

[赤] でも、とんでもなく面白かった。まだ垣間見ただけだけどね。東大がカバーしている範囲以外のすべて、っていう気がする。

[青] 建築外の人から見ればますます正体不明、自分だってそう思うこともあるもんね。あんまり過激なことも言わないから、使い勝手がいいんだろうね。

[赤] 体制側の鼻持ちならない奴だ、と上の世代からは思われてるんだろうな。上の世代が大好きな造反有理っていうのもわかるけど、体制側にもそれなりの有理があって、まあ言ってみれば体制権内野党ってとこかな。

[青] 造反有理、体制権内野党、古い言葉だなー、懐かしいけど。

[赤] これでも日々かなり戦ってはいるんだけどね。相手の事情が多少はわかる、ってとこかな。

[青] 相手の方が賢くて、便利に使われてるだけかも。

[赤] 性分かな。

建築家なんですけど その二

[青] あいかわらずコンペにはよく負けるね。

[吉阪] オレもずいぶん負けた。ほとんど勝ったことなんてないんじゃないの。箱根の国際観光センターの案、あれけっこういい案だと思うんだけどなー。

箱根国際観光センターコンペ(1971年)・吉阪隆正案(イラスト:宮沢洋)

[赤] 形も明解だし、あれができたら先生の人生も違ったものになったでしょうねー。

[吉阪] もっと建築家寄りの人生だったかもな。

[フェルナンド] ボクだってモンテカルロの多目的センター、あんないい案作ったのにアーキグラムに負けたんだからな。

[青] 絶対にあの案の方が良かったですよねー。

[菊竹] ボクだって京都国際会議場のコンペ、あんなに意気込んで画期的な案をつくったのに落とされたからねー。あれは晩年までこたえた。

[赤] 考えてみると、よく負ける師匠たちに師事しちゃったんですねー。

[吉阪] 運命だな。

[赤] 昔からよく負けてるから今さら嘆いてもしょうがない。

[青] その点に関してはおんなじだよ。

[赤] 負ける角には福来たる、って言うじゃないか。

[青] そんなの聞いたことない。笑う門には福来る、だろ。

[赤] それじゃあ、負ける角には鬼来たる、ってのはどうだ。

[青] それはなんとなくわかるような気がする。

魔法の杖の使い方がわかんねー

[青] あれだけ負けたから益田での展覧会でunbuiltの展示が成立したんだから、よかったんじゃないの。

[赤] オマエ、冷めてるなー。その考え方けっこう腹が立つけど。オレたちの思いつきやアイデアを信じて、必死で徹夜したスタッフの気持ちにもなってみろよ。

[青] まあ、わかるけど、これも運命さ。ツキがない時もあるし。

[赤] 人によっては、builtよりunbuiltの方か面白かったっていう人もいるくらいなんだからなー。人の不幸は面白いんだよ、きっと。

[青] トルストイもアンナ・カレーニナの冒頭で言ってるじゃないか。「幸福な家庭はすべて互いに似かよったもものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。」

[赤] 幸福はどれも似たような顔をしているが、不幸にはどれも個性がある、ってことだよね。

[青] そう言われてもなー、って感じがしないでもないけど、これが長編の冒頭で、読んでいくと、なるほどなー、ってことになる。実際の事件をソースにしているみたいだけど、アンナはかわいそうだ。

[赤] でも、不幸より幸せの方がいいにきまってるよね。ありきたりの生活に満足できれば、その方が幸せになれるのかも。

[青] でも人間てそんな単純な存在でもないだろう。もっと不条理な存在なんだよ。その不条理さを社会制度の中で飼い慣らしている、っていう見方もある。

[赤] トルストイはそれを描いたんだね。

[青] いろいろ考えると、建築家って難しい仕事だね。依頼主が公であれ個人であれ建て主を幸せにしようと一所懸命やるわけだから。個別の家にせよ公共の仕事にせよ、大小はあるにせよその共同体が抱えている不条理を形にする、ってところは確かにあるな。

[赤] そう考えると、幸せを願ってムリやり個性的な建物を作るってのも妙なことになるよね。でも、なんか話がねじれてきたな。

[青] 不条理を別の形に変換する、昇華する、っていう希望もあるぞ。そう考えなきゃ意欲が湧かない。

[赤] そう考えることにしよう。前向き前向き、、、、、、、。

[青] 建築家はそういう魔法の杖を持っているって考えなきゃ。

[赤] 魔法の杖かー。その言葉、あざとくていいよねー。

内藤廣展・Unbiltの会場風景(写真:内藤廣建築設計事務所)

建築の存在価値って個性なのか

[青] 個性を出さないとコンペには負ける、たとえ建物が出来上がっても、個性がないと無視される。散々そんなことをやってきたけど、四十年以上もやってるとなんか苦しくなってくるよね。

[赤] なんか無理して個性を作ってるような気になってくる。

[青] そう、純粋であるべき建築表現に嘘が混じる気がする。

[赤] でも、個性って言ったってよくわかんないよ。いろんな個性もあるし、個性のあり方もあるんだから、

[青] 小さな建物には小さな個性を、大きな建物には地域に対する大きな個性を、って感じじゃないの。建物の大きさと向き合う時間の長さの違いはあるんだよ。

[赤] 個性と時間かー。短い時間には小さな個性を、長い時間には大きな個性を、って考え方は新しいかもしれない。

[青] 小さな建物には人の生きる時間の身の丈に合わせた時間を、大きな建物には長い時間を、その中で発揮する姿形、ってことなんじゃないか。

[赤] なんかもっともらしいけど、そんな感じかな。

[青] じゃあ、郊外型のショッピングセンターはどういうことになるのかな。やたらとデカイけど。

[赤] 商業としては構えは大きいけど、地域の時間とは無関係なんだから、あれはとても個性とは言えないな。向き合っているのは、明日売り上げが上がるかどうかなんだから、時間は短いし儚い。

[青] まったくひとりで田園風景を全部壊している感じあるしね。なんかもっと違う存在の仕方があるはずなんだけど、誰もまだ提案できていない。

[赤] それじゃあ、都心にニョキニョキ建ち上がってきている超高層は。

[青] あんなガラスの箱に入って何が楽しいんだろう。

[赤] オレたちとは別世界だなー。あんな中に閉じ込められたら気が狂っちゃうよ。暴れ出すかもしれない。

[青] あの箱に入るのが、企業としても個人としてもステータスなんだよ。

[赤] えっ、それでいいのか。それにしちゃあデカすぎるよね。

[青] 資本主義社会の覇者ってことなんじゃないの。

[赤] だったらもっと威張った感じの方がよくないか。

[青] そうだね。あえてボリュームの大きさを消すようなガラスのファサードだもんね。正体を隠しているようにしか見えない。

[赤] ステルス型の建物がほとんどだもんね。ぼくたちそんなに怖がられるようなたいそうなもんじゃありません、見かけは大きいけどそんな怖がるようなもんじゃございません、っていうことが言いたいのかな。

[青] そういうゲームなんだよ。

[赤] でも、こんなゲーム、長続きするわけないよね。三十年前の80年代のバブルの時とほんとによく似ているよね。

[青] あの時も東京のオフィス需要は全然足りていないってみんな言い張っていたもんね。

[赤] この先どうなることやら。審議会ではやたらと審議する側に回らされるけど、まだまだかなりの数を作るつもりのようだから大丈夫かね。

[青] でも、いくら言っても言うこと聞かないからさじを投げるしかないね。文句はいうけど、やりたければやればー、って気分だよね。

[赤] なによりオレたちのこと建築家と思っていないからなー。それが一番の問題だよ。

[青] 建築家としてだれも頼みに来ないから、オレたちは高みの見物といくか。

[赤] ちょっと僻んでる気もするけど。

[青] まあ、性に合わない、ってことにしておこう。もともと大企業とは相性が悪いんだよ。言いたいこと言うから。

違いのわかる男になりたい

[青] 時たま考えるんだけど、「建築」と「建築でないもの」とはどこに境界線があるんだろう。

[赤] そりゃ難問だな。だいたいそんな分かれ目なんてあるのかなぁ。一昔前、インスタントコーヒーのテレビCMで「違いのわかる男」ってのがあつたよねー。カッコよかったなー。

[青]「建築」と「建築でないもの」、その違いがわかる男になりたいもんだね。

[赤] これがなかなかむずかしい。だってだれも「建築」を真剣に考えていないんだから。世間的に有名になるための手段、くらいの認識なんじゃないの。

[青] かなり前から「建築」という言葉そのものに問題があることは、オレたちことあるごとに言ってきたよね。

[赤] こんなことを言い始めて二十年以上かな。でも、なかなかわかってもらえないみたい。挙句の果てに、「建築」って言葉はますますボロボロになってきた感じがする。末期現象だね。

[青] 新国立競技場が白紙になったことがこの流れを加速したんじゃないかなー。

[赤] ザハの案は、まさにそのことを問う案だったんけどねー。建築界の議論は全然違う方へ転んでしまったのが残念。あれが最後の機会だったかもしれないね。

[青] 時代はどんどん転がっていくね。もうずいぶん前のことに思えるんだから。

[赤] あれでタガが外れた気がする。みんな違いがわからなくなっちゃったんだよ。違いがわかる男がいなくなった。

[青] 建築家っていう種族は、建築と建物、architectureとbuilding、長い間これらの言葉を混同して適当に使いまわしてきたんで、もはや整理がつかなくなっちゃったんだよ。

[赤] 文章を書いてるとつくづく思うよ。けっこう注意しているつもりだけど、オレたちだって、うっかりすると乱用しちゃうもんね。このあたりの図々しいほどのいい加減さが、この国の文化のたくましくていいとこでもあるんだけどね。

[青] でも少しは整理しとかないと、いずれとんでもないことになるぞ。何か考えたり書いたりするにも、建築って言葉が全く役に立たなくなる。

[赤] architectureという言葉は中学校でも習うけど、その時は複数形のない抽象名詞として教わるよね。それはみんな知ってる。でも、忘れてる。

[青] 明治22年の『工学字彙』では「構築物」とされていて、どうもこの辺りから怪しくなってきている。オレはいっそ「構築する意志」とでも呼ぶべきだと思っているんだけど。特に最近、computer architectureとかsystem architectureなどの言葉が飛び交うようになったから、この際、architectureという言葉を再定義しておくべきだよ。

[赤] そこで新たな問題が生じてくる。さてそれでは、「建築」と「建築でないもの」とはどこに境界線があるのだろう、ということになる。

[青] それがここで論じてみたいことなんだね。だんだんわかってきた。

パレスサイドビルのお隣さん

[青] 名建築の誉の高いパレスサイドビル。

[赤] あの建物は会議なんかでよく使うけど、訪れるたびにいい建物だと思うなぁ。建物配置、ファサードの構成の仕方、プロポーション、エレベーターホール、手摺などの細部のデザイン、林昌二さんがモノに託したメッセージが伝わってくるよ。

パレスサイドビルディング(1966年、設計:日建設計工務)(イラスト:宮沢洋)

[青] この建物から受け取るものは紛れもなく「建築」だろう。では、新しく建った隣の超高層ビルは「建築」だろうか。

[赤] 図体は大きいけど、どうしてもあれを「建築」とは呼べないね。

[青] パレスサイドビルはあの時代の新しいオフィス空間を示そうとした建物で、古い価値の象徴である皇居に敬意を払いつつ、その時代の貨幣価値を超えた未来を示そうとしている。

[林昌二] うーん、なかなかいい線いってる。あれ担当したのはまだ三十代だからな。若かった。やり過ぎたところもあったかもしれないけど。

[赤] とても好きな建物ですよ。あそこでは林さんの中の赤鬼と青鬼がどの部分を見ても激しくせめぎ合っているのがよく分かります。

[林] 君たちの分け方に乗るとすると、青っぽいところは徹底した整合性、ファサードのプロポーション、素材の使い方。赤っぽいところは、それに収まりきれないもの。エレベーターホール、それとそのシャフト、ってとこかな。

[赤] ギリシャ風の柱みたいなPCaの外壁、あれは必然性の外にありますね。デザインといってもいい。これはポストモダニズムの先取りですね。

[林] うーん、そんなつもりもないんだけど。

[赤] 似たようなものは、磯崎新の廃墟の中に建つギリシャ風の円柱のコラージュ。でも、それは随分後のことです。

[林] みんなあんまりそのことについては言ってないね。

[赤] 細かいところでは、外壁の雨樋。不思議なロート状の受け皿、竪樋の細かなリブ、全体の中では付加的な要素だけど、どの部分も考え尽くされている。

[青] 一方で隣の超高層は、資本の下僕として現代に忠実な姿を示していて、これも分かりやすい。同じ設計事務所なのに、時代が経つとこうも変わるのか、とため息が出ちゃうね。

[赤] つまり、今の貨幣価値に焦点を合わせた差し障りのない建物としか言えないんだな。

[青] 発注者からすれば、経済的合目的性にかない、巨大さや強欲さを柔らかなファサードで包み、あえて話題性を喚起するわけでもなく、意図的に無為を装って建っている。周囲と問題を起こすわけでもない。だから何の問題もないんだろうね。

[赤] 都の審議では、隣が名建築なんだから、と何度も言ったけど、結局言うことの意味を設計者には分かってもらえなかったみたい。有耶無耶にされたのかな。

[青] しかし、くどいようだけど、それを建築とは呼びたくない。

[赤] オマエ、今日はやけに頑なだな。

[青] そして今や東京を埋め尽くしつつある超高層や巨大開発、経済的なロジックに乗ったその多くを、図体は大きくて立派で目立つけど、精神が抜け落ちたそれら多くの抜け殻を建築とは呼びたくない。

[赤] 基本的にはわかるけど。

[青] 何年か前に、パレスサイドビルの8階に日建が分室を作ったけど、よくそこで会議があるんだけど、そのエントランスホールにこの建物のオリジナルの図面が額装されて展示されている。

[赤] たしかに、あれを見ると身が引き締まる思いがするよね。建築的な意思が図面からひしひしと感じられるもんね。

[青] 手描きの図面だけど、整った図面全体の雰囲気から、設計者の研ぎ澄まされた感性と頭の良さが伝わってくるんだよ。

[赤] 見てない人がいたら見た方がいいよ。誰でも見られるスペースだから。

[青] おいおい、こんなこと喋ってきて、この話終わらねーなー。

[赤] またまた延長戦だね。次は最終回だぞ、大丈夫か。

[青] まあ、気まぐれな原稿だから、何とかなるんじゃないの、所詮は鬼の戯言だし。

[赤] って、いうところは、なーんちゃって、が含まれているよね。

[青] 建築じゃあなかなかできないけどな。

内藤 廣(ないとう・ひろし):1950年横浜市生まれ。建築家。1974年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学院理工学研究科にて吉阪隆正に師事。修士課程修了後、フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て1981年、内藤廣建築設計事務所設立。2001年、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授、2002~11年、同大学教授、2007~09年、グッドデザイン賞審査委員長、2010~11年、東京大学副学長。2011年、東京大学名誉教授。2023年~多摩美術大学学長

ついに次回は最終回! これまでの記事はこちらで↓。