3月22日は丹下健三の20回目の命日だ。丹下が91歳で亡くなったのは2005年3月22日。今年3月1日に発刊した『丹下健三・磯崎新 建築図鑑』のために書いた「丹下建築を味わうための5つのキーワード」を没後20年の記念として公開する。紙幅の関係で泣く泣く落としたキーワードを1つ加え、「6つのキーワード」として、前後編で紹介する。(宮沢洋)
①ル・コルビュジエ
丹下健三は旧制広島高等学校の図書室でル・コルビュジエ(1887〜1965年)の存在を知った。特に「ソヴィエト・パレス」のコンペ案(1932 年、落選)に衝撃を受け、建築家を志す。

コルビュジエは丹下よりも26 歳上。1927 年に「近代建築五原則」(ピロティ/自由な平面/自由な立面/水平連続窓/屋上庭園)を発表。それを体現した「サヴォア邸」が1931 年に完成し、世界に名を知られつつあった。

丹下は東京帝国大学建築学科を目指すが、受験に2度失敗。1935年、3度目で合格。卒業すると、パリのコルビュジエの下で修行した前川國男(1905〜1986年)の設計事務所に勤めた。勤務の傍ら、1939年に「ミケランジェロ頌」と題した文章を発表(頌は「たたえる」の意味)。丹下が憧れたミケランジェロとコルビュジエの2人を重ね合わせて論じた。

1951年、前川に同行したCIAM(近代建築国際会議)の大会で、初めてコルビュジエ本人に会う。デビュー作の「広島平和会館原爆記念陳列館」(1952年)は、コルビュジエの「ユニテ・ダビタシオン」の影響が見て取れる。

②鼓(つづみ)形
丹下の建築(案も含む)の平面には、しばしば台形を線対称に折り返した形が現れる。「鼓形」と呼ばれるその形が確認できるのは、戦時下のコンペ案「大東亜建設忠霊神域計画」(1942年)から。

実現したものでは「広島平和記念公園」コンペの全体計画(1949 年)が有名だ。陳列館(1952年)の室内にも、鼓形が見られる。

その後も「日南市文化センター」(1962年)や「国立屋内競技場」(1964年)などで、この形がベースとなった。この形の源流を遡ると、やはりル・コルビュジエの「ソヴィエト・パレス案」の影響があることは明らかだ。

③展望台
丹下の建築には、最上部に展望台を設けたものが多い。海の見える立地では100%と言ってよいくらい展望台がある。有名なのは「香川県庁舎」(1958年)で、ここの屋上にはル・コルビュジエを思わせるデザインの展望タワーがある。その足元にはかつて、バーカウンターもあった。

丹下の故郷である今治市の「今治信用金庫」(1960年)には、彫刻のような造形の展望台がある。

後期の建築でも、「東京都新庁舎」(1991年)には2つも展望室があるし、「フジテレビ本社ビル」(1996年)では展望室が文字通り、外観の“目玉” となっている。

後編(④~⑥)はこちら。(2025年3月22日公開)
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