先陣を切る「旧東京中央郵便局」ツアーに同行、ガイド2人のディープな吉田鉄郎逸話に感服──東京建築祭2024ルポ02

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 5月20日夜にキックオフイベントが開催された第1回「東京建築祭」。メイン期間は今週末の5月25日(土)、26日(日)だが、すでに一部のガイドツアーなどは始まっている。その1つ、5月22日(水)の午後に開催されたガイドツアー「【旧東京中央郵便局・明治生命館】建築史家&改修設計者と、傑作モダン建築を見学」(ガイド:田所辰之助+大西康文)に同行してきた。

旧東京中央郵便局のガイドツアーの様子。この建物はこちらの面(南側)がかっこいい! と私が思っていたのは間違いではなかった。理由は後述(写真:宮沢洋)
おなじみの東京駅側外観(写真提供:東京建築祭事務局)

 見学の中心となる旧東京中央郵便局は、逓信省在籍時の吉田鉄郎(1894~1956年)の設計で1931年に竣工した初期モダニズムの傑作。2012年に三菱地所設計・ヘルムート・ヤーン・隈研吾建築都市設計事務所の改修設計により、一部を保存しつつ超高層ビルに生まれ変わった。

 抽選に当たった幸運な20人と、幸せおすそ分け的な1時間半だった。実は筆者(宮沢)は、前職(日経アーキテクチュア)時代、旧東京中央郵便局(以下、中郵と略す)の保存運動の取材を担当していた。保存派の国会議員だった故・鳩山邦夫氏や建築史家の故・鈴木博之氏にも取材した。だから、「中郵のことは大体知っている」と思っていた。だが、しかし…。終わる頃には「いやー、ガイド付きってなんて素晴らしいんだ」とガイドの2人の知識に感服した。

左が建築史家で日本大学理工学部建築学科教授の田所辰之助氏。 専門は近現代建築史・建築論。 一般社団法人DOCOMOMO Japan理事。 20世紀初頭のドイツの近代建築を専門に、また日欧の近現代建築史について横断的に取り扱っている。著書に『マトリクスで読む20世紀の空間デザイン』『吉田鉄郎の近代-モダニズムと伝統の架け橋』など。
右は三菱地所設計チーフアーキテクトの大西康文氏。JIA関東甲信越支部保存問題委員会委員。J Pタワー(旧東京中央郵便局)の設計を担当後、三菱地所設計諮詢(上海)にて近代建築の保存再生と大規模再開発、都市計画マスタープラン等を担当

 詳しく書くと会期が終わってしまうので、スナップ写真とともに、筆者が「知らなかった!」ということだけを書く。

ツアーの集合場所は国の重要文化財「明治生命館」(右)と「明治安田生命ビル」(左)で構成される「丸の内 MY PLAZA」のアトリウム
まずは、集合場所から近い明治生命館の外観デザインについて田所教授が説明。「コリント式」の柱頭装飾の起源についての説明もあり、「そうだったのか!」
5分ほど歩いて、中郵の南側へ
竣工時の写真を見せながら、ブルーノ・タウトはむしろ南側のデザインを褒めた、という説明を聞き、「タウト分かってるじゃん!」とうれしくなる
東京駅からよく見える北側に回る。柱の形が外に現れる外観デザインは当時のバウハウスにはないものだったという説明を聞き、なるほど確かにと納得
郵便客内も見学。特徴である八角柱の説明の後、照明は当時のものを復元したという説明も
あ、本当だ

最後は屋上で東京駅周辺の「100尺(31m)規制」の話を聞いて締め。後ろに見えるのはかつての煙突を復元したもの(今は煙突の機能はない)

 と、ざっくりの紹介でも濃密さが伝わるであろう1時間半。見学中、メモを取っている参加者もかなりいた。その気持ちが分かる。初めて来た人よりも、むしろ何度も来ている人の方が発見が多かったのではないかと思う(筆者もその1人)。

 個人的にツボだったエピソードは、吉田鉄郎は晩年、「自分は平凡な建物をたくさんつくってきた」と自虐的に語ったという田所教授の話(さすが建築史家!)と、大西氏のいかにも設計者らしい“吉田鉄郎タイル割り神話”。それは当初のタイルを保存したメインの入り口周りに象徴的に表れている。

右側の少し汚れた部分が保存タイル、左側がそれにならって張った新タイル

 既存の建物には、どこを見ての半端な大きさのタイルがなかったという。つまり、吉田はタイルの寸法から外観を設計し、その図面通りにタイルを張らせていたのだ。ひえーっ。吉田はまじめで潔癖な人だったという話は読んだことがあったが、そこまで? 部下や施工者はたまらん…。

 そんなわけで「中郵のことは大体知っている」と思っていたことを2人に謝りたい。東京建築祭、恐るべし。

 明日以降も、いくつかのガイドツアーをリポートしていくのでお楽しみに(ガイドツアーの受け付けはいずれも終了している)。予約なしでこれから誰でも見られる「特別公開」18件についてはこちらのページを見て計画を!(宮沢洋)