これが青木淳氏の「日本館」だ! AIとの「中立点」はわかりやすさとの距離感?──ヴェネチア・ビエンナーレ体験ルポ01

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 イタリアのヴェネチアで2年に1度開催される「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展2025」が5月10日から11月23日まで開催中だ。開幕時に一部メディアの報道で「国別参加部門の金獅子賞(最高賞)にバーレーンの展示が選ばれた」という情報が流れて以降、今年の日本館(キュレーター:青木淳氏)の様子がちっとも目に入ってこない。これは日本の建築界を代表してBUNGA NETが伝えなければと、身銭を切ってヴェネチアまで見に行ってきた。

日本館の展示の様子(写真:宮沢洋、以下も)

 …というのは、かなり盛った前振りで、「身銭を切っている」のは本当であるものの、もともと宿泊費が高いオープニング時期を避け、落ち着いた6月に見に行く予定を立てていた。その方が“普段の来場者の反応“を見ることができるメリットもある。

 それにしても、日本館の情報を目にしない。国際建築展の国別部門には約60カ国が参加しており、金獅子賞(最高賞)を取れる確率は60分の1。取れなかったから報じないというのでは、平均確率だと120年に1回しかニュースにならないことになってしまう。いいのか、日本? これを読んだ人は「BUNGA NETに日本館の記事が載ってるぞ」と拡散してほしい。

AIを使わない青木淳氏が若手とともに探る「中立点(In-Between)」

 青木淳氏がキュレーターを務めた今回の日本館は、「中立点(In-Between) 生成AIとの未来」がテーマだ。キュラトリアルアドバイザー:家村珠代(インディペンデントキュレーター、多摩美術大学教授)、出展作家:藤倉麻子+大村高広(アーティストと建築家によるユニット)、SUNAKI(木内俊克と砂山太一による建築ユニット)の各氏が参加している。

左から大村高広氏、藤倉麻子氏、青木淳氏、家村珠代氏、木内俊克氏、砂山太一氏。2024年7月の発表会見で撮影

 今回の国際建築展の総合テーマは「知。自然。人工。集合。」。AIはドンピシャのテーマといえる。

 青木氏がキュレーターに選ばれた際(昨年7月)、本サイトの下記の記事で報じた。

 この時、青木氏はこんなことを話していた。

 「生成AIと人間の“中立点”を探す過程から、設計や都市づくりを考えたい。芥川賞をとった九段理江さんの『東京都同情塔』などを読むと、AIが現代のものづくりの大きな問題であるということを考えざるを得ない。みんなが正しいと思う言葉だけをAIが拾っていくように、建築もやがてそうなっていくのか。自分の設計の進め方は模型が主で、AIを設計に使ったことはない。だからこそ、AIの“この先”を見てみたい。ディストピアを描くのではなく、一縷(いちる)の望みを見いだせればと思う」。(会見時の青木氏のコメントを要約) 

 その記事には、こんな外観イメージ↓が載っている。

2024年7月に発表されたヴェネチア日本館 AIによる改修イメージ図 (c)藤倉麻子+大村高広

 あくまでイメージだとの断り書き付きで提供された図なので、全然違うものになるのだろうとは思っていたが、まさかの「いつもと全く同じ外観」だった↓。

今展での日本館の外観。住所はPadiglione Giappone, Giardini(ジャルディーニ) della Biennale | Castello1260, 30122 Venezia

 実は、偉そうなことを言いながら日本館を訪れるのは今回が初めて。なので、ノーマルな姿を見られてかなり嬉しい。

 外観はいつものままだが、日本館の2つの展示エリアの1つであるピロティ(半屋外)はこんなことになっていた。

 壁にこんな説明書きがある。

 イタリア語が全くわからないのはもちろん、英語も中学生レベルなので、グーグルの画像翻訳に助けを求める。

 日本語としてこなれてはいないが、瞬時に翻訳してくれるのでありがたい。(ヴェネチアでこの機能を1日に何回使ったことか…)

 中央の円盤状のものは、1956年に日本館が建設された陶器の破片にインスパイアされたものであるらしい。そして、細長い植木鉢のようなものは、仮想のループの断片を示しているようだ。

 これらがAIとの対話の中で生み出されたものだという前提を筆者は知っているわけだが、何の予備知識もなく訪れた来場者はみなキョトンという感じだった

 ピロティを時計回りに回る形で屋外の階段を上り、展示室の入り口前へ。ここでようやくテーマが「In-Between(中立点)」であることがわかる↓。

 建物に入るとこんな説明↑。すぐに翻訳↓。

 グーグルの画像翻訳は「I(大文字のアイ)」と「l(小文字のエル)」の判断が苦手らしくて、「AI」を「アル」と訳してしまうのはご愛嬌。

 室内はこんな感じだ。壁と床は緑に塗られている。

 壁の説明をまた翻訳。

 床の穴の周りに大小4つの映像装置がある。

 左手の大きなスクリーンは、3DCGの「建設ビデオ」。キリコの絵のようなシュールな風景が変化し続ける。

 壁に設置された2台のモニターは、ボソボソっと建築の部位と言葉を映し出す。

 右手の大きなスクリーンでは、食卓を囲む5人の男女がゼリー状の変な食べ物を食べながら、「穴」の話をしている。穴とは、展示室の床の真ん中にある穴のことだ。穴からは下のピロティの様子が見える。

 この穴を巡るAIとの議論からピロティのデザインが生まれたということ? 左のキリコ風動画はその発展形? そんな想像をしたのだが、17分間見終えてもはっきりしたことはよくわからかった。

制作プロセスがわからず、資料を読むも…

 うーん、これでは記事が書けない。答えを知りたい。ズルをしよう。日本館の主催者である国際交流基金が開幕時に出したプレスリリースを見てみた。青木氏のこんな文章が載っていた(太字部)。

■キュレーター・ステートメント

私たちはついつい、私たちを取り囲む環境を操作が可能な対象として捉えてしまいがちです。しかし、その認識こそが気候危機を引き起こしている元凶ではないでしょうか?

私たちは、気候危機を解決すべく、最大限の努力をもって、技術を進化させていく必要があります。しかし、それだけで は、気候危機を根本的なところでは解決することはできないでしょう。とはいえ、その一方で、技術を捨てて自然に回帰するというのも現実的な選択ではありません。

私たちに今必要なのは、私たちを取り囲む環境に対して、それを操作できるという認識とその逆にそれは操作できないという認識の、私たちは進む道の両側にあるどちらの陥穽にも転落しない第三の「知性」を持つことであると考えます。

操作は、操作する側と操作される側の、つまり主客の二分を前提としています。それゆえに、まず私たちは、主客分化をなくした地平に立ってみることから、思考実験を始めました。

日本には「間」という観念の歴史があります。「間」は、もともとは、日常的な意味での「あいだ」である以上に、2つの事物の応答(対話)が孕むテンションであり、そのテンションのふるまいがひとつの虚なる主体として機能するという観念でし た。その観念からすれば、主体は、私たち人間かその外部世界のいずれかにあるのではなく、私たち人間でもその外部世界でもない、第三の次元にある世界–中立点-のなかにあるということになるでしょう。 中立点とは、人間も非人間も、自然も人工も区別なく、それらの応答(対話)の状況そのものであり、そこに身を投じる ということなのです。

こうした知性を模索する試みとして、私たちは日本館の建物自体をとりあげることにしました。日本館を構成している事物-Hole(穴)、Wall Columns(柱)、Outer Walls(壁)、Brick Terrace(煉瓦テラス)、Pensilina (階段庇)、Tilted Loop Path(動線リング)、Yew Tree(イチイの木) -が対話、つまり情報の交換をはじめ、そこに人間がそれらと同等の存在として加わって、日本館のあり方について「話し合う」ようになる、そんなAI技術が進んだ、少し先の未来の状況を描くことにしました。 青木 淳

 具体的なプロセスの解説は最後の段落にあるのみだ。もう一度繰り返すと…。「日本館を構成している事物-Hole(穴)、Wall Columns(柱)、Outer Walls(壁)、Brick Terrace(煉瓦テラス)、Pensilina (階段庇)、Tilted Loop Path(動線リング)、Yew Tree(イチイの木) -が対話、つまり情報の交換をはじめ、そこに人間がそれらと同等の存在として加わって、日本館のあり方について「話し合う」ようになる、そんな AI 技術が 進んだ、少し先の未来の状況を描くことにしました。」

 あれあれ? 「穴」「柱」「壁」「煉瓦テラス」「階段庇」「動線リング」「イチイの木」+「人間」、ってことは全部で8者じゃないか。右のスクリーンの5人は何の象徴だったの??

伝えたかったのは“わかりにくさ“の重要性か?

 映像を2回見てみたが結局、意味がわからないまま、その日はホテルに戻る。数日後にウェブを調べていたら、Casa BRUTUS ウェブに関係者のインタビュー記事を発見。さすがCasa! 筆者が見に行った翌日に公開された記事のようだ。多分、これがこの展示の見方の答えなのだろう。全文引用するわけにいかないので、深く知りたい方はこちらを。

 正直なところ、それを読んでも完全には理解できなかった。だが、自分なりに納得はいった。「ああ、青木さんは、“わかりにくさ“の重要性を伝えたかったんだな」と。

 改めて思い出したのは昨年の会見での青木氏の言葉だ。前述のように青木氏はこう言っていた。「みんなが正しいと思う言葉だけをAIが拾っていくように、建築もやがてそうなっていくのか。」

 生成AIが紡ぐ言葉は正しくてわかりやすい。多くの情報はそこからこぼれ落ちていく。それに従うだけでいいのか。世界はさらに分断へと向かうのではないか。青木氏が見いだしたかった人間とAIの中立点(=一縷の望み)は、“わかりにくさ“を受け入れることの中にある、というメッセージなのだと筆者は解釈した。

 そして、今展ではそれが青木氏らしい「わかりやすさ」で伝えられているように思う。何かというと、右の5人の実写映像だ。奇妙な5人の食事風景を地元の子どもたちは、飽きることなくじっと眺めていた(すでに夏休みなので子連れが多い)。あの映像はテーマ的にはAIでつくればいいところだと思うが、青木氏は実写にすることで“わかりにくさがもたらす空気感“を来館者の記憶に残したかったのではないか。

対照的なハンガリー館のメッセージ

 ところで、日本館と同じジャルディーニ地区にある「ハンガリー館」もAIをテーマにしていて、こちらは対照的にわかりやすい展示だったので参考まで。

元ネタは「Less is more」でしょうね…

 説明なしでも伝わると思う。これはこれで面白いとは思うが、“わかりにくさを受け入れよ“という青木氏のメッセージ(あくまで筆者の解釈)がすごく誠実で前向きであるということが対比的に伝わるかと思い、載せてみた。

 次回は、すごくわかりやすい隈研吾氏による企画展での展示を紹介する。これは、もしかしたら日本のメディアでは初リポートかも。(宮沢洋)

ヴェネチア・ビエンナーレ体験ルポ02(2025年7月1日公開予定)