モダニズム再生新時代へ、大高正人の独立最初期「海員組合本部会館」が野沢正光の手で改修完了

Pocket

 2022年12月に行われた工事開始前の見学会からちょうど2年。2024年12月7日(土)、8日(日)に、「全日本海員組合本部会館改修工事 竣工記念見学会」が開催された。このリポートは素晴らしい仕上がりを報告する記事ではあるが、一番読んでもらいたい改修設計者の野沢正光氏(野沢正光建築工房)の笑顔を掲載できないことが残念でならない。

改修後の西側外観。鉄筋コンクリート造、地下3階・地上6階。南北2つのコアで各フロア内を無柱としている。場所は港区六本木15-26(写真:宮沢洋、以下も)
説明会(12月7日)の映像で紹介された野沢正光氏

 改修のいきさつは、2年前の見学会のリポートで詳しく書いたので、そちらを読んでほしい。

 2年前の見学会のときには、野沢氏は体調不良ということで、リモート中継で言葉を述べた。筆者は「風邪でもひいたのかな」くらいに思っていた。野沢氏は2023年4月27日に亡くなった。78歳だった。

 六本木のど真ん中に1964年に竣工したこの建築は、野沢氏の師匠である大高正人が、前川國男の下から独立したばかりの頃に手掛けた建築だ。そういう意味では大高の初期代表作であるが、同時に野沢正光の晩年の代表作であり、日本におけるモダニズム再生のエポックとなったと言ってよいだろう。モダニズム建築のコンバージョンはこれまでもなされてきたが、従前の機能を維持しつつ“磨き”をかけるという再生は珍しい。それは、野沢氏をバックアップした彼らの力があってのものだ。

全日本海員組合本部会館歴史調査および調査構想委員会のメンバーと、家具デザインを担当した小泉誠氏(左から2番目)。委員会メンバーは、大高事務所在籍時にこの建築を担当した増山敏夫氏(左端)、松隈洋氏(右から2番目)、松隈章氏(この写真には不在)、穎原澄子氏(後列)。藤本貴子氏(右端)の5人。ご苦労さまでした!

 もともと所有者の愛が伝わる魅力的な建築だったが(本当にびっくりするくらいきれいだった)、新生・全日本海員組合本部会館は大きく3つの点で建築的な価値を高めた。

①増築部を撤去して構造の負担を減らし、サンクンガーデンを復活させる。
②窓回りの断熱を強化するともに、室内の空気の流れを可視化。
③外観の意匠を変えずに安全性を高め、当初意図も明確化。

 順に写真で見ていこう。

①増築部を撤去して構造の負担を減らし、サンクンガーデンを復活させる

 竣工当初は東側にこのようなサンクンガーデンがあったが、1976年に大高とは違う設計者により鉄骨造で増築されていた。これが構造に悪影響を与えていたことから撤去し、サンクンガーデンを復活させた。地下1階の大会議室のロビーが地上のように明るくなった。

地下1階の大会議場

 改修の構造設計は、山辺豊彦氏が担当した。山辺氏は、元の構造設計を担当した青木繁研究室のOBだ。前回の見学会で山辺氏が説明したところによると、この建物は旧耐震ながら大きな構造補強の必要がないと判断された。それは当時、8階建てを想定して構造を検討していたことが大きいという(実際には6階建て)。加えて、オリンピックの直前で、コンクリートも良質だったとのことだ。

②窓回りの断熱を強化するともに、室内の空気の流れを可視化

 各階の床はジョイストスラブ(小梁が一方向に並ぶスラブ)でできており、事務室では梁が天井に隠れて見えなかった。階高が低いため威圧感があった。改修後は2〜4階の事務室については天井を張らずにこれを露出した。

 屋外側のガラスは、見付け50mmを維持して真空断熱ガラスに交換。その内側に木製建具のガラス引き戸を新設し、ダブルスキンとした。

 内側のガラス戸は単に断熱性を高めるためではなく、空調のリターンルートも兼ねる。

 下の写真は、空調ダクトの目隠しと空気の流れをつくる役割を兼ねたカバー。小梁と一体感があってハイテクデザインっぽい。それでいて木質感が優しい。設備計画の見える化という点でも出色だ。改修の設備設計はZO設計室が担当した。

③外観の意匠を変えずに安全性を高め、当初意図も明確化

 外観は相当見比べないと、変わったところがわからない。

 変わった点の1つは、屋外側ガラスのコーナー部分にスチールのY字柱を立てたこと。これは四隅の片持ち部分の上下振動を現行基準以内に抑えるためのもの。今回の改修は、増築のない既存不適格建築物の改修なので建築確認は必要ない。それでも東日本大震災の際にガラスが割れたことから、基本的に現行基準に合わせる方針とした。

 追加したY字柱は、元のサッシの見付け50mm内に納めたので、外から見ても中から見ても、ほとんど変化がわからない。

 地上のコーナー部分を見ると、Y字柱を加えたことがわかる。でも、そうと知らなければ、最初からこういうデザインだと思うだろう。これはこれでかっこいい。

 意図的に変えたのが、バルコニーを構成するプレキャスト部材の小口だ。下の写真をよく見てほしい。小口が青く塗られている。

 これは、改修工事に入ってから、部材の小口が当初は青く塗装されていたことがわかったからだ。改修の施工は竹中工務店。そんなこともうやむやにせず、設計者に共有するのがさすが。

改修工事前
再び改修工事後

 筆者は、なぜこの建物はコンクリート打ち放しでなく、白い塗装なのだろうと不思議に思っていた。大高自身が「六本木に無機質なコンクリートはふさわしくない」と思ったのかもしれないし、発注者から要望があったのかもしれない。でも、常に新しい表現にチャレンジする大高っぽくない気がしていた。部材の小口に色をつけていたことを知って、大高なりの都市的表現(要するにオシャレっぽさ)に挑んでいたことにうれしくなった。

 自分の宣伝になるが、筆者はちょうど彰国社『ディテール』2024年秋号の連載「イラストでわかるディテール名手のメソッド」の中で、「ゴツゴツ」というテーマで大高正人のプレキャスト・ディテールを読み解いたところだっだ。全日本海員組合本部会館 にも触れている。青い小口の話を知っていれば、それも書いたのになあ。

 記事全体(この号では大高の他にレーモンドとMARU。architectureを取り上げた)はお買い求めいただくか(こちら)、数年後に書籍化されるのをお待ちいただきたい。

 なお、改修後のこの施設は一般の人も入れるようになった。地下1階に、組合の活動について発信する常設の展示エリアができたのだ。執務エリアの入室は関係者のみだが、エントランスと地下1階を見るだけでも、その魅力は伝わるだろう。大高が当時目指した、開かれた会館に近づいた。六本木駅の地上出口の目の前なので、ぜひ訪れてみたい。(宮沢洋)

今回、増築部を撤去するという大手術が可能になったのは、六本木通りに面した細長い通路のような未活用敷地に、新築の建物「JSSビル」(写真の左側)を建て、そこにオフィス機能の一部を移すことができたからだ。こちらの設計も野沢氏