監修・石榑督和×会場構成・板坂留五による「闇市と都市」展、東京の街は「建物疎開」を起点とする露店街を今も映す

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 「戦後80年」という言葉を今年の夏はずいぶん聞いたが、建築関連の話題はほとんど見聞きしなかった。そんななかで、9月13日から始まったこの展覧会は、知らないこと・知るべきことが満載。東京に建物を建てている建築関係者は必ず行った方がよい展覧会だ。入場無料で、ついでに買い物もできる。

9月12日の内覧会で、新宿の闇市について説明する監修者の石榑督和氏

 日本橋高島屋S.C.本館4階にある高島屋史料館 TOKYOで始まった「闇市と都市―Black Markets and the Reimagining of Tokyo」である。

会場入り口
石榑督和著『戦後東京と闇市 新宿・池袋・渋谷の形成過程と都市組織』の表紙

 監修者は石榑督和氏(いしぐれまさかず、都市史・建築史/関西学院大学建築学部准教授)。石榑氏は、建築史の中でも「災害時の都市空間の破壊と再生」をテーマにしている。1986年生まれで、まだ30代。筆者は内覧会(9月12日)で初めて会ったが、石榑氏が書いた『戦後東京と闇市 新宿・池袋・渋谷の形成過程と都市組織』(2020年日本建築学会著作賞)のことは知っていて、その編集者的センスに感心していた。

 知らなかったこと満載の展示。まず大前提となる「建物疎開」という戦時中の施策を知らなかった。こんな仕事をしながら、こんな年になるまでお恥ずかしい限りだ。

展示資料の1つ、「東京23区内の建物疎開跡地に形成されたマーケットの分布」(「帝都疎開事業一般図」1944 年に 2025年加筆)

 「建物疎開」とは、空襲によって火災が周辺に広がるのを防ぐために、あらかじめ建物を取り壊して、防火地帯をつくることを言う。1944年から終戦にかけて、全国各地で段階的に行われた。建物を壊すのは学徒動員者などの市民だ。石榑氏の研究によれば、東京の闇市のほとんどは、この建物疎開で更地になった場所にできているというのだ。

 闇市=空襲の焼け跡を不法占拠、というイメージがあるが、実際には多くが更地だったところにつくられていたのだ。石榑氏はこの事実をとっかかりとして、露店の構え方にも暗黙のルールがあった(やりたい放題ではない)ということを例証していく。

 そうだったのか…。

 「建物疎開」について気になって少し調べてみたら、確かに東京以外の大都市でも行われていた。まだ人が暮らしている私有財産を市民の手で壊すって、末期的な政策だ。国と闇市とどっちがモラルがあるのか、わからなくなる。

 余談だが、建物疎開が行われた都市の1つ、広島では、1945年8月6日、現在の平和大通り一帯で南北を分断する防火地帯をつくる大規模な建物疎開作業を実施していた。国民学校高等科や中等学校1・2年生を中心とする多くの生徒がそれに参加した。そこに原爆が投下される。広島の動員学徒原爆死亡者約7200人のうち、82%が建物疎開作業に従事していたという(広島平和記念資料館のサイトより)。

 これは筆者が気になって調べた情報であって、今回の展示とは直接関係ない。今回の展示はそういうトーンではなく、明るい気持ちで終戦から現在までの東京の成り立ちを知ることができるように工夫されている。

 事前にもらっていた案内状では気づかなかったのだが、本展の会場構成は建築家の板坂留五氏(RUI Architects)によるものだった。

右から石榑督和氏、会場構成のRUI Architects・板坂留五氏と周戸南々香氏

 板坂氏は大阪で毎年秋に行われる「Under 35 Architects exhibition 35歳以下の若手建築家による建築の展覧会」で、2021年の「Gold Medal」に選ばれた注目の若手だ。

2021年の「Under 35 Architects exhibition 35歳以下の若手建築家による建築の展覧会」にて。右はこの年の審査委員長を務めた吉村靖孝氏

12回目の「U-35」建築展、展覧会もいいけれど豪華メンバーの講評会が面白過ぎる!

 テーマ的に、仮設のテントを建てるようなアングラな会場構成を想像していたのだが、全く違っていた。色使いは抑えているものの、ふわっと明るい。

 よく見ると什器の一部の材料は使い回しに見える。前回開催の「団地と映画」展↓の展示什器を一部再利用するなど、闇市のような仮設的な空間を展示デザインに組み込んだ。

前回開催「団地と映画」展の部材でつくった展示台
あえて「使い回し感」を残した
この台は、大工が現場で簡易的につくって使う「ペケ台」をイメージ

 板坂氏に声を掛けたのは、石榑氏ではなく、担当学芸員の海老名熱実氏だという。「闇市=不法占拠というイメージを超えた展示として、多く人に届くものにしたい」と板坂氏に要望し、板坂氏は独特の色彩感覚とディテールでそれに答えた。

資料がどれも見やすい高さ、角度で設置されている。パンチ穴の部分をよく見ると…
銅の釘を現場で曲げたそう
使い回しの材料だけれど、なんとなくきれいに見えるこの台
「コーナー部分にマスキングテープを貼って塗り分けた」と板坂氏から聞き、納得

 会期は2026年2月23日まで。火曜休館。

 本展には「池袋」に関するものが少なかったので、石榑さん、ぜひ「池袋と闇市」の企画を何かやりましょう!(宮沢洋)

以下は、公式サイトより。

変化し続ける都市・東京。それは、昨日や今日に突然立ち現れたものではありません。ターミナル駅やその周辺、街にひかれた道路やささやかな路地、歓楽街の喧騒さえも、すべては歴史の堆積による必然の産物と言えるでしょう

戦後80年を迎える今年、本展が取り上げるのは戦後の闇市です。その中でも、闇市の形成に重要な役割を果たした東京23区の空地に焦点をあてながら、とりわけ、闇市を起源として新興の盛り場へと発展した新宿に注目してみたいと思います。

戦中、空襲による延焼を防ぐために実施された「建物疎開」は、住宅密集地の家屋を強制的に解体撤去し、空地を生み出しました。この空地や戦争の焼け跡、さらには路上などが、戦後の混乱期において、暫定的・時限的に仮設の市場へと変貌します。これが、いわゆる闇市です。その後、役割を終えた闇市は、徐々に姿を消していきました

戦争は都市の破壊者でもありましたが、同時に更新者でもありました。皮肉なことに、それは都市における物理的な新陳代謝を加速させた側面があったといえるでしょう。そして戦後に生まれた闇市は、やがて使命を終えつつも、その痕跡を都市の中に刻みました。東京の街並みを注意深く観察してみると、今日においてなお、かつてあった闇市の名残を随所に見出すことができます。

戦後、東京はどのように再生したのでしょうか。また、戦後の高度経済成長は、都市をどのように刷新させたでしょうか。本展では、戦後闇市を単なる「不法占拠」といったイメージを超えて、闇市を経由して、猥雑なまでの活力を育んだ都市空間の形成過程に迫りたいと思います。

■闇市と都市―Black Markets and the Reimagining of Tokyo
会期:2025年9月13日(土)→ 2026年2月23日(月・祝)
開館時間:午前10時30分〜午後7時30分
入館料:無料
場所: 高島屋史料館 TOKYO 4階展示室
(東京都中央区日本橋2-4-1 日本橋高島屋S.C.本館)

休館: 火曜:祝日の場合は開館して翌日休館、
年末年始:12月31日(水)〜1月2日(金)
主催:高島屋史料館 TOKYO
監修:石榑督和(関西学院大学建築学部准教授)
グラフィックデザイン:原田祐馬、山副佳祐(UMA /design farm)
展示デザイン:板坂留五(RUI Architects)

公式サイト:https://www.takshimaya.co.jp/shiryokan/tokyo/exhibition/