DOCOMOMO(ドコモモ) Japanは「日本におけるモダン・ ムーブメントの建築」として新たに10件の建築物を選定したことを6月17日に発表した。今回で選定建築物が計300となり、節目の300番目には故・谷口吉生氏の「東京都葛西臨海水族園」(1989年)が選定された。



ドコモモって何? っと思った方は、前回の発表時に書いた下記の記事をご覧いただきたい。
日曜コラム洋々亭63:「SPIRAL」など10件を加え「300選」目前! 変わりつつあるドコモモ(DOCOMOMO)へのエールと要望
以下、今回選定された10件の概要を公式資料から全文掲載する(冒頭の数字は選定の連番)。
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杉の森神社(現・杉神社)/鳥取/大岡實+吉家光夫(大成建設設計部)/1955

杉の森神社は鳥取県智頭町の山林に位置し、全国的にも珍しい杉の精霊を祀る神社である。小規模な建築群と参道、境内などの外部空間による環境形成が特徴で、山林と調和しながらも地域のシンボルとして位置づけられている。境内奥には、より長い歴史をもつ滝と祠がひかえる。戦後、造林運動を推進していた智頭町議会議員の米井信次郎が、杉・檜への感謝の気持ちを捧げる場所が必要であると説き、私財を投じて杉の森神社の建設、周辺山林の買収、林道や参道の整備を行った。米井は当時の日本建築家協会理事長であった大岡實に依頼してコンペを実施し、吉家光夫(大成建設 設計部)の案を採用した。この案の象徴とも呼べる御神体は、二等辺三角形の立面で、幅8m、高さ12mの規模をもち構造は鉄筋コンクリート造で、ひとつの格子が小さな杉の子を表し、シンボルとしての杉を形象化したものとされる。また、参拝動線上に点在する鳥居、集会所、拝殿などの建築群が周辺環境や地形と呼応しつつ連続した空間として一体となっていることも注目すべき点である。
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立体最小限住宅No.32(伊藤邸)(現・松永邸)/大阪/池辺陽(担当:西澤文隆)/1955
後に東京大学教授となる建築家の池辺陽が、戦後復興の過程で、工業化された建築資材を用いて廉価で高品質の住宅を建てることを目的として発表された、「立体最小限住宅」のシリーズ32番目に建設されたものである。薬剤師の伊藤喜久氏が、ピアノ練習用のアトリエ兼住居として両親とともに住んでいた自宅の庭に離れとして建てた。建築工事の際に監理者として、池辺の大学の先輩で、当時坂倉準三建築研究所大阪支所長を務めていた西澤文隆が担当した。建物は木造で、片流れ屋根を持つ一部2階建てである。1階と2階に明確な仕切り壁はなく、空間的には連続している。床面積は1階が33.4㎡、2階が12.3㎡で延床面積45.7㎡という小さな住宅で、工事費は当時の金額で70万円ほどだったという。近年は建築家のスガショウタロウ(菅正太郎)氏が修復や改修を手掛けている。しかしオリジナルの姿をよくとどめ、今もなお使われ続けている。数少ない現存する池辺の立体最小限住宅であり、希少性が高い。
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山口銀行本店/山口/圓堂建築設計事務所(圓堂正嘉)/1965

設計者は祇園会館(1958)、盛岡市庁舎(1962)、京王百貨店新宿店(1964)などの作品を残している圓堂政嘉(えんどうまさちか・1920~94)である。圓堂はミースやSOMなどアメリカ建築技術の導入に熱心で、カーテンウォールの外観はそれを想起させるが、当時の完成度の高いデザイン的、技術的探求の結果であり、現代で一般化している様々な規格化や建築技術の開始点にある。1階のエントランスホールは天井高が抑えられ、水平感を強調している。エスカレータで2階に上がると2層吹き抜けの巨大な営業室が現れる。6mグリッドのモデュラーコーディネーションで等間隔に並んだ柱列と照明、壮観な執務空間、その奥上部には中村順平による山口県の物語を描いたレリーフが横に広がり、地域金融の中心である山口銀行の強い印象を与え、現在もモダニズムの象徴的空間が改変されることなく維持されている。本作品は学会賞(1965)を受賞、圓堂の代表作といえる。日本のモダンムーブメントのマスターピースとして極めて重要である
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大阪駅前第1・第2・第3・第4ビル(大阪駅前市街地再開発事業)/大阪/第1:東畑建築事務所、第2:安井建築事務所、第3:大建設計、第4:東畑建築事務所 (いずれも筆頭設計者は大阪都市再開発局)/1970、1976、1981、1983年

大阪駅前第1・第2・第3・第4ビルは、1961年に「公共施設の整備に関連する市街地の改造に関する法律」が公布施行され、最初期の市街地改造事業の成果として建設された、大阪駅前南側の高層ビル群である。大阪市は法の公布施行前から東畑謙三に全体計画を依頼し、4区画にほぼ同形のビルが建つ図が描かれた。第1ビルはその計画に近い形で1970年に竣工、第2ビル以降は修正が加わり、第4ビルの竣工は1983年である。その間に建築関連規定の変更もあり、4棟は高さや外壁のデザインが異なり、変化ある街並みを呈する。4棟とも1階周縁にはポルティコを設け、ゆとりある公共空間の創出を試みている。地階は2層にわたり、隣接する地下街や地下鉄駅と接続している。3階は駐車場で、北側道路に円形のランプが配され、車でのビル間移動も可能である。4棟は工業製品を全面的に用いた複合ビルだが、長期間かかった事業であり、修正を加え、それぞれの時代性が示された。
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岡山市立オリエント美術館/岡山/岡田新一設計事務所/1979

岡山市立オリエント美術館は、岡田新一が手掛けた美術館・博物館の最初の作品であり、地元篤志家・安原真二郎氏が寄贈したコレクションを収蔵・展示する、国内唯一のオリエント専門美術館である。 施設の特徴は、中近東の風土に触発され、「塔」の概念を抽象化した吹き抜け空間に表れている。相対する二枚の壁を重ね、積み上げる手法が用いられ、窓のない壁が空間を区切り、囲い込み、光を巧みに導き、反射させながら、精神的で重厚な空間を創出している。岡田は「抽象と細密」を設計の鍵とし、コンクリートの斫り仕上げや抜き型枠模様、天井の彩色タイルの模様、金属手摺のディテールなどが抽象に共存する細密の部分である。 美術館竣工数年後、岡田はこの美術館を中心とした「天神山地域利用構想基礎調査」で、地域活性化のための試案を発表した。現在、岡田が設計した岡山県立美術館と共に、岡山カルチャーゾーンの芸術文化の発信地として重要な役割を担っている。
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つくばセンタービル/茨城/磯崎新アトリエ(磯崎新)/1983

筑波研究学園都市の中心に位置し、その都市生活の豊かさに与してきた建築である。車道とペデストリアンデッキ(歩道)の5mに及ぶ高低差を計画的に解消するために中央を「フォーラム」(サンクンガーデン)とし、新たに計画された歴史的背景をもたない都市の表象として、あえて中心性を表現しないという手法を採った。このことは西洋建築の歴史的モティーフ(ルネサンス建築の3層構成、ジュリオ・ロマーノのルスティケーション、ルドゥーのオーダー、ミケランジェロのカンピドリオ広場など)を引用し、これを直截でなく反転ないし断片でディスジャンクションに分散させることでも中心性を曖昧にさせることを企図した。こうした歴史的モティーフの表層的使用からポストモダニズム建築の代表事例と扱われてきたが、磯崎新の視座は歴史的モティーフを用いるために講じた理念にこそあった。1980年代を代表するのみならず、今日にポストモダニズム建築の歴史的評価を捉える上でも示唆に富む重要な建築である。
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GAZEBO/神奈川/山本理顕/1986

横浜駅近くに建つ設計者の自邸を含む複合建築。ステンレスメッシュに覆われたファサードにテントの屋根が特徴的。1階に店舗、2、3階に貸室、3、4階に住宅。この地域に育った設計者夫妻と、設計者の母と叔母が同居する住宅となっている。4階の中庭に面して共用のダイニングキッチンが配され、お互いに気配を感じられる空間構成をとることで、かつてあった暮らしを現代に実現し、都市住宅の新しいあり方を示した。のちにさまざまな集合住宅で実践することになる、共同体や社会を強く意識した山本の建築観がすでに現れており、メタルワークやテントの表現を含め代表作として評価できるものである。家族構成の変化に応じ間仕切りなどの変更が加えられ、テナント入れ替え等で数回の改修が行われているが、基本的な要素は変わらず維持されている。日本建築学会賞(1987)。
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小国町交通センター(ゆうステーション)/熊本/葉デザイン事務所(葉祥栄)(構造設計:松井源吾)/1987

廃止になった国鉄宮原線の肥後小国駅跡地に建設されたバスセンター。杉の産地・熊本県小国町の町長から、杉の間伐材を利用した建築を考えて欲しいとの依頼を受け、杉角材を特殊なポールジョイントで三角形に組み合わせていく木造立体トラス構法がとられた。木造であることを誇示するのではなく、木造にふさわしい形態を敢えて避けることにより、鋼構造の代わりを杉の間伐材が果たしていることを提示している。底部の直径が19m、頂部の直径が25m、高さ8.1mの円錐台形。頂部に向かってせり出すガラスの壁は、バスの乗降の際に雨除けとなる庇を兼ねる。永く町のシンボルとなるよう、外装には当時最新のシリコングレージングを施したドライジョイント等圧サッシのミラーガラスが張られている。採光は中央のトップライトからも可能。昼間は照明がなくても十分な明るさを保ち、夜は逆に、このガラス張りの建物内に照明がともされることにより、周囲を明るく照らしている。
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COMBLÉ(コンブレ)/静岡/倉俣史朗/1988

倉俣史朗(1934-1991)の現存するインテリア空間。オリジナルの素材、デザインが残る、国内では唯一の倉俣の商業空間。家具等もそのまま使われており、倉俣史朗のインテリアに対する真摯な考えを体感できる。戦後の物資逼迫の中でのある意味質素な日本のモダンデザインが、高度成長期を過ぎ、そのモダンデザインの緊張感を背景としながら、ポストモダンの潮流の中で、人を驚かすような形態ではなく豊かな色彩と質感、幾何学的デザインで構成されているこの空間は、日本の80〜90年代のデザイン潮流を象徴している。日本の文化財制度には、インテリアの保存のシステムがなく、DOCOMOMOから発信すべきと考え、敢えてインテリア空間として選定を提案する。特に日本のバブル期の残されているインテリア空間の数少ない貴重な作品である。
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東京都葛西臨海水族園/東京/総合:谷口建築設計研究所(谷口吉生、高宮眞介、村松基安、田岡陽一、横山元)構造:木村俊彦構造設計事務所設備:森村設計造園:上野泰、田中喜一展示アートディレクション:伊藤隆道、アトリエモブグラフィック:小島良平/1989

谷口吉生によって1989年に設計された建築である。谷口吉生が関わったランドスケープも含めた竣工時の敷地全体を選定範囲とする。今回の選定にあたっては、今後も保全されるアプローチ空間を主としたランドスケープと建物周囲のランドスケープを記録する。DOCOMOMO Japanのこの選定は、水族園全体のリニューアル計画に対して中止を求めるものではなく、既存建築(本館)の保全と活用(注)、住民等の要望にもある可能な範囲で樹木をできるだけ残し、当初の建築家谷口吉生の思想を継承して、水族園のリニューアル計画が進められることを期待する。
DOCOMOMO Japanの公式サイトはこちら→https://docomomojapan.com/
あっ、久しぶりに公式サイトを見たら、見やすくなっている!

今年4月に刷新された模様。これは何ともすごい変わりようだ(前があまりにもだったので…)。筆者が昨年書いた苦言に耳を傾けてくれたのかも……。下記の記事を読んでからDOCOMOMO Japanサイトを見るのも面白いかも。(宮沢洋)