「攻め」が加速する高島屋史料館TOKYO、本日開幕の「モールの想像力」は“見づらさ”を操る挑戦的展示

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 「今回も攻めてるなあ…」。それが率直な感想だ。東京・日本橋の「高島屋史料館TOKYO」で3月4日から始まる企画展「モールの想像力-ショッピングモールはユートピアだ」。その内覧会が前日3月3日午後に行われた。いつもの記事であれば、監修者(本展は写真家でライターの大山顕氏の監修)の話から始めるのだが、このとんでもない攻めの姿勢は学芸員の海老名熱実氏のパッションと実行力によるところが大きいと思うので、まずは海老名氏の写真から。

同館の企画は、写真の海老名熱実氏がほとんど1人でフォローしている。裏方の人なので、多分、写真の掲載はレア(写真:宮沢洋)

 せっかくなので高島屋史料館TOKYOについて説明すると、同館は、1970年創設の高島屋史料館(大阪)の分館として、2019年3月に日本橋高島屋S.C.本館に開館した。4階の一角に展示室がある。小さな会議室くらいのスペースだ。企画展は本展で11本目。半分近くが建築系の展覧会だ。

(資料: 高島屋史料館TOKYO)

 前職の日経アーキテクチュア編集長時代、史料館の開幕も見に行った。オープニング展は「日本橋高島屋と村野藤吾」(2019年3月5日~5月26日、監修は建築史家の松隈洋氏)だった。日本橋高島屋本館(重要文化財)は高橋貞太郎設計の第1期を、村野藤吾が増改築したものだからだ。村野藤吾ファンを公言している私(宮沢)だが、このときの展覧会はスペースの狭さと見せ方の王道さとのギャップに、「この史料館、この先大丈夫かなあ」と思った記憶がある。心に刺さった出来事はすべて記事として書く、が私のモットーなのだが、調べたところ、この展覧会の記事は書いていなかった。海老名さん、松隈さん、ごめんなさい!

攻めの姿勢は「大阪万博 カレイドスコープ」展から?

(資料: 高島屋史料館TOKYO)

 私がこの史料館のリポートを初めて書いたのは約1年後。建築史家の橋爪紳也氏が監修した「大阪万博 カレイドスコープ―アストロラマを覗く―」(2020年1月15日~4月19日)だ。1970大阪万博のあまたある有名パビリオンの中にあって脇役的な「みどり館」。ほぼそれだけを取り上げるマニアックな企画だ。なぜ「みどり館」なのかというと、高島屋が「みどり会」として共同出展したパビリオンだから。橋爪節全開。これは私のツボだった。そのときの記事は古巣の日経アーキテクチュアにある。

高島屋の大阪万博展は知る人ぞ知る「みどり館」を深掘り、監修はやっぱり橋爪紳也氏

(資料: 高島屋史料館TOKYO)

 その企画で、何かが吹っ切れたのだろうか。次に行われた「装飾をひもとく~日本橋の建築・再発見~」(2020年9月2日~2021年2月21日)は、近年の傑作展の1つ。建築史家の五十嵐太郎氏と菅野裕子氏が監修した。この展覧会は、対象を「日本橋周辺の近代建築に絞る」という割り切りと、それを深める情報量の膨大さがすごかった。これはBUNGA NETを立ち上げた後に記事にした。

五十嵐太郎監修“装飾展”で髙島屋史料館TOKYOが再開、今こそ問う「形」の意味

(資料:高島屋史料館TOKYO)

 2021年9月の「建築家・坂倉準三と高島屋の戦後復興―「輝く都市」をめざして―」も当サイトで記事にした。これはオープニング展以来の登場となる松隈洋氏が監修したものだ。松隈氏も2回目となると余裕が生まれたのか、テーマが王道からかなり外れている。タイトルとポスターを見ると、王道みたいに見えるが、展示の中心は坂倉が戦後間もない1948年に完成させた「高島屋和歌山支店」。小規模な木造の店舗だ。これを模型やCGで展示したのだが、そのなんともかっこいいこと。詳細はこちらの記事。

師・コルビュジエをしのぐスロープ空間に驚愕、坂倉準三展@日本橋・髙島屋史料館が開幕

(資料:高島屋史料館TOKYO)


 そして本展の1つ前の展覧会は「百貨店展―夢と憧れの建築史」(2022年9月7日~ 2023年2月12日)。これは、浅子佳英氏(建築家・編集者)と菊地尊也氏(建築研究者)の監修で、主要百貨店の統合年表が画期的だった。詳細は下記の記事。

巨大な「百貨店建築年表」は発見の宝庫、高島屋史料館TOKYOで「百貨店展」始まる

「モール」展での新たな見せ方

 で、今回の「モールの想像力-ショッピングモールはユートピアだ」。

 内容の攻め具合については会場で読み込んでほしいが、本展は展覧会の見せ方としてある“発明”がある。それは、全体の流れを1つの巻き物のように、横に連続して読ませること、いわゆる章のまとめだけでなく、各資料の説明も、その“巻き物”に含まれている。部分だけを読んでも位置づけがよく分からないので、必然的に前後を読む。すると、その前も読みたくなる。

 結局、すべてを読まないと納得感が得られないのだ。大きな展示会場でこんなやり方をとったら大ブーイングだが、「全部読んで納得したくなるギリギリの量」。こんなやり方があったか…。

巻き物の最後にあるこのオブジェが何なのかは会場で確認を

 監修者の大山顕氏によると、学芸員の海老名氏から「この会場は情報量が多い方が何度も見に来る人がいる」と助言があったという。その話を聞いて、1つの読み物として読んでもらう方法に至ったそうだ。見づらさを操るような見せ方は、ほかにもいろいろあった。私が学芸員だったら「あり得ない」と却下しそうだが、それを面白がる海老名氏の度量の大きさ。

 個々の資料の意味を理解するにはかえって時間がかる。だが、大山氏や協力者の速水健朗氏(ライター・編集者)のメッセージを考えざるを得ないということでは成功している。そのうえで、モールってそんなにいいかなあと思う人は、この展覧会を見る前よりも自分の考えを深めたということだ。かくいう私がその1人である。

  会期は8月27日まで。私のバイアスがかかっていない企画趣旨は下記を。(宮沢洋)

左から監修者の大山顕氏(写真家・ライター)、協力者の座二郎氏、天本みのり氏。このほか速水健朗氏が協力
(資料:高島屋史料館TOKYO)

■企画展:モールの想像力-ショッピングモールはユートピアだ
企画趣旨:
ショッピングモールとは、都市であり、宇宙である。
そして、想像力の源泉である。

百貨店展に続く今回のモール展では、ショッピングモールの文化的意義を考察してみたいと思います。これまで文化批評の文脈で、モールは社会を均質化し、古くからある商店街を虐げる存在として批判の対象となってきたことが多いように思います。しかし、私たちは、今日においてモールはむしろカルチャーを育む土壌であり、文化的象徴でさえあるのではないかと考えています。それは即ち、現代の都市における最も重要な公共圏であり、私たちの日々の生活の不可分な一部であることを意味します。

モールという箱に入れば、そこはまるで一つの都市のように、ストリートに沿ってアパレルショップや雑貨店、フードコート、映画館、広場などが展開され、吹き抜けからそれらを一望すると、人々の日常の最大公約数がここに凝縮されていることが再確認できます。こうした空間であることが、多くのアーティストたちの想像力を刺激するのも無理はありません。

本展は「ショッピングモールはユートピアだ」という仮説をもとに、「街」、「内と外の反転」、「ユートピア」、「バックヤード」といったいくつかのテーマを切り口に、モールという消費空間が私たちのイマジネーションにどのように働きかけ、どのような文化的価値を創造してきたのかを読み解いてみようとする試みです。展示室には、膨大なテキストと共に、映画、音楽、コミック、小説、ゲームなど、モールを舞台としたさまざまなジャンルの作品が、あたかも巻物がひもとかれたかのように出現します。本展サブタイトルに掲げたように、モールこそが私たちの夢見たユートピアであったのかどうか、ぜひみなさまの目で確かめていただきたいと思います。また本展が、ショッピングモールの一考察として、モールの新たな側面に光をあてることができる契機となれたなら幸いです。

監修:大山 顕(写真家・ライター)
協力:速水健朗・座二郎・天本みのり主催:高島屋史料館 TOKYO
展示期間:2023年3月4日(土)→ 8月27日(日)
開館時間:11:00~19:00
休館: 月・火曜日(祝日の場合は開館)
展示場所:日本橋高島屋史料館 TOKYO 4F 展示室(東京都中央区日本橋2-4-1)
入館料 :無料