坂倉準三(1901~69年)が戦後復興期の日本で、最初に実現した本格的モダニズム建築は何?──と問われたら、模範解答は「神奈川県立近代美術館」(1951年、現・鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム、重要文化財)だろう。「パリ万博日本館」は戦前の1937年だし、日本ではないから、私でも「カマキン」と答える。しかし、これからは答えに迷う。もしかしたら、こっちの方がすごいかもしれない。今日、初めて知った「髙島屋和歌山支店」(1948年)である。
東京・日本橋の髙島屋史料館TOKYO(日本橋髙島屋4階)で「建築家・坂倉準三と高島屋の戦後復興─「輝く都市」をめざして─」が9月15日(水)から始まる。百貨店の無料展示とあなどってはいけない。前日の9月14日に行われた内覧会を見に行ったのだが、髙島屋の文化意識の高さを感じさせるハイレベルな展示内容だった。
監修者は、「坂倉準三とはだれか」(2011年)の著作もある松隈洋・京都工芸繊維大学教授。内覧会では、研究室からリモートで展示意図を説明した。
まずは公式説明より。
坂倉と高島屋は「パリ万国博覧会日本館」(1937)の仕事を通して出会い、関係を深めていきます。戦後間もない「高島屋和歌山支店」(1948)は小規模な木造建築ですが、坂倉の都市的視点からなる商業施設の先駆けといえるもので、各階をスロープでつなぐ、斬新かつ近代的な百貨店空間でした。
こんなバタフライ屋根の建物だ。木造で、延べ面積約1300㎡。フロアがスキップ状に配置されている。
会場で投影されているスライドを撮ってみた。
松隈研究室の大学院生がつくったというCGのウオークスルー動画も分かりやすい。
すごいな、この建築……。まさに木造版・パリ万博日本館。松隈氏のこんな説明も腑に落ちる。「坂倉は、師であるコルビュジエもまだ実現していなかった、スロープでつながる伸びやかな空間をこの商業施設で実現した」(松隈氏)
髙島屋の社員ですら知らない建築
この店舗は、1948年(昭和23年)に完成し、4年後に閉店した。現存していたら、確実に重要文化財になっていただろう。あまりに短命であったために、髙島屋の社員もほとんど知らないらしい。建築界でも知られていないと思う。建築史家やら影響力のある建築家やらが見に行く前に姿を消してしまったのだろう。あるいは、「どうせ商業施設だろ」と軽く見られていたのかもしれない。
でも、未発表作ではなく、1949年の『建築文化』に載っているようだ。その記事も展示されていた。その断面図にまた驚く。よく見てほしい。軒裏に矢印が描き込まれている。
なんと、このバタフライ屋根は排気も考慮したものだったのか。というか、そんな頃から断面図に矢印を描き込む風習はあったのか!
今回の展覧会は、この建築を中心に坂倉が「都市」にどのように挑んだのかを説明している。戦前のパリ万博の逸話や、戦後の渋谷東急百貨店、新宿駅西口開発へのつながり方も「なるほど」と思う。全部書くとネタバレと責められそうなので、ほかは会場で見てほしい。
再び公式サイトの説明↓。
住宅や公共建築、そして都市デザインまで手がけた坂倉が、高島屋と深い関わりがあったことはあまり知られていません。そればかりか、坂倉の高島屋での仕事が、彼がのちに取り組んだ日本の都市デザインを代表する渋谷「東急会館」(1954)や「新宿西口広場・地下駐車場」(1966)へと接続していくことは、多くの人に新鮮な驚きを与えることでしょう。
松隈氏は内覧会で、「今、都市開発に関わっている人にぜひ見てほしい」と語った。おそらく松隈氏は現状の都市開発への批判として言っているのだと思うが、私はどちらかというと、そういう都市プロジェクトに心血を注いでいる設計者への“エール”として見てほしい。坂倉は「商業施設でも建築を変えることができる」、いや、「商業こそが建築を変える」と考えていたことが伝わってくる展覧会だ。
会期は2022年2月13日(日)まで。見せ方が“建築展の王道”過ぎて、一般の人に伝わるのかがやや気になるが、建築関係者は間違いなく参考になるだろう。(宮沢洋)
■展覧会概要
建築家・坂倉準三と高島屋の戦後復興─「輝く都市」をめざして─
監修:松隈洋(京都工芸繊維大学教授)
展示期間:2021年9月15日(水) -2022年2月13日(日)
※新型コロナウイルスの感染拡大状況等を踏まえ、臨時に休館日・開館時間を変更する場合があります。
開館時間:11:00~19:00
休館日:月・火曜日・年末年始(12月27日~2022年1月4日)
入館料:無料
展示場所:高島屋史料館TOKYO 4階展示室
(東京都中央区日本橋2-4-1)
公式サイト:https://www.takashimaya.co.jp/shiryokan/tokyo/exhibition/