日曜コラム洋々亭65:一刻も早く「東光園」も! 戦後建築10番目の重文「瀬戸内海歴史民俗資料館」内定に思う

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 記事にするのが少し遅くなってしまった。10月18日、文化審議会(会長:島谷弘幸)は「瀬戸内海歴史民俗資料館」(1973年竣工)を重要文化財に指定することを文部科学大臣に答申した。指定されれば、1970年代の建築物では初。これまで最も新しかったのは1964年竣工の「国立代々木競技場」だったので、一気に9年も対象が広がることになる。

瀬戸内海歴史民俗資料館(写真:磯達雄、以下も)

 文化庁の公式発表を引用する(太字部)。他の指定も含めた文化庁の発表が見たい方はこちら

■屋内外を行交う流動的な展示空間を備えた広域の歴史民俗資料館(近代/文化施設)
瀬戸内海歴史民俗資料館
所在地:香川県高松市
所有者:香川県

瀬戸内海を見晴らす高台に建つ広域の歴史民俗資料館。香川県技師山本忠司(ただし)の設計により昭和48年に完成。中庭とその周囲を回遊する動線計画に基づき、正方形の展示室等を自然の地形にあわせて上下左右にずらして配し、各所に大きな開口を設け、内外が連続する動的かつ開放的な展示空間を実現した。外観は平面を反映して凹凸ある複雑な形態で、中でも角錐台を呈す展示室等には当地で採れた石材を積み、周囲の自然景観との調和を図る。

モダニズム建築の手法を踏襲しながらも、近現代における国際様式への批判を背景として、立地や風土を考慮し、豊かな自然の残る地方の場所性を活かした秀逸な作品。また、調査・研究などの諸機能を完備した総合的な地方歴史民俗資料館の最初期の完存例としても貴重。
○指定基準=意匠的に優秀なもの、歴史的価値の高いもの

 筆者はちょうど今春、『月刊文化財』2024年5月号の表紙で、「国の重要文化財に指定された戦後建築物」をすべて描いた。文化庁の方にも確認して描いたので漏れはない。情報価値が高い表紙なので、時間のある方はじっくり見てみてほしい。答申どおりに指定されれば、「瀬戸内海歴史民俗資料館」は戦後建築で10番目となる。

『月刊文化財』2024年5月号の表紙。イラストは宮沢洋。特集は「近現代建造物の今とこれから」。雑誌自体を読んでみたい方はこちらでお買い求めを

ひっそりと休館に入った「東光園」

 瀬戸内海歴史民俗資料館が重要文化財(以下、重文)に選ばれたことは喜ばしい。だが、そのニュースを聞いたとき、「えっ、そこまで飛んじゃうの?」とも思った。上の表紙を見れば、年代を行ったり来たりして指定されているので、1960年代はもう終わりというわけではない。いや、きっと文化庁重文チームの狙いとしては、今回、一気に1973年を選んだことで「高度成長期だって対象!」と世の中にアピールし、1960年代を選びやすくしたのではないか。

 そういう狙いだと信じて、一刻も早く重文に指定してほしい建築を文化庁の方にお伝えしたい。菊竹清訓設計による「東光園」である。国立代々木競技場と同じ1964年竣工だ。

東光園。2022年8月撮影。出張のついでに泊まったときの写真(写真:宮沢洋、以下も)

 この建築の意義は、書き出すといくらでも書けてしまうし、このサイトを読んでいる人は当然ご存じだろうから割愛する。ひと言だけ書くと、菊竹の弟子である伊東豊雄氏は、「生涯で最も衝撃を受けた建築」と語っている(こちらの記事参照)。

 なぜ「一刻も早く重文に指定してほしい」かというと、今年に入ってから休館しているからである。これは、筆者が新刊の『イラストで読む 湯けむり建築五十三次』(去る11月8日に発売されたばかり)に載せるに当たり、今年春ごろに調べて気づいた。

この本のために調べて気づいた
大浴場棟(1983年、左の切妻の建物)と庭園は彫刻家の流政之の設計

 正式に休館の発表はしていない。だが、公式サイトが閉じており、宿泊の予約ができない。

 それでも書籍に載せたかったので、あの手この手で調べて現所有者に連絡を取り、「東光園は2024年8月現在休館中。利用したい方はご自身で営業状況をご確認ください」という注釈付きで書籍に掲載した。

 なぜ休館中なのかは、大手メディアや建築専門誌がちゃんと取材してくれることを待つが、問題の1つは改修費の工面である。

 すでに登録有形文化財にはなっている(2017年登録)。しかし、それと重文では補助制度も一般へのアピール度も格が違う。

2022年に泊まったときには建築に関する説明コーナーがあった。建築への愛は深いのだ

 他にも1973年以前竣工で重文に指定してほしい建築はたくさんある。でも、ずらずら書き並べても、建築の神様は願いを叶えてくれないのだろうと思い、1つに絞った。日本の建築の未来のために、東光園が一刻も早く重文となることを祈っている。(宮沢洋)