高倍率だった「開店前・髙島屋日本橋店」ツアー、「象の高子」似の塔屋にほっこり──東京建築祭2024ルポ04

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 本日(5月25日)と明日(5月26日)は、いよいよ東京建築祭のメイン期間。天気はまずまず。いざ、東京都心へ。もちろん筆者(宮沢)もいろいろめぐるが、その前に、昨日の朝に取材した「髙島屋日本橋店」のガイドツアーをリポートする。

ツアーの様子。右手前が髙島屋日本橋店。2019年、左奥の超高層(下部が新館)との間の区道にガラスの大屋根を架け、店舗でにぎわうガレリアをつくり出した(写真:宮沢洋)

 このツアーは、東京建築祭のプログラムが発表されたときに、筆者が一番、タイトルにそそられたツアーだ。40以上ある中の「勝手にベストタイトル賞」がこれ↓。

【髙島屋日本橋店】百貨店建築で初の重要文化財、開店前に特別見学

 情報に全く無駄がない。特に「開店前に」という言葉にワクワクする。加えて、これは無料のガイドツアーであったため、申し込み者の抽選はかなりの高倍率だったと聞く。

 選ばれし15人と開店前の髙島屋日本橋店を巡った。まず、基本情報。

髙島屋日本橋店
竣工年│1933年

設計│竣工時:高橋貞太郎 / 増築時:村野藤吾
施工│大林組
文化財指定│重要文化財
その他│東京都選定歴史的建造物

開店する前の百貨店に入るのは、どこか背徳感があってドキドキする
うわ、中に誰もいない! 入り口を入ってすぐのこの空間は、高橋貞太郎が設計した第1期部分
店内を案内してくれたのは、髙島屋日本橋店総務部顧客グループ コンシェルジュ お客様相談担当部長 顧客サービス担当部長の岸和彦氏(左端)。保存を含む再開発について説明してくれたのは、日本設計第1建築設計群チーフアーキテクトの生木仁志氏(左から2番目)

 情報満載のツアーで、丁寧にリポートするとかなりの大作になってしまうので、写真で雰囲気を感じてほしい。キャプションには私が知らなかったことだけ書く。

この照明は、増築時に村野藤吾が設計したもの。村野ファンなのでそれは知っていたが、なぜ高橋貞太郎が設計した第1期部分に村野が照明を? 岸氏によると、戦時中に当初の照明が国に供出されたのだという。なるほど… 
当初からあるレトロなエレベーターに乗り…
まだ誰も人がいない屋上へ
この屋上でかつて象を飼っていたという話をうれしそうに披露する岸氏。きっとこの話題は鉄板なんだろうなあ。岸氏が持っている写真は、1950年に、象を屋上に吊り上げる様子
象は髙島屋にちなんで「高子」と名付けられた。高子は子どもたちに大人気だったが、大きくなり過ぎてしまい、4年後に動物園に送られることに
1954年、村野藤吾が日本橋高島屋の第ニ次増築を行う際、村野は象の高子の思い出として、屋上に象の背中を思わせる塔屋を建てた。その話に、参加者一同から「おーっ」という声。たかが「塔屋」でこんなに人の心を捉えてしまうのは、さすが村野! …という話は、村野ファンの筆者は知っていたのだが、知らかったのは「象をどうやって地上に降ろしたか」↓
なんと、階段を自分の足で下りた、と。岸氏の鉄板ネタ?
ちなみに象の高子が降りたのは、村野が増築したこの優雅な階段
屋外に出て、新館との間のガレリアに移動
日本設計の生木仁志氏に説明役をバトンタッチ。生木氏は東京工業大学工学部建築学科、某ゼネコン設計部を経て日本設計入社。日本橋高島屋の再開発プロジェクトでは、12年間携わり、日本橋髙島屋三井ビルの設計責任者として、またガレリア設計の中心的役回りとして貢献
ガレリアのガラス屋根は重要文化財の本館に負荷をかけないよう、新館側から片持ちで架けられている。知らなかったのは、この屋根、新館の超高層の屋上である程度まで組み立て、上から吊り下ろしながら建てていったという。敷地にほとんど余裕がなく、屋根が複雑な曲面であるためだ
なぜ曲面かというと、先ほど見た象の形の塔屋をよけるためだ
もちろん施工の楽なデザインはほかにもいろいろあったろう。だが、苦労はしてでも、象の高子へのオマージュを村野藤吾→日本設計と引き継いだわけだ。グッジョブ!

 ここに上げた写真のエリアは、ガイドツアーでなくても見ることはできる。東京建築祭の会期中、あるいは会期後でもぜひ見てみてほしい。キーワードは「象の高子」だ。(宮沢洋)

東京建築祭の公式サイトはこちら→https://tokyo.kenchikusai.jp/

BUNGA NETでのまとめ記事はこちら↓。