「あざとい」という感想とは対極にありそうな内藤廣さんの建築ですが、本人の心の中では「あざとさ」をめぐる葛藤があるようで…。今回はそんな話から、建築界での究極の問いのひとつ、「建築と建物の境界」へと向かいます。(ここまでBUNGA NET編集部)
あざとさもワザのうち
[赤] もしもピアノが弾けたならーー、オレたちの人生、もっと豊かになっていたと思うなー。
[青] どうしちゃったんだ、いきなり西田敏行かー。最近よくテレビで聴くからな。
[赤] いや、キーシンだよ。生で聴いたのは初めてだったけど、五十代になって円熟期、堂々たるもんだった。すごく良かった。
[青] この原稿の企画とは関係なしに、忘れないうちに話しとこう、ってわけか。テーマもなにもあったもんじゃないねー。
[赤] まあ、そんなもんだよ。感じたことはフレッシュな方がいいからね。感覚はすぐに遠のいちゃうから。
[青] いつものクセで、渋谷でつまんない委員会があると、帰りにタワレコに寄って、自分へのご褒美にCDを買うことにしている。今回は、生を聴くっていうんで、予習でキーシンのCDを買った。
キーシンのCDジャケット(内藤氏の私物)。編集部注:エフゲニー・キーシン(Evgeny Kissin)。1971年10月モスクワ生まれ。2歳の頃、耳で聴いた音楽の演奏や即興的な演奏を始めた。6歳でモスクワのグネーシン音楽学校に入り、彼の唯一の教師であるアンナ・パヴロヴナ・カントールに師事。10歳で協奏曲デビューを果たし、その1年後には初のソロ・リサイタルをモスクワで行った。1984年3月、12歳のときに、キタエンコ指揮/モスクワ・フィルと共に、モスクワ音楽院大ホールでショパンの2曲のピアノ協奏曲を演奏し、世界的に注目されるようになった。彼が国外に初めて登場したのは1985年の東ヨーロッパであり、翌年には初の日本ツアーを行った。(プロフィルはジャパン・アーツのサイトから引用)
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