スペイン・バルセロナで進む「Spotifyカンプ・ノウ」(FCバルセロナの拠点)の再生計画について、日建設計の設計チームに独占取材した。その内容を3回に分けてお伝えする。(聞き手は宮沢洋)
──バルセロナで書いた「Spotifyカンプ・ノウ」着工の記事がすごく読まれました。現地ではお忙しいなか、ありがとうございました。
全員:こちらこそありがとうございました。


スペイン・バルセロナで進む「Spotifyカンプ・ノウ」(FCバルセロナの拠点)の再生計画について、日建設計の設計チームに独占取材した。その内容を3回に分けてお伝えする。(聞き手は宮沢洋)
──バルセロナで書いた「Spotifyカンプ・ノウ」着工の記事がすごく読まれました。現地ではお忙しいなか、ありがとうございました。
全員:こちらこそありがとうございました。
「巨大建築に抗議する」という論考を、建築評論家の神代雄一郎(こうじろゆういちろう、1922~2000年)が『新建築』誌上で発表したのは1974年9月。それからしばらく“巨大建築論争”と呼ばれる意見の応酬が続いた。来年(2024年)は「巨大建築論争50周年」となる。どこかの媒体からそういう原稿依頼があったらすぐに書けるように、最新の超高層ビルを見てきた。10月6日(金)に開業する「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」である。
建築のデザインに関わる僕らにとって「かたち」は重要である。
ある大手デベロッパーのトップは「予算が潤沢にあるときは『かたち』で、そこそこあるなら『素材』で、そして足りないときには『色』で勝負だ!」とおっしゃっていた。賃貸オフィスという典型的な収益ビルのビジネスの世界で長年にわたりプレゼンスを示されてきた方らしい、簡潔ながら的確に建築デザインの勘所を捉えた言葉であると同時に、建築における「かたち」の重要性を言い当てているように感じた。
だが残念なことに、こうした「かたち」を重んじた言葉を聞く機会は、実務の場においては極めて稀だ。「デザイナーとして誰を使うか」については熱心に議論されても、デザインそのものについての議論は、ほとんどなされない。もしくは逆に、個人の趣味をベースにした迷走による設計変更をいたずらに繰り返しているケースが多い。機能は議論されるが、デザインや「かたち」に関わることは議論されないという不思議な風潮が日本の建設ビジネス界には色濃く存在する。いやむしろ「かたち」にこだわる議論は悪しきものと捉えられているようだ。
たとえば、「かたちから入る」という言葉がある。より俗語的な「格好から入る」という言葉もほぼ同義だと思うが、実務の場では「『かたち』から入ってしまっているので、君の仕事の進め方は本質に欠けている」といった様に、物事を始めるにあたって「かたち」が意味するところやその形に至った背景、すなわち「本質」を学ぶことなしに、いきなり表層を真似することを戒める意味で、警句的に使われている。「かたち」よりも、その背後にある「本質」こそが大切だと現代社会は捉えているのかも知れない。しかし僕は「かたち」も「本質」も等しく大切だと言いたい。
面白いのは、日本には古来より「かたちから入る」ことを肯定的に捉える伝統があることだ。たとえば、伝統的な日本の武道や芸術においては、「かたち」や「かた」の習得が、その道を究めるための最初の大事な修行とみなされる。その形の背後にある意味を問う前に、まず身体にかたちを覚えさせることが大事という考え方だ。
こういった考え方を最もよく表している言葉が「守破離」(しゅはり)ではなかろうか。「守破離」とは、日本の武道や伝統芸能などの指導法として組み立てられたものであり、道を究めるには三段階のステップ(以下参照)を踏むことが重要と言っている。ここでのストーリーに合わせて少々強引な解釈をしてみようと思う。
【守破離の三ステップ】
Wikipediaによれば、この「守破離」のもとになったといわれる言葉があるという。それは、茶道の祖である千利休の教えをまとめた「利休道歌」の中の一首である「規矩作法守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」だという。解説では「規矩」(きく)の意味するところは「基本的な立ち振る舞い」となっているが、草庵茶室の開祖・利休が図面を描く道具を語源に持つ「規矩」という言葉を使ったということは、この一首も、そしてそこから生まれた「守破離」も、実は利休の茶室づくり・建築デザインの精神が語られている言葉に違いないと建築デザインに関わる僕からすれば邪推したくなってしまう。
「茶室のデザインにおいて大事なことは、基本的なかたちを守りつくし、その上でそれを破り離れていく中で、そのかたちが意味する本質を忘れないことだ」
といった具合だろうか。
建築デザインの領域で、こうした「かたち」や「かた」の話となると必ず思い出す言葉の一つは「か・かた・かたち」だろう。日本発の建築デザイン思潮ともいえる「メタボリズム」のムーブメントを牽引した菊竹清訓の言葉である。実にキャッチーなタイトルである。「か・かた・かたち」自体が持つ「♩♫♫♩」というリズムも小気味良い。
7月2日にオープンした「水戸市民会館」を遅ればせながら見てきた。設計は伊東豊雄建築設計事務所と横須賀満夫建築設計事務所(水戸市)のJV。施工は竹中工務店を中心とする計5社のJVだ。
「早いのが取り柄」のこのBUNGA NETでなぜすぐに見に行かなかったのかというと、オープン直前の内覧会のときに筆者(宮沢)がスペイン出張中で行けず、その後も、大ホールを見られるタイミングがなかなかなかったからだ。だが、結果的には「伊東豊雄の挑戦 1971-1986」展を見るのと同じタイミングで見ることができて、納得感が増した。
(さらに…)伊東豊雄氏は1941年6月生まれ。今年82歳。同じ年生まれの安藤忠雄氏も会うたびに思うのだが、建築家というのは本当にうらやましい仕事だと思う。80歳を超えて現役。というだけでも驚くのに、中堅、若手を含めても「最前線」なのだ。改めてそう感じた伊東氏の話題を2つ、前後編でリポートする。1つ目は芝浦工業大学豊洲キャンパスの有元史郎記念校友会館交流プラザで9月28日から始まった「伊東豊雄の挑戦 1971-1986」展だ。
藤井勇人氏担当の最後となる今回は、ブラジル・リオデジャネイロで最もホットなアートの中心地を取材してもらった。湾岸再開発エリアに立つかつての工場を、時間をかけて徐々にコンバージョンしている「ベリンギ工場」だ。アーティストやデザイナー、建築家などがアトリエを構え、家具職人の工場、古着屋やビストロも並ぶ。(ここまでBUNGA NET編集部)
ブラジル最終回となる今回は、私が住むリオデジャネイロ(リオ)にある施設を紹介しよう。リオと言えば、年に1回開催され世界中から100万人もの人が訪れるカルナバウ(カーニバル)が世界的に有名だが、オーストラリア・シドニー、イタリア・ナポリと並んで世界三大美港の一つとされる風光明媚(めいび)な街でもある。2012年にはその美しい景観が評価され、世界遺産に登録されている。また、リオ市はサンパウロ市に次ぐブラジル第2の都市で、600万人を超える人口を抱え、1960年にブラジリアに遷都するまではブラジルの首都でもあった。
人類最後の巨匠建築家といわれたブラジル人建築家、オスカー・ニーマイヤー氏(2012年に104歳で死去)はここリオ出身で、彼の幾何学的に説明できないような美しい曲線が生まれた原点は、美しいリオの山々がつくり出す稜線とも、ビーチにいる女性の体の曲線美ともいわれている(実際に本人もそう言っていて、晩年までビーチにいる女性のスケッチを、葉巻をふかしながら描き続けていた)。
その美しい稜線にリズムを合わせるかのようにリオは音楽の街でもある。日本中を席巻したBossa Nova(ボサノバ)音楽も、ここリオに住む裕福な家庭で育ったアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルト、ヴィニシウス・ジ・モラエスらのミュージシャンによって生み出されたものである。一方でファヴェーラ(スラム)のストリートから生まれたFunk Carioca(ファンキ・カリオカ)は、打ち込み系の音にラップをのせたもので、街を歩くと至る所からズーチャッチャ、ズーチャッチャというビートが聞こえてくる。
今でこそブラジル文化の多様性は国内各地で再評価されているが、20世紀終盤まで文化の集積地がリオであったことに異論はないだろう。
そんなリオのセントロ(中心街)からさほど離れていないPorto Maravilha(その名も、素晴らしい港)という湾岸再開発エリアの外れに、一つの巨大な建物が存在する。それが今回紹介するFábrica BHERING(ベリンギ工場)だ。
(さらに…)1977〜81年の建築を特徴づけているのは「表層」である。それ以前には等閑視されてきたこの対象に、多くの建築家が目を向けた。
「表層」とは、どのようなものなのだろう? 1972年に美術批評家の宮川淳は、それが「ほとんど定義によって、存在論の対象になりえない」と指摘した。「厚みを持たず、どんな背後にも送りとどけず(なぜならその背後もまた表面だから)、あらゆる深さをはぐらかす」のだと。言われてみれば、納得だ。存在としては定位できないが、確かに、ある。
9月19日、家具メーカー「オカムラ」のガーデンコートショールーム(東京・紀尾井町のニューオータニ・ガーデンコート3階)で、「OPEN FIELD」の第1回展となる「ほそくて、ふくらんだ柱の群れ–空間、絵画、テキスタイルを再結合する」が始まった。その初日に行ってきた。建築史家の五十嵐太郎氏のキュレーションの下、建築家の中村竜治、画家の花房紗也香、テキスタイルの安東陽子の三氏がコラボレートしてなんとも不思議な空間を生み出している。下の写真は案内してくれた中村竜治氏と安東陽子氏だ。
住まいのWEBメディア「LIFULL HOME’S PRESS(ライフルホームズプレス))」で、宮沢が文章とイラストを書く「愛の名住宅図鑑」という連載が始まる。第1回が本日、9月18日に公開された。以下はその前書きだ。
振り返ってみると、名作といわれる住宅をずいぶん見てきた。実際に訪れると、どれも素晴らしい。期待を裏切らない。しかし、建築家や研究者が褒めていたポイントとは違うところで心を動かされている自分に気づく。
専門家が「建築史」の視点で書く評論文では削られがちなものがある。それは、建築家がその家に込めた“愛”だ。それに触れずに書かれた評論は、あたかも建築家が住み手の生活を考えていないかのような印象を与える。本連載では、「建築史上のポイント」と「建築家の愛」の両面から名住宅を解剖していきたい。
近代化(明治)以降の国内の住宅を概ね古い順に紹介していく。が、初回は“世界の座標軸”として、パリの「サヴォア邸」を取り上げる。
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