倉方俊輔連載「ポストモダニズムの歴史」18:「散田の共同住宅」のアイロニー、「祖師谷の家」のキッチュ、坂本一成における表層期の刻印

Pocket

連載17から続く。

 本連載の読者は、キッチュやアイロニーといった近年はあまり耳にしない言葉についても、表層と深く関わる概念として、すでに親しんでいるに違いない。これらは現在、坂本一成に似つかわしくない言葉と思われているだろう。実際のところ、どうなのだろうか。

 今まで見てきた1978年の3作品の2年後に「散田の共同住宅」(1980年)が完成した。雑誌発表時の解説文には、それまでの坂本一成とは異なるトーンが見られる。これは木造2階建て、延床面積が約200㎡の中に、10戸の居室と大家の1室を収めた共同住宅だが、タイトルには「散田のバラッツォ」とある。「パラッツォ」がイタリアの壮麗な邸宅を意味する事実を裏切って、本文は「これはいわゆる木賃アパートである」と始まり、その後は主に「木賃並みの、いやそれ以下のローコスト」といった実際的な要求に応えたことが説明されている(注6)。そしてタイトルをよく見ると「パラッツォ」ではなく「バラッツォ」であった。バラックにして、豪邸?

坂本一成「散田の共同住宅」1980年(撮影:新建築社写真部)

 作品も解説文も、これではまるで渡辺豊和が同時期に手がけた「テラスロマネスク穂積台」(1978・79年)みたいではないか。もちろん坂本一成は、この分譲住宅の作者のように「設計中にすでに完売していた」などと誇るようなことはしない。

虚構性を通じた真実の希求に踏み出す

 それでも意外なことに、坂本一成と渡辺豊和が並べて語れるのである。今度は前後関係が逆になるが、先ほどの坂本一成の「南湖の家」(1978年)と、やはり本連載の第16回で扱った渡辺豊和の分譲住宅「辻野ハウジング」(1980年)を比較しよう。

 どちらも建物の前面に、自立したファサードが整えられている。前の世代の建築家から見れば、変わったやり方である。歴史的なモチーフを直接に使っているわけではなく、形はあくまでも幾何学の組み合わせだが、かつての邸宅のような様式的な連想を否定してはいない。民間の需要に応え、通りの側から見られる要素を境界に設けることによって、その面の内と外がどちらも表であるような良好な状態をつくり出そうという試みだ。このように見ていくと、連載の第13回で論じた原広司の「境界論」(1981年)や同時期の「町田市中央通りモール化計画」も対照可能であることが分かる。

 この類似は表面的なものではない。アイロニーという深層に由来している。アイロニーの定義としては、これまで何度も使ってきた批評家の多木浩二による1978年の言葉「アイロニーとは完全には正当化できないものから有効な側面をひろいあげる意識である」を再び用いたい。原広司は先の論の中で「フィクショナル・ファサード」という手法を提唱した。それは「住居にこうしてもちこまれる虚構性は、住居をさしあたり、『本気にできない』住居にする」が「そのフィクショナルに思われる行為が、実はリアルなのだ」と解説されている。これはアイロニーである。坂本一成も同様に、虚構性を通じた真実の希求に踏み出したのではなかろうか。

 「散田の共同住宅」では、1978年の3つの住宅作品で用いた手法を共同住宅に適用して、新たな意味を与えている。外壁は薄い表皮で覆われたようにつくられ、窓ガラスの向こうには木の構造柱が見える。4つの切妻屋根を中庭を囲んで組み合わせた構成で、どの方向からも家形が確認される。ひとつながりの被膜であること、そしてイメージのような家形であることは、本作で融合し、住居を「お家」に思わせるのである。共同住宅であるという事実を裏切って。

「住むこと」には「シニカル」なものも含有される

 女子学生を対象としたこのアパートにおいて、お家の概念がいつも目に入ることは、精神的な安心につながるに違いない。中央に設けられた中庭は、ここでも「外室」と命名され、銀色にペイントされた面で囲まれている。覆われた家形の中に秘められたこの空間は、意識という以上に無意識を通して、自分の部屋であり、皆の部屋だと認識させるだろう。一人の振る舞いも、相互の行動も相当に変わってくるのではないか。

坂本一成「散田の共同住宅」1980年(撮影:新建築社写真部)

 設計者がここで、単に集合した住宅ではなく、真の「共同」住宅を目指したことは明らかだ。それには身体に働きかける空間だけでは不十分だと考えたのだろう。精神に無意識的にも作用する形の意味を、その危うさを承知しながら、有効な側面を活かそうとしたのである。

 関連した記述が、1978年12月に発表された論考「〈住むこと〉、〈建てること〉、そして〈建築すること〉」に見られる。坂本一成は「〈住むこと〉は文化の世界に属することであり、〈人の住まう場〉は思考の精神が住む場であるということにもなる」とした上で、「それゆえそれを〈建てる〉ということは、身体を成立させる場をつくるということだけではなく、人間が人間でありえる精神の場を成立させることにもなる(もちろんそのなかにはシニカルな内容も含まれよう)。」と書いている(注7)。

 これは、住宅は住みやすく、小難しくなく、心地よければ良いのだ、といった以上の内容である。身体だけでなく、精神に呼応しなければ、人間的な建築ではない。この「精神」の中には、意識的な「思考」も含まれ、意識と無意識の双方にまたがる「文化」にも関連する。だから「シニカル」なものも自然と含有されることを知っておかなければいけないと言うのだから。決して、すかっと爽やか、といったものではない。

両義性により存在のあらゆるカテゴリーを逃れる

 確かに「散田の共同住宅」は徹底的なアイロニーであって、「木賃アパート」でなければ「パラッツォ」でもない。すなわち、覆われた形態を通して「分離された場所」を語源とするアパート(メント)を批判しているが、それは簡素で薄っぺらにつくられ、返す刀では、パラッツォを装う「豪華高額商品住宅」を冷笑している。括弧内に引用したのは、作品解説文に現れる単語だから、これは過度な深読みだとは思われない。とはいえ、その穏やかな佇まいは批判や冷笑を第一目的にしているとは考えられず、普通に住みやすそうである。建築家の表現には見えないが、ローコストで機能的に解答しただけとも思えない。

 この住宅は、何かになろうとしていないのである。表層が形成する両義性によって、存在のあらゆるカテゴリーを逃れようとしている。これはアイロニーだ。全面的には肯定できない存在から目をそらすことなく、それを皮肉たっぷりに認知する、シニカルな態度を経由して初めて得られる戦略に他ならない。

 こうして「散田の共同住宅」が、表層期(1977〜81年)ならではの作品であることが分かる。今、建築が人間的であるためにはシニカルを経て、アイロニーを獲得する必要があるといった、当時の先端的な空気を映している。自分が肯定的に捉えられない存在をなかったものとし、批判や冷笑の労すらとらない爽やかな現在とは、なんと隔たっていることか。

「コラージュの操作」、「重層したレトリック」

 翌年に完成した「祖師谷の家」(1981年)は、キッチュの語のほうが似合う。もちろん、洗練されたキッチュである。道路側からの立面では、右半分にヴォールトの屋根がかかっている。左半分は急勾配の三角形で、切妻屋根を半分に割ったような形になっている。過去のどの作品よりも、全体が統合された感が薄い。明快な家形も見られなくなった。

坂本一成「祖師谷の家」1981年(撮影:新建築社写真部)

 設計中の1980年に書かれた「覆いに描かれた〈記憶の家〉と〈今日を刻む家〉」の中で、本作は「家型の重ね合わせというコラージュの操作」という段階を経て「より重層したレトリック」を求めたものと説明されている(注8)。作品発表の際には、近年宅地化されていった周辺環境における「今日の都市住宅の現実」に言及している(注9)。実際、その外観は、日常的な建売住宅や商品住宅が有する、ある種の賑やかさに背を向けてはいないだろう。アイロニーを放棄していないが、対象との距離はさらに近づいて、キッチュという言葉がふさわしく思える。

 さて、ここで現れた「コラージュ」や「レトリック」という単語からは、本連載の第3回で扱った1977年の論考「文脈を求めて」が思い出されはしないか。伊東豊雄は、こうした言葉が現代の都市の認識を特徴づけているとして、「表層」の概念と共に詳述していたのだった。そんな都市観は、坂本一成の先の1980年の文章にも共通している。典型的な部分を次に引用したい。

 「近代以降の都市ほど、活気に満ち、さまざまな場の集積であったこともない。その都市は混乱も秩序も同格に重複され、コラージュ的世界として私たちの眼前に現象してきた。そして今日でも、私たちは一歩でも戸外に出れば、その表層のコラージュ的環境に空間として身体を沿わせているし、またそれを身体で日常的に受け入れている。〈中略〉都市はわれわれの欲望や夢や活性化をも満たしうる近代以降の空間であり、今日までの世界(宇宙)だと言えないだろうか。」

シニカルを経てアイロニーを獲得し、キッチュに接近

 当時において、都市は物量的な大きさではなく、欲望を喚起する薄いイメージがただよう表層的な感性の有無によって、判断されるようになったようだ。坂本一成もそんな文脈を認める。認めた上で、それに流されるだけはないものを求めている。さらに後段を引用しよう。

 「今日のさまざまな文脈、たとえば感性が、こうした都市現象との関係で成立してきたならば、元型がアイデンティティあるいは永遠性の問題であるとしても、そのような文脈、感性の内でしか、その元型を浮上させることはできないと言えよう。」

 建築家としての姿勢は、1981年に発表された論考「所有対象の住宅を超えて―〈イメージの家〉から〈家のイメージ〉へ」の中に一層明確だ。「キッチュ」という言葉も登場する。

 「消費社会を否定し、そこで成立する〈イメージの家〉をキッチュとして否定することもできよう。しかし、これはまた大衆社会自体を拒否することになり、結局は社会に対して硬直した、そして季節外れのいわゆる芸術にしかならず、それはそれで自閉するしかなさそうだ。このように考えると、この現実を構成している消費社会を全面に肯定しなくとも、少なくとも否定することはできないことになる。」(注10)

 これが掲載されたのは「祖師谷の家」を発表する2か月前の『新建築』だから、作品の説明とも捉えて構わないだろう。最後の一文は、批評家の多木浩二が語ったアイロニー戦略そのものだ。坂本一成は、シニカルを経てアイロニーを獲得し、キッチュに接近した。

伊東豊雄「笠間の家」(1981年)との同期

 「祖師谷の家」の内部は、伊東豊雄がキッチュに最も迫った「中央林間の家」(1979年)に似ている。坂本一成は作品発表時に「この住宅の性格をもっとも強く位置づけ規定しているのは、床部の黒と天井部の白のコントラストであろう」と説明しているが、確かに内部空間をこれほどまでに表層のコラージュにした作品はかつてなかった。階段の踏み面は、床に属して黒く塗られ、側板は天井と同じく白くされている。横に伸びるテーブルは黒い面となり、階段が立面に白いギザギザを形づくる。

坂本一成「祖師谷の家」1981年(撮影:新建築社写真部)

 手法はそれまでと同じなのだが、ここには意識的につくられたインテリア「の・ようなもの」が出現している。それは作者が言うように「多くのイメージを形成」し「そのひとつは、〈家〉に関わること」になるだろう。多くのイメージの内には、伊東豊雄がそうであったようにチャールズ・レニー・マッキントッシュなども入るかもしれない。

 本作には優美さが漂う。「笠間の家」(1981年)で使われていたのと同じ、軽快な様式性を備えた大橋晃朗の家具が本作でも採用されて、表層からの連想を広げている。坂本一成と伊東豊雄で対照させるべきは、やはり同じ1981年の作品のようだ。

そして「HOUSE F」(1987年)へ

 「祖師谷の家」は、伊東豊雄の「笠間の家」がそうだったように、表層期の帰結として位置づけられる。伊東豊雄が言うところの「最もバランスのとれた作品」であると同時に、設計者はその水面の白鳥の歌ではないかと疑ったのだろう。

 伊東豊雄は1982年に設計を始めた「シルバーハット」(1984年)で作風を転換させ、坂本一成は表層期に生まれた疑問を「建築での図像性とその機能」(1982年)という学位論文にまとめ上げた後、数年の沈黙を経て完成した次作「HOUSE F」(1987年)によって転生を果たす。どちらも表層を突き詰めたことで、水面から飛び立ち、長い飛翔の基盤となったのである。

 坂本一成は時代に流されず、独自の問題意識を誠実に扱ってきた建築家だ。だからこそ、1977年から81年の表層期という時代動向が、正確に刻印されているに違いない。彼もまた表層と作風の確立とが深く関わり合った建築家となっていると思われるのだが。

注6:坂本一成「散田のバラッツォ」(『新建築』1980年6月号、新建築社)221頁
注7:坂本一成「〈住むこと〉、〈建てること〉、そして〈建築すること〉」(坂本一成『建築に内在する言葉』TOTO出版、2011)48〜49頁、初出『新建築』1978年12月号
注8:坂本一成「覆いに描かれた〈記憶の家〉と〈今日を刻む家〉―建築でのアイデンティティと活性化・建築の外形を例として」(坂本一成『建築に内在する言葉』TOTO出版、2011)90〜91頁、初出『新建築』1980年6月号
注9:坂本一成「祖師谷の家」(『新建築』1981年6月号、新建築社)186頁
注10:坂本一成「所有対象の住宅を超えて―〈イメージの家〉から〈家のイメージ〉へ」(坂本一成『住宅―日常の詩学』TOTO出版、2001)106頁、初出『新建築』1981年4月

倉方俊輔(くらかたしゅんすけ):1971年東京都生まれ。建築史家。大阪公立大学大学院工学研究科教授。建築そのものの魅力と可能性を、研究、執筆、実践活動を通じて深め、広めようとしている。研究として、伊東忠太を扱った『伊東忠太建築資料集』(ゆまに書房)、吉阪隆正を扱った『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社)など。執筆として、幼稚園児から高校生までを読者対象とした建築の手引きである『はじめての建築01 大阪市中央公会堂』(生きた建築ミュージアム大阪実行委員会、2021年度グッドデザイン賞グッドデザイン・ベスト100)、京都を建築で物語る『京都 近現代建築ものがたり』(平凡社)、文章と写真で建築の情感を詳らかにする『神戸・大阪・京都レトロ建築さんぽ』、『東京モダン建築さんぽ』、『東京レトロ建築さんぽ』(以上、エクスナレッジ)ほか。実践として、建築公開イベント「東京建築祭」実行委員長、「イケフェス大阪」「京都モダン建築祭」実行委員、一般社団法人リビングヘリテージデザインメンバー、一般社団法人東京建築アクセスポイント理事などを務める。日本建築学会賞(業績)、日本建築学会教育賞(教育貢献)ほか受賞。

※本連載は月に1度、掲載の予定です。これまでの連載はこちら↓。

(ビジュアル制作:大阪公立大学 倉方俊輔研究室)