谷口吉生は、境界面を問い続けてきた建築家である。「金沢市立図書館」(現・金沢市立玉川図書館、1978年)について、1979年に谷口吉生は「内と外とが、たえず一方が他方の仮像となって感知されるような曖昧性のある空間である […]
「ポストモダニズムの歴史」by倉方俊輔
前回、丹下健三と槇文彦について見ていったように、1977〜81年には皆、「表層」に憑かれたのだった。それぞれの建築家の中心思想や世代論を越えたその拡がりから、引き続き、この時代の建築を捉えたい。 黒川紀章の「利休ねずみ […]
前回から続く。 1977年、初めてタイルを外装に使ったヒルサイドテラスが完成した。1969年に完成した最初のA棟・B棟の外壁は打ち放しコンクリートだった。これは1973年に第2期としてC棟が竣工した際に、それと同じ吹付 […]
作品としての存在感を表層が担っている建築が、1977年ころから幅広く見られるようになる。今回からは、それらにどんな共通点があり、違いは何かを考えていきたい。
1977〜81年の建築を特徴づけているのは「表層」である。それ以前には等閑視されてきたこの対象に、多くの建築家が目を向けた。 「表層」とは、どのようなものなのだろう? 1972年に美術批評家の宮川淳は、それが「ほとん […]
前々回、長谷川逸子と伊東豊雄とが最接近した日時を1978年6月と特定した。この月に雑誌発表された伊東豊雄の「PMTビル」(1978年)と長谷川逸子の「焼津の文房具店」(1978年)は、ともに「表層」を駆使して都市的な建 […]
長谷川逸子と伊東豊雄の距離<1>から続く。 長谷川逸子の鮮やかな展開──「徳丸小児科」 1978年から、翌年、翌々年と、長谷川逸子の転回は鮮やかである。 1979年6月に愛媛県松山市に竣工した「徳丸小児科」は、5階建 […]
長谷川逸子の「焼津の文房具店」は、前回にそこで記述を終えた伊東豊雄の「PMTビル」と同じ月に雑誌発表されている。この瞬間に2つの個性は、かつてないほど接近し、そこからまた二股に分かれていく。そんなX型の軌跡は、当時にお […]
前編から続く。 表面のみの世界の「完成」 しかし、「断層」は閉じられなければならない。「表面のみの世界」と矛盾するからである。引き続き『風の変様体』でその様子を追っていこう。 「文脈を求めて」(1977年6月)におけ […]
1977年に、伊東豊雄も「表層」に気づくことになる。前回に説明した長谷川逸子と同じく、大きく2つの変化が現れるのだ。それまで中心としていた「空間」から別の言葉にテーマが移る、意味の世界と関わるようになる、という2つの変 […]