「52間の縁側」は形の遊びにあらず、事業者の介護哲学を建築家・山崎健太郎氏が葛藤の末に空間化

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 建てる前から多くの人の注目を集めるプロジェクトがある。規模が大きいわけでも、お金をかけて宣伝しているわけでもない。住宅程度の大きさで、ひっそりした佇まいであっても、瞬時に人の心を捉える…。そんな計画がごくまれにある。この1年ほどの間、筆者がずっと気になっていたのが、この「52間の縁側」だ。設計者は山崎健太郎氏(山崎健太郎デザインワークショップ主宰)。

(写真:宮沢洋)

 この計画を知ったのは、2018年に森美術館で行われた「建築の日本展」だった。会場写真が手元に残っていたので、お見せしよう。

 「52間の縁側」。名前からして記憶に残る。日本人が「細長い平屋」と聞いて思い浮かべるのは、京都の「三十三間堂」だろう。柱間の距離が違うので単純比較はできないが、それと似たような長さに見える。ただ、この展覧会ではその形の理由を完全に理解するには至らず、「記憶の隅に引っかかった」程度だった。

 1年ほど前からこのプロジェクトが再び気になりだした。理由は、昨年の今ごろ、JIA建築大賞の現地審査で山崎健太郎氏が設計した「新富士のホスピス」を見たからだ。「ホスピス」という建築用途を根本から問い直す、驚くべき建築だった。たぶん、見た人の多くが「自分もここで最期を…」と思う。残念ながら大賞には選ばれなかったが、審査会では何か特別な賞を与えられないかという議論にもなった。(昨年のJIA日本建築大賞の記事はこちら→速報:審査白熱!宮崎浩氏の長野県立美術館が「日本建築大賞」に

 この山崎健太郎という人が設計する「52間の縁側」とは、一体どういう建築なのか…。記憶の端に引っかかっていた細長い模型が脳の中心に居座り始めた。

開業後に見に行ってよかった!

 実は、11月半ばに開業前の内覧会があったのだが、都合が悪くて参加できなかった。山崎氏にお願いして、開業してひと月ほどだったところを見学させてもらった。場所は千葉県八千代市だ。

設計者の山崎健太郎氏

 結論から言うと、「新富士のホスピス」に匹敵する建築だった。ただ、私の能力では、開業前の内覧会で見ていたら、あの形の本当の意味は分からなかったかもしれない。

 そもそも何の施設なのか。私の説明だとバイアスがかかるかもしれないので、国土交通省が「人生100年時代を支える住まい環境整備モデル事業」に選定した際(2019年)の説明文を引用する(太字部)。

「世代間共助の生まれる宅老所でみんなの居場所作り」  千葉県八千代市 有限会社オールフォアワン

・千葉県八千代市の米本地区は、昭和40年代に建設された3000戸超の団地が立地し、高齢化が進むと共に、子育て世帯では、共働き、ひとり親からなる子どもの孤食等の問題を抱えている。
・本提案は、老人デイケアサービスセンターに、共生カフェ、寺子屋、子ども食堂、自主保育等からなる複合施設を整備するものである。
・自主保育・共生カフェを活用し、地域住民や利用者が隔てなく高齢者・子どもとの接点を増やし、認知症・若年性認知症・高次脳機能障害などへの理解度・印象の変化を検証すると共に、子どもの居場所作り・多世代共助ネットワークを構築することを目的とする。

『52間の縁側』
季節の情緒を感じ、社交の場としても機能するのが縁側である。 外界と室内をつなぐ縁側を作ることで、デイサービス利用者と庭の畑にいる幼児や地域住⺠が気軽に集まり、お茶を飲みがら雑談をする仕掛けを作る。

 事業者は有限会社オールフォアワン。千葉県習志野市で宅老所(デイサービス)「いしいさん家」を運営する石井英寿氏が代表を務める。介護する側の論理ではなく、利用者の「普通の生活」を重視する石井氏は、介護業界のイノベーターだ。その石井氏が、同世代の山崎氏と6年にわたり、考えに考えて実現したのがこの建築なのである。

左が石井氏、右が山崎氏。戦友のような2人

 実は石井氏と山崎氏に1時間近く話を聞いたので、ロングインタビューも書けるのだが、これから多くの建築専門誌が取り上げることは間違いないので、詳しくはそれらを見てほしい。実現までの生々しいプロセスは何の設計にも参考になると思うが、ここであまり詳しく書くと恨まれる…。

 なので、ここでは石井氏の話の中で、この建築を一番よく言い表していると感じた言葉を紹介しておく。

 その言葉は、「不便益」。不便の益、「benefit of inconvenience」だ。何となく聞いたことのある言葉だったが、ここに居ると、いろいろな場所でその意味が腑に落ちる。そんな建築だ。

池を含む造園の作業は、地域の人たちとワークショップ形式で行った

 ちなみに、プロジェクト名は「52間の縁側」だが、最終的には予算の制約で42間になったそうである。そんな逸話も、今となってはほほえましい。(宮沢洋)

当初は手前側にもっと長く伸びる予定だった