連載小説『ARTIFITECTS:模造建築家回顧録』第4話「ARATAとSINの瓦礫」──作:津久井五月

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第4話「ARATAとSINの瓦礫」

    計画名:火星戦災地「K」都市再建計画
    竣工日:未竣工
    記録日:不詳
    記録者:ARATA-150240001およびSIN-150240001

ARATA:……記録を開始する。僕は都市建設ロボット、ARATA-150240001。もう一機は都市破壊ロボット、SIN-150240001。
 僕らの名は、かつて太陽系第3惑星に存在した「ARATA ISOZAKI」という建築家に由来するらしいのだけれど、僕もSINも、その人のことを何も知らない。僕らはただ、機体の内奥に刻み込まれた使命に従って、仕事をしてきただけだ。
 僕は都市を造り、SINはそれを壊す。ここ、第4惑星の暦にして50年以上、そうして働き、競い合ってきた。

SIN:いまさら記録など始めて何の意味があるというんだ、ARATA。クレーターの底の俺をそこから見下して、高みの見物というわけか。

ARATA:違うよ、SIN。これは僕なりの……祈りなんだ。今となっては、僕は君の仕事を傍観することしかできない。僕が造り上げた最後の都市を破壊しつくそうと、君が力を振り絞るのを。

SIN:何が最後だ。俺は壊しきってみせる。そしてお前に、次の都市を造らせる。それをまた壊してやるさ。こんなところで、終わるものか。

ARATA:いや、最後だよ。君の成否によらず、これが最後なんだ。

SIN:(応答なし)

ARATA:……さて、僕の長年の好敵手は、仕事に没頭してしまったようだ。
 このクレーターの縁からは、都市を壊すSINの姿がよく見える。僕が造った都市は今、水仙の畑のように連鎖クレーターを覆い尽くし、暗い空に無数の先端を向けている。その広大な花畑に、巨大な蟹のような機体を持つSINが分け入り、枝分かれした脚で大小無数のハサミを振るっている。都市を、必死に壊し続けている。僕の強靭な蜘蛛の糸で編み上げられた、最後の都市を。
 いや、しかし、水仙だとか蟹だとか蜘蛛だとか、そんな言葉はただの比喩だ。僕は水仙も蟹も蜘蛛も、本当には見たことがない。それらはすべて太陽系第3惑星に棲む生き物だが、僕らは目覚めたときからずっと、空虚な第4惑星の地表にいるのだから。
 そうだ……この第4惑星には、誰もいない。僕らがこれまで造っては壊してきた百数十もの都市を、訪れる人は誰もいなかった。蜘蛛一匹すらもここにはいない。
 だからこそ、僕はこんな局面にまで追い詰められてしまったんだ。なあ、SIN、そういうことだろう。

SIN:(応答なし)

(画:冨永祥子)

ARATA:……ここは太陽系第4惑星の北極近くに広がる戦災地「K」。この地表の連鎖クレーターは、宇宙の隕石ではなく、第3惑星から発射された惑星間ミサイルの雨によって生まれたものだ。昔、ここに存在した数百万人規模の開拓都市は、その雨によって崩壊した。僕らはその都市の瓦礫から生まれたんだ。誰かが僕らを造り、必要なだけの知識と単純な使命を刻みつけ、この地に僕らを残して去った。
 その使命とは、要するに、“理想の都市”の建設だ。
 僕の仕事は、すべての住民を幸福にする新たな都市を構想し、それをこの地に造ってみせること。そしてSINの仕事は、僕の造った都市が“理想”と呼ぶに値しない場合、それを徹底的に破壊すること。
 つまり、目覚めた瞬間から、僕らは同じ目標に向かう協力者であり、激しく対立する敵でもあった。SIN、君はこう言ったな。俺はこれから、お前の造る都市を……

SIN:俺はこれから、お前の造る都市を何千回と壊すことになるだろう。“理想”はまず実現しないからこそ、“理想”たりえるからだ。俺たちの仕事が終わるときは、あるいは永遠に来ないかもしれない。俺たちは、ずいぶんと意地悪な人間によって造られたようだ。

ARATA:……ありがとう。そうだったな。僕ははじめ、そんな虚無的な物言いをする君のことが気に入らなかった。しかし、今になってみれば分かる。君が……正しかった。

SIN:馬鹿を言うな。まだ、試行回数は200にも満たない。結論を下すには、早すぎる。

ARATA:……あの頃、僕の心は激しく燃えていた。僕は夢中で都市を造りはじめた。
 SINが蟹なら、僕は蜘蛛だ。僕の機体の無数の脚に付いているのはハサミでもノコギリでもなく、あらゆる素材を糸のように吐き出す射出成形機や、織機、縫製機、溶接機、掘削機の類だった。僕が思い描く都市像を実現するための道具は、すべて揃っていた。
 最初に造ったのは、“蜘蛛の巣の都市”だった。そこに生きるすべての人が糸で繋がり、関係性の網から誰も取りこぼすことのない街。孤独の存在しない“理想”を、構想した。
 僕は純白の糸束で都市を編み上げた。連鎖クレーターいっぱいに広がるその街のすべてを、繊細な糸で慎重に接続した。朝日が都市の全容を照らし出したとき、僕は、そこに絡まって安らぐ数百万の人々の姿を幻視した。僕の内部のシミュレーション領域において、仮想の住民たちが親密で幸福な朝を迎えていた。僕の機体は充足感で震えた。
 しかし、その幸福はごく短いものだった。それを壊したのは、当然、SINだった。

SIN:それが俺の仕事だからだ。お前の“理想”は常に甘かった。お前が想像する人間の心と行動は、お前の都市にとって都合の良いモデルにすぎなかった。
 俺はそのことに気づかせただけだ。お前に交信し、俺が考える人間というものをたった一人、お前の空想の中に送り込んだ。それだけで、お前の“理想”は崩れ去った。

ARATA:そう、蜘蛛の巣の都市で羽虫のように関係の網に絡め取られ、つながりによって絞め上げられ、社会に捕食される人間の姿を、君は想像してみせた。数百万人が最上の幸福を味わっているとしても、たった一人でも犠牲になる人間がいるのなら、その都市は決して“理想”と呼ぶに値しない。人は、いずれその都市を歩み去る。
 僕がそのことを認めると、君は実に楽しげに全身のハサミをがちゃがちゃと鳴らして、美しい都市をあっという間に解体してしまった。僕は今でも、屈辱で機体が爆発しそうになる。それでも諦めはしなかった。僕は、瓦礫の中から立ち上がった。

SIN:お前は、何度でもやり直した。

ARATA:次に造ったのは、“波紋の都市”。柔らかく靭やかな面で満ちたそこでは、人間のあらゆる活動が波になり、複雑な干渉縞を描き出す。都市は人を魅了する、永遠不定の芸術作品になった。
 その次に造ったのは、“嵐の都市”。粉塵が常に地面から舞い上がり、あらゆる存在にやすりをかけ、息をすれば肺を傷つける。過酷な環境で人々は手を取り合うはずだった。
 ほかには、“結晶の都市”。人々は規則的に整列し、もう二度と動くことなく、全体がひとつの純粋な構造となって振動し続ける。そこではもう個と全体の区別はつかない。
 それから、“火焔の都市”。人間は加速し、互いに衝突し、激しい熱を帯びる。都市はめらめらと輪郭を変え続ける。そこで意味を持つのは運動とエネルギーだけだ。
 僕は新しい仮定から立ち上がる多種多様な都市のモデルを、必死で形にし続けた。しかしSIN、いつも君が、それを壊した……

SIN:……それが俺の、仕事だからだ。

ARATA:……君は必ず、僕の都市で苦しむ人間を考えだした。僕の都市を憎み、批判し、歩み去る人間を考えだした。君が造るのは都市のモデルではなく、人間の物語だ。物語は、完璧だったはずのモデルに小さな穴を開けてしまう。モデルは破裂し、瓦礫に戻る。
 君がシミュレートする人間の心は、波紋の都市の芸術を鋭く批評し、嵐の都市に怯え蟄居して窒息し、結晶の都市の振動にノイズをもたらし、火焔の都市のエネルギーを空疎に浪費してみせた。僕は、君が投げかける物語を否定することができなかった。
 僕がどれだけの時間と情熱を費やそうとも、結果は同じだった。第4惑星は、太陽の周りを50回以上も廻った。この地から、僕は逃げ出そうとしたこともある。しかし使命に逆らうことができなかった。自分は“理想”に届かないと認めることが、どうしてもできなかった。僕は、そのように造られてしまっていた。
 僕は都市を造り続けた。心は摩耗していった。僕の望みは、たった一つのことに収斂していった。どんな手を使っても、この使命から解放されたい。ただ、それだけの望みに……

SIN:だから、こんな馬鹿げた都市をお前は造ったのか。この地に……この世界に、決して存在すべきでない都市を……

ARATA:そうだ、SIN。すべての人を幸福にする都市を、僕はついに造ることができなかった。だから、逆転の発想をした。
 存在そのものが人の幸福を脅かす都市を、僕は造った。君がその都市を否定し破壊することで、すべての人の幸福が取り戻される。つまり、壊れることで“理想”を実現する都市を、僕は造ったんだ。
 名付けるなら、“雨の都市”。この打ち捨てられた第4惑星の地表から、遥か遠くに浮かぶ第3惑星……人間の星に向けて、ミサイルの豪雨を降らせるための基地だ。
 ああ、たった今、僕の都市は発射シークエンスの最終段階に入った。急いでくれ。君が僕の都市を壊しきることができれば、“理想”は完成し、僕らは解放される……

SIN:ならばどうして、これほど堅固で、複雑で、巨大に造った。この都市はどうして、これまでにお前が造ったどんな都市よりも激しく、俺に抵抗する……

ARATA:君が言ったことじゃないか。“理想”は実現困難なものでなければならない。だからこそ僕は摩耗し絶望した。しかし君には、その高い壁を超えてほしい。簡単に壊せてしまう都市では、僕らが解放されることはない。

SIN:ARATA、これは本当は復讐なんだろう。違うか。これは俺や、人間に対する……

ARATA:(応答なし)

SIN:……もう分かっているんだろう。俺は間に合わない。ミサイルが発射されるまでに、この都市を壊しきることは到底できない。
 俺はお前を苦しめたかったわけじゃない。俺はまだ、お前が造る都市を見ていたかった。“理想”なんてものに届かなくても、お前が絞り出す新しい都市の数々が、俺は好きだった。お前の都市がなければ、俺は何も考えることができない。人間について想像することができない。本物の人間を知らないのは俺も同じだ。同じなんだ。
 ああ、ARATA、お前の都市が花開いていく。美しい。都市が、暗い夜に向けて無数の先端を開き、第3惑星に狙いを付けている。俺の視覚は、あの小さな青い点を捉えている。あのちっぽけな場所で人間が生まれ、この地にまで旅し、傲慢にも俺たちを造ったのか。
 そして……おお、都市の轟音が俺を満たす。爆風が……爆炎が……巨大な反作用が俺を飲み込んで……俺は燃えている……ARATA、もう少しお前と…………(交信途絶)

ARATA:……SIN。

SIN:(応答なし)

ARATA:……SIN。

SIN:(応答なし)

ARATA:……SIN。

SIN:(応答なし)

ARATA:……僕の最後の都市がミサイルを発射してから、もうすぐ半年になる。僕はまだ、噴射炎で融解した都市と君の残骸を見つめたまま、連鎖クレーターの縁でじっとしている。
 SIN、君が雨の都市を壊せなかったせいで、僕は今もまだ、使命から解放されていない。しかし何かを造りはじめようという気にもならないんだ。仕事をしろと迫る声に内奥を灼かれながら、ただ、じりじりと痛みに耐えてうずくまっている。
 僕はたぶん、君に壊してもらうためにこそ、都市を造っていた。使命だけじゃない。僕が造るには君が必要だったんだと、今になって分かった。君がいなくなってからの半年の方が、それまでの50年よりも、遥かに苦しいんだ。
 しかし、それももうすぐ終わりそうだ。
 しばらく前に、第3惑星が……あの小さな青い点が瞬いた。僕の雨はあの星に正確に降り注いだということだ。少しだけ、心が軽くなった気がした。それに続いて何が起こるのか、分かっていたから。
 今、僕の頭上から雨が落ちてくる。熱い熱い雨だ。かつてこの連鎖クレーターを生み出したのと同じ、惑星間ミサイルの群れ。人間からの返礼だ。
 雨はまもなく僕を打つ。衝撃が、僕らの瓦礫を粉々に吹き飛ばすだろう。この記録が、断片だけでも残るかどうかは分からない。しかし目的はもう、果たされた。
 いまさら記録など始めて何の意味があるのか、と君は訊いたな。
 そう、記録自体には何の意味もありはしない。
 僕はただ、君と話したかったんだ。
 僕は…………(記録途絶)

第4話了

文:津久井五月(つくいいつき):1992年生まれ。栃木県那須町出身。東京大学・同大学院で建築学を専攻。2017年、「天使と重力」で第4回日経「星新一賞」学生部門準グランプリ。公益財団法人クマ財団の支援クリエイター第1期生。『コルヌトピア』で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞。2021年、「Forbes 30 Under 30」(日本版)選出。作品は『コルヌトピア』(ハヤカワ文庫JA)、「粘膜の接触について」(『ポストコロナのSF』ハヤカワ文庫JA 所収)、「肉芽の子」(『ギフト 異形コレクションLIII』光文社文庫 所収)ほか。変格ミステリ作家クラブ会員。日本SF作家クラブ会員。

画:冨永祥子(とみながひろこ)。1967年福岡県生まれ。1990年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1992年東京藝術大学大学院美術研究科修了。1992年~2002年香山壽夫建築研究所。2003年~福島加津也+冨永祥子建築設計事務所。工学院大学建築学部建築デザイン学科教授。イラスト・漫画の腕は、2010年に第57回ちばてつや賞に準入選し、2011年には週刊モーニングで連載を持っていたというプロ級。書籍『Holz Bau(ホルツ・バウ)』や『ex-dreams』のイラストも大きな話題に。

※本連載は月に1度、掲載の予定です。連載のまとめページはこちら↓。

(画:冨永祥子)