映画「ドライブ・マイ・カー」が証明した谷口吉生氏「広島市中工場」のすごさ──建築シネドラ探訪番外編

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 遅ればせながら、映画「ドライブ・マイ・カー」を見てきた。この映画、いろいろな人から「宮沢さんは当然見てますよね?」と感想を求められるので、「いやまだ…」と答えるのが辛くなった。なぜ私が見ていると思われるかというと、ロケ地の1つに「広島市環境局中工場」(2004年完成)が使われているから。そう、私の大好きな建築家、谷口吉生氏の設計による名建築だ。

(イラスト:宮沢洋、以下同)

 なるほど、物語として面白い。上映時間が2時間59分もあって、途中で飽きるのではないかと思ったが、全くそんなことはなかった。序盤のふわっとしたエピソードの意味が、それぞれ徐々に解明されていき、見終わると全体が腑に落ちる。実によくできている。

 村上春樹による同名の短編小説を、1978年生まれの濱口竜介監督が、自ら脚本を書いて映画化した。カンヌ国際映画祭で日本映画としては史上初となる脚本賞を受賞。アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞にノミネートされた。あのスティーブン・スピルバーグ監督の「ウエスト・サイド・ストーリー」などと競う。発表は3月27日だ。

みさきが過去を語る重要なシーンで中工場が登場

 若干のネタバレを含むので、これから映画を見ようと思っている人は、後半の写真の辺りから読んでほしい。

 主人公は妻を亡くした俳優・演出家の家福悠介(かふくゆうすけ、演じるのは西島秀俊)。家福が、広島県の演劇祭に招かれ、専属ドライバーとなる寡黙な女性、渡利みさき(わたりみさき、演じるのは三浦透子)との交流の中で、過去を乗り越えていくという話だ。

 「広島市環境局中工場」(以下、中工場)が登場するのは中盤から終盤に向かう辺り。寡黙な渡利みさきが、自分の過去を初めて語る重要なシーンだ。

 演劇の稽古場でトラブルがあった家福は、運転手のみさきに「どこでもいいから車を走らせてくれないか」と言う。みさきは家福を中工場に連れていく。見学路である「エコリアム」を案内しながら、みさきは、「原爆ドームと平和記念公園を結ぶ平和の軸線を遮らないように設計されたそうです」と説明する(セリフは記憶で書いているので正確ではないかも。以下同)。

 みさきは5年前、18歳のときに地すべりで母を亡くした。母の呪縛から解かれたみさきは、免許を取ったばかりの車を運転して、あてもなく広島までやってきた。そして、この清掃局でドライバーとして働き始めた。そんな過去を語る。

 その間、5分間くらいだろうか、建物の外観や、美術館のような見学路、南側の階段状の広場などがたっぷりと映る。

 
 映画を見終わった後、これは村上春樹の原作にも描かれているのだろうか、と気になって、文庫(文春文庫の「女のいない男たち」に収録)を買って読んでみた。想像はしていたが、原作にはなかった。

 中工場のエピソードは濱口竜介監督の創作だ。産経新聞には、こんな裏話が載っていた。

 話題の「ドライブ・マイ・カー」の原作の舞台は東京で、主なロケ地としても、当初は韓国・釜山で決まっていたという。だが、新型コロナウイルス下で海外ロケが行えず、映画の設定となっている国際演劇祭の開催地に適した都市を探していたそうだ。(中略)

 特に濱口監督がほれ込んだ場所の一つが、河口の埋め立て地に建てられた美術館のような趣があるゴミ処理施設「広島市環境局中工場」だ。(中略)「建物内部の中央をガラス張りにし、平和都市の『軸線』を遮らずに海へと抜けるようにして浄化させていると説明したら、台本に書かれていてすごくびっくりしました。映画に出てくる女性ドライバーさんの大切な場所にもなっています」と西崎さん(撮影を支援した広島フィルム・コミッションの西崎智子さん)。
引用元の記事:カンヌ脚本賞の濱口作品も ロケ地・広島の磁力

なぜこのシーンで「中工場」なのか?

 前述したように、この映画はさまざまなエピソードが、後になって「伏線」として回収されていく。だが、この中工場については、ここを取り上げた理由が明確には説明されない。これだけ緻密な脚本を書く人が、「絵になるから」というだけで重要シーンに使うことはないだろう。なので、勝手にその意味を考えてみた。

 このシーンのカギは、みさきが工場内のクレーンやごみの山を見ながら言う「花びらみたいでしょう」というセリフなのではないか。そして、海に向かって伸びる見学路の先に見える光がもう1つのポイント。その空間は、長いトンネルのようでもある。

 みさきにとって、これまでの人生は「散っていくだけ」のものだった。来る日も来る日も散っていく作業を繰り返すごみ処理工場。しかし、心の底ではいつか光が訪れると願っている。光は遠くに確かにある。そんな思いをこのシーンに重ねたくて、ここをロケ地に選んだのではないか。

“美術館の名手”にごみ処理施設を発注した英断

 …と、そんなことは私の妄想に過ぎないので、せっかく中工場に興味を持ってくれた人のために、実際の写真を見ながら建築がらみのうんちくを1つ。

 この清掃工場がなぜ、谷口吉生氏の設計で実現したのか、である。通常、こういう施設は、過去に同種の実績がないと設計者選定の土俵に上がることはない。“美術館の名手”として世界に知られる谷口氏だが、ごみ処理施設の実績はなかった。

(“美術館の名手”についてはこちらの記事参考→谷口吉生氏設計の金沢建築館で「谷口美術館11」展、シャンとした会場に漂う「場の空気」

(写真:宮沢洋、以下も)

 この施設は広島市の「P&C(ピースアンドクリエイト)」事業の1つで、設計が特命(名指し)で谷口吉生氏に発注されたのだ。広島市が1995年から約2年間実施した事業で、正式名は「ひろしま2045:平和と創造のまち」事業という。以下、広島市の資料から引用。

 「ひろしま2045:平和と創造のまち」(以下、「P&C」という。)は被爆 50 周年を記念し、2045年のひろしまに向けて優れたデザインの社会資本を整備していこうとするものです。P&Cの目的は、広島の都市景観形成において重要と認められる本市の建設事業について、計画段階から建築、土木、ランドスケープ等のデザイン力に優れたデザイナーを選定・起用し、特徴ある自然環境を生かしながら、人々に潤いと安らぎを与え都市の風格を高めるような個性ある美しい都市景観の創造を推進していくことにより、広島のアイデンティティの形成を図ろうとするものです。

 P&Cは平成7年(1995 年)4月から開始し、平成9年(1997年)7月までに11事業13施設対象事業に指定し、平成20年度(2008年度)の安佐南区総合福祉センターの完成により、9事業10施設(以下参照)が完了しました。

① 安佐南区総合福祉センター/村上徹(デザイナー名、以下同)/2008年5月(完成年月、以下同)
② 基町高等学校/原広司/2000年3月
③ 矢野南小学校/富田玲子/1998年3月
⑤ 東千田公園/山本紀久/1999年3月
⑥猿猴川アートプロムナード/佐々木葉二/2007年8月
段原リバーフロント地区建築誘導/錦織亮雄/2007年3月
⑦ 中工場/谷口吉生/2004年2月
⑧ 西消防署/山本理顕/2000年3月
⑨ 市民てづくりの里/三田育雄/2001年3月
⑩ 宇品内港埋立地区高層複合住宅整備等/藤本昌也/2001年3月

 90年代には、公共建築の設計発注を、競争入札や設計競技ではなく、「特命」で行おうという機運が高まった時期があった。熊本県の「くまもとアートポリス」がその先駆けで、岡山県の「クリエイティブTOWN岡山(CTO)」や広島市の「P&C」などがそれに続いた。熊本アートポリスは当初、建築家の磯崎新氏が、CTOは岡田新一がそれぞれコミッショナーを務め、設計者選定の中心になった。広島市の「P&C」では、特定の1人の建築家ではなく、地元の学識経験者や都市整備局長、関係局長が設計候補者を検討した。

 そんな仕組みがなかったら、中工場のような建築が実現することはなかったし、この映画「ドライブ・マイ・カー」も全く違ったものになっていたかもしれない。

 「P&C」のことは覚えていたが、今回調べて、正式名称が 「ひろしま2045」であったということを思い出した。原爆投下から100年後の財産をつくるという意味だ。原爆ドームから平和公園を経て海に抜ける“平和の軸線”は、この映画によって世界に知られる共通財産となったと言ってよいだろう。映画内では名前が出ることはないが、中工場の設計者である谷口吉生氏と、同氏を設計者に推薦した誰かに、改めて敬意を表したい。(宮沢洋)