リレー連載「海外4都・建築見どころ案内」:ブラジル・リオ×藤井勇人氏その2、ジャン・ヌーベル設計の“森林タワー”と歴史的建造物から成る6つ星ホテル、サンパウロの注目開発へ

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経営破綻後、20年近く放置されていたブラジル・サンパウロのマタラーゾ病院。この建物と地域の歴史的価値を見抜き、複合開発を進めているのがフランス人実業家のアレクサンドル・アラール氏だ。ジャン・ヌーベル氏やフィリップ・スタルク氏などを起用、緑に抱かれた敷地内には6つ星ホテルが先行オープンしている。藤井勇人氏が現地でアラール氏などに取材した。(ここまでBUNGA NET編集部)

 前回はスラム(ブラジルではファヴェーラと呼ばれる)に立つ住宅とカルチャーセンターについて紹介した。ファヴェーラは年々拡大しており、現在国内で約1万3000を超えるファヴェーラが存在し、ブラジルの人口の約9%に当たる580万世帯、1790万人の住民が住んでいるといわれている(Data Favela 2023調べ)。一方で、米経済誌「フォーブス」が毎年発表する「世界長者番付」によると、10億ドル以上の資産を保有するビリオネア2640人のうち、51人がブラジル人で、国別としては11位にランキングされるなど(日本は15位)、いわゆるブラジルは貧富の差が大きい国の一つでもある。

1万本の樹木の中にホテルなどの複合施設、ジャン・ヌーベルらによるCidade Matarazzo(シダーヂ・マタラーゾ)

 第2回目となる今回は、前回とは対極にある、国内の富が集中する南米最大のメガロポリス、サンパウロのハイソサエティーの話題を独り占めしている複合施設を紹介しよう。その名はCidade Matarazzo(シダーヂ・マタラーゾ)。イタリア人移民として巨額の富を築いたブラジル最大財閥の一つであるマタラーゾ家の名前が冠された複合施設である。

新築とリノベーションを混合してつくられた複合施設Cidade Matarazzo(シダーヂ・マタラーゾ)。周辺に比べてもこのエリアだけ樹木がひときわ多いことが一目瞭然だ(写真:ROSEWOOD SÃO PAULO)

 南米最大の金融街パウリスタ大通りから1ブロック入ったところに立地する合計3万m2の敷地に、1万本の樹木、デザイン、アート、ガストロノミー、イノベーションハブ、そして全世界18カ国にホテルとリゾートを30カ所展開する、ラテンアメリカ初の6つ星ラグジュアリーホテル「Rosewood São Paulo(ローズウッド サンパウロ)」を複合させた施設がCidade Matarazzo(シダーヂ・マタラーゾ)である。

 もともとは、「富める者の健康を貧しい者のために」というスローガンを掲げて、一代で国内有数の資産家にのし上がったFrancisco Matarazzo(フランシスコ・マタラーゾ)によって1904年に建設されたマタラーゾ病院がこの地の始まり。その後1943年にはマタラーゾ産婦人科病院が増築され、1993年に経営破綻するまでの約50年間でなんと50万人の新生児がこの病院で誕生したといわれている。

 病院の破綻後、20年近く放置され空き家状態が続いていたが、この建物と地域の歴史的価値を見抜いていたのは、フランス人実業家でパリのホテルのシンボルとされてきた、ル・ロイヤル・モンソー・ラッフルズ・パリをリノベーションしたプロデューサー、Alexandre Allard(アレクサンドル・アラール、愛称アレックス)だった。彼はそれまでにもフランス(パリ)やイタリア(ローマ)、英国(ロンドン)、モロッコなど数々の国で歴史的価値のある建物を再生させてきた、いわばリノベーションのプロでもあった。そんな彼が南米で目を付けたのが放置されていたサンパウロのマタラーゾ病院だった。

 彼は2008年にこの敷地を1.17億レアル(約34億円)で買収し、世界の巨匠であるフランス人建築家、ジャン・ヌーベルに建築、一般にも名前の知られたフランス人デザイナーのフィリップ・スタルクにインテリアを依頼した。まさにオールフランスのクリエイティビティーとブラジル人のデザイナーやアーティストらを集結させて、グリーンエコノミーを目指したエリア緑化開発を行うことを宣言。

手前が産婦人科病院をリノベーションしたホテルの棟。左奥がホテルのメイン棟となるジャン・ヌーベルによるTorre Mata Atlântica(大西洋岸森林タワー)。右側がイノベーションハブセンターとなるAYA Hub。新旧の建物が共存している(写真:ROSEWOOD SÃO PAULO)

 それから14年! の月日が流れ、他の施設に先行してついにローズウッドホテルが2022年1月にオープンした。アレックスによれば、その14年の間に市長は3人変わり、許可申請が下りるまでに6年かかったCONDEPHAAT(歴史遺産保護協議会)の会長はなんと6人入れ替わり、また結果的に23の行政団体とやり取りをしなければいけなかったという。

 そもそも文化遺産に登録された建築を改修すること自体、新築を建設するのに比べて何十倍もの労力とコストがかかるといわれているこの国である。彼のように忍耐強く体力もある外国人でなければ絶対に実現できなかったプロジェクトであるといっても過言ではない。彼は自分が成し遂げたことについて、「気が狂った外国人がやったことだよ」と笑って話してくれたが、その背景には凡人では絶対に突破できないいくつものハードル、特に政治的な壁を乗り越えてきたことは言うまでもない。

ジャン・ヌーベルによるTorre Mata Atlântica(大西洋岸森林タワー)。ルーバーパネルを使って垂直型庭園をつくり出すのが意図(写真上:ROSEWOOD SÃO PAULO、写真下:藤井勇人)

 敷地の中でひときわ目立つのが、巨匠ジャン・ヌーベルが設計した建物で、通称Torre Mata Atlântica(直訳すると大西洋岸森林タワー)と呼ばれる。彼にとってはブラジルでは初めての実施物件ということもあり、他を圧倒する存在感がある建物に仕上がっている。高さ100m、22階建てのタワーのファサードはランダムに配置されたルーバーパネルで覆われている。工事の途中でこのパネルを見かけた際は、これはサンパウロの強い日差しを遮るブリーズ・ソレイユ(日よけを目的にした装置)か何かだろうと思っていた。しかし、むしろ主な理由は一つずつクレーンで吊り上げてタワーの屋外空間に置かれた250本の樹木のためのもので、樹木がパネルに沿って成長していけるようにと設置された、いわば垂直型庭園を構築するための仕掛けだったのである。

産婦人科病院をリノベーションした建物の手前にはPraça das Oliveiras(オリーブ広場)が広がる。マタラーゾ家へのオマージュとしてイタリア風庭園を実現するため、樹齢130年のオリーブの木をウルグアイから輸入してここに移植している(写真:藤井勇人)
車寄せから何も段差がなくフラットにホテルのエントランスホールに入れるのは気持ちがいい。柱にはブラジルカルチャーに関する書籍が並んでいる。ちなみに車道とロビーのフロアの間には、排気ガスを吸気するグレーチングが設置されていて細かい配慮も見られる(写真:ROSEWOOD SÃO PAULO)
ホテル内の一室とは思えないスイートルーム。ルーバーパネルが植栽で覆われる日も遠い未来ではないだろう(写真:ROSEWOOD SÃO PAULO)

 ホテルはメイン棟であるこのタワーと産婦人科をリノベーションした2棟で構成されており、一般のホテル客室が160室、Private Rosewood Suitesと呼ばれるレジデンシャルホテルの部屋が100室用意されており、すべての部屋のインテリアデザインディレクションをフィリップ・スタルクが行った。10年間に及ぶこのプロジェクトで、スタルク自身がブラジル国内の素材を研究し尽くし、選び抜かれたマテリアルがホテルの随所に使われている。

 今でもブラジル人のハイソサエティーは海外からの輸入品こそ高級で価値があるという先入観が根強く残っていると思うが、そのアンチテーゼとしてホテルの中にあるすべてのエレメントがメイド・イン・ブラジルだ。それはまさにローズウッドホテルの「A Sense of Place®」という哲学でもあり、アレックスが計画開始当初から言っていた、ブラジル人自身にこそ多様性に富んだ世界唯一のブラジル文化を知ってもらいたいという考えそのものでもある。

ブラジル国内から集められた家具やアートで客室はあふれている(写真:ROSEWOOD SÃO PAULO)

 例えば、客室ベッドルームの壁にはジャトバやノゲイラ、イタウーバ、スクピーラなどブラジル原産の木材が使用されていたり、家具についてはカンパーナ兄弟をはじめとしたブラジル人家具デザイナーによるものが随所に置かれていたりする。まさにザ・ブラジル・ワールドだ。また、ホテルの中には、ストリートアートから先住民アートまで、全部で57人のブラジル人アーティストや職人による450点に及ぶアート作品がセレクトされ置かれている。

各空間のテーマ設定が多様で訪問者を飽きさせない(写真:ROSEWOOD SÃO PAULO)

 ブラジルの多様性を象徴したような作品群であるが、これらを一つの空間として違和感なくまとめあげてしまうスタルクのずば抜けたセンスが光る。そして驚きなのは、客室内にあるそれら家具やアート、あらゆる装飾品は、宿泊客が気に入ったら購入できることだ。私がパッと見ただけでもいわゆる一度は本や雑誌で見たことがあるメイド・イン・ブラジルの家具ばかりで、優に百万円は超えるものばかり。そんな家具たちをお試しできるだけでもこのホテルに宿泊する価値があるのかもしれない。

共有スペースである男子トイレ。入った瞬間に言葉も尿意も失った(写真:藤井勇人)

 個人的に度肝を抜かれたのが1階共有スペースにあるレストルームだ。便座ごとに各スペースの仕上げが変えてあり、これぞまさにサッカー王国ならぬ、鉱物王国ブラジルを象徴した部分である。鉄鉱石の産出量が世界第2位であるのは割と知られているが、この国が大理石をはじめとした岩石や宝石王国でもあるという点はあまり知られていない。ブラジルはトルマリンやトパーズ、ベリル(緑柱石)、クォーツ、アメジスト、オパールをはじめ、世界でもスリランカやモザンビークと並んで豊富な宝石の供給源でもあるのだ。ホテル内にはオニキスやヴィエナ花こう岩、パロミノ石英岩、アマゾナイトなどがあらゆるところに使われており、まるで岩石ミュージアムとも言えるだろう。

直径1m強あるこのバラ窓には強く引き込まれるものがあった(写真:藤井勇人)

 さらにブラジル人アーティストの作品の中で最も印象深かったのは、敷地内のCapela Santa Luzia(サンタ・ルジア礼拝堂)にあるこのバラ窓だ。国際的に高く評価されているアーティストの一人であるVik Muniz(ヴィック・ムニーズ)が手掛けているが、彼はシラクサの聖ルチアにインスパイアされ、建物の修復中に発見されたオリジナルのステンドグラスを再利用し、礼拝堂のバラ窓であるロゼットを制作している。

旧産婦人科病院の建物のルーフトッププール。既存建物の屋上にプールをつくるとはさすがにやることが大胆だ(写真:ROSEWOOD SÃO PAULO)

建物の保存でグリーンエコノミーを目指す

 ここではローズウッド サンパウロについて語ってきた。確かにこれまでサンパウロをはじめ、南米にはなかった5つ星を超えるラグジュアリーホテルであることには間違いはないだろう。しかしながら、極論を言ってしまえばハイソサエティー御用達のラグジュアリーなホテル、で完結してしまう。シダーヂ・マタラーゾが目指すゴールはさらに進んだところにあるのだ。

 アレックスはこのシダーヂ・マタラーゾのミッションとして、以下のことを掲げている。

(1)自尊心を育てる:生物多様性とダイバーシティーを大切にする、(2)自然に対する意識を高める、(3)奪い合う代わりに創造的経済を育成する、(4)気候変動を自らの問題として認識する——。

 建材をはじめ、ホテル内の家具やアート作品がすべてダイバーシティー先進国であるメイド・イン・ブラジルで統一されていることを考えると、(1)は相当達成されていると言えるだろう。また、(2)についても3万m2の敷地内に1万本の樹木が植えられる予定で、この空間に踏み入ればいや応なしに大都会における自然を意識することになるだろう。では他の(3)と(4)についてはどうだろうか。

コンクリートスラブをツルが持ち上げているように見える(写真:Divulgação Cidade Matarazzo)

 その答えとなるのが、ホテルとは別棟にあるAYA Hubという5階建ての建物だ。こちらもフランス人建築家のRudy Ricciotti(ルディ・リッチオッティ)によって設計され、ブラジル国内で初めてLEED認証(グリーンビルディングを評価する国際認証制度)のプラチナV4を取得している。特徴的な外観は、植物のツルを模した505本のコンクリート製のツルによってできており、屋上には太陽光パネルが所狭しと並べられている。

 アレックスはここに元サンパウロ州政府長官であるPatricia Ellen(パトリシア・エレン)と共に、AYA Earth Partnersという再生可能なゼロ・カーボン経済のソリューションに特化した国内最大のアクセラレーター組織をつくった。食料と土地利用、グリーンファイナンスの枠組み、循環型経済とリサイクル素材、クリーンで再生可能なエネルギー、森林再生とバイオエコノミーという5つの項目に焦点を当て、様々なセクターから人材を集め、起業家に対して統合的なソリューションの開発と提供を目指している。

AYA Earth Partners立ち上げ発表会で熱弁をふるうアレックス(写真:Ricardo Matsukawa)

 「ブラジル人の富裕層たちに、建物を保存するということは最終的にグリーンエコノミーにつながるということを具体的に形にして理解してもらいたかった。人々の価値観を変えるには一つの会社では絶対にできない。我々はこのイノベーションハブに会社や人材を集める必要があった。旧マタラーゾ病院に自分のお金を投資してあっという間に14年の月日がたってしまった。もはやディスカッションをしている時間はない。アクションあるのみだ」とアレックスは言う。

 現在のようにSDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会・ガバナンス)が声高に叫ばれているずっと前から彼が考えていたことはぶれることがない。むしろ、14年たってブラジルもようやく彼のビジョンに追いつき、賛同する味方が出てきたとも言える。アレックスが、ブラジルで「気が狂った外国人」で終わるかどうかは、この先のブラジル人たちのイニシアチブによって変わってくるだろう。ブラジルを愛する同じ外国人として応援したいと同時に、彼の人生をかけた挑戦に敬意を示したい。

 最後になるが、ローズウッド サンパウロでは一人の日本人の方が活躍されている。エグゼクティブパティシエを務める伊澤彩子さんだ。14歳のときに両親の仕事の関係でブラジルへ移住し、結婚後子どもたちのために無添加、無着色のパンやお菓子をつくり始め人気となるが、多忙を極め体を壊したことをきっかけに、仕事のスタイルを変えてレストランで働く道へ。

ブラジルのパティシエ界を牽引する伊澤彩子さん(写真:藤井勇人)

 その後パリのル・コルドンブルーを修了し、サンパウロに帰国後、世界的にも知名度が高いブラジル人シェフ、アレックス・アタラがシェフを務めるレストラン「D.O.M.」をはじめ、いくつかのレストンランのチーフパティシエを歴任。彩子さんがパティシエを務められたレストランはほぼ全てミシュランの星を獲得しているというすご腕の方だが、昔も今も子どもたちに安全なものを提供したいという気持ちは全く変わることがないという。2017年にはラテンアメリカトップパティシエに選出されるなど、サンパウロのハイソサエティーだけではなく、ブラジルのパティシエ界でもはや彩子さんの存在は欠かせない。ブラジル、ラテンアメリカの新たな潮流に一人の日本人の方が大きく関わっていらっしゃるということを最後に記して今回の記事を終えることにしよう。(藤井勇人)

〔Cidade Matarazzo(シダーヂ・マタラーゾ)概要〕
所在地:Rua Itapeva 435, Bela Vista, São Paulo/SP – Brazil – CEP 01332-000
設計者:Ateliers Jean Nouvel, Philip Stark, Rudy Ricciotti, Rhada Arora, Triptyque(建築、インテリア)/Louis Beneche(ランドスケープ)
完成時期:2022年
行き方:地下鉄Linha 2-Verde線、Trianon MASP(トリアノン・マスピ)駅下車徒歩3分

藤井勇人(ふじいはやと)
隈研吾建築都市設計事務所ブラジル担当室長。多感な時期をリオ・デ・ジャネイロで過ごしたことからアンテナが地球の裏側ブラジルに。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、サンパウロ近郊の市役所職員としてスラム(ファヴェーラ)の住民組織と共に家づくりを学ぶ。帰国後、デザイン・建築設計事務所を経て2009年にブラジルへ移住。建設会社勤務時代に外務省の日本文化対外発信拠点ジャパン・ハウス サンパウロの立ち上げを行う。現在はリオにて、主にブラジル国内における小売業界の店舗開発などを推進する傍ら、ブラジル国内の大学での講演、ブラジル先住民の椅子や雑貨の輸出などカルチャー全般に関わる活動を行う。現行のブラジル国認定建築士唯一の日本人。ソーシャルニュースメディアNewsPicksプロピッカー
https://www. instagram.com/hayatobr

※本連載は月に1度、掲載の予定です。

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(写真:PAN-PROJECTS)