辰年に気合を入れる「ガウディ先生」の3大ドラゴンとその教え@バルセロナ

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 2024年は「辰年」。そろそろ仕事モードへと気合いを入れる頃だと思うので、筆者(宮沢)が昨年夏に元気をもらった「ガウディの辰(ドラゴン)」について書きたい。

足だけでも見入ってしまう…(写真:宮沢洋、以下も)

 2023年7月、筆者は3年ぶりに海外を訪れた。初めてのスペイン・バルセロナと、3度目のパリだ。やはり初めて訪れた国は新鮮で、バルセロナでは見るもの体験することのすべてが刺激に満ちていた。特に、アントニ・ガウディ(1852~1926)の建築はどれも素晴らしかった。「どうせならば全部見よう」と、他に見たいものを飛ばしてバルセロナに現存するガウディ13作品をすべて見て回った。サグラダファミリア↓のような大作だけでなく、小品もとてつもないエネルギーでつくられている。

ガウディ先生!

 いくつも見ていると、「ガウディ」と呼び捨てにするのが後ろめたくなり、心の中で「ガウディ先生」と呼ぶようになった。なので、この記事でも「ガウディ先生」と呼ぶ。

 パリで見て回った「コルビュジエ」は今でも呼び捨てにしている。なぜガウディ先生だけそう呼びたくなるかというと、天から与えられた才能に加え、創作に対する姿勢に心を打たれるからだ。

GAUDI’S DRAGON 01:グエル別邸の門(1887年ごろ)

 この記事では筆者が勝手に選んだガウディ先生の3大ドラゴンを、完成の早い順に紹介していく。まずはグエル別邸。観光的な紹介文はウィキペディアから引用する(太字部)。

 アントニ・ガウディがエウゼビ・グエイ(グエル)のためにおこなった初めての仕事。グエイが父親から受け継いだ丘陵が多い土地において、ガウディにフランス式庭園の改築と、門番小屋と厩舎の新築を依頼したものである。かなり大規模な建築計画であったが、現在では門番小屋と屋内にある厩舎と運動場のみが現存している。

 グエル別邸の真ん中に位置する鉄製の門は「竜の門」として知られる。伝統的な鉄の素材である錬鉄と、新種の鉄の素材である形鋼を用いて造られている。黄金のリンゴの実が支柱の先端についていて、ヘラクレスがヘスペリデスの庭から黄金のリンゴを盗み出したという、詩人ベルダゲールの「アトランティス」の神話によるパロディーが用いられており、こうしたガウディの造形美が組み込まれている。中央の竜は、こうもりのような羽を持っていて、口を大きく開いた姿が印象的である。

 このときガウディ先生はまだ駆け出しの30代前半。なぜ門にドラゴンなのかは諸説あるようだが、黄金のリンゴの実を守る番人、というのが分かりやすい説明だ。番犬ならぬ、番竜というわけだ。

 邸宅そのものではなく、門番小屋とか厩舎とか門とかの設計依頼である。筆者なら「えーっ」と言いそうだが、門だけでも人の心を捉えてしまう(多分その自信があった)のは、さすがガウディ先生。後に、サグラダファミリアを正面入り口からではなく、側面の「生誕のファサード」↓からつくり始める自信は、ここから生まれたのかもしれない。

サグラダファミリアの「生誕のファサード」(1893年着工)。祭壇を正面としたとき、右手の側面にあたる部分

GAUDI’S DRAGON 02:ミラーリェス邸の石門(1900年ごろ)

 次は、ガウディ先生40代後半のプロジェクト。再び「門」だ。これは、「地球の歩き方WEB」から説明を引用する。

 グエル別邸近くのこの敷地は、ミラーリェスが友人であるグエルから購入したもの。助手のスグラーニェスが住宅や門扉を設計(いずれも現存しない)、また門と塀をガウディがデザインしたが、不完全な形でしか残っていない。鉄骨で骨組みを造り、れんがで形を整え、砕石で被覆した門は、施工的にも造形的にもグエル公園と密接に関係している。

 「不完全な形でしか残っていない」からかガイドブックにも小さくしか載っていない。ドラゴンと明記されてはいないが、このグネグネ造形とウロコ肌はどう見てもドラゴン。躍動感がすごい。長崎くんちの龍踊りみたいだ。

GAUDI’S DRAGON 03:グエル公園(1914年ごろ)

 3つ目は人気スポットのグエル公園。ガウディ60歳ごろ。再びウィキペディアより。

 施主のエウゼビ・グエイ伯爵(スペイン語読みではグエルとなる)とアントニ・ガウディの夢が作り上げた分譲住宅で、1900年から1914年の間に建造された。彼らが最も傾注していた芸術はリヒャルト・ワーグナーの「楽劇」で、ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下で、自然と調和を目指した総合芸術を作り上げようとした。

 この頃、バルセロナでは工業化が急速に進んでおり、それに対してガウディとグエルはこの場所に、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる、新しい住宅地を作ろうとした。しかし、ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は、当時理解されなかった。結局、広場、道路などのインフラが作られ60軒が計画されていたが、買い手がつかず、結局売れたのは2軒で、買い手はガウディ本人とグエイ伯爵だけであったという。

 ここの何がドラゴンかというとこれだ。

広大な公園のシンボルとなっているが、意外に小さい。口から水をはく

 再びウィキペディアより。

 大階段に鎮座する人気のトカゲ、敷地中央にあるホール天井の円形モザイク装飾等、粉砕タイルを使用してのデザインはガウディの助手ジュゼップ・マリア・ジュジョールの貢献が大きい。

 筆者もウィキペディアのようにトカゲだと思っていのだが、現地ではドラゴンと呼ばれているようだ。形は四つ足のトカゲ風でも、現実とかけ離れた高貴な生き物を思わせるからだろう。

 このビジュアルの発信力はハンパない。場所としては大階段の真ん中で、普通は手すりだけでいいようなところなのに。これもガウディ先生は、「宅地開発が成功しなくてもこのドラゴンは残る」くらいに思ってデザインしたのだろう。

 いかがだっただろうか。この原稿で何を言いたいかというと、3件とも、どうでもいいような部分だということ。メインの何かではない。それでも、その時点での瞬間的なエネルギー値があまりに大きいと、誰も壊せず後世に残る。

 毎日の仕事に慣れてくると、大仕事以外は「右から左へ」になりがちだ。だが、どんな仕事にも歴史に残る可能性があると思って取り組みたい──。そんなことを思わせるガウディ先生のドラゴン3作である。(宮沢洋)

原稿のオチに結びつけにくいかったのでランク外となった「カサ・バトリョ」(下の写真も)。盛り上がったウロコ状の屋根が「竜の背中」と呼ばれている