日本女子大キャンパスに妹島和世氏の新たな一面を見た! 篠原聡子学長による新構想に弾み

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 なかなか見ることができない建築をつい褒めてしまう、ということは少なからずあると思う。なので、このリポートも少し割り引いて読んでもらった方がいいとは思うのだが、筆者は日本女子大学(東京都文京区目白台)のキャンパス再編を見学し、妹島和世氏の新たな一面を見た。

妹島和世氏が設計した百二十年館。中庭は地盤面よりも低いサンクンガーデンになっている(写真:宮沢洋)

 目白の日本女子大キャンパスに足を踏み入れるのは、大学生時代に同校の学園祭を見に行って以来、約35年ぶりだ。筆者(宮沢)はミーハーなので東京女子大学や津田塾大学のキャンパスも見たことがあったが、それらと比べると日本女子大のキャンパスは記憶に残りにくいものだった。強い中心性があるわけでもなく、分節されたものが統一的に見えるわけでもない(あくまで35年前の記憶)。それが妹島和世氏の設計でリニューアルされたと聞いたのは2021年春。妹島氏は同大家政学部住居学科の卒業生だ。筆者はこのときすでに日経アーキテクチュアを辞めていたので、フリーランスの男性記者に、女子大の取材依頼があるわけがない。記事を書いたのは、Office Bungaの仲間である長井美暁であった(そのときの記事はこちら

 概要だけ、長井が書いた記事を引用させてもらう(太字部)。

 日本女子大学は創立120周年を迎えた2021年4月、人間社会学部を西生田キャンパス(川崎市)から目白キャンパス(東京都文京区)に移転し、4学部15学科と大学院を創立の地に統合した。これにより、目白キャンパスの学生数は、以前の1.5倍に当たる約6000人に増えた。(日経アーキテクチュア2021年10月28日号より、執筆:長井美暁)

「住居の会」主催の見学会&座談会へ

 見たいなあ、見たいなあ、と思っていたら、2年近くたってようやく願いが通じた。「座談会と見学会があるので、取材しませんか。妹島さんも来ますよ」と山下PMCの広報担当者から声をかけられたのだ。主催は日本女子大の住居学科卒業生がつくる「住居の会」。告知サイトをのぞくとこんな内容だった(太字部)。

目白キャンパス見学会・座談会のご案内:卒業生がつくる目白の森キャンパス~4人が語るそれぞれの想い~

創立120 周年を記念し、2021年3月に目白のキャンパスが生まれ変わりました。
「目白の森のキャンパス」をコンセプトに妹島和世さん(29回生)がグランドデザインを手掛け、住居学科の卒業生たちが中心となってキャンパス再編に取り組んだことはご存じの方も多いかと思います。
コロナ禍で自由な見学がなかなか叶いませんでしたが、住居の会主催、住居学科後援で見学会と座談会を開催する運びとなりました。(中略)
大学としての構想、妹島さんの構想を実現させるため、関係者が一丸となって取り組んだプロジェクトは壮大であり、それぞれの立場での貴重なストーリーが満載です。

後述する座談会の様子

 おお、これは見に行かねば。

個々の際立った個性よりも、ゆるっとした連続感

 まず、見学会の感想から。妹島氏の設計で新たにできたのは、図書館と、学生滞在スペースの「青蘭(せいらん)館」、教室・研究室棟である「百二十年館」、学生棟「杏彩(きょうさい)館」の4つ。目白通りを隔てて立つ図書館と青蘭館はほぼ一体のような建物なので、大きくは3つのエリアに点々と妹島建築ができた形だ。

赤線で囲んだ建物が妹島氏の設計

 冒頭で「妹島和世氏の新たな一面を見た」と書いたのは、点在する建物のゆるっとした連続感で“妹島ワールド”をつくるうまさ。最近の妹島建築あるいはSANAA建築だと、通常ではあり得ない平面形の建物が多く、「そりゃ、あんな形にすれば“らしさ”は出せるよなあ」と思ってしまうこともあった。が、ここはどの建物も平面形は基本的に真四角。建物内に変わった形の吹き抜けがあるということもない。

百二十年館の外観

 それでも、素材感の統一と、記憶に残るデザインモチーフ、あとはピロティ、細い柱、横連窓といったモダニズムの基本によって、すっかり妹島らしさの漂うキャンパスとなっていた。筆者が好感を持ったのは、その“らしさ”が既存の雑多なキャンパスを否定していないこと。それぞれの良さを引き立てていると言うと大げさだが、「ああ、なんか雑多な界隈性がいいよね」とポジティブに受け取れるようにキャンパスの価値が変化しているのだ。実はこの日の見学会では図書館と青蘭館の中は見られなかったのだが、妹島氏の設計意図は外を歩いているだけでもよく分かる。

 「記憶に残るデザインモチーフ」と書いたのは、このボールド屋根の繰り返し↓。建物間の連続性を持たせるのにすごく効いている。たぶん、コストもさほど高くない。

目白通りを挟んだ図書館(奥)と青蘭館(手前)
百二十年館
不忍通り側の杏彩館
杏彩館
おお、 杏彩館の前にある守衛所もボールト屋根!

 建築好きはすぐ、「この屋根、何がモチーフなの?」と聞きたくなる。あ、ここ↓(泉山館)にあった!

既存の泉山館

 「雑多な界隈性」を強調するという点では百二十年館のサンクンガーデンが効いている。ピロティをくぐってサンクンガーデンに下りる、あるいはサンクンガーデンから上がってピロティを抜けるという行為の際に、空間が明るくなったり暗くなったりすることで、小ささや上下差をポジティブに捉える感覚が刺激される。

 既存の建物を否定していない、という点では、これ↓にグッと来た。 百二十年館の屋上機械室の囲いだ。隣の建物や向かいの建物がアルミパネルに映り込んで、なんともいい感じにグラデーションがかかる。これはおそらく相当スタディしたデザインだと思う。

 普通、こういう点在型のリノベーションを見ると、「早く全体を同じにテイストにしてあげて!」と思うものだが、ここはそういう感じがしない。今のままでもいいし、何なら妹島氏以外の卒業生(東利恵氏とか赤松佳珠子とか貝島桃代氏とか)がバラバラにデザインして建て替えていっても面白そうだ。そんなふうに思わせる。

 学生はそんなマニアックな良さには気づがないと言われそうだが、少なくとも住居を学ぶ学生たちが、この空間に日々触れる意味は大きいと思う。キャンパスの空間的魅力という点では他の有名建築学科に全く負けていない。

登壇者のプロフィルにびっくり

 見学会に続いて行われたのは、卒業生4人による座談会。これはまず、4人のプロフィルがすごい。

◆妹島和世氏(29回生)
1956年茨城県生まれ。建築家。
1981年日本女子大学大学院を修了。
1987年妹島和世建築設計事務所設立。
1995年西沢立衛とともにSANAAを設立。
2010年第12回ベネチアビエンナーレ国際建築展の総合ディレクターを務める。

◆篠原 聡子学長(31回生)
1958年千葉県生まれ。
1981年日本女子大学家政学部住居学科卒業。
日本女子大学大学院修了後、香山アトリエを経て、空間研究所主宰。
1997年から日本女子大学で教鞭を執り、現在、日本女子大学家政学部住居学科教授。
2020年5月より同大学学長。研究分野は、建築設計 住居計画。

◆佐藤貴子氏(33回生)
1983年3月 日本女子大学家政学部住居学科卒業。
1983年4月 清水建設株式会社入社。
2003年4月 清水建設株式会社技術系女性初の管理職となる。
2007年9月 日本女子大学住居学科非常勤講師。
現在清水建設株式会社設計本部設計⻑、日本女子大学住居学科非常勤講師、東京建築士会中央支部。

◆丸山優子氏(38回生)
1988年3月 日本女子大学家政学部住居学科卒業。
1988年4月 清水建設株式会社入社。
2009年5月 山下ピー・エム・コンサルタンツ入社(現山下PMC)。
2012年12月 執行役員 事業創造本部長。
2018年12月 取締役 常務執行役員。
2022年1月 代表取締役社長 社長執行役員 CEO COO。

左から司会の三木泉氏(住居の会会長、三木泉アーキテクチャー&デザイン)、丸山優子氏(山下PMC社長)、篠原聡子学長、妹島和世氏、佐藤貴子氏(清水建設設計本部設計⻑)

 もちろん行く前から4人全員が「住居学科卒業生」であることは気づいていた。そうか、各分野で活躍している人を集めたんだな、と思っていた。だが、会が始まってから「全員がキャンパスリニューアルの当事者」だということを知ってびっくり。妹島氏は設計者、篠原聡子氏はクライアント(日本女子大学学長)、佐藤貴子氏は実施設計(JV)と施工を担当した清水建設の設計本部設計⻑、丸山優子氏はPM・CMを担当した山下PMCの現社長だ。

 1つのプロジェクトに、異なる立場で同窓生がこんなにそろうというのは、聞いたことがない。先ほどは個人で活躍が目立つ卒業生の名前を挙げたが、組織でも活躍の場が広がっていることの証しだろう。

 座談会ではけっこう生々しく刺激的な話もあったのだが(実現までには山あり谷ありだった模様)、ここで面白くおかしく書くことはやめておく。1つだけ、篠原学長が最後に発表したことを、まだご存じない方もいるかもしれないので書いておく。

 ⽇本⼥⼦⼤学は、2024年度から「建築デザイン学部(仮称)」を設置するとともに、2024年4月に日本女子大学大学院「建築デザイン研究科(仮称)」を新たに設置します!

 詳細が気になる方はプレスリリースを。(宮沢洋)