映画「妹島和世」でホンマタカシは何を伝えたかったのか?

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 ドキュメンタリー映画「建築と時間と妹島和世」(10月3日公開)を試写会で見た。会社を辞めてから初めて見る試写で、とてもうれしい。映画の代金がそんなに惜しいわけではないが、まだ口コミが少ない状態でニュートラルに見られる試写というものは、公開映画とは異なる特別な場なのだ。(映画関連の方、こちらに試写の案内をお送りください!)

大阪芸術大学アートサイエンス学科棟。この写真はホンマタカシではなく、私の撮影です(写真:宮沢洋、以下同)

 タイトルからも分かるとおり、建築家・妹島和世氏(1956年生まれ)が主人公のドキュメンタリー映画である。監督・撮影は、妹島氏と1990年代から親交のある写真家のホンマタカシ氏(1962年生まれ)だ。映画のキャッチコピーは「大阪芸術大学に丘が建つまでの3年半の記録」。丘とは、2018年に完成した大阪芸術大学アートサイエンス学科棟(上の写真)のことだ。

 これからこういう映画評を時折書くことになると思うので、スタイルとして「お楽しみはこれからだ」をまねてみることにした。尊敬するイラストレーター、和田誠(1936年~2019年)のキネマ旬報での伝説的連載だ。

 この「建築と時間と妹島和世」を象徴する名シーンはここだと思う。

「変わる連続」──by 妹島和世(イラスト:宮沢洋)

 基本構想から基本設計、最終案へと、つくっては辞めつくっては辞めしてきた模型群の映像を見せた後で、妹島がつぶやく言葉だ。設計は「行ったり戻ったり」とも。(映画内のセリフは記憶に基づく、以下同)

 どのぐねぐね屋根もそんな変わらないじゃん、と思ってしまう自分は、おそらく設計の才能はないのだろう。その途中段階では、普通の四角い箱も本気で考え、構造計算もしたという。でも、当初の狙いと違うと我に返った、と。気付いてよかった。

 さらに驚くのは、地鎮祭が終わった直後に、「既存の校舎と遠すぎる気がしてきて、位置を校舎と近づけることを検討した」とサラリと告白するのだ。設計途中ではなく、地鎮祭の後である。検討の結果、やはり元の位置の方がいいという結論になったというが、施工者(大成建設)はヒヤヒヤだったに違いない。

 このほか、「現場で判断を求められても、その場では決めない。いったん持ち帰って、距離を持って考えてみる」という告白も。これも若手設計者にお薦めしていいのかどうかという設計姿勢だ。

1人語り99%、異色のドキュメンタリー

 文字にしてみると衝撃的だが、映画全体としては“ドラマチック”とはほど遠い、ふわっとした印象だ。

 建設プロセスの映画というと「黒部の太陽」(黒部ダムの建設過程)や「超高層のあけぼの」(霞が関ビルディングの建設過程)のような群像劇をイメージする。NHKの「プロジェクトX」もしかり。だが、この映画は99%、妹島氏の発言でできている。主役の独白の多い「情熱大陸」だって、数人は関係者の声を拾うところだ。でも、この映画は、妹島事務所のスタッフや大成建設の現場所長らしき人が登場するものの、その発言は拾われていないか、ミュートされている(小声過ぎて聞きとれない)。

 映像もドキュメンタリーらしくない。私は現地に行ったからよく分かるのだが、建設途中の映像のほとんどは、敷地の南側に立つ塚本英世記念館(下の写真)の上階から撮影されている。

 塚本英世記念館は、同大学で教鞭を執った建築家の高橋靗一氏(1924~2016年)が日本建築学会賞作品賞を受賞した名建築だ。それ以外の校舎も高橋氏がつくり続けてきたもので、単なる校舎ではない。

 妹島氏も映画の中で「高橋先生の建築が~」とコメントしており、普通ならばドローンでも飛ばして、キャンパス内をざっと紹介しそうなものだ。でもやらない。

 あまりの淡々としたトーンに、映画を見ている最中からずっと、「ホンマタカシが伝えたいものは何か」を考えずにはいられない。

 ふんわりとした映像と、サラサラと砂のような独白が続き、60分という短い時間で映画は終わる。あ、もう終わったのか…。

伝えたいのは妹島氏の「強さ」?

 ここから先は、私の推論なので、映画を見ようと思っている人は、見てから読んでほしい。

 一般のアート好きの人は、「妹島和世素敵!」と素直に思うかもしれない。対して、建築関係の人は、「いやいや建築とはもっとドロドロしたものだろう」と思うのではないか。ベテランの設計者は、これを見た若手に「建築はこんなふうにふんわりとはできない」と苦言を呈したくなりそうだ。

 しかし、私はこう考える。ホンマ氏は、そういうふうに言われそうな若手に向けて、「ふわっとあり続けることの大切さ」を伝えたいのではないか。

 もちろん、教科書どおりに、基本構想→基本設計→実施設計とぶれなく設計を進め、現場で判断を求められたらテキパキと決められる設計者が望ましいことは間違いない。が、そういうプロセスでは妹島氏のようなふわっとした建築は生まれないのだ、と。

 キャンパス内の映像を詳しく見せないのは、見せてしまうとこの形が周辺環境に対する「ソリューション」になってしまうからだと思う。そういう問題解決志向ではなく、この形が妹島のふわっとしたイメージから生まれていることをホンマ氏は強調したかったのではないか。

 そして何より伝えたかったのは、「ふわっとあり続けることの強さ」だと思う。人は「ソリューション」には納得しやすいが、「イメージ」ではなかなか動かない。今でこそプリツカー賞の冠を頂く「世界の巨匠」だが、若い頃には「何言ってんだ!?」とクライアントや施工者と相当やり合ったはずだ。

 映画の途中、事務所内で物音がしたとき、妹島氏が画面外に向かって「ちょっとなるべく静かにしてねっ」と怒るシーンがある。なぜ、この部分、切らないのだろうと思ったのだが、後で考えると、そういう強さ(怖さ?)を伝えたかったのかもしれない。

 いろいろ考え過ぎかもしれないが、それぞれの見方を引き出す映画であることは間違いない。10月3日(土)より渋谷のユーロスペースで公開。ほか、全国順次公開予定。公式サイトはこちら。(宮沢洋)