日曜コラム洋々亭09:世田谷美術館「作品のない」企画展、ベテラン学芸員から若手へのバトン

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 開幕前から美術関係者の間で話題を呼んでいた世田谷美術館の「作品のない展示室」が昨日、7月4日(土)から始まった。早速、初日の朝に行き、企画者である橋本善八(よしや)副館長兼学芸部長に案内してもらった。

(写真:宮沢洋、以下も)

 何が話題なのかは、展覧会名で想像がつくと思う。展示物が何もない企画展なのだ。コロナ禍で開催できなくなった企画展の穴埋めとして、急きょ、設計者である故・内井昭蔵が意図した“素の空間”を無料で見せることにしたのだ。会期は8月27日まで。

 開催概要ではこう説明している。

 1986年に開館した世田谷美術館は、建築家・内井昭蔵(1933- 2002)によって設計されました。そして、内井昭蔵は次の3つのことを、美術館設計の上でのコンセプトとしました。

 「生活空間としての美術館」、「オープンシステムとしての美術館」、「公園美術館としての美術館」。こうしたコンセプトに基づき設計された世田谷美術館には多くの窓があり、また来館者を迎えるのも正面玄関だけではありません。周囲の環境と一体化しようとする、とても開放的な建物になっています。(中略)

 窓を通して砧公園の緑ゆたかな風景を眺め、可能ならば、自らの心のなかに、これまで見てこられた数々の展覧会の一齣でも想い浮かべてくだされば幸いです。

コロナ禍のわずか1カ月で準備

 無料で見られるのは、1階の企画展示室。まずは、扇形の展示室が出迎える。通常の企画展では閉じていることの多い円弧状の開口部から、砧公園内の鮮やかな緑が見える。 


 同館は新型コロナウイルス拡大防止のため、3月末から休館に入った。橋本副館長によると、この展覧会を思い立ったのは、5月末ごろだった。「4月~5月は臨時休館の後作業や今後の調整で手いっぱいだった。結局、次回展開催までにはかなりの準備期間が必要で、7月~8月にかけて催しが空白になった。ならば、何もない状態をゆったり見てもらってはどうかと、世田谷区と話をして決まった。こんなに話題になるとは、正直思っていなかった」と橋本副館長は言う。

 実は、橋本副館長には「何もなくても楽しんでもらえる」という確信があった。2009年12月~2010年2月に開催された企画展「内井昭蔵の思想と建築 自然の秩序を建築に」では、「内井さんが設計時に意図した機能をすべて見せる形での展示」(橋本副館長)を実現した。そのときの来館者の反応から、展示室内から見える景色に大きな価値があることが分かっていたのだ。

 2009年の内井展では、「開けられるところはすべて開けた」と言うが、今回は、無料ということもあって費用がかけられず、一部の開口部は閉じたままだ。例えば、下の写真の右方向は、可動壁を動かして、さらに開口部を見せることもできる。
  


 それでも、見るべき価値はある。実は私(宮沢)も、扇形展示室の開口部は開けた状態を見たことがあったのだが、奥にある矩形の展示室(下の写真)は、開口部があることすら認識していなかった。

 開けた状態を見て初めて分かったのだが、屋外に置かれたベンチの「波形」背もたれは、室内からの見え方を意識してデザインされたものだったのだ。

 可動壁の戸袋なども、あえて見える状態にしている。室内が明るいので、天井の吸音板のディテールなどもよく見える。

 上の写真の部屋では、世田谷美術館のこれまでの企画展のポスターを投影している。写真左奥は、搬入用の扉(下の写真)。これも通常は見えないが、あえて見せている。

他の美術館でもやってほしい!

 橋本副館長(下の写真)は、世田谷美術館が開館した1986年から学芸員として勤務している。内井氏との交流は開館前からだ。同美術館を熟知しているからこそできる緊急企画展。その裏にはこんな思いもあるという。「定年も近づいてきたので、若いスタッフに素の状態を見てもらい、今後の企画に生かしてほしい」。

 他の美術館の学芸員や、将来、美術館を設計したい学生にも見てほしいと思う。そして、同様の企画を、他の美術館でもぜひ数年に一度やってもらいたい。運営側に悪意はないのだとは思うが、「開かずの窓」や「開かずのトップライト」、「上れない階段」を持つ美術館がいかに多いことか…。

 「無料で見せるのはこういう社会状況だからこそできたことかもしれない」と橋本副館長は言う。ならば、入場料を数百円取ってでも、自治体の財産をさらに輝かせるためにやるべきではないか。「何もない」がゆえに、そんなことをいろいろ考えさせる展覧会である。

企画展 作品のない展示室
会場:世田谷美術館 1階展示室
住所:東京都世田谷区砧公園1-2
会期:2020年7月4日(土)~2020年8月27日(木)
開館時間:10:00~18:00
休館日:毎週月曜日(祝・休日の場合は開館、翌平日休館)
※8月10日(月・祝)は開館、翌8月11日(火)は休館
主催:世田谷美術館(公益財団法人せたがや文化財団)
観覧料:無料

 なお、世田谷美術館は日経アーキテクチュア2009年9月14日号の建築巡礼で取り上げており、書籍「ポストモダン建築巡礼 1975-95 第2版」に収録している(上はそのイラストの一部)。お持ちでない方は、ぜひアマゾンで。(宮沢洋)