代々木競技場が重要文化財内定、「世界初の二重の吊り構造」を世界一わかりやすく解説します!

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 丹下健三が設計した国立代々木競技場(1964年竣工)が重要文化財となることが内定した。5月21日、文化審議会(佐藤信会長)が同競技場を重要文化財に指定するよう、萩生田光一文部科学相に答申した。第一体育館、第二体育館の2棟から成り、2棟とも答申した。答申通り告示されれば、重文の中で最も新しい建造物となる。

国立代々木競技場。「しんこう」2021年5月号のために描いたもの。以下も同じ(イラスト:宮沢洋)

 素晴らしいニュースだ。第一体育館は、今夏の東京五輪が開催されれば、2度目の五輪会場となる。5年前から槇文彦氏が世話人代表を務める「代々木屋内競技場を世界遺産にする会」が同競技場を世界文化遺産にするべく活動しており、それも現実味を帯びてくる。なぜなら世界文化遺産になるにはまず国の重要文化財である必要があるからだ(世界文化遺産の登録条件→登録をめざす物件は、国の法律で確実に保護されていること。日本の場合、文化遺産は文化財保護法によって国宝、重要文化財、史跡、名勝、重要文化的景観などに指定されていること)。

 五輪を予定通り開催したいという政治的思惑もあるのかもしれないが、開催しようとするまいと、このニュースは素直に喜びたい。

「モダニズムの構造表現の頂点」by藤森照信

 第一体育館、第二体育館とも当時珍しかった「吊り構造」を採用している。特に、第一体育館の方は「二重の吊り構造」を採用しており、これは構造形式として世界に類例のなかったものだ。建築史家の藤森照信氏は、筆者が以前に編集した書籍『建築家が選んだ名建築ガイド』(2005年、日経BP社刊)の「藤森照信が選んだ東京の10選」の中で、こう書いている。

建築史家で建築家の藤森照信氏(似顔絵:宮沢洋)

 「明治以降に建てられた日本の近代建築のうち、どれか1つ挙げろと言われたら、やはりこれだろう。(中略)メインケーブルからさらにケーブルを架け渡す二重の吊り構造は、ル・コルビュジエの『ソビエトパレス』から始まるモダニズムの構造表現の頂点を画した。(中略)丹下さんと同世代の建築家はきっと大変だったろうと思う。あんなものを見せられたら、たまらない」

 「たまらない」という批評というか悲鳴のような一文が、自身も建築家である藤森氏らしくて好きだ。そのくらい圧倒的な建築であることが誰にも伝わる。

 実は筆者もつい最近、この「二重の吊り構造」について原稿を書いた。一般財団法人建設業振興基金が発行している「しんこう」という月刊の会報誌だ。自分で言うのも何だが、これは「中学生にも分かるように」とイラストを交ぜて書いた記事なので、重文内定記念にその一部を引用する。

吊り構造で先行したのはサーリネン

丹下健三(1913~2005年)(似顔絵:宮沢洋)

 前東京五輪の招致が決定したのは、開幕の約5年前、1959年5月だった。国立代々木競技場(当時の名称は「国立屋内総合競技場」)の設計は、その段階ではまだ始まっていなかった。

 招致決定の頃にはまだ用地交渉中で、アメリカとの約2年間の交渉の末、1961年10月、現在の代々木公園にある「ワシントンハイツ」に選手村と競技場が建設することが決定した。競技場の設計者が正式に決まったのは1962年に入ってから。開幕まで3年を切っている。今ではとても信じられないスケジュールだ。

 設計者に指名されたのは丹下健三(東京大学助教授)、坪井善勝(東京大学教授、構造)、井上宇市(早稲田大学教授、設備)の3氏(肩書は当時)。

 代々木の設計当時、吊り構造の建築として有名だったのが、エーロ・サーリネン(1910~1961年)の設計で1958年に完成したイエール大学・ホッケーリンクだった。「クジラ」の愛称を持つこの建物は、真ん中に大きな梁をアーチ状に架け渡し、そこから両サイドにケーブルを張って屋根を支えている。

 一方、丹下健三(1913~2005年)を中心とする設計チームが代々木の第一体育館で考えたのは、メインの吊り材からサブの吊り材を吊る「二重の吊り構造」。建築では世界初のアイデアだ。

 その発想に近かったのが、吊り橋だ。第一体育館の構造は、2本のメインケーブルから楯にハンガーロープを垂らして橋桁を吊った橋を想像するとイメージしやすい。

 上のイラストで「二重の吊り構造」がお分かりいただけただろうか。第二体育館も「二重」ではないものの、こんな(↓)独創的な吊り構造だ。藤森氏が「たまらない」と言う気持ちが分かる。

 元の記事は「クイズ 名建築のつくり方」という連載で、こういう3択だ。

Q.国立代々木競技場 第一体育館の大屋根をつくるに当たり、参考にしたものはどれ?
(1)1957年に公開コンペの結果が発表されたシドニーオペラハウス
(2)エーロ・サーリネンの設計で1958年に完成したイエール大学・ホッケーリンク
(3)1962年に開通し、「東洋一の夢の吊り橋」と称された福岡県の若戸大橋

 先の説明で、(2)の「イエール大学・ホッケーリンク」が答えではないことは既にお分かりだと思うので、残りのどちらが答えなのかは元の記事をご覧いただきたい。WEB版がこちらのサイトで読める。

 ちなみにしんこうの7月号(7月上旬発行)には「国立代々木競技場・後編」が載る。後編は「吊り橋とどう違うのか、それをどう解決したのか」を書いた。これも面白いと思うので、その頃に「しんこう」のサイトか、このBUNGA NETをのぞいてみてほしい。

 国立代々木競技場については相棒の磯達雄(Ofiice Bunga共同主宰)も最近、「Number WEB」に記事を書いているので、そちらもぜひ。

米選手団長「俺が死んだらここに骨を埋めて」 世界が愛した名建築「国立代々木競技場」が世界遺産に?


 最後に本音を少し。「開催しようとするまいと、このニュース(重文内定)は素直に喜びたい」と書いたが、半年前までは開催されるものと信じていた。満員の観客を入れて……。というのは、私は五輪のチケット抽選で、第一体育館で開催されるハンドボール競技に当選していたからだ。今回の重文内定のニュースは、長引くコロナ禍ですっかり気落ちしていた私を励ます「建築の神」からのエールに違いない。(宮沢洋)